2005年06月27日

録画をする人の悲嘆 〜提供テロップとCPRM対応DVD-R〜

 一族郎党の中でDVDレコーダーの所有者は僕1人なので、しばしば録画を頼まれます。
 もちろん、そんな一族だからDVDを再生するのはもっぱらプレステ2。『初恋』全66話録画などに至ってはT話1時間×66時間÷2(DVD-Rの容量。2時間換算。片面2層なんてできん)で33枚となるわけで……しかもデジタル(ホームドラマチャンネル)だからCPRM対応でないと焼けないし、国産で廉価なのはThat'sの10枚組ぐらいしかないし。

 頼む太陽誘電。50枚組出してくださ〜い。

 さて、昨日は父親に頼まれてフジテレビで放映された『海猿』の録画を頼まれたのですが、放映中に電話がかかってきて「録画しなくていいや」という声が。なんでも、映画の途中に「この番組はご覧のスポンサーの……」などいう「提供テロップ」が入っていたので録画する気が失せたとのことです。
 通常、地上波で映画を放映する際に提供テロップを流すときは、本編とは関係ないダイジェスト画面みたいなのを作って、その中で流します。だが、今回は本編そのものに流したわけです。
 これが意味する所は明白で、要はCMカットをやって欲しくないというフジテレビ側の意思表示なのでしょう。他のテレビ局……例えば、その前に放映された『スターウォーズ エピソード1』ではCMの前後ごとにチャプターを分轄して放映されていましたし、提供テロップも本編に重ねてはいませんでした(地震警報が入ったけど)。
 ところが、フジテレビのはチャプターを一切切らずに放映されています。CMカットの手間はとてもかかるし、それ以前に提供テロップなどでできる限りCMカット録画を防止する方向に編集されています。

 う〜む。
 やはり映画好きな人は地上波放送をアテにはできない時代になったんでしょうか。
 フジテレビに限らず、地上波テレビ局としてはこういうことをやらざるを得ない懐事情もあるでしょうし、代案なくして批判などできやしません。

 とりあえず、父には「DVD買いなさいな」と答えました。
 ただ、DVDレコーダーを出している家電業界としてはそういう防御策によって録画離れが進むのは看過できないことでしょう。録画ではなくDVD購入の方が主体となるような状況になったら、それこそ世界の1/3を占める海賊版DVDの生産者たちはウハウハなわけで、そんな状況では海賊版業者以外みんなジリ貧です。
 海賊版はおろか、Winnyなどで違法コピー品が手に入るであろうご時世ともなると、録画するという作業自体が愚かな行為なのかもしれません。けど、海賊版や違法コピー品にうつつを抜かしていると、いずれ政府なり業界なりがムギャオーとキレて大々々規制や怪しい刑法を作る方向に走るのは火を見るより明らかで、それは限りなくイヤです。

 つーか、現在でもCPRMで非常に苦しい思いしてるんですから。いまだに「CRPM」と順序間違えるし。
 CPRM対応のDVD-Rは価格.com最安(27日現在)のあきばんぐですら送料加算すると1枚150円ぐらいかかるんですから。CPRM非対応だと50枚組で1枚100円切るんですから、これは大きな差です。
 
 頼みますよ太陽誘電。50枚組出してくださいです。
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2005年06月26日

TRPGがたどった問題点たち 〜ScoopsRPG記事プレビュー〜

 今日はScoopsRPGに投稿予定の記事から一部を抜粋して掲載します。
 題して「TRPGがたどった問題点たち」です。

◆◆◆

 黒田幸弘氏の『D&Dがよくわかる本』では、DM技術上達の方法を段階的に示しています。
 始めは市販のサプリメント……この時代では「モジュール」と称していたものをプレイすることから始まり、そこからモジュールの改造を経て……

 Lv2:自作ダンジョン作り
 Lv3:物語的なシナリオを絡めたゲーム作り
 Lv4:NPCの操り方
 Lv5:世界観と連動したキャンペーンの方法

 と言った具合に徐々にマスタリングの裾野を広げていくよう薦められています。これはガイギャックスが『ロールプレイング・ゲームの達人』で示したRPGの達人への道を具体的な形にしたものかと思います。

 『D&D』が絶妙な点として、DMが必要とされるマスタリング技術と、プレイヤーが自らの管理資源(HPとか)に見合った“できること”の範囲……ゲーミングの範囲がうまく比例している点があります。
 赤箱レベルのパーティは青箱レベルパーティがやらかす「村を襲って財貨を得る」とか、緑箱レベルパーティがやらかす「村々を襲撃して財貨を得る」とかいう“あこぎな遊び方”ができるほど強くありません。せいぜい10フィート棒をつついて洞窟を歩き、グールをやりすごす手段を考えることぐらいしかできない戦力です。
 すなわち、赤箱レベルでは「Lv2:自作ダンジョン作り」ぐらいができればDMとして合格なのです。この段階から「Lv5:世界観と連動したキャンペーンの方法」を修得する必要はDMにはなく、プレイヤーもまたそこまで踏み込める状態ではありません。

 僕が『D&D』を初心者向けTRPGとお勧めしているのは、DMとプレイヤーがともに初級技術しか扱えない状態からスタートして、ともに慣れていくにつれて技術の幅……DMはマスタリング(NPC、モンスターなどのGM資源と、迷宮などの仮想ゲーム盤を管理し、プレイヤーのゲームプレイングを公正に処理する)とストーリーテリング(世界観の管理とシナリオの運営で、プレイヤーのゲーミングを扶助する)の2つの技術を修得し、プレイヤーはゲームプレイング(HPや能力値などのPC資源を管理し、ゲーム終了までにゲーム目標を達成して配当を得る)とゲーミング(物語的な能動的行動によってシナリオに介入し、世界観をPCたちの行動に絡めて構築する)の2つの技術を修得することができるゲームだからです。

 だが、僕はD&Dも胸張って推薦できないチキンです で告白した通り、屈託なく『D&D』を薦めることに不安を感じているのも事実です。それは、「僕はD&Dも〜」で述べたように、当時隆盛していた『ソードワールド』の愛好者と、『D&D』愛好者との意識の乖離を埋めるような器用さを僕が持てなかったこともありますが、上で述べたような『D&D』流のプレイスタイルが他のゲームでは通用しないというのがあります。

 例えば、『ソードワールド』は『ドラゴンマガジン』を母体としていただけに、非常に物語慣れした人が参入してきています。彼らの厄介な所は、初プレイの前からTRPGにはライトノベルみたいな物語を追体験できる物語再生装置としての側面があることを認識し、それを期待して参加してくるということです。黒田氏のレベルで言えば、初っ端から「Lv3:物語的なシナリオを絡めたゲーム作り」段階でのプレイを望んでくるのです。
 これは『コンプティーク』を母体としていた『ロードス島戦記コンパニオン』や『マル勝スーパーファミコン』を母体にしていた『ダブルムーン伝説』とて同様でしょう。

 ゲームプレイングなんかてんでできないひよっこがです。
 
 『ソードワールド』は意外にシビアな戦闘バランスだと言われていますけど、『D&D』赤箱ほどシビアではないですから、作りたてのキャラでも「Lv3:物語的なシナリオを絡めたゲーム作り」に対応できるほどの戦力にはなります。プレイヤーは初歩的なゲームプレイングを学ぶ「ノービス期間」なんかナシにプレイが可能なのです。そして、ストーリーメディア参入者は自分はゲーミングがしたくて、GMにはストーリーテリングをしてもらいたくてウズウズしている状態です。
 したがって、自然と初期レベルが「Lv3:物語的なシナリオを絡めたゲーム作り」となり、たとえ本日初GMの人でもLv3以上の技術が要請されるのです。

 もちろん、ゲームプレイングがなっていないプレイヤーも、マスタリングがなっていないGMもシナリオを楽しむ以前に自分の資源管理に失敗するのが関の山です。大抵が、どちらか佳境前に資源を使い果たして……プレイヤーの場合はキャラが死に、GMの場合はNPCやモンスターが死ぬ……トラブルを起こすわけです。
 競馬などで言えば、本日のメインレースを前に前座のレースで持ち金を使い果たしてしまった状態でしょう。金と違ってTRPGの資源はすべて仮想のモンですから別の人が貸すわけにもいかず、大抵がメインレースを指をくわえて見守るしかないです。これがGMだと厄介で、メインレース前に馬を出し尽くしてしまったりして賭けの胴元としての機能を果たせなくなる状態になるのと同等の行為をしでかしてしまいます。何人もの客が騒ぎ出すのは火を見るより明らかです。

 だが、だからと言っていきなりLv3以上を求める『ソードワールド』がダメなゲームだったと言えばそうでもなかったのが現実です。ストーリーメディア参入組は確かに物語再生装置としてのTRPGを強く求めましたが、プレイヤーのゲームプレイング技術とGMのマスタリング技術を競わせるダイスゲームとしてのTRPGについてはさほど関心がありませんでした。
 だから、GMとしてはマスタリングはプレイヤーがいい気になる程度にすれば充分で、プレイヤーに気持ちよく剣を振らせる雑魚敵と、協力して何か目標を達成したような気にさせるボス敵を出せばこと足りるのです。プレイヤーとしてもその程度でゲームプレイングは満足する程度しかゲーム感覚が養われていません。

 それにより、幹事役のGMが講釈でプレイヤーを囃し立てるパーティゲーム的なTRPGスタイルが形成され、一時は『D&D』のスタイルを陵駕したものです。
 こうなるとプレイヤーの方は徹底的に物臭になるもので、ゲーミングの必要性すら認識することができず、TRPGなんてGMが面白い物語を提供してくれるものだからと、何の事前準備もしない「聴衆」プレイヤーが出てくるのです。
 彼らが「マジックショーの観客」程度しか動かないのはインタラクティブの居場所で指摘した通りです。ゲーマーとしてはとても移り気で飽きっぽく淡白です。彼らはTRPGにマジックを見るような刹那的面白さしか要求しませんので、いくら熟練のGMでも糠に釘を刺すような反応しか得られません。

 現在、TRPG業界で一定のシェアを得ているF.E.A.R社のスタイル……PCの物語的な立ち位置を固定することにより、シナリオを整然と進める機械的物語再生装置としてのスタイルと解釈すればいいのか……は、上で挙げた経緯の中から、従来のTRPGにあった2つの問題点を解決しようとして生み出されたスタイルかもしれません。
 2つの問題点とは、

1:プレイヤーのゲーミング偏重・ゲームプレイング不足、GMのストーリーテリング偏重・マスタリング不足が引き起こす乖離によって、どちらか乃至双方がゲーム資源の中途枯渇を起こしゲーム続行が困難になることから発生するトラブル(第1期トラブル「乖離」)

2:プレイヤーの能力不足・意識低下から引き起こす吟遊詩人GMと観客プレイヤー状態が引き起こすGMのストレス増加、それに伴うGM人口の低下というトラブル(第2期トラブル「空洞」)

 です。
 もちろん上述のF.E.A.R社のスタイルはあくまでも「基調」に過ぎません。『トーキョーN◎VA』は「キャストが物語に与える影響」をメインとした立ち位置分けをしているのに対して、『ナイトウィザード』は純然にバトルでの役割が立ち位置分けの基準と言えましょう。

 F.E.A.R社のスタイルが解決策に選んだ手法は「予定調和」と言えます。
 従来プレイヤーの能動的行動によっていくらでも変化するのがゲーミングというものでしたが、F.E.A.R社のスタイルはゲーミングやストーリーテリングの展開に明確なゴールを設け、遊び手は各自ゴールに向けて「それぞれの手段(プレイヤーのゲーミング、GMのストーリーテリング)」で発進しなさい。ただしゴールは1つ。
 言わば、海賊船に乗り込んで海賊を討伐するシナリオを、海賊を臣従させて乗っ取ってしまうのが従来のゲーミングなのに対して、F.E.A.R社のゲーミングは「沈む海賊船」が予定されており、各自がそう予定された「結」に向かって自分のキャラの立ち位置を基点に演出をしなさいというものなのでしょう。

 このスタイルは黒田氏のレベル分けでは解釈できません。
 なぜなら、初歩から「Lv5:世界観と連動したキャンペーンの方法」までを、すべて初心者に求めており、しかもそれは成功しているからです。なぜ成功するかと言えば、F.E.A.R社のゲームは「1タイトル1キャンペーン」が基本で、キャンペーンをすれば全国津々浦々、どこの卓でも同じ目標に向かって進むからです。『ナイトウィザード』ならエミュレイターから地球を守り、『アルシャード』ならシャードを守ってアスガルドを目指すという「王道」から外れないのです。
 参加者全員が「王道」を進むのだから、プレイ技術のレベル上達はとても早くなります。その反面、予定外行動における多様性はまず発生しません。従って、そっちの方向での成長はF.E.A.R社のゲームでは望めません。

 この「王道」プレイはおそらく『TORG』の影響かもしれません。

 このF.E.A.Rスタイルは一見完璧に見えます。
 だが、参加者全員が予定調和に忠実であることを求めるこのスタイルは、「邪道」ができない空気を生んでいることですでに第3期トラブルを抱えています。
 端的に言えば、キャラクターを作り終えた時点で、どんなキャラクターでも「どうように行動し、どのような活躍をするか」が決まってしまうのがF.E.A.R社のキャラクターです。後はその「期待」に沿えるか沿えないかだけがプレイの基準であり、残りのキャラクターの個性などは刺身のツマ、プレイヤーが勝手にのまもうていていいよな箇所に過ぎません。

 『トーキョーN◎VA』を扱っているWebサイトは多く見受けられますが、どのサイトも山のようにキャストを掲載しています。1人のプレイヤーが用途にあわせて5、6人のキャラを持つことなんてザラです。
 それでも、プレイ中ともなるとニューロやトーキーを急遽ゲストで作らんといかん展開になるし。どうして毎度毎度、妖魔退治をしている武道家の少女(カタナ、カブト、チャクラがキーでバサラ、マヤカシがペルソナ)ばっかりやりたがるんだ皆さん。
 異常です。
 これも1つのキャラができることが終始固定されているゲームの宿命でしょう。

 いっそ、1プレイヤーが1パーティを基調として5人程度のキャラクターをシーンごとに交換してプレイさせた方が物語の完成度はアップするのかもしれません。
 これはこれで面白そうだから、次回RPG日本さんの研究会で持ちかけてみようかな。
 
 よって第3期トラブルとして、

3:予定調和による「王道」を目指すプレイスタイル故に、1回のプレイでてぎる多様性の幅が狭く、遊び手は「色々なことをしたい」という欲求を消化しきれずにどん詰まりを起こすトラブル(第3期トラブル「王道」)

 F.E.A.R社のゲームに対する不満も、結局の所ドラクエをそう何度も繰り返してプレイできるかというコンシューマーRPGの不満点と一緒なのでしょう。物語としての完成度を求めるあまり、多様性を失いかけているのでしょう。コンシューマーの方は物言わぬ機械相手だから何を言ってもムダですけど、人間相手のTRPGなら何か言えば対応してくれるのではないかという期待感を持たせてくれますので中々表面化しないだけです。

◆◆◆

 今日はもう4時なのでここまで。
 続きはScoopsRPGに投稿予定の「Web投稿版」にて。
 
◆◆◆
 
 訂正:投稿日時間違っちゃった。訂正します。
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2005年06月23日

ユネスコ村のコルピ

 今日はどうしてもTBしておきたかったこのBlog記事。

 Color Spray うにの長野TRPG日記さんの記事、「狩り」こそ漢の宿命
 
 実は僕も買ってたりしてます。
 ここ半年Sonata ArcticaがiPodに入りっぱなしの僕としては、フィンランドのヘビメタと聞くだけで思わず視聴してしまうクチです。シンセサイザーを用いず、ヴァイオリンやアコーデオンなどのアコ楽器を取り入れてメタルとフォークの融合を図っている……かといえば融合しきってない音楽がまた楽しいです。
 
 しかし、徴税史たちに襲われて村を焼かれた悲痛の歌をして邦題が、「燃えろキャンプファイアー」です。森の精霊を歌ったファンタジーな歌が「森の中でハッスルハッスル」です。森に迷ったら助けてくれる白い狼の精霊は小川直也だったんですか。
 ……突っ込むのは無粋でしょう。「吐くまで飲もうぜ」なんか邦題通りだし。

 エンハンストCDなので、中には例の“「狩り」こそ漢の宿命”のPVと、1stアルバムから「Wooden Pints」のPVが入っています。バカさ加減なら実は後者の方が上。木の机を囲んで漢たち(コルピクラーニのメンバー)が野蛮に肉にかじりついたり喧嘩したりしてるけど、どう見たって「ユネスコ村で暴れている酔漢」にしか見えないのが何とも。

 最後に、ボーカルのヨンネが早く日本に来たいとのたもうとる言っているが、ここは大歓迎するとともに、彼にステキな邦人名を勝手にプレゼントしたいと思います。

 彼の邦人名は「蜂須賀小六」です。
 
 
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2005年06月22日

TRPG業界を脅かす本当のライバル業界(与太話)

 今日もこんな時刻なので短めに。
 しかも今日は与太話。本気にしたら対象が可哀想な話です。

 “なりきり演技”と呼ばれる「キャラクターの設定になりきって声色を使ったり、仰々しいなりきりをしたりする行為」は、今までTRPGがストーリーメディアであることから、集団で演技をするものだと認識(願望)した人が、ロールプレイを演技であると解釈して行われたプレイだと論じられてきたようです。
 それに対して、TRPGは演劇ではないので演技がしたければ演劇サークルに行けという反駁もあります。

 だが、最近思うんです。
 なりきり演技を好む人が演技・演劇、さらにカイヨワなどに親和的なのは後付けの理論武装であって、彼らの願望は元々演技とは関係ない所から来ているのではないのか、と。
 なぜなら、彼らなりきり演技を好む人って、結局の所「よろしくてよ」な女王様になって甲高い声上げたり、「ふっ、これだから愚民は」などと見下しキャラになったりして、ちっとも演劇らしくないどころか、顰蹙を買うばかりで到底自己満足を得られる代物でもありません。

 では彼らはなぜなりきりという茨の道を進むのか。
 一体、なにがやりたくてなりきるのか。

 わかりました。

 彼らはお人形遊びがしたかったんです。

 よくおままごとで、お人形を両手に掲げて「○○ちゃんお元気ですか」と黒子のように声出して遊んでいるのありますよね。要するに、あれをTRPGのキャラクターでやりたかったんじゃないでしょうか。
 ヴァーチャル……いや、他人にゃ不可視だから脳内萌えで創られた架空の人形を掲げてのお人形さん遊び……です。

 ……惨い。
 幼児扱い。

 だけどTRPGをごっこ遊びだという対象年齢12歳以下向けのアプローチをしている人はいまだにいるでしょうし、なりきり演技の人がお人形遊び願望があったとしても、別に不思議じゃないですよね。

 だとしたら、TRPG業界がゲーマーを取られると危惧すべきライバル業界はTCGでもMMORPGでもミニチュアウォーゲームでもなく……フィギィア業界なのかもしれません。

 ん……?
 フィギィア……?
 
 ……ホビージャパン……。
 
 
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2005年06月19日

喧嘩番長でロシアンフック 〜TRPGとコンシューマーでのインタラクティブ性の違い〜

 『喧嘩番長』で、×+口のバック攻撃を当てると相手が硬直するので、敵と反対側に歩いて引き付けてから、リーチの長い“後ろにキック”を当ててピヨらせて必殺技を叩き込むという戦法を会得。ラスボスの剛田すら大して苦にならずに勝ててしまいました。

 シャ……、シャバい。

 『喧嘩番長』はインタラクティブ性が割合高いことを売りにしていたけど、残念ながら1つ1つの濃度が高い反面、量という面では不足している感はありました。10時間あればクリアできるし、2周目以降やる気あるのかと言うと……どうでしょう。
 つーか、ヒロインとスケ番は分かるけど、3日で慣れるお方は達成率UP以外に狙うメリットあるんですか? やりこんでない僕には分かりません。

 あと、やっぱり敵にハート様みたいなのがいないと。
 百貫デブで巨体の曙体型で、顔の肉だけで微笑んでるけど冷酷非情。攻撃手段はフライングソーセージ。それでも出てくるのは序盤。
 つーか、このゲーム男子は一般人を抜かすと敵・味方主要キャラがみんな体型同じ。
 『エキサイティングプロレス』ぐらいのエディット機能がついてたらやり込み具合がぐっとUPしますけど……ユークス以外にそれを求めるのは大変ですか。

 だが、独特の世界観は愉快痛快の一言。
 ラストの黒真高校のステージ、古宿ってのは新宿のパロですけど京王口の駅前なんか笑っちゃうほどよく出来てます。地下駐車場の入り口降りれますし。
 一度倒した雑魚敵が二度と歯向かわない(腰抜かして逃げる)というのも、ユニークと言えばユニーク。ボス以外を倒してから帰宅→体力回復して出直し、攻撃してこない雑魚をメンチビームでガン飛ばしてビビらして廻る(喧嘩慣れ度が少し上昇)のも、梱包のプチプチシートを潰して遊ぶのと同程度にシャバくて楽しいです。

 全体的な感想を言えば、短期的にバーっとやるにはとても楽しいゲームではないでしょうか。

【注:ここからはこのBlogの主旨、TRPGに絡めての話です】

 しかし、こういうアクションゲームのインタラクティブ性と言えばキャラの外見とか、マップを好きに歩いて、コマンドで出来ることなら好き勝手できるとか、TRPGとは違った方向性で発展してます。
 言わば、人形遊びなどのソリティア(1人遊び)のインタラクティブ性なのだと思います。
 
 対して、TRPGのインタラクティブ性ってのは海賊船に乗り込んで海賊を征伐するシナリオを、海賊を臣従させて乗っ取ってしまうとかいうゲーミング(能動的行動によってシナリオを脚色し、ゲーム世界を逐次書き換えていく遊び)でのインタラクティブ性だと思います。
 キャラを構成するものがキャラクターシートしかない現状のTRPGでは、キャラの髪型や服装が変化しても誰も気にとめず、人形遊びをするには大して楽しめない状態です。
 
 だから、キャラクターがどんなにレベルアップして強くなっても、多彩な技能を獲得したりプレステージを変えたりしたりしても、それだけでは自分でドレスアップした人形を観たり見せたりする程度の楽しみしかないです。しかもビジュアルでの変化はゼロ。
 だからTRPGでは、インタラクティブによって変化したキャラがどう世界観に介入できるのか、ゲームプレイング(HPなどのゲーム資源を投機してのギャンブル的ゲームに勝ち抜き、成長などで資源を増やす遊び)がどのくらい高度なレベルに挑戦できるかとかいった「行動」でどう多様性がでるかが、ゲームとしての幅なんだと思います。
 
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2005年06月18日

ほんの言葉の順序の違いなのだが

 そろそろ『三国無双4』をやり尽くした感があるので、ステキB級の薫りに誘われて『喧嘩番長』を購入。シブいです。
 おかげでこんな時刻。だから一言だけ。

 キャラクタープレイをする際に、例えば熱血漢なキャラに直情的な行動を取らせるとして……、

 「僕のキャラは熱血漢だから、ここはこういう行動に……」

 と言う行動宣言は虫唾が走るのだが、

 「熱血漢な僕のキャラとしては、ここはこういう行動に……」

 と言うのは対処しようとする気が起きます。
 その違いは何でしょうか。理由と動機の違いなのかな。
 前者は設定を理由にした受動的行動……自分のキャラ設定にリアクションをした「1人ツッコミ」なのに対し、後者は自分のキャラ設定を動機にした能動的行動であり、ゲーミングに適った行為だと感覚的には認識できるけど……理詰めで説明はできません。
posted by 回転翼 at 03:15 | TrackBack(1) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月13日

回転翼1号と2号 〜ゲーム感覚と感覚論争の内実〜

 往復書簡になってしまいますけど、白河堂さんに返答します。

 そもそも、「ゲーム感覚」って何でしょうか。
 非常に意味不明な表現です。胡麻のお菓子は中身がスカスカだから「ごまかし」ってな具合に中身がないけど外殻だけはガチガチの権威みたいな言葉です。実は僕にしたって、馬場秀和氏が何気なく使っている言葉を流用しているわけで、TRPGのスタンダードなんかじゃとてもないと思います。

 だから勝手に定義します。
 ゲーム感覚とは……、

 「プレイ環境、遊んだゲーム、プレイ実績、研鑽した知識から編み出したゲームに対する価値・識別・判断基準」
 
 これが僕が意義するところのゲーム感覚です。
 見ての通り、誰1人として他人と同じゲーム感覚を持ってはいません。そして経験から生まれたものですから、根底には「楽しく遊べた」ゲームには寛容な、「しっくりこなかった」ゲームには厳しい嗜好が加味されており、世間的な評価とは異なる評価をしていることもあるのです。それにプレイ環境やメンツの相性とかも加わって、余人とは違った独特の感覚が生まれるのです。

 どんな良作ゲームであれ、相性の悪いメンツとプレイして最悪の日となったゲーマー・Aが、そのゲームを「劣」と判断したとしましょう。そこで、別のゲーム環境でそのゲームを楽しく遊んでいて「良」と判断しているゲーマー・Bが「君の評価は間違っている」と言いたくなったとしましょう。
 だが、Bがどんなに自分のプレイ環境では楽しくプレイできていることを力説しても、そのゲームの「良」とする判断材料を力説したとしても、Aが相性の悪い条件下で劣悪なプレイをしたという事実は覆せないのです。
 TRPGの論議ともなるとよくあることなんですけど、BはAのゲーム感覚を自分への挑戦と見做して、Aの感覚を否定すべく「事実の塗り替え」を図ろうとします。だが、Aの感覚はBのあずかり知らぬ……Bの主張が通用しないような環境で育まれた可能性がとても高いのです。
 
 Bがどんなに力説した所で、Aのプレイ環境が潤うことなんかありません。

 これがネットでの論議ともなると厄介で、BはAの置かれた環境などお構いなしに、自己のゲーム感覚を一方的にまくし立てるだけという展開が頻発します。自分への挑戦と受け取ったBがAに思いやる気など毛頭なく、Aの事情など聞く耳持たず、「どんな事情があろうが低評価をするお前の感覚は許されない」と断罪します。
 まるで、「いじめられる方が悪い」など言い出す低級なカウンセラーのように。

 そして、AはBもまた自分とは相性の悪い人間だと見做してBの前から消えます。
 BはAが反応しなくなったことに勝利感を覚え、誰の役にも立っていないカラッポの「熟練者」ぶりを誇ります。ゲーマーの中には、こんなやり取りを続けて「自分はTRPGにおけるスタンダードな見識を持っている」と勘違いした人間すらいます。
 もちろん、「俺はスタンダードだ」なんて公言する人間などただの大馬鹿野郎です。実際には高みに昇って「君の発言は特異すぎてはいないか」などと他人のプレイ環境を異端視する輩がほとんどです。最悪、自分はマトモだと言わんばかりに人の揚げ足取りばかりする奴ってのもいます。
 第三者から見ればムダな努力にスカスカの虚栄心で、厨房呼ばわりされても仕方のない所業ですけど、B本人は自分のゲーム感覚を勝手に賭けるわけだし、1人勝手に論争というソロプレイに熱中しているんです。

 なんてムダな努力。

 経験は論理によって覆すことなど不可能です。
 いくら論理を駆使ところで、相手が感覚的にイヤというものを、相手の感覚に立ち入ってもいないのに改めさせることなんてできっこないです。Aとしては、Bがムギャオーしてナイフ持ち出したりトロイ投げ込んだりしないうちに退散するだけのこと。
 他人のゲーム感覚を自分のゲーム感覚で覆そうなど、他人を自分にするのと同じくらい難しい行為なのです。言わずもがなだが、論理をまくし立てる程度で洗脳なんてできっこない。

 まず、他人のゲーム感覚は自分とは異なることを認識してこそ、ゲーム感覚を持つことの第一歩と言えましょう。その上で、他人のゲーム感覚に改善を求めるならば過去・現在のゲーム感覚をとやかく評論するよりも、彼の未来のゲーム感覚が良い方向に改善するように努力するべきです。

 もし「劣」なゲーマーがいて、自分は「良」で彼の改善を求めるならば、1も2もなく彼を自分たちの「良」の環境に誘うことです。決して外様扱いせず、彼が自分とのプレイの中で「楽しいゲーム」を積み重ね、いずれは「良」と再評価をしてくれるまでじっくり「療治」するのがゲーマーとしての在り方ではないでしょうか。
 それすらせず、ひたすら口だけで改善を求めるの愚かな行為だし、そこに大義名分などはTRPG的にはありません。僕たちはTRPGのプレイのために論説しているのであって、TRPG系掲示板やTRPG系Blogのために論説しているわけではないのですから。

 僕たちの活動によって、直接的に有益となるのはゲームメーカーであり、ゲームデザイナーであり、ゲームマスターであり、ゲームプレイヤーであるべきはずなのです。SEESAAやはてなダイアリー、いわんや2chのためではないでしょう。

◆◆◆

 いかに他人がどうであろが、自分にとって「TRPGはここが楽しい」という経験は現役のゲーマーは必ず持っているでしょうし、ゲーム感覚とはその「TRPGの楽しい所」が詰まったものなのかもしれません。
 感覚なのですから、それを言葉にすることは難しいことですし、ましてや「自信」を持つなんてことを他人がエールすることなんて不可能です。不安からか好戦的になり、他人のゲーム感覚を攻撃すべく理論武装して、それで目に付く人にやたらめったら突っかかっていく「論客」など、過去の僕自身を含めてとても多くいます。
 そういう人はムダな努力で自分を消耗させるだけです。

 自分の「型」がないと思ってる人はゴマンといるでしょうけど、自分はTRPGで何が楽しいんだか分からないという人は少数でしょう。
 ゲーム感覚なんてみんな不定形です。自分が他人の型に入る必要などなければ、他人が自分の型に入り込むよう求めるのも「おこがましい」のです。

 ゲーム感覚は理論ではなくエンタメです。
 自分が持つ「TRPGの楽しい所」をエンタメとして人に提供し、興味を持ってプレイを共にしてくれる人との間に、未来のゲーム感覚を共有する……それこそがゲーム感覚のあるべき姿だと僕は認識しています。

 僕の勝負所は、自分がゲームの現場でどこまで未来のゲーム感覚を共有できるかという点のみに賭けています。従って、プレイヤーとしてもGMとしても、プレイの現場では普段『うがつもの』で見せている自虐キャラは見せないよう心掛けています。

 実際、回転翼は1人ではないですので。

 
posted by 回転翼 at 17:34 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月12日

濃いぜよ、ヲタクの子♪ GO! GO! 〜ScoopsRPG更新〜

 ScoopsRPGが更新されました。
 今回は毎度おなじみ、北原氏によるハーンワールドの翻訳レビュー。○○荘園モノの中では初期に入るというエリテン荘園の紹介です。「荘園」なんて聞くと平安時代のイメージしか湧いてこないです僕。

 そして仮想光線氏によるキャラクタープレイ論第3回目。
 もはやこのサボリ魔にとっては三礼九拝の活躍ぶりを見せている仮想光線氏です。
 しかし、仮想光線氏もGURPSには容赦ないです。僕はGURPSをロールプレイ規定システムと称していますが、それが世界観と結びつかない。キャラクターを制御するだけに終始するのではないかという危惧は僕も持っています。だが、一番批判を受けた場所もまさにそこでして。
 言ってしまえば、キャラクターを作るだけで自分の表現意欲が満たされてしまい、TRPGのプレイをキャラ萌え品評会程度でしか認識できていない勘違いプレイヤーがGURPSには数多くいたということです。
 
 仮想光線氏がいまだ乖離が埋まらないキャラクターと世界観との溝をどうようにして埋めようというのか……彼のゲーム感覚は注意深く観察する必要がありそうですね。

◆◆◆

 ここからおまけの鬱憤話。

 GURPSのロールプレイ規定を、自分がキャラクタープレイとして行使するのには理由するけど、GMがロールプレイ規定として押し付けてくるのはイヤだという魂胆の人がいまして、GMが不利な特徴に対するリアクションを提言すると、性格設定はプレイヤーの行動を制限するものではないと「TRPGの一般論」で抗議してくるのです。
 GMは神なんだから却下すればいいじゃんと思うでしょうけど、GURPSってキャラの個性が強すぎるから、GMはいつプレイヤーが自分のキャラを暴走してシナリオを崩壊させてしまわないかとある種の強迫観念を抱いてマスタリングしてる人が、文庫版が出回った当時はとても多くいました。
 自由放任がモットーの拡散プレイGMなど経験したことないソードワールド以降の参入者にとって、シナリオと脚本の違いってのが見出せずにいましたから、TRPGとはGMの用意したシナリオに対応した行動をして楽しむものだという感覚を多くの人が持っていました。だから、TRPGのカオス(想定外の行動によって起こる椿事)の発生に対処する能力が備わっていないのです。そんなGMさんですから、キャラクターが設定に従って暴走するなんて事態は、頭ではわかっていても「そんなのありえない」という感覚が心底にありまして、「シナリオを実行するためにはキャラクターの暴走を食い止めなくては」と勘違いな強迫観念を持つに至るのです。
 そんなGMさんですから、口先三寸で「ここで不利な特徴を厳密に使うのはバランスが悪い」などと詭弁を弄すれば返って助け舟になってしまうのです。

 ったく、TRPGの一般論なんてどのゲームにもあまなく適用できるわけないのに。
 
 要は「僕は自分のキャラクターの披露する楽しみを保障し、キャラのワガママを通す権利を認め、そして想定外の危険を出さないことを条件に、君の用意したシナリオを崩壊させず、君の想定した展開通りにプレイしてあげるよ」という取引がTRPGの一般論なんでしょうか。
 なんか間違ってる。

 どうも僕がキャラクタープレイを語ると「プレイヤーの恣意」という観念がどうしてもよぎるので、どうしても第三者には「不純物が混じりすぎている」と見られてしまいます。僕に対する批判も一般的な物の見方をしていないというのが比率の高い理由です。
 だが、自分のゲーム感覚がいかなる環境・経験・ゲームによって成り立っているかのも弁えずに、さも自分が己がゲーム感覚をTRPGの一般論だと言わんばかりの非主観的発言……高みに登って下民に教育してやるぞというスタンスでの発言はいつか穿たなくてならない悪癖だと思っています。
 だって、彼らが言うほどTRPGの現場は整然としてないですから。

◆◆◆

 そして白河堂氏によるTRPGモデル「地天泰、文芸、ドラマツルギー」です。
 
 悪いですけど、これに関してはすぐに評価はできません。すぐに「ああコレ? 僕はこう思うよ」と片すには重過ぎる文だからです。
 白河堂氏にしろ仮想光線氏にしろ、最近は自分のゲーム感覚を堂々と披露して自己のモデリングをしてくる人が出てきたことに喜びと焦りを覚えます。翻って自身はどうでしょう……自分のゲーム感覚を語ることに対する恐怖心が露骨に出ています。あまりにゲーム環境が特殊だったので、常に「一般論」的な反駁に晒され続けたトラウマがあります。

 つまり、どこで何を喋っても「アウトローの戯言」としか見られなかったのです。
 だから長らく、TRPGのスタンダードの位置から一般論を語る「論壇のどまんなか」であることに強い妄執がありました。これに馬場秀和氏の提唱もプレッシャーになって、自分自身のゲーム感覚と、幻魔のごどく拡がる「TRPGの一般論」との間にある溝で苦しんだものです。
 
 首ナイフの一件でようやく目が覚めました。
 僕こと回転翼は、今後一切「一般論」を語ることを辞めます。
 堂々と自分のゲーム感覚から編み出した「自家製論」で勝負しよう、自分のゲーム感覚に好意的な人との良き付き合いに専念しよう……そう痛感したのであります。

 次回は、そこんとこ投稿できたらいいんですけどね。
 このBlogでも、最近もう一度研究しなおしている蓬莱学園に関する話などもしていきたいですし。

◆◆◆

 ちなみに、前回、前々回は『らいむいろ戦奇譚』からでしたけど、今回は何でしょう?
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(3) | 更新情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月09日

W杯出場決定で祝杯中

 ただいま〜。
 たった今、国立競技場から帰りました〜。
 ええ、あのパブな人たちの中に回転翼がいたなんてお釈迦さまとて気付くめぇ。

 ビール、うまうま。
 
 ホントは試合前はちょっと不安でしたね。
 だけど、日本が色々不安材料を抱えているように、北朝鮮だって連戦で不安材料をポンポン積み上げてきているわけだし、キムジョンイルがケツ叩いての先軍サッカーでも、もう未知の敵じゃないんだし問題ないよと仲間に言われて代々木へ。

 勝っちゃったですね。
 結果から言えばほぼ万全の試合運びでした。前半はもどかしい所があったけど、後半開始時に大黒が入ると空気が違ってきました。勢いのある男が1人入るだけでも違います。バーレーン戦の小笠原ん時と違ってアーティクルじゃない泥臭いシュートでしたけど、柳沢が先取点を決めたときは……お茶飲んでたんで迂闊にもムセました。みんなウォ〜って雄たけび上げてる中、ゲホゲホやってるアホな人がTVに映ってたらイヤです。
 
 そして大黒のシュート。
 ああ、報われたです。来た甲斐ありました。

 日本、W杯一番乗りです。
 これからが大変ですけど、今日は深いこと考えず祝杯します。

 やす〜いドラフトワンでもうまうま。
 ビールじゃないって? まぁ、ビールは高いから1本だけ。
posted by 回転翼 at 00:19 | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月07日

暖簾に腕押し 〜首ナイフの真意とヴァーチャル議論の性質〜

 一週間ぶりの『うがつもの』です。
 半分はPCのない実家泊まりでしたが、ネタもございませんでした。

 なんか首ナイフが再燃しているようで、火つけ役となってしまったことに当惑しています。だが、これは今までの首ナイフとは一味違うものかもしれません。
 首ナイフの根本は「いかにしてGMはプレイヤーを納得させるか」という判断基準を問う公案なのでして、対処法を考案することは、すなわち自分のGMとしての裁量の在り方を提示することにほかならないのです。

 いい加減な答えを返す人はいい加減なGMなわけで、それもまた1つの回答です。別にいい加減でも、許してくれる仲間がいれば問題ないわけで、プレイ仲間に困っていない人ならそれでもいいです。
 僕の場合は、自分のゲーム感覚1つ頼りに渡り歩いているアウトローですので、常日頃から見知らぬ人から信頼を勝ち得るための物言いが迫られるわけでして。
 
 さて、今まで首ナイフに代表される「GMとしての裁量の在り方」はもっぱらサークル内などで内輪に繰り広げられてきた問題です。そして、誰かが妥当な線を見出すか、誰も妥当案を出せぬまま「そんなに必要じゃないよね」で終わるケースのどちらかだと思います。
 つまり、今までは「卓」のレベルで解決してきた問題なのです。どんな結論が出たにせよ、結論なんか出なかったにしろ、とにかくプレイ仲間の波長が合えば裁量についてモメることはなくなるでしょう。

 ところが、今回はBlogや掲示板で、もっぱら見知らぬ人と討議しています。
 これって奇妙なことです。今後一緒にプレイする可能性が薄い人間と議論した所で、いったい何の利点があるんでしょうか。なぜなら、彼・彼女にしたって僕にしたって、卓をともにすべくゲーム感覚の相互確認を取るわけではない。ひたすら、自分の卓の事情を力説するだけなのではないでしょうか。

 つまり、まったく得体の知れない者同士が自分のゲーム感覚を説明せず、どんなTRPG作品を想定しているのかも分からずに論理だけで衝突している状態なのがBlog時代の首ナイフ論争と言えるでしょう。今後、顔を合わせる事を想定してないもんだから語気と勢いが先行して、非建築的な潰し合いになってしまう。2chの方がまだ建築的と言えましょう。

 僕がフェアプレイってのを重視するのにも、自分とはゲーム感覚も育った環境も嗜好も違う人と卓を共にする機会が多く、自分がホームとしている卓の仲間たち向けにカスタマイズした「卓リアル」が通用しないケースが多々あるからです。
 そうなると、このTRPG作品ならどんなプレイヤーでも納得してくれるだろうというマクロ見解を持たないことにはやってかれません。そこで僕は、お互いが自分の意志を通すために決闘して決着をつけるべきだという考えがあって、それをフェアプレイと呼んでいます。

 今後顔を合わすことを念頭に置いていない人とのヴァーチャル議論などに、僕は大した価値など持っていません。いくら議論した所で彼には妥協する必要などなく、聞き流していればいいだけなのですから。まさに「暖簾に腕押し」です。
 そういう人とは、今後プレイする機会なんてないんだし、こちらも話すだけ時間のムダと考えています。
 逆に、会ってプレイを共にしたいなという話し方をすれば、新しいプレイ環境が見つかってとても有益なんですけどね。
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(2) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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