『扶桑武侠傳』と『真女神転生X』のどちらを先に購入しようか迷ってます。
扶桑はマニアックな世界観、コクのあるシステムで静かに注目を浴びている作品です。ただ、この手のゲームは誰もが一度はやりたがるゲームであるけど、2度も続けてやりたがるゲームになるかと言えば疑問です。熱血専用、番長学園と似たようなポジションかも。
でも29日には『戦士大全』が出るようですね。武人風味にイカした翻訳だそうで。
どうしましょ。
お金の方は工面できますけど、そろそろ書棚に余裕がなくなってきてます。
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さて、前回ゲームブックについて少し言及しました。
それについて賛意反論……まったくないです。波が静かなうちに続けましょう。
今まで対戦格闘ゲームやTCGを商売敵として批評してきた僕です(この両者の愛好者はコンベンションの場でTRPG活動に悪影響を与えてきた)けど、ゲームブックに同様の評価を下すわけにはいきません。
なぜなら、そこまでTRPG市場を脅かす存在ではなかったからです。
むしろ、ゲームブック業界の方がTRPGにユーザーを取られたのが実情でしょう。
思えばゲームブック業界において良作と言えた作品の多くが海外翻訳物で、国産ゲームブックはコンシューマーゲームの二次創作など決して質のよいものばかりではありませんでした。そして、国産の作家が育つ前に『ソードワールド』によるTRPGブームが始まって、ユーザーの嗜好がそっちに移ってしまったのが衰退の原因でした。
むしろコンキスタドーレ(征服者)としてゲームブックを踏みにじったことを反省していく必要がTRPGゲーマーにはあると言っても過言ではありません。
ではなぜ、ここでゲームブックを言及するのか。
それは、現在30歳前後、ゲーマーとして脂の乗った世代はゲームブックに多大な影響を受けているのに対し、その下の世代にはまったく影響していない。この差が2つの世代の、主に「物語」に関するゲーム感覚に大きな違いを生んでいるのではないかという推察をしているからです。
もしゲームブックを読んだことない人がいたら、現在再販されている『火吹き山の魔法使い』をぜひ読んだください。個人的には『トカゲ王の島』や『盗賊都市』もお勧めですので、
オークションで入手してください。
ゲームブックを自らの原点としているゲーマーは『ソードワールド』以前の富士見書房がゲームブックを出していたこともあり数多くいますけど、彼らがTRPGで感じている「物語」とはまさに『火吹き山…』のそれです。これらの作品を読めば、TRPGのGMがするストーリーテリングと非常に酷似していることに気付くでしょう。
言ってしまえば、現在のTRPGにおける物語の語り口はゲームブックが基盤となっているのです。ゲームブックに影響された世代は、これを口述でやりたかったのです。
『個別のゲーム感覚を破れ 〜ゲーム感覚をうがつもの〜』などで『ソードワールド』の爆発的ヒットによってストーリーメディア出身者が大量流入したのがTRPGの変質をもたらしたと言及していましたが、今となっては「プレイヤーとして参加してきた世代は確かにライトノベルに影響された世代だが、それを受け止めたGM側はもしかしたらゲームブックに影響された世代なのではないか」という推測を立てています。
言わば、『火吹き山…』に代表される「ゲームブック=前期ストーリーメディア世代」と、『ドラゴンマガジン』掲載の小説のような「ライトノベル=後期ストーリーメディア世代」の2つの世代が『ソードワールド』隆盛を担っていたのです。
僕がこれに失念していたのは、僕自身は明らかにライトノベル世代と年齢的には重なりますし、そもそもそれ以前の『D&D』世代に混じってプレイしていた変種です。ゲームブックにはあまり縁がなかったのです。
だが、ゲームブックは市場として大成することはありませんでした。
「売れなかった」というのが一番の原因でわけで、ライトノベルとTRPGにそれぞれ、物語の臨場感と物語に投影できるインタラクティブ性を分化され奪われたという形になります。実際は違うのだが、ライトノベルとTRPGをもってゲームブックを読む意義というのは消失したと錯覚したのでしょう。何よりも、ライトノベル世代以降はゲームブックに見向きもしませんでした。
はたしてゲームブック世代の後では、物語に対する語り口はライトノベルに影響されるようになりました。ゲーム世界を描写するゲームブックの語り口は遺産としてのみ残り、それよりもヒロイックなキャラクターの一挙手一投足を活弁するライトノベルの語り口がストーリーテリングの主体になりつつあります。
そして、これはGMよりもプレイヤーの方に顕著でして、ゲームブック世代のキャラクタープレイは自キャラの行動を舞台設定と絡めた情景として再現する傾向があるのに対し、ライトノベル世代のキャラプレは率直に自キャラの
アクションをアピールする傾向にあります。
僕自身が経験した中から例を挙げますと、ライトノベル世代は小説などから仕入れてきた突拍子もないアクションや戦術を無邪気に使おうとします。粉塵爆発やスプレー缶爆発、洗剤からヨウ化窒素作ったりするのはザラで、ユニークな所になるとジャッキー・チェンが『プロジェクトA』でやった絨毯を引っ張って相手を転ばして、そのまま海苔巻き状にしてマイトで爆殺するアレを実際にやろうとした人すらいました。
対してゲームブック世代はその場の情景に忠実というか、自分のキャラから見ての正攻法を選択します。奇策を否定したりはしませんが、それは魔法の使い方に工夫を凝らしたりするとか、あくまでも自キャラの行動を世界観と調和させながら行動するようにします。思えば、ゲームブック世代はルールブックを読む際にシステムと同様に、世界観にも大きな関心を持っていることが多く、そのゲーム世界をゲームの一部として大事にしているように僕には思えるのです。
ちなみに、それ以前のウォーゲーム世代は正攻法のみです。火薬庫にいる敵を殲滅するのが目的の戦闘でも、堂々と剣で挑みます。彼らの思考法だと、例え爆撃しても敵は分散して不定期遭遇戦に入るかもしれない、爆音で新たな敵を招き入れるかもしれない(爆音で敵が狼狽する可能性は考慮しない)、そもそもルールブック記述文から算定することが困難な「火薬庫爆発によるダメージ」などという不確定な要素に賭けるような無謀はしたくない。むしろ安全確実に不意打ち判定を狙った方が確実である……と考えます。
ゲームブック世代の人は「ああ、これは爆撃しろとのGMの演出だな」という空気を読んでそれとなく打診してきます。ライトノベル世代の人は放っておいても勝手に火をつけます。
ゲームブック世代にとって、ライトノベル世代が見せたキャラプレは「お前らは自分のキャラさえ活躍できればどうだっていいのか」と映るものでした。確かに、『スレイヤーズ!』などを見ても、主人公のド派手なアクションで街が倒壊するなどの展開はザラで、ライトノベル世代にとっては活躍の代価として「ま、いっか」と言える程度のものですけど、情景描写を第一とするゲームブック世代としては「ふざけんな」でしょう。
もちろん、ウォーゲーム世代から見ればライトノベル世代の所業は「冒涜」の一言でした。
TRPG冬の時代と言えば、一般には『RPGマガジン』廃刊の時期から1999年前後の、TRPG作品不振と大量離脱の時代のことを差すと思っている人は多くいますけど、古きウォーゲーム世代にとっては『ソードワールド』の隆盛とライトノベル世代の参入の時期が実はバブルであり、実質的な冬の時代だと思っているフシがあります。
僕の近辺では「フシ」どころか大っぴらに大量離脱は業界にとって膿を出したのに等しい、これで業界はあるべき姿に戻ったと「浄化論」を口にする先輩ゲーマーが数多くいました。
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ライトノベル世代と違って、ゲームブック世代は実にしぶとくTRPGに残留しています。
それは前者がTRPGでちょっとキャラを作って動かす程度で「なんとなく体感した気分」になってしまうのとは違い、後者の方は未だ適わざる思いだからです。
彼らが目指しているのは卓上での口述によるゲームブックの追体験……GMの描写とプレイヤーの描写によるゲーム世界の再構築に他ならないのです。それが達成されるには、上の世代からも下の世代からも理解されていません。ウォーゲーム世代は、ゲームブック世代を見下していますし、ライトノベル世代は自分のキャラのことしか考えません。
だが、彼らの世代は日本におけるTRPGの「物語」の基礎を作ったという点で非常に重要な世代と言えます。
それが顕著に現れるのは、リプレイです。
僕は「
ゲームブックを知悉した人の書くリプレイはうまい」という認識があります。リプレイにも上手い下手がありますが、その差はキャラクターの設定以上にゲーム世界を再現しているか否かにあると思います。
PCの活躍ぶりに対する臨場感などは、ライトノベル世代の人にはピンとこないかも知れませんけど、なかなか他者に伝わるものではありません。それが状況に対する対処ではなく、単なるPCのお遊び的な行動だとしたら、読み手はPCを物語の登場人物として認識するには感情移入ができないものになります。
リプレイとて物語なのですから、読み手は舞台設定に己を投影して、ある程度は感情移入して読んでいます。その物語が、舞台設定もおざなりにPCの掛け合い漫才に終始してたりしたら、何ら感情移入する要素がありません。
TRPGのリプレイは、小説以上に読み手が感情移入していることは明白です。なぜなら、いずれ自分もゲームに参加することを想定して読んでいるからです。実際のゲーム上で自分がそのゲームで起こりえるであろう事態にどう対処すればいいのか……リプレイを読むというのは、そのためのシミュレーションでもあるということです。
下手なリプレイとは、読み手が予行演習するには役に立たないものに他なりません。なぜ役に立たないかと言えば、そのリプレイは読み手が感情移入して判断する「状況」というものを詳しく説明していないからです。ライトノベル志向の人が書くリプレイが、このことを失念して「キャラクターの活躍ぶり、個性こそが物語を面白くする」という小説技法そのままにリプレイを書いてしまっています。
リプレイの読者ってのは完全な消費者ではないのです。
読者はいずれ自分もゲームに参加するかもしれないという意識で読んでいる点で、リプレイはライトノベルよりもゲームブックに近い性質の書籍なのです。
だから、上手いゲームプレイングがしたかったらボードゲームで勉強するべしというの同じように、
上手いリプレイが書きたかったら、ゲームブックで勉強するべしということになります。