2005年08月28日

続・嘆きの碩学世代

 JGCにも卓上RPG研究会にもいかず何してたかと言われれば、某所で阿波踊り。
 しかも踊るアホウの方。僕はTRPGバカではないので。
 ただのバカかと言われると、否定はするけど実際はどうなんでしょ。
 随分バカを見ているのは確実なのだけど。

◆◆◆

 「TRPGで頭がよくなるか」という本来なら長期の統計が必要な公案。
 はっきり分かったのは、多くの人が「そうであってほしい」と願っているってこと。
 実際に確証ができるはずないので、結局の所は「状況判断、意志決定を養うことにより洞察力がつく」とか「ロールプレイによりコミュニケーション技術が上がる」とか、当人の願望が信念と化しての主張をするわけです。
 そんなもの、おもいっきりTVの地方食材コーナーで「……の健康効果が期待できます」という程度のものでしかないでしょ。

 この問題、僕はあまり大きくなってほしくないです。
 なぜなら洞察力、判断力、意志力、交渉技術……そういったプレイヤー本人の才能・資質を問う問題に発展しかねないからです。言ってしまえば、TRPGでのプレイの良し悪し次第でプレイヤー本人の頭のよさが問われてもいい環境を助長することになる。
 それはすなわち、TRPGの世界に秀才とバカという区別を生むことになります。
 
 秀才が慢心してエリートだと思い込み、持たざる者を侮蔑する。
 僕にとって、そういう連中はTRPG業界にとって永遠の敵だと認識しています。
 TRPG業界とて、遊び手本人の才能を問う業界になったりしたらそんな鼻持ちならないエリートを生むことは間違いありません。僕個人の経験からすれば、そんな連中は実在していましたし、現にバカにされてきたことを何度かこのBlogにて告白してきました。

 なまじ大学生が多い業界だけにTRPGを「知的遊戯」だと称して、そんじょそこらのゲームにはない高等な見識と経験が発揮されるゲームだと嘯くゲーマーは多いです。だが、裏返せばヲタク業界との接点の良さに対する恐怖心……人一倍ヲタクに対する差別意識が見え隠れします。

 ヲタクばかりと思われるTRPG業界ですけど、僕が見る限りそれは違うと思います。
 むしろ80年代から続くファッショナブルな知識人の気質によく似ています。碩学なのがかっこよくて、流麗に知識を披露する姿にとってもシビレて、議論に打ち込むことを高貴な大人の嗜みだと思っている。
 そういう知識人志向の大学生・大学院生・大学ウン年生がこの業界にはあまりに多い。
 彼らがアカデミックなワークとしてTRPGを捉えてもなんら不思議はない。『D&D』のアーンソンも、『ウィザードリィ』のウッドヘッドやグリンバーグも大学在籍中にそれらの作品開発に携っています。「TRPGは大学で作られる」と考える人がいたっていいはずです。

 ちなみに、僕はガイギャックスも大学生の頃に『D&D』製作したと教えられたものです。
 大ウソつき〜。

 つーか、週に……プリキュアMaxHeart、エウレカセブン、D.C.S.S.、ぱにぽにだっしゅ、アクエリオン、ガンソード、エレメンタルジェレイド、BLEACH、バジリスク、攻殻機動隊、かみちゅ!、涼風、極上生徒会、タイドラインブルー、ハチミツとクローバー、ぺとぺとさん、苺ましまろ、スピードグラファー、ケロロ軍曹、ふたご姫、ツバサクロニクル……を観ている(これでも、週にやってる全アニメの何作かは観てないんですよ)身の上をTRPGの打ち上げで語るとみんな信じられないって顔するんですよ。
 ほとんどが録画ばかりでじっくり観る機会ないですけど。
 せめて1つぐらいは知ってなさいよ。

 いや、僕だって根底には中学の頃ガンダム論争で湧いていた(メンバーのほとんどが現役SFヲタorロボットアニメヲタ)サークルで居場所のない思いしたことがトラウマとしてありますけどね。中学の友人はみんなファミコンと野球の話題ばかりで次元が違うし、それに当時は家でチャンネルの主導権がなかったもんだから、夕方観ていたのは『特攻野郎Aチーム』『ナイトライダー』『冒険野郎マクガイバー』でした。

 あっ、最後のマクガイバーはTRPGゲーマー必見だと思います。科学知識そのものが結構いい加減ですので、こっちのツッコミから正しい現代物TRPGでの科学知識を論争した方が、一年戦争やエヴァの解釈論争などするよりずっと有益だって。

 話をもとに戻します。
 
 結局言いたいのは、「TRPGで頭がよくなる」などということにお熱を上げる人が多いのは、もともと頭のよさを気にする身の上の人がTRPGに参入するケースが多いからだということです。インテリが好みやすいゲームだと言いたいんです。
 そういう人たちにとってTRPGは教養の一端として捉える性質があるように思えます。
 TRPGを嗜むことは、自分の賢さの一端を示すことだと思っているのでしょう。TRPGとバカが結びつくことをどうしても嫌う。

 バカと一緒にTRPGをやりたくないわけだ。ヲタクとやりたくないのと同様に。
 それ以上に、バカでも勉強して経験を積めば熟練ゲーマーになれる環境にどうしても我慢がならない。叩き上げと同列はご免だ。ベテランよりエリートが尊ばれるべきだ……。

 強烈なケガレ意識と呼ぶほかないです。
 そろそろ、「自分たちのやってることはヲタク趣味ではないか」などと不安を口にするゲーマーたちの本性を露にしないといけません。その性根が知識人コンプレックスにあり、自分たちは高等な趣味を持っているのだと思い込みたい上昇志向があったとしたら、もう憐れんでやる必要もないです。
 とっとと辞めていってもらいましょう。
 
 彼らが辞めた程度でTRPG業界が壊滅するなんてことは絶対ないです。
 彼らの方は、やはり個別のゲーム感覚の陥穽にどっぷりハマっていて、自己の限界=TRPGの限界などと勘違いして、自分が主張しなければTRPGは滅ぶなどと妄想を抱いている人ばかりです。
 バカにするなっての。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(3) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

D&D世代は帰還兵かも

 前回の記事、投稿日時を誤って25日(投稿日の2日後)に設定してしまいました。
 RPGコラム『うがつもの』では、9:00にまとめてRSSが送られるはてなダイアリーの記事群によってTRPG SearchなどのRSSアンテナで早くログが流れてしまう(僕の記事は大抵夜中の2時や3時に完成する)事態に対処するべく、投稿日時が自由に設定できるSEESAAの機能で、翌朝9:01投稿という風にRSSをいじくって投稿しています。
 今回はその投稿日時設定の日をミスタイプしていました。
 ここにお詫びの意を表明し、訂正させていただきます。どうもすいません。

◆◆◆

 お詫びだけでなんなのでプチコラム。

 ここんとこゲームブック世代が熱いです。
 以前、ゲームブック世代は多人数型ゲームブックをTRPGでやりたかったのかと推察したら、RPG日本の鏡さんが「どこからその話を聞いたの?」と言って来ました。実際にやってたそうです。
 おそらく、この世代が壮年期に入って最も脂が乗っている時期なんでしょう。
 『Aの魔法陣』も当初は「なんだこれ? TRPGなの?」という声ばかりでしたけど、時間が経つにつれて、もしかしたらゲームブック世代がやりたかったゲームを介しての物語創作ができるって可能性を示したゲームではないかと、徐々にリスペクトされてきてます。

 ただ、僕は古いウォーゲーム世代の影響力大ですので、実はAマホが不得意です。
 不得意というより、洞察力や想像力次第で展開が大きく左右されるような拡散プレイそのものにどうにも身構えてしまいます。なぜ身構えるのかと言えば、『D&D』で洞察力や想像力といえば、GMとの頓智合戦でしかなかったからです。
 頓智合戦ですから、物語創作もブレイクスルーもまるで眼中になし。とにかくGMの狡猾な所をやりこめることだけが目的です。シナリオが崩壊しようが、陰惨極まりない展開になろうが、経験点の証たる財貨さえ獲得できれば大成功、無問題です。
 もちろん、GMにしたって頓智を駆使しないとクリアできない謎解きダンジョンのオンパレードでしたから、どっちもどっちなわけで。

 そんな思考の連中がAマホなんぞやろうものには……ねぇ。
 幸いなのは、そういう連中が昔ほど盛んに発言してないってこと。
 
 僕がAマホを不得意にしているのも、発想や洞察力と言えばGMと頓智合戦することしか教わってこなかったというのがあります。逆を言えば、GM技術とくればいかにプレイヤーの出すアイディアをさらりと無効化する受け流しの技術ばっかりでした。
 昔はそんなに一本道シナリオも悪じゃなかったですしね。むしろ、無目的なダンジョンプレイが飽きられていた頃でしたし。

 う〜む。
 まだまだゲームブック世代のように無邪気に言葉遊びはできません。
 要はいつ卓から退場させられるか分からない恐怖心と戦ってきてランボー状態なのがウォーゲーム世代ですから、そこら辺に関するケアが必要なんですよね。

◆◆◆

追伸:さすがにアダルトサイトの無関係なTBは削除させていただきます。
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2005年08月23日

メディアとゲームの間には

 ただ今、TRPGにおける「ノリ・空気」について考え中です。
 
 TRPGのために勉強をする人はとても多い。
 よいシナリオのため、よいロールプレイのため、あるいはゲーマーとしての見識を磨くために盛んに書を読み、エンタメ作品に触れ、言葉を文字を吐き続けます。何よりも、日々思い悩むことはTRPGのことばかり。
 
 だが、その功績がなかなか残らないのがTRPGというもの。
 どんな美しい物語を構築しようとも、作品として後に残らない。リプレイにすれば形だけは残るかもしれないが、彼らがプレイで味わった充実感や思い出を第三者に伝えるのは困難極まりない。
 優れた見識やロールプレイで、ゲーマーとして大いにリスペクトされたとしましょう。だが、ではその人がその実績をぶら下げて突然ホームを離れて見知らぬ土地のセッションに参加したら、彼は実績に見合っただけの敬意を払われるであろうか。

 そもそも、もう使用することはないであろうシナリオやキャラクターシートを全部丁寧に保存している人はどれだけいるでしょう。

 そしてもっとも根源的なこと。
 
 あなたはどれだけのプレイを忘れてきましたか。

◆◆◆

 TRPGはメディアの側面があります。
 自分の創作意欲や見識をシナリオで、キャラクターで描くことができます。
 キャラクターを動かし、演技することで肉体表現をすることもできます。
 
 だがTRPGはその創作活動を作品として形に残すよりも、思い出として消費する方向に動いています。砂の曼荼羅や雪祭りの雪像のように、完成品を成果として尊びその保全を目的とする美術ではなく、創作活動に打ち込む者たちの精神的充実感にこそ意義があるという精神文化に近い性質を持っています。

 逆に言えば、作家、表現者、知識人としてメディアで名を成したいと望む者にとっては精神主義的なTRPGのあり方は我慢ならないものです。メディアを望むということは、自分たちの治績が作品なり研究論文なりといった形で古今東西問わずリスペクトの対象になってほしいという作家願望があるってことです。
 
 そこにジレンマがあります。
 おそらく、これは「ゲーム」という文化の持つ特性自体が、知識を記録し作品を後世に残す「メディア」の特性とは相反する性質を持った存在なのではないでしょうか。

 その考えを補完する作業に現在苦戦しています。
 現在の考察として、TRPGでは重要か害悪なのかで意見が分かれる「ノリ」や「空気」をニュートラルな立場から定義し直したものが、そのジレンマを解く鍵になるのではないかと考えています。

 ただ、今日は眠いので完成は断念。
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

言葉は刃

 最近は読者の皆様に申し訳ないと思う気持ちが一杯です。
 5月から徐々にBlogの記事数が減っているのに反比例して、Seesaaのアクセス解析によると日平均のアクセス数は上がっていく一方。今では400hitを下回る日が滅多にないほどの堅調ぶりです。
 それに見合った活動をしているのか分かりませんので、ただひたすら頭を下げるのみです。
 
 その上でさらに申し訳ないのですが、この記事はただ1人のための私信です。

 そんなわけで、白河堂さんへ。
 こちらは惨めで仕方ありません。
 あなたのその知識に対する無邪気さはもはや刃です。

 「カール・ボバーの反証可能性」なるものを持ち出して、あなたは一体僕に教えたいのですか。いつもそう。あなたはいつも哲学者や社会学者の引用に頼る。僕はカール・ホバーやカイヨワやホイジンガや、あるいは松岡正剛や橋爪大三郎と論争をしているではない。だけど彼は容赦なく世の学者の言葉を振るい、哲学や論理学の用語で以て僕に挑んできています。
 それが苦痛です。
 そういうのが嫌いな人間だってのは今まで散々言ってきたじゃないですか。
 見事にバカにしてきましたね。意図的でもそうでなくとも、僕にはどっちだって同じです。
 
 あなたは知識を、そんな風に使うんですね。
 
 だけど、それで「申し訳ありません。もうTBしません」なんて答えようなら、これは本当に軽蔑しなければならなくなります。人を斬る覚悟もなしに言葉を使っていたなら、傷ついたら逃げ出すのが関の山。そんな甘ちゃんを気遣う余裕はないです。
 むしろ自らの信じるままに人を斬ることを厭わぬTRPG研究の鬼と化したのだと認識して、彼がどこまで悪鬼羅刹になれるか見定めてみようとも思っています。賛否両論、高みからの説教から下衆極まりない罵倒まで、雨霰のごどく反響が返ってくる残忍無比な知識人としての道を是非とも臆せずに進んでいってほしいです。
 
 そんな気はなくても、もう遅いです。
 もうすでに『神饌喰い。』は非知識人志向のゲーマー……不勉強者切捨てのBlogに成り果ててるし。みんながみんな、専門用語と知識人の引用ばかりのBlogを支持してるとは到底思えないのです。
 ちょっと考えみなさい。
 そんなスタニクラフスキィやらヴィトゲンシュタインやらの哲学・論理学の用語が飛び交っている難解無比なBlogから、「あなたは○○が言う所の○○の観念では……」なんて大っぴらに知識人の名前を持ち出してくるTBされてみなさい。
 あなたは論戦OKだろうとも、他の人はどうですか。
 
 そんなことをしても「相手さんビビるかも」なんて配慮をしてないから、僕はあなたに対して冷酷な虚像を浮かべるしかないんです。
 同じウェブサイトで活動している仲ですけど、まだお互い無礼講でいいってほどの仲でもないでしょう? 今まで特に文句言わなかったのはあなたのゲーム感覚を尊重していたからであって、同志だからと気を許していたわけではありませんよ。これは馬場秀和氏や仮想光線氏とても同じ。まだ信用はできません。彼らが人間かどうかも疑わしい。

 だってまだ、会ってもいないじゃないですか。
 僕、あなたが人間かどうかも知らないんですから。それが現実。

 
 
posted by 回転翼 at 02:16 | TrackBack(1) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

根拠とマニフェスト

 TRPGで論考なんかやってる人ともなれば、必ず一度は、「あなたは何を根拠にしているのですか」などと問われます。

 論者にとって最も苛立ちを覚える質問です。
 質問としてはまったく抽象的であるのと同時に、論者に多大なプレッシャーを与える「根拠」という言葉は、もはや嫌がらせの常套句といっても過言ではないでしょう。
 本当にいやらしさを感じるのは、当の質問者がその「根拠」とやらを必要としているのかがまったく感じられないってこと。自分と論者の経験の違い、思考の違い、立場の違いをわきまえ、それでもなお共通認識の段階において食い違いがある場合、自分が食い違いを感じた根拠を説明した上で根拠を求めるというのなら具体的で答えやすいけど、どこの誰とも知らぬ者にただ漫然と「根拠」の文字を出されただけでは、麦畑にミステリーサークルを書き殴られるのと一緒です。

 そもそも、「論」とは基本的に主観的なものです。
 その論者が長年経験し、研究し考察したテーマを一定の解釈で定義したものが「論」であり、統計結果や観察記録といった客観的なデータとは違います。
 神や自然が与えたもうた摂理を克明に記したものではなく、あくまでも論者の論理モデルであるのが「論」のはずです。
 だから論に客観的根拠などあるわけないです。
 根拠を示せと言われても、私はこういう経験からこう考察しましたよと自己を語ることしかできないはずです。統計や観察ではなく、あくまでも論者の論理モデルから導き出された一解釈に過ぎないのですから。

 論者としては、後はその解釈が現場に適応できるよう工夫するだけです。
 TRPGぐらい自由なものであれば、自らが神の座に立ってTRPGの在り方そのものを自分のモデルの示すがままに書き換えることだってできるでしょう。根拠など示さなくても、自分のモデルが稼動して、支持者が出ればその論理はOKとなるのです。
 
 そう考えれば、TRPG論ってのはマニフェストに近いのかもしれません。
 実際の政治でどこまで公約を実現できるかによって、論の有効性が問われるってことです。
posted by 回転翼 at 18:12 | TrackBack(1) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月12日

信じるな…、感じるんだ

 Leafの紙袋持ってて悪いかっ(謎)

 はーい。コミケ帰りです。
 今日はTRPGブロックを強襲。手製サプリ、オリジナルシステム、シナリオ集などを買い漁ってました。浅川河畔スタジオのはるをさん、機会があったら月夜埜プレイお誘いください。

 さて、いい加減に書きなぐった……いや、ホンマに愚痴と言うか怨念と言うべきか……前回コラムが早くも反響あるようです。

 鏡さ〜ん。僕また地雷踏みました〜♪

 疲れているけど、補足せねば。
 別にTBしてきたお三方のためではなく、このBlogを読んでいる方のためです。
 議論なんか期待しちゃダメですよ。つーか、やらない。今の所、今後卓を共にする可能性の薄い人たちばかりだし。
 あっ、鏡さん(←今後も卓を共にする可能性が高い人)、掲示板作らないで(汗)
 
 まず、TRPGで身につけた知識が実社会で役立つか否か。
 そんなもん、時と場合によりけりでしょ。一概に役立つとも役に立たないとも言えまい。
 イエサブの店員さんならゲームのタイトル知ってるだけでも役に立つ。トラックの運ちゃんならあまり役立つことはないです。国際展示場駅の改札天井に張られた『無限のファンタジア』なる横断幕について「あれなぁに?」と尋ねられたら、物凄く役に立ちます。

 TRPGで身についた知識や技術が実社会で役立つなど、それはまず自ら実社会の矢面で証明するしかないです。それでもまだ「自己体験」に過ぎないから、赤の他人にも自分のやり方が通用するかどうか社会に訴えて実践するしかない。雑誌の3面広告あたりに「あなたにもできる! TRPGで頭脳トレーニング」なんてね。
 まぁ、とみにまだ社会の矢面にも立っていない学生にそんなこと言われたくないです。TRPGの知識が役立たない職にいる人がバカになってしまう。
 つーか、バカにしてない? どうよTRPG系Blogにいる学生ゲーマーさん。
 まだ自分の意志決定だけで世の中どうとでも渡れると思ってません?
 冗談じゃない。

 僕はむしろ、「TRPG → 実社会」というより、「実社会 → TRPG」という考えの人でして、実社会で小説読んだり映画観るなり、新聞読んだりして入手した情報をTRPGに取り入れるのが知識研鑽のセオリーだと思います。
 ただし、GM日記さんとこで取り沙汰されてた屍毒の問題みたいに、いきなり突きつけてもGMが困惑するだけだから、GMさんと相談しながらゆるりと取り入れていった方がいいです。
 だからTRPGが頭をよくするか否かではなく、実社会での知識の幅がTRPGの場で優れた判断や発想を生み出すか否かでしょ。

 そもそも僕は「TRPGにやりがいを持つな」と書いたことあるぐらい、TRPGの自己目的化に対して批判的です。TRPGで頭がよくなる、幸せになれる、楽しい思いができると名言して、それて頭をよくしたいがために、幸せになりたいがために、楽しい思いがしたいがためにTRPGにすがり付いてくる人がいたら迷惑です。そんなの完全に満たしてあげることできませんよ。
 
 「自分のあり方について思い悩んでたんです。そんなときTRPGに出会って…」などという出会いを期待するのは変な人招きそうでイヤなんですし、僕はそんな自己の内面からTRPGを求めてここにたどり着いたわけではないです。荻窪の喜屋ホビーで偶然目に止まった赤箱に興味を示したのが始まりです。

 僕は自分の内面的目的のためにTRPGをしません。
 TRPGで頭がよくなろうとも、幸せになろうとも、楽しい思いをしようとも目論みません。では、お前はTRPGで楽しい思いしたくないのかとお思いの方、もっと具体的な内面的目的ならどうでしょう。
 自分のライトノベル通っぷりを満たすべく物語再生装置としてTRPGを求めたり、自分の脳内萌えキャラを投影するべくキャラ萌え装置としてTRPGを求めたり、あるいは単になりきり演技がしたいがためにごっこ遊びとしてTRPGを求めたり……そんな連中にたっぷり呆れ、たっぷり批判してきたこの僕です。何か目論み……内面的目的を満たすべくTRPGを利用する行動は、その目論見がどんなに立派であれ、高尚であれ、権威があろうとも、人間の資質にプラスになろうとも、すべて「不純である」と斬り捨てるべきだと考えてます
 なりきり演技がダメで知育活動がOKなど、なりきり演技に対する蔑視でしかない。
 
 何度でも言いましょう。
 僕はTRPGが好きではありません。
 もちろん、嫌いでもない。
 TRPGを愛してもいなければ、憎んでもいない。
 TRPGに愛着を感じていなければ、TRPGを忌避してもいない。
 TRPGを嗜むことに誇りなど感じていなければ、卑屈さも感じていない。
 TRPGをプレイして極楽にいける功徳を得ようとも思わなければ、地獄に落ちるほどの罪業も感じていません。

 自由奔放。やりたいときにやって、やりたくないときはやらない。欲求の赴くまま。
 そうやってRPGコラム『うがつもの』はやってきたんですし、そうやってゲーマー・回転翼が自然に作られてきたんです。そこいらの「論客」風情と一緒にされては困ります。ScoopsRPGにあるベンさん筆のプロフィールをよく御覧なさい。理で動く男ではないし、ましてやプライドや保身で動く男でもない。
 不満があろうとも「我が生き様、とくと見よ」と言うしかないです。

 だけど、あのベンさんのプロフィール、一箇所だけ今の回転翼から見れば違う箇所があります。今の僕は「自身の信じるままに」ではなく、「自身の感じるままに」の方がしっくりきます。
posted by 回転翼 at 22:00 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

嘆きの碩学世代

 TRPGゲーマーは本当にバカになってしまったのか。

 TRPGゲーマーが頭を使わなくなったという声をここんとこよく耳にします。
 具体的には状況を見分ける判断力、能動的行動を引き出す発想が乏しくなってきているようで、若者のマニュアル脳を嘆く中年世代の嘆きとよく似ています。僕自身も何度となくそのことは指摘しましたし、ScoopsRPGのコラムでも「空洞」と称してTRPGが抱える根本的なトラブルであると言いました。

 一昔前には想像すらできなかった問題です。
 90年代の時期、TRPGの主な遊び手は学生が主体で、当時20代だった現在30代のこの世代には碩学とも呼ぶべきインタラクティブの才を誇る人が数多くいました。彼らは知的欲求と暇のなすままに書を読み、映画やアニメを観て、議論を重ねて、一端の教養人めいた振る舞いをしました。その中から朱鷺田祐介や井上純弌と言った人物が登場し、現在のTRPG業界を牽引する立場になっています。

 つまり、一昔前には状況判断とか能動的行動とかいったインタラクティブの技術に関しては、むしろ抑制が必要なほどに溢れていたのがTRPGゲーマーというものです。
 ヲタクと教養人の領分が曖昧だった90年代ですので、いわゆるヲタクな人たちも教養人志向が旺盛でした。だから討論が大好きだし、知識の押し売りも好きだし、何よりも「知らないの? バカだなぁ」と持たざる者を見下す衒学ぶりっこが大好きな人たちでした。
 だから現在、ゲーマーの頭のよさがとやかく出るってことは、当時を懐かしむ時代になったということなんでしょうかね。

 だけど実際、彼らが頭がよかったと言えばそうでもありませんでした。
 
 なぜ状況判断や発想に優れていたかと言えば、ルールブックや世界設定を読み込んでメタ知識を豊富に蓄えているからです。GMも見知った人物とすることが多いから、その裁量のあり方や匙加減も心得ていました。
 判断材料も発想の有効性も、プレイヤーがあらかじめ想定できたものなのです。
 すなわち、彼らの状況判断とは消防士が火災の通報を受けたらどう対処するかというプロなら想定ができる状況であり、いきなり動物園からマダガスカルに輸送されてしまったという「考えもつかない状況」ではないのです。
 
 これは僕自身も長年勘違いしてきたことなんですけど、TRPG目的で知的研鑽をして碩学になった所で、TRPGに精通した専門家になることはできても、その人の素の判断力や知能にはさほど影響しない……TRPGのために勉強した所で頭はよくはならないのです。
 TRPHの研鑽で身についた知識や判断力が実社会でも役に立つなどと嘯くゲーマーは数多くいましたけど、そんなに状況判断なり発想なりが優れていたら、実社会でももうちょっとは社会的身分があったり、楽して設けてたりしています。残念ながら、僕の周囲の30代ゲーマーにはそんな世渡りや金儲けの才能がある人はいませんで、仕事の愚痴ばかり聞かされます。

 やっぱり、それも「幻惑」なんでしょうね。

 さしあたって、昨今のTRPGゲーマーの判断力や発想の低下は、メタ知識の不足も原因の1つでしょう。自分のキャラクターがどれだけのことができるのかという判断材料が不足しているのに反して、ゲームの世界観はどんどん大風呂敷になっていくから、PCとPLとの乖離がどんどん拡大する。結果、「突如世界の危機を救えと言われた一般人Aさん」状態になって右往左往するばかり。
 そんな状態でプレイヤーの判断力や発想などには何も期待できない、そりゃGMの方が問題だよってことは誰でもわかります。

 西岸良平の短編集、『地球最後の日』にも同様の漫画があって、宇宙人の地球侵略を知らされたただの一般人が何もできずに終わるという話でした。何の力もない一般人に「1ヶ月以内に地球上から争いをなくさない限り滅ぼす」なんて通告出しても……ねぇ。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(5) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

僕は偽初心者卓を立てたことあります 〜ダメサークル視点での上級者と初心者〜

 TRPGゲーマーはいったいどこまでが初心者で、どこから上級者なのでしょうか。
 これは1人のゲーマーがポツネンと立っている状態では至極簡単です。

 「自分、今日よりTRPGの上級者ですっ」

 これでいいんです。
 だって免許も資格も段位もないですし。
 自分が初心者か上級者かなんて悩んでいる人は、とりあえず上級者名乗るがよし。
 もちろん、それで何かが貰えることはありません。何よりも、私は上級者ですって名乗った所で攻撃判定もセービングスローも良くなりません。いわんや、ダイスの神様は微笑んでくれません。
 そして重大なことですけど、プロのデザイナーがお褒めの言葉をかけ、テストプレイに誘ってくれるようなことはまずありません。自宅に隕石が直撃する方がまだ確率あると思っていいです。
  
 とどのつまり、初心者だの上級者だのという垣根は単体のゲーマーには毒にも薬にもならない代物です。
 ではなんで、こんな階級に気を揉む人が多いのかと言えば、サークルという縦社会のヒエラルキーで使用される言葉だからです。ボス、中ボス、ザコの呼び名が上級者、中級者、初心者と変わっているだけです。

 今日の『うがつもの』は、自分はどのような見方で初心者と上級者を区分していたかということとか、僕が過去にしていた「初心者卓」という悪行を告白する話とかです。
 昨日一晩では書ききれませんでしたので、こんな時刻にコピペ。

◆◆◆

 ここで僕個人の経験を。
 僕が高校時代に所属していたサークルは、代表の人が4〜5人の『D&D』仲間に呼びかけて設立したものです。それに設立前から懇意にしていた別卓の4〜5人を引き抜き、それで公民館を借りるだけの人数が揃いました。このメンツがいわゆる幹部クラスです。

 それで公民館を借りれたことから、外部に向けてメンバーを募集することにしました。
 まずは幹部メンバーが学校の後輩など縁故のあるのを徴募しはじめます。ここで応じたメンバーは毎度参加することは怪しいけど、とりあえず例会ともなれば合計3卓が成立する程度の人数が見込まれる準常連と言えます。
 当時の僕もここに属していました。

 さらにコンベンションの告知をすることで、近隣のサークルを持つ力のない個人ゲーマーとか、ライトノベルファンでTRPGに魅力を感じているお坊ちゃまお嬢さまを招き入れます。この層はTRPGの経験はさほど多くなく、リピーターになるかどうかは怪しい層です。

 さて、TRPGといえば雑誌連載のリプレイしかしらない若き初心者は、サークルで目にする幹部クラスの装備ぶりに目を瞠ります。彼ら幹部衆はせいぜい『ソードワールド』しか手にしたことが人たちの前に、おもむろにボックス型TRPGを積み、フロアタイルを敷き詰めて沢山のメタルフィギィアを取り出すのです。洋書を用意する者、ウォーゲームを脇に置く者もいます。次に必殺兵器として三種の神器……自家翻訳のマニュアルと付箋で膨らんだ海外版ルルブ、それに自家製のカスタマイズ済みキャラクターシート……を用意します。

 外来の人にとって、これ以上の威嚇手段はありません。
 
 そして、とどめとばかりに身内だけでキャンペーンを始めるのです。
 
 これでこのサークルの「格」はほぼ定まったといっていいでしょう。
 多くの外来の人は、この威容な集団を上級者として畏れだし、準会員クラスは自分たちはサークルの中心にいないことに疎外感を感じます。彼らが従順な取り巻きとなって幹部クラスから教えを乞おうと詰め寄るのにはそう長い時間がかかりませんでした。

 ……これが僕が理解する所の、上級者を生むメカニズムです。
 初心者たちの中から上級者が生まれるのではなく、まず装備の貧弱な連中を呼び集めて、彼らに格の違いを見せつけて、彼らの中から自然に「上級者」への畏敬の念を起こさせるという仕組みでした。
 実際、この幹部衆は自分たちが拠ってゲームしたいがために集まった集団ですし、サークルで上司面したいけど、初心者の養育まではしたくないというクソ野郎です。

 では外来の人たちには誰が応対していたかと言えば、僕を含めた準会員でした。
 『出されたTRPGは残さず食べましょう 〜GMの品揃えと予備卓の大変さ〜』で言及しましたが、僕はよく予備卓のGMを任されたもんですけど、言い方を変えれば、僕の役目は外来者を幹部卓に近づけないために用意された隔離卓でした。僕やSW卓のGMはそのための方便として初心者卓を名乗っていました。

 初心者向け卓って言葉はとても便利で、こう名乗る卓が1つあればサークルの水に馴染んでいない外来者はかなりの確率で引き込めます。もちろん、僕らの周りでは初心者卓とは隔離卓に他ならないものでしたけど

 僕がいたサークルでは、幹部衆が安心してキャンペーンを続けられるよう外来者を隔離卓に誘導していたことになります。もちろん、隔離目的の卓ですから1から初心者を養育するようなことはしません。ちょっとヒロイックで甘めのシナリオで「まぁ、とりあえず満足していただこう」という程度のプレイしかしません。
 つーか、準会員にはその程度のことしかできません。

 今更ながら、隔離卓に回されて1回ポッキリを想定したセッションをやらされたプレイヤーの方々には、本当にすまないと思ってます。せめてリタイアしてないことを祈るのみです。

◆◆◆

 ……とまぁ、こんな経歴の身ですので、初心者上級者の区分に経験とか技術とかは関係ないと思ってます。つーか、免許も段位もない世界でいったい誰が何の基準をもってそんな技術やら経験やらを測定できるんですか。誰もそんなもん計っていやしません。

 TRPGで上級者ったらサークルでの偉さの格を示すものです。
 そして、初心者とは「サークルの水に馴染んでいないよそ者」って意味です。

 TRPGの経験などいくらでも詐称がききますし、技術などさほど表沙汰になるものではありません。しかし、サークルのヒエラルキーは目に見えるものです。それでTRPGの上達に必要なこととして、経験や技術の鍛錬以上にサークルの水に馴染む組織人の智恵が要求されることになります。
 せっせと幹部衆に取り入って彼らの話の輪に加わり、やがて彼らのキャンペーンに入らせてもらえればとりあえずサークルで上級者を名乗れます。
 バカバカしいとお思いでしょうけど、その取り入るための知識ってのもTRPGの知識はもちろんのこと、TRPGヲタク3種の神器……ハヤカワ、ガンダム、ミリタリーなどの受けのいい話題に対する知識なども研鑽しなければならない。僕の時期はエヴァの時期でしたから、TRPGゲーマーも狂ったようにエヴァ論議に花を咲かせていましたし、もぅ……。

 ……。
 ああ、もうこんなの「ぶっちゃけ」論でしかないじゃないか。
 第一この「ぶっちゃけ」なんて言葉嫌いなんですよ。ちょっと斜に構えたブロガーが好んで使う表現だけど、言いだしっぺは岡村隆史だそうじゃないですか。「ヤバい」ってのも出川哲郎のを使いまわしてるんでしょ?
 お笑い芸人の言葉遣いに毒されるなんてまぁ、笑えない。

 以上、この前卓上RPG研究会で「これ以上ひどい話は書けないんじゃないか」と暗に「丸くなった」と言われたことに対する返答です。

◆2008.3/17
 誤字、LINKミス訂正
ラベル:TRPGマッチョ TRPG
posted by 回転翼 at 15:41 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

英雄PCは凡人PLの発想に屈するべきか 〜ゲームプレイングとゲーミングのバランス〜

 30日の卓上RPG研究会で『007 JAMES BOND RPG』をプレイ。
 英国諜報部の00ナンバーになってカナダ諜報部のAクラス諜報員とコンビを組み、ロンドン第3の爆破テロの黒幕を突き止めるべくロンドンからコートジボアール、さらにハノイから中国奥地まで東奔西走する壮大なスパイ大作戦をしてきました。
 GMの'M'さん、プレイ仲間のJMさんには感謝です。

 今回007は2度目のプレイでしたけど、やはり難しいゲームです。
 英国諜報部の00ナンバーであるPCと、ただのゲーマーであるPLの差がなかなか縮まらない。
 ボンドの世界観ですからボンドカーがあって、Qが奇想天外な発明品をよこして、敵方も奇想天外な作戦で世界征服を狙います。だからPCの立場からすればもっと奇想天外なアイディアをバンバン出しても良かったんですけど、僕のゲーム感覚というのは真逆の方向に鍛えられたわけでして。
 すなわち、「奇想天外なアイディアなどゲームを撹乱させる代物であり、口を噤まなくてはならない」という教えを『D&D』や『サイバーパンク2.0.2.0』から受けているのが僕のゲーム感覚です。

 『ブラックサンドで晒し者に腐った卵を 〜ゲームブックの意義とリプレイの良し悪し〜』でも示唆したことですが、古いウォーゲーム世代はアイディアによるシナリオのブレイクスルーという発想がまるでありません。こつこつと数値修正を重ねることが何よりの打開策だと信じて疑いません。何しろ『D&D』も『サイバーパンク2.0.2.0』も死にやすいゲームでしたから、そのゲーム性はヒロイックというよりサバイバルでした。

 だが、世の中にはスカスカのゲームというのも多くありまして、ルールブックの記述を駆使すれば事足りるという伝統が通用しない状況が多発しました。数値修正を重ねてもそれが最善手になるかと言えばならない。市街へ野外へと拡大していく世界観、物語としてのストーリー構築能力を求めるシナリオの普及は、TRPGゲーマーが想定する「状況」の限りない膨張を生み出しました。
 システムは完全なゲームを提供しちゃくれないのです。
 だから自分たちの手でゲームを補完しなくてはならない。
 だからそこで、TRPGには数値管理というゲームプレイングだけがゲームに非ず、ゲーム世界の構築というゲーミングというゲームも存在しているんだよということになります。

 007ってのはゲーム世界を構築するために、奇想天外なアイディアを駆使する必要性ってのがあります。具体的にはボンドカーやQの発明品などのガジェットがそうであったり、相手方の悪役も奇想天外な手段で世界征服などを狙ったりしてきます。
 粉塵爆発なども『D&D』では「迷宮内で小麦粉撒いて粉塵爆発? 科学的にありえね〜」と断じる所でしょうが、007だと「奴らならやりかねん」ぐらいのエンタメ的要素があります。

 以前なら「そんなことはできん。PLの常識と正しい知識、それにルールブックの数値修正とキャラシーの数値だけがTRPGのすべてなんだ」と言っていたことでしょう。そうとしか学んでこなかったからです。
 ところが、TRPGにはゲームプレイングとゲーミングという2種のゲームを同時進行しているのだという認識に立っている今の僕からすれば、「ボンドの世界を再構築するためには、自分の常識や知識をゲーム世界基準に曲げる必要がある」ことがゲーミングの基礎であることを認めることができます。

 TRPGってのはただ数値を管理していればいいというゲームでもなく、さりとてゲーム世界の中で舞い踊っていればいいというゲームでもありません。その2つを同時進行させてこそ、真のゲームバランスが生まれるのではないしょうか。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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