2005年09月26日

キャラの名前で参考にしているWebサイト

 備忘録としてキャラクターの名前をつける際、参考にしているWebサイトを記します。
 
 この色の単漢字にマウスを当てるとカタカナ表記がでます

さらに怪しい人名辞典
 英・独・仏・伊・露。
 欧州人名では基本のサイト。ロシア人名はキリル語表記あり。
 08年4月に改装しました

Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜
 英・独・仏・伊・西・・露など。
 各国人名対照表。他にも称号や王室についてもデータが揃っている。

名前の資料館
 英・独・仏・伊・西・・露・韓。
 Mt. Erech Ave.内。フィンランド人名があるのはすごい。

アラブ人の名前 人名辞典
 アラブ。
 東京外国語大学 アラビア語専攻内。女性名は工事中。

Liber ob Sciscitatora Ancient Names
 英・独・仏・伊・西・葡・・芬・チェコ・・アラブ・カナアン・印・中・ヘブライ。
 質より数のサイト。主要国以外は数えるほどしかない。

欧羅巴人名録
 英・仏・独・伊・西・露・。「適当に命名」JAVAはロシア人名まで作れるスグレ物。一見の価値あり。

これでインディア
 印。「身毒企画」内の「カタカナ表記」にインド人の姓名がたくさんあります。

タイPOPSはHAPPY BIRD DAY
 タイ。タイの俳優紹介サイト。近代まで姓がなかったタイでは同じ姓の人は珍しいとのこと。→Wikipedia

Behind The Name
 世界各国の名前。
 英文サイト。載ってる国名なら随一。ただしカタカナ表記はもちろんなし。

Behind the Surname
 世界各国の苗字。
 英文サイト。Behind The Nameの姉妹サイト。

20000-Names From Around World
 世界各国の名前。
 英文サイト。国別の他、「花にちなんだ名前」などでもカテゴライズされています。

Chinese Surnames 百家姓
 中国。
 要・簡体字中国語エンコード。中国人名ならここ。

Male Cymric names
 カムリ(古代ウェールズ)。
 アーサー王の時代に使われたっぽい名前が揃っています。

African Names
 アフリカ各国。
 英文サイト。

◆2008/5/24 リンク先を訂正
       追加分を掲載
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(3) | キャラ名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月25日

もし避難するとしたら、TRPGをどれだけ持ち出すか

 ただ今、アメリカではハリケーン・リタが上陸しています。
 この前も台風14号で降雨減衰が発生したりして、何かと迷惑しています。
 降雨減衰とは衛星からの電波が雷雨や集中豪雨の影響によって受信できなくなる状態を意味します。すなわち、デジタル派を受信してる僕のテレビはBSやCATVが一時的に観れなくなるってことです。激しい雷雨なんかあるとすぐに降雨減衰が発生しますので、デジタルもデメリットはあるなと実感するわけです。

 まぁ、浸水したり家屋がやられるよりはずっとマシなんですけど。

 TRPGゲーマーも災害対策は取らないといけません。
 常日頃シナリオやらキャラクターやらで頭を捻っている人が、「起こらないと思い込むのが最善の対策」では困るので、やはりいざ有事となもなればゲーマーとしてどこまで(趣味の)被害を食い止められるか考えておいても損はないでしょう。

 そんなわけで、今日はこんな想定をしてみました。
 「もし避難するとしたら、TRPGをどれだけ持ち出すか」

 想定はこう。

1:津波や台風の直撃、地震による地盤沈下、某国の宣戦布告によるミサイル攻撃の危険性、ナチスの吸血鬼一個大隊による侵攻、エミュレイターの侵食、スペクターTVの放送開始、etc、etc……とにかく1日中に街を離れて避難する必要がある。
 明日まで居残ったら死ぬ。
 あなたが趣味のものを荷造りできる時間は1時間以内とする。

2:残したTRPGは消失、流失、略奪などにあって一切がなくなるとする。

3:積んでいけるTRPGはいいとこ登山用リュック1杯かカート1台分。どちらかのみ。
  A4サイズの本を積んで、最大60p前後。文庫は4冊で1冊分とする。
  メタルフィギィアはボックスに積めて持ち出すこととする。
  ダイスは入れなくてよい。
  規定内でも「これしか持っていかない」と打ち止めにしてもよい。

4:車は他の家財道具などにより、想定3以上の荷物は積めないとする。
  宅急便などはパンク状態で使えない。




それでは、被災先でもセッションするであろう回転翼は何を持ち出すかと言えば…
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2005年09月22日

目標がないモンスター 〜コスティキャン論によるゲームプレイングとGMの立場〜

 TRPGがなりきりチャットと違う点として、能力値やHPなどのPC資源を管理運営してゲーム目標を達成する作業をするってことです。
 これはコスティキャンの定義するゲーム……「充分な情報の下に行われた意思決定(decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理(managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標(goals)達成を目指す」……の機能を果たすために存在しています。
 僕はこれを、創作意欲を発揮してゲーム世界を構築していく、物語を表現する媒体としての機能……「ゲーミング」とは別に存在するTRPGの遊び方……「ゲームプレイング」と呼んでいます。

 TRPGはゲームプレイングとゲーミングの2つの遊び方を同時進行させています。
 これがTRPGを難しくしている所で、2種類の遊びを同時進行していることに気付かない、あるいはその片方しか遊びたくないって人は結構いるもので、そういう人は片方に肩入れするとともに、もう片方をいらないものとして見逃す傾向があります。

 例えば、ゲームプレイング偏向者の場合。

 TRPGで厳密にゲームプレイングが行われる箇所は戦闘です。多くのTRPGでは戦闘場面でのみPC資源を厳密に扱い、資源を枯渇させた敗者にはPCの死(ゲームオーバー)を宣告するギャンブルを行います。
 
 ここで注目していただきたいのは、ギャンブルであってデュエル(決闘)ではないということです。
 デュエルとは云わば「腕比べ」であり、技芸の力量において2者乃至複数の者が優劣をつけるために行います。肝心なのは「力量の優劣を白黒つける」ことであり、そのためには公平なルールと審判の立会いの下でいざ尋常に勝負となります。
 これに対して、ギャンブルは勝負を仕掛ける側と受ける側が必ずしも同じ立場ではありません。目標達成の際に得られる配当を管理するディーラー(胴元)役が勝負を進行させるシステムのギャンブルは数多くあります。そしてほとんどのディーラーは、主催者の側に立って主催者の事業運営のために活動をします。

 ここがTRPGが競技ゲームと異なる点です。
 TRPGのプレイヤーとGMは同じ立場で力量を競い合うことはしません。GMには配当……経験値や財貨などを配分する立場にあり、また自らが主催者として事業活動……シナリオを運営するという活動を主体としています。
 これが全くのデュエルであった場合、TRPGは「PCとNPCの腕比べ」にこそゲーム目的があるとされ、何のけれんもないウォーゲームをすることがTRPGの醍醐味ということになります。それに関しては、すでに『メイジナイト』や『ウォーハンマー(ミニチュアウォーゲーム版)』などのミニチュアウォーゲームが担っていますし、コンシューマーにも『スーパーロボット大戦』というのがあります。すでに別のゲームが独自に歩んできている道に土足で上がり込んで、「TRPGが目指す道はここにあるから、今日からあなたたちはTRPGです」などとするのはおこがましい侵略だとは思いませんか
 
 TRPGのプレイヤーとGMの関係は、他のゲームでの1Pと2Pの関係ではなく、ギャンブラーとディーラーの関係に近いものです。プレイヤーはゲーム目標を達成することが目的ですが、GMはシナリオを運営する事業を目的としています。NPCのゲーム目標を達成するためにGMをしているという人など未聞です。

 よく、TRPGの戦闘は微温い、もっと真剣な勝負をするべきだと主張する人がいます。
 TRPGがまったくのデュエルであるならば、それはまったくの正論です。いっそシナリオなんか放棄して、PC同士のダイスバトルゲームをやるべきです。だが、既存の手法を堅持したままでGMは常にスリリングなバトルを展開するべきだという主張はいささかお門違いです。
 GMはシナリオを運営する事業を楽しみたいがためにTRPGをし、戦闘はそのためのサービスの一環にすぎないからです。

 GMには勝って目標を達成するべきPCがいないのです。
 TRPGはGMがNPCの立場から見た目標を達成しても、プレイヤーが配当をくれることはありません。これが非営利のTRPGがギャンブル以上にGMを真剣勝負から遠ざける要因であって、GMは端から勝つことを目的としていません。勝たせて、それでシナリオが彩られることの方が、勝ってシナリオをビターなものにするよりずっといいのです。

 もし僕がGMやってパーティを全滅させたとします。
 これがプレイヤーと同じく目標達成のために動いていたのならば、モンスターの目標を果たすべくPCの死体から財貨を抜き取ったり、食べちゃったり、血を吸って眷属にしたりと普段PCがやってることをモンスターの立場からやりますよ。そしてモンスター側のゲーム目標を達成するべく依頼者のいる村を襲撃します。PCたちが迷宮に押し入る要領で。
 そういうことをさせてくれないというのなら、やっぱりプレイヤーとGMは同じ立場にはいやしないし、デュエルの対象にはなりゃしませんな。

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2005年09月18日

酒席では珍獣 〜Blog活動1周年〜

 19日で、Blog版『うがつもの』は旧Blogでの活動も含めて1周年になります。
 そして、すでに8月中ですけどWebでの活動も2周年を迎えました。
 読者の皆様に感謝すると同時に、今後ともこの拙いBlogをよろしくごひいき願います。

 今日はちょっとよしなしごと。

 1年の間に、TRPG系Blogも随分増えてきました。
 半年ぐらい前は「いったい誰が見てるんだ?」と思うぐらいBlog同士のつながりが弱かったけど、現在はRSSアンテナなどの検索サイトもありますので、孤島から群島に成長したのかなと思っています。
 ちなみに、検索サイトやRSSアンテナの中では井上(仮)NEWSからが一番訪問者が多いです。掲載初日のインパクトではTRPG blog 他のRSSアンテナが勝りますが、数日の間はじわりじわりと人が来ます。真面目な論考記事などが取り上げられることが多いので、僕もよく覗いています。
 個人的な感想では、井上(仮)氏が変に自分の寸評を混ぜていない所がいいです。
 
 それでもって、1年間TRPG系Blogを見続けて感じたのは、以前はタブーであったTRPGの問題提起やトラブル、告白などをするBlogが増えてきたなってことです。後、クラスター世論に警戒してない舌鋒鋭い論考する人も。

 1年前に「私はTRPGが好きではありません」などというコラムを書き、日5000Hitを超えるプチ騒動を起こした時期と比べると隔世の感ありです。1年前はTRPGに関するネガティブなコラムを書くこと自体とっても危険なことで、しばらくは2ちゃんねるからの突撃厨が飛び交う始末でした。怖いメールも随分戴いたし、心情的には八方塞でした。
 つーか、今でもコンベンションで回転翼ですなんて名乗ろうものなら、見ず知らずの人から胸倉掴まされそうで、怖いからRPG日本さん以外んとこでは適当にHNでっち上げてます。

 やっぱりTRPG系ブロガーとして有名になっても、実際のTRPGプレイに悪影響が出るのはゲーマーとして本末転倒だなと痛感しています。だから今はネットの付き合いよりも直の付き合いを大事にしています。
 本当は酒の席なんかではみんなの憂さを暖かく聞き入れる大人になりたいんですけど、どの集まりに出ても喋る方に回されるのは正直すまない気持ちです。

 そんなわけで、白河堂さんに紙魚砂さんにがちゃさん(この3人が、僕としては活躍を期待しているとともに、今後の心配なゲーマーさん)……あまり飛ばし過ぎないようにね。Blogが原因でトラブル起こして気を揉むほど体に悪いものはないですから。
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2005年09月15日

TRPGのスタンドアローン・コンプレックス 〜TRPGにおける資質論とネットワーク〜

 TRPGを語るにあたって、難しい問題の1つに「資質論」があります。
 プレイヤー本人が判断力・洞察力に優れた賢者ならば、TRPGでも優れたプレイができるという論です。それが進んで、TRPGではルールブックを勉強して経験を積むより自分自身の素の資質を磨いた方が上達するとか、TRPGは判断力・洞察力など人間の資質が磨かれる知的遊戯だという論を展開する人もいます。
 
 要するに、TRPGが上手くなるには勉強するより前に天才になれってことです。
 平たく言えばバカなことと映るでしょうけど、この業界にはそういう資質論に走るゲーマーが結構います。そして、彼らは畏敬を受けることはあれ、批判されるということはありません。

 例えば能力値の格差問題。
 能力値の格差の問題ともなると決まって「低い能力値は智恵と戦術でカバーするのがゲーマーだ」と精神論を主張する人が結構います。TRPGは能力値の優劣で遊ぶゲームではない、機転とアイディアで危機を乗り越えてこそ醍醐味ではないかというのがその理由なのでしょう。
 一見正論だけに、多くの人が頷いてしまいます。
 「きっとこの人は能力値が低くても機転やアイディアが自在に浮かぶすごいリーダーシップの持ち主なんだ」という幻惑を植えつけるには充分な主張です。後輩を威圧するにこれほど便利な言葉はないです。

 「高い能力値の奴は機転やアイディアがなくとも有利な数値修正だけで寄り切ってしまうから気に食わないとでも言いたいのか」というツッコミは通用しないでしょう。いわんや、本当に機転やアイディアが必要な事態……プレイヤーの資質が直に試されている事態に能力値が高いからって何の説得力があるのだろうかなんて問いかけは虚空に消える宿命なのかな。
 よく迷宮に謎かけの罠しかけるGMいるけど、知力ロールで代用させてくれと言って認めてくれたGMさんなんてTRPG歴31年のJosh・H・Grenに聞いても「いない」と答えましたぞ。

 さて、僕の先輩には確信犯的に資質論を持ち出す人がいまして、その人は「自分は正しい過程を経経て上達したTRPGのエリートであり、君たちはヨソから興味本位で割り込んできた雑草なのだ」ということを思い知らせるために資質論を展開し、その道具としてウォーゲームの経験をことさらに披露していました。
 ウォーゲーム出身で勝負勘・戦略眼主体のダンジョンゲームこそTRPGだとする人と、ライトノベル読者出身で想像力主体のストーリーテリングこそTRPGだとする人とでは資質以前に志向が違います。
 だが、先にゲーム環境を整えてしまった者の強みで、先輩と後輩という縦社会のメンタリジーをたてに、ウォーゲーム出身者は何ら遠慮することなく自分のプレイスタイルこそが正道だと主張することができます。
 後進の世代は、自分自身の資質や経験とか以前に、サークル内の発言力の問題で先輩に対して異議を唱えることができないのです。

 僕の先輩はそれを確信していた上で、物言えぬ後輩に「TRPGは独学しても上達しない。僕のような熟練者を見習うことが上達の道だ」と明言し、自分の取り巻きを得ていました。彼は危険なほど狡猾な人間でしたが、その詭弁が通用しない……下手でも経験を積んで上達できる人には敬意を払っていました。決して自惚れない慎重さを持っていたのです。
 そして、彼が一概に悪人と言えないのは、自分の取り巻きにきちんとレクチャーをして自分なりの手段で上達するよう指導していたことです。派閥を作りこそすれ、自分のグループの中では協調性を重んじた人物でした。

 だが、世の中には本気で自惚れているバカもいます。
 迂闊に信じて、この人についていけば冒険は安泰だと思ったら地獄を見ます。
 自惚れたバカってのは協調性ってのが微塵もありません。「低い能力値は智恵と戦術でカバーするべき」を口にするのは、大抵が相手が死んだ時で、智恵や戦術を駆使する以前に連携ができていない。高い能力値の連中を盾にし、見殺しにした言い訳として、「君には智恵も戦術もない。高い能力値に慢心したからだ」と嘯くわけです
 都市で社会生活をしているのだから、社会との協調性が有益なことぐらい判断できるはず。
 それが想像できていない。だからバカと言える。

 だが、本人は決してバカだとは思っていない。
 彼らは協調性が欠如しているわけでなく、斬り捨てているだけかもしれないのです。

◆◆◆

 資質論は他にも幾つかありまして、「PCの交渉技能の数値が話力ではない。プレイヤーの交渉技術が左右するのだ」とか「PCの魅力など意味はない。プレイヤー本人の魅力があればそれでいいのだ」とか云ったのがあります。
 ちなみに、「PCの戦闘能力はプレイヤーの実戦感覚が影響する」という過激な方向に行ったのがかつて僕がいたサークルでして、一流の格闘家、剣術家、兵士であってこそTRPGで高い戦闘能力を扱う資格があると大真面目に論じたものです。それを証明するためにゲーマー同士が試合をするしかなかったわけで……。

 「お前はTRPGで戦士をプレイするに相応しい戦士としての資質はあるか」という問題提起のためにゲーマー同士がサバゲーをしたり、ガチンコでバーリ・トゥードで試合をしたりしたのはやはり救いがたきバカでした。

 現在はもっと過激に、「能力値など問題ではない。プレイヤー本人の信仰心の深さが奇跡を起こす基準となるべきだ」と主張したって資質論的には問題ないと思います。プレイ中に高々と神を賛美し祈りを捧げ、説教をし懺悔を求め、しまいにはジハードを宣告する……。
 これぞまさに資質です。
 きっと「真に敬虔なる信徒は邪悪をよせつけない!」などと言ってアメリカのTV伝道師みたいに蛇や毒サソリとか手にするんでしょう。蛇が噛まないほどの清らかさがあってこそ、初めてターンアンデッドが起こせるのかもしれません。 
 
 戦闘能力や信仰心はともかく、判断力や洞察力、話術や容姿はプレイヤーが比較的引き出しやすい資質です。

 なんでこんなに資質論を言う人が多いのかといえば、プレイヤーの資質は「際限がない」のと「システムによる拘束がない」ことが原因です。能力値のような制限もなく、HPなどの消費資源のように枯渇することもない。HPを管理したり、能力値から行動を割り出したりするよりも簡単ですし、とても潤沢です。
 そして、プレイヤー側は3人以上の人間が協議したり、時間をかけて思考したりすることが可能ですが、GMは1人だしマスタリングの方に神経を集中する必要もあります。資質勝負となれば最初からプレイヤーが有利なのです。
 
 それを突き止めれば、結局の所資質論の根底は「ディベートでGMを納得させれば何だってできるのよ」という何とも浅薄な考えに至るのは目に見えてます。
 そんなものはもはやゲームではありません。

 そうなると、「TRPGは一概にゲームと言えない」などと言い出す連中までいる始末。
 もはや彼らの中に出来上がっているものは「TRPM(テーブルトーク・ロール・プレイング・メディア)」なのかもしれません。自己表現がゲーム活動より優先されるなんて考え、どう考えたってゲームではなくメディア活動です。

◆◆◆

 以上が、サークル社会の枠組みの中から見た資質論批評です。
 TRPGを取り巻く環境は大きく変化しており、資質論に関する背景も大きく様変わりしています。その理由をこれからざっと考察していきます。
 
◆◆◆

 僕は「資質論」の背後には、TRPGゲーマーの個別化が影響していると考えています。
 インターネットでの二次活動(このBlogも然り)やオンラインセッションもそうでしょうし、それ以前にコンベンションの普及により、組織ではなく個人から成り立つゲーム感覚を養った人が多く登場するようになりました。集団でのチームプレイからTRPGを構築するのでなくスタンドプレイを成す個別のゲーマーから自分のゲーム像を組み立てているわけです。
 そしてTRPGのプレイスタイルもまた、役割分担によるチームプレイではなく個別の活躍を集約させたスタンドプレイ主体の手法が主流となってきています。『TORG』がその起点であり、その後継者たるF.E.A.R社のゲームも然りです。

 云わば、現在のTRPGはスタンドアローンな個人が意思疎通によってつながりを持つP2P(ピアツーピア。複数のコンピュータが1対1の対等な接続状態にある形態)社会だと言えます。これに対して、80年代までのサークル主体のTRPG活動は上位下達からなるサーバ社会でした。

 TRPGのP2P社会化はTRPGを他人に伝達するための方法を一変させています。
 これまでは上位下達で、サークル内で一定の勢力を持った人間のプレイスタイルを後輩が継承する形でTRPGを教育していきました。だが、P2P社会化したTRPGでは「多数」という観念が存在しませんから、誰のプレイスタイルも継承しないし、誰のプレイが正しいかの判断基準も存在しません。ゲーム感覚を養うには多数の個人の意見を集約させる必要があります。
 このような社会では、確かな判断基準はサークルではなく、2ちゃんねるやTRPG系Blog群と言った個別の意見の集合体によって形成されます。サークルで得た「実感」ではなく、ネットで形成された「世論」が自分の判断基準となるわけです。
 
 だが、TRPGはアナログメディアですから、実感抜きに世論だけで自分のゲーム感覚を養うことはできません。2ちゃんねるで集約された世論をBlogに掲載して、それで自分は一流ゲーマーになれたかと云えば、一流のBlog書きになれただけです。
 ところが、P2P社会化されたゲーム環境では、今プレイしているTRPGが社会で構築された世論とリンクしているのかという不安が常に付きまといます。今、プレイして身につけた経験が世論と違っていたら、自分はスタンドアローンに陥ってしまうのではないかと気にするわけです。
 すなわち、現場でのプレイ経験がTRPG上達の手段であるという認識が薄れてきているということです。組織社会のつながりがないスタンドアローンのゲーマーたちは、次々と卓からネットに飛び、自分と共通認識を持つクラスター(同一集団)を求めるわけです。

 今プレイして身につけた経験がクラスター世論から見て正しい経験かどうか分からない。
 だけど、クラスター世論がいつどこでプレイ現場で確かめられるかも分からない。
 P2P社会化によって個別のゲーム感覚を養ったゲーマーは、クラスター世論とプレイ現場との乖離に苦しむことによって、TRPGの扱い方に自信が持てなくなっています。自分がよしとする扱い方が、他人とはかみ合わないのではないかと思ってしまうのです。もはや一緒にプレイすることが不可能なぐらいに
 
 資質論は、こうした社会の変化の中でクラスター世論なしにプレイヤー同士が共通認識を持てる取っ掛かりになっているのかもしれません。システムの解釈やプレイスタイルではおいそれと共有はできない。だが、人間が持つ本質的な資質の面だったら、同じ人間同士分かり合えるのではないか……。
 
 そういう背景で資質論が出るというのなら、これは狡猾なサークル権力者の計略とか、自惚れたバカの妄言とか云ったレベルの問題ではありません。TRPG業界は従来のサークル社会での上位下達型の継承方法ではなくて、P2P社会における個と個のリンクという仕組みを通しての流通手段を考えなくてはならないのです。

 現場でのプレイ経験と、P2P社会で培われるクラスター世論との関係の溝をどう埋めるかが、ゲーマーが個別化したTRPG業界に求められていることではないでしょうか。

◆◆◆

 参考にしたBlogのTBを忘れていました。
 スタンドアローンとP2Pについてはほぼここが起点です。

 mutter away 「スタンドアローン・コンプレックス」
posted by 回転翼 at 15:11 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

(一応)幕末物TRPGはあるそうで

 『戦国霊異伝』が復刊.comによって復刊されるようです。
 戦国伝奇物と名付けられたホラーRPGなのですが、日本において和風ファンタジーRPGがなかった(当時は天羅も大活劇もなかった)時代ですので、ファンタジーと勘違いして入った人が肝を冷やしている光景を何度か目撃しています。
 僕もその1人。妖怪強いよ〜。

 それもこれも、戦国時代物ファンタジーTRPGが少ないからかも。
 天羅のようにクセのある設定ではなくて、Legend of Five Ringsのようなちょっとアジア混合の外国産でもない、時代小説のノリ(だれか1人挙げろとなると隆慶一郎かな)に近い割とオーソドックスな戦国時代物ファンタジーが何故か日本では作られていません。
 誰かが作ると何年も思い続けているんだけどなぁ。

 いわんや、ゲイシャガール・ウィズ・カタナではなくて。

 ASURAファンタジー?
 いや、新撰組入るのはちょっとご免。
 それなら素直に幕末物TRPGとして別に用意してほしいです。それにしたって、上海退魔行みたいに「新撰組vsドラキュラ」のような伝奇物ではなくて。
 
 そう言えば、幕末物TRPGないね〜ってRPG日本での打ち上げで言ったら鏡さんが「ファルケンシュタインは幕末物だよ」とのこと。
 
 富野良和卿がエヴァでローレライな少女エンジンの蒸気ロボ作って暴れている幕末ですか……。激しくイヤ。

◆◆◆
 
 注:今日のよしなしごと、同人には触れていません。同人レベルでは戦国物も幕末物もあります。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月11日

GMは依頼を好み、プレイヤーは物語を好む 〜ポイント制シナリオ再考(1)〜

 前々回に引き続いてポイント制シナリオ(馬場式)の話。
 最終的には2005年現在のゲーマーの嗜好と、僕自身の考案を踏まえた回転翼式とも言える改良を施す予定です。

 馬場式では、ゲーム目標をGMが考案しプレイヤーが解決策を講じる試練型です。
 それに対して、プレイヤー自身が目標を定めて進む自己目的型のゲームもあります。

 自己目的型の目標は『絢爛舞踏祭』や『太閤立志伝X』のようなインタラクティブ性の高いゲームで登場します。エンディングの要素を外せば、多くのMMORPGが自己目的を定めて多種多様なゲーム展開を行うことができます。
 
 僕は今後2〜5年はTRPGでもインタラクティブ性の高さが求められるようになると見ています。これは2000年辺りから「物語の追体験」を主軸に進化してきたTRPG業界における転機でしょう。『アリアンロッドRPG』や『無限のファンタジア』が好評を博し、『Aの魔法陣』も徐々に認知されるようになってきてます。

 そうなると、ポイント制シナリオもただの試練型では今の人の好みには合うまい。
 シナリオ解決策をあれこれプレイヤーの考えで決めてくんだからインタラクティブだと思うかもしれませんけど、自己目的型のゲームはそもそも目標自体を自分で決めたいわけで、むしろ目標を決めれば道程は機械的でも構わないわけです。
 例えば『D&D』ではPCたちはノンポリの自営業者でGMも世界勢力の一端を代弁する義務もありません。すなわち、目標に関して自己目的を定める動機がないのです。だが、迷宮を探索することに関しては双方が智恵と工夫を凝らして自由自在に動けることに心血を注ぎます。
 これに対して『無限のファンタジア』では旅団の設定でプレイヤーたちは最初から冒険の自己目標を定めますし、GMも希望のグリモアに集う同盟諸国の立場から展開する義務があります。すなわち、シナリオごとの目標は旅団目標を満たすための機会に過ぎないのです。だから冒険の展開をチャート任せにしても一向に構わないのです。

 言わば、試練型になれば過程の方に自由度が求められるのに対して、自己目的型は目標がいつでも視界に入っているので過程はてっとり早ければよい程度のものだと言うことです。

 う〜ん。どうにも分かりにくい。
 話を切り替えよう。

◆◆◆

 そもそも、GMがプレイヤーに求める目標と、プレイヤーがGMに求める目標とにズレがあります。GMが求める方は依頼や契約、ビジネスと云った単純なゲーム目標……「ミッション」であることが多いが、プレイヤーがGMに求めるのは物語の展開としてのメディア目標……「ストーリー」てあることが多いように思えるのです。
 
 例えば、「難病で苦しむ子供のために高山に入って薬草を得る」というシナリオをプレイしたとしましょう。
 このシナリオをミッションの立場から見れば、PCたちは薬草を届けて報酬を受け取るまでが領域です。その後の経過を知る必要はありません。
 だが、ストーリーの立場からすれば子供が薬草で全快する展開をプレイヤーが希望したら、そこまでプレイは延長されます。

 おそらく、ミッションは試練型であることが多く、ストーリーは自己目標型であることが多いのではないでしょうか。ゲーム目標が自己採点だったら面白みのない自己満足に堕しますし、メディア目標がGMの指示するままなら吟遊詩人になってしまいます。

 そこで、ポイント制シナリオで提示する目標を2つ用意してはどうでしょうか。
 GMが提示する「ゲーム/ミッション目標」と、プレイヤーが自分で決める「メディア/ストーリー目標」です。

 ではこれから、回転翼式への改造案を展開します。

◆◆◆

 このポイント制シナリオでは、GM・プレイヤー双方合わせて2つの目標が用意されます。

ミッション目標
 GMがシナリオ開始時プレイヤーに提示する目標。
 目標の基準は「ある男女を結婚させる」、「さびれた村に活気を取り戻す」など、複数の手段を重ねる必要のある複雑な目標であると同時に、PCとNPCとの財産を取引する非メタ目標であることが求められる。
 目標値が0になった時点でミッション目標は達成される。
 ミッション達成の報酬は財貨、アイテム、権限の発動、契約などキャラクター間のみに通用するヴァーチャルなものに限定される。

ストーリー目標
 プレイヤーがシナリオを一定の段階(障害値を半分以下に下げた時点など)にまで進めた時点で、プレイヤー同士の協議によって決める。
 目標の基準は「結婚した2人が幸せな家庭を築く」、「その後も村が栄える」など、ミッション終了後における物語の結末を決めることであり、プレイヤーが望ましいとするセッション展開を決めるメタ目標であることが求められる。
 障害値が0になった時点でストーリー目標は達成される。
 ストーリー達成の報酬は経験値やCPなどメタ資源に限定される。

【シナリオ終了時のエンディングの変化】

 このポイント制では、シナリオの成否以外にも合計4種類の結果発表が用意されます。

大成功
 目標値、障害値ともに0にした時点で達成する。
 物語はプレイヤーたちが望んだ通りになり、PCたちへの報酬も、プレイヤーたちへの経験値もボーナスが加算される。

ビターエンド
 資源値が切れた時点で、目標値のみが達成した状態。
 物語はプレイヤーたちが望んだ方向には展開しない。残った障害値の量によって、どれだけPCたちの行動が実を結ばなかったのかを計算する。
 報酬はペナルティなくもらえるが、経験値にはペナルティがつく。

お人よしエンド
 資源値が切れた時点で、障害値のみが達成した状態。
 物語はプレイヤーたちが望んだ方向に展開するが、プレイヤーの功績は過小評価される。残った目標値の量によって、どれだけPCたちが影が薄い脇役になるかを計算する。
 経験値はペナルティなくもらえるが、報酬にはペナルティがつく。

失敗
 資源値が切れた時点で、目標値・障害値のどっちも達成していない状態。 
 経験値・報酬ともにペナルティがつく。

◆◆◆

 今日はここまで。
 明日は総選挙。
 Blog持ってる人は、恥かしいから選挙に行かずにセッションしてましたなんて書かないように。
 
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(1) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月10日

紐は徐々に解いていこう 〜TRPGメインカルチャー化への道(挫折編)〜

 今日はコラム書くつもりが、偶然見つけたコレに夢中になってしまいました。

 「ほどいてください」
 
 ttp://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=16056

 僕は11面でダウン。
 疲れてコラム書く気力が減退しています。

 こういうパズルはまったくもってTRPG的ではないです。
 頭を軟らかくするパズルってよくありますけど、それって運動に近いですからTRPGの場で用意するとみんなヘトヘトになってしまいます。『D&D』(最近、D&Dの頃を引き合いにするの飽きてきました)も迷宮解きパズルとも言えるゲームですから、色々なパズルの要素を集めてダンジョンをこしらえたら、それはそれで知育効果が期待できるTRPGができるかもしれません。
 思考力を消耗するから、過剰なキャラクタープレイに走るエネルギーを減らすことも期待できますし。

 だけどやっぱり頭よくさせる方向でTRPGデザインするのはイヤ。
 将棋の戦略眼はビジネスセンスに通じるとかいって将棋に親近感よせるビジネスマンみたいに、不純としか言いようがないです。休日の趣味なんだから仕事のことは忘れてゲームを楽しむぐらいの余裕がなければ、日本のゲーム環境は到底ドイツのようにはなるはずないです。

 TRPGは一応サブカルチャーの領域だし、過去色々なサブカル好きの若者をターゲットにして販路を伸ばしてきたけど国民的な知名度を得るには至らず、冬の時代すら経験しました。その痛みから、サブカルではダメだ、囲碁将棋のようにメインカルチャーを目指すべきなのだ、これからはエスタブリッシュメントをターゲットにしてはどうか……と考える人がいたっておかしくないです。
 何しろ「知的遊戯」なのですから。
 その具体的手段としてTRPGのプレイング技術を体系化し、それをプロの技術としてプロ競技化する道もあります。GMには段位を設け、奨励会や日本棋院みたいな権威機関を設けて試験によってプロGMを選抜する。その権威機関で全国のコンベンション組織を統制して、プロGMを派遣して資金を得る。
 実際はどういう仕組みだか調べていないけど、要は囲碁将棋と同じ運営方式にするってことです。それで日経新聞とかテレ東のビジネスサテライト辺りで「TRPGの技術はビジネスセンスに通じます」とか言ってもらうわけです。最終的には企業が社員研修でTRPGを利用するべく金を出してくれれば業界はまず安泰の地位を得るでしょう。

 ……そういうことを本気で考えているから、このBlogはやはり浮く。
 
 とにかく、TRPGをやってる自分は下賎なヲタクなのではと卑下している人は、人に文句言われていじける前に旧主派にバカにされる覚悟でマジ気出してTRPGのメインカルチャー化への道を模索するべきです。
 僕はプロ競技化と企業の社員研修ソフト化(小笠原流礼法などのように)がメインカルチャーになるための方針だと睨んでいるけど、違う道だってあるはず。

 それがイヤなら、サブカルならサブカルなりにターゲットをよく睨む必要があります。
 ヲタク産業だ隙間産業だといじけるゲーマーは多いけど、結局は自分自身の境遇がダブっているだけの人ばっかりです。こういう人たちは自分自身の境遇からTRPGのポジションを定め、自分の境遇を改善したいがためにTRPGの未来図を描き、自分自身の意欲の減退をしてTRPGの衰退を吹聴し、そして自分自身の挫折をしてTRPGは滅亡するなどと言う。

 東大行ってルールを作らなかったツケです。

 あっ。TRPGゲーマーからどれだけエリートを出すのかも真剣に考えました。
 エリート層からTRPG業界に参入を乞うのは難しいから、まずはTRPG業界からエリート層を輩出し、業界のイメージアップをしてもらうわけです。そのためにも大学院生クラスのゲーマーはそのまま学界で頑張ってもらい、助教授レベルにまで出世してから新聞の1面下部に掲載されるようなTRPGの本を出してもらいましょう。

 ……頭痛い。
 こんな笛、吹いた所で誰が踊るんだ?
 茨の道……いや、死体を積んでいく道なんだろうな。
 結局、僕は20代の頃こんなことを真剣に考えて絶望し挫折したものです。そのまま藤村操(明治時代に哲学的煩悶で自殺してセンセーションを引き起こした学生)のように世は不可解なりと華厳の滝から飛び降りるのも道でした。日本初のTRPGに煩悶して自殺した若者として世に名を残すのも、TRPGはそこまで真剣になれるものだということをアピールするいい手段だと思いましたよ。
 結局、そこまでイノセントにはなれませんでした。

 このBlog読んでる人……絶対自殺すんなよ。
 これは文学的煩悶であって、自殺の手引きなんかじゃないからな。
 泥をかぶってでも生きろ。逃げてもいいぞ。晴耕雨読して自然に身を任せろ。
 変な考え浮かぶ前に食って寝ろ。
 
 競技、メインカルチャー、エリート……そのどれもが勝ち組と負け組(下品な言葉!)を選別することになるんだし、やっぱり僕はそれに与することはできません。むしろそんな権威など虚飾なりとはぎ取るのが僕のスタンスなのでしょう。

 TRPGの道にも貴賎はないですよ。
 貴を求めるからその裏に賎がある。
 価値観の貴賎に捉われないところからTRPGを語らなきゃ、身が持たない。
 TRPGは生きる道であって、死ぬ道であってはならないです。
 
 
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2005年09月04日

目標を決めるか、与えられるか 〜ポイント制シナリオとAマホの比較〜

 馬場秀和氏考案のポイント制シナリオについて考えてみました。
 どんなものなのかかいつまんで説明しますと……。

1:GMはプレイヤーに複雑な目標を提示する。
  この「複雑」とは、「ある男女を結婚させる」、「さびれた村に活気を取り戻す」など、複数の手段を重ねる必要のある目標である。

2:プレイヤーには、

 ・目標値/目標達成までの道程を表す数値。100から始まり、0で達成。
 ・資源値/PCの資金や時間など行動力。100から始まり、0で時間切れ。
 ・障害値/目標達成を妨げる障害を表す数値。100から始まる。

 が与えられる。
 
3:プレイヤーは目標達成までの解決策を創案する。
  GMは解決策に従い、減少する目標値、障害値の数値を決定する。
 
  例/「ある男女を結婚させる」ミッションで、プレイヤーは「別の交際相手を破局させる」解決策を考案。GMはそれを踏まえて、「目標5点、障害15点」減少とした。

4:障害値はアクシデントの確率でもある。
  アクシデントが発生するか%ダイスで決め、障害値以下で発生。

5:PC1回の行動につき資源値は1点減少。
  金か時間のかかる行動は2点減少。
  戦闘は参加PC1人につき3点減少。

6:資源値が0になる前に目標値が0になれば目標達成。

 これが「ポイント制シナリオ」です。
 一見すると『Aの魔法陣』に通ずる所があります。だが、ポイント制シナリオが目標を明確に提示する必要から、言わばミカン袋シナリオとでも言いましょうか、ミカンを入れる網袋のように途中は様々な展開に分岐してカオスが味わえますが、起点と終着点は固定されているという結果的一本道シナリオになることは否めません。

 これに対して『Aの魔法陣』のシステムだと、そもそも目標自体を遊び手が創案するものです。セッションデザイナーはプレイヤーの創案に応対するのが主で、プレイヤーは自分から目標を提示し、それに向かって収拾するってな感じです。
 喩えれば、システムは地図、セッションデザイナーはガイドブック。プレイヤーはどこに行きたいかを決めてから、地図を読んで道程を考える……そんな感じのゲームなのでしょうか。
 
 目標をまず自分たちで決めるのか、それとも与えられるのか。
 そのどっちが現在のゲーマーに好まれるのでしょうか。

 ミッションすなわち試練に挑戦し打開しようという遊びに燃える人は、どちらかと言えば古い世代の人たちかもしれません。『D&D』がまさにそんなゲームでした。
 逆に言えば、試練や挑戦にストレスを感じる人には辛いゲームでしょう。自分たちは何でそんな目標に向かって進まなければならないのかと不満に思う人もいましょう。この「試練」型の目標提示は、目標自体が単純明快かつ大きなスペックを持っており、他に遊びようがないゲームに向いた方法です。

 自分で目標を立てて行動する遊びが好きな人は、MMORPGなどインタラクティブ性に富んだゲームに慣れ親しんだ人たちでしょう。戦士として戦いをするのも、職人としてものつくりをするのと、まったく接点のない遊びが等価に扱われる「蓼食う虫も好き好き」なのがインタラクティブゲームの特徴です。
 この方式はAマホが抱えてる難しさ通り、試練型シナリオに慣れ親しんだオールドゲーマーにとっては食指の湧かない希薄な方式……「何でもいいってんなら、いくらでも楽な方にしちゃうよ」という妥協への物足りなさ、恐れを感じさせるものです。プレイヤー同士が馴れ合ってしまったらいくらでもレイムダックしてしまうではないのか……そういう危惧を彼らは感じています。

 結局、どちらがいいのか。
 僕自身はウォーゲーム世代の薫陶を受けていますし、試練型の方が安心できます。
 ただ、インタラクティブゲームの影響を受けている人たちは今後5年はTRPG界に新たな潮流をもたらすでしょう。そうした人たちはストレスなく自分たちのゲームをナビゲートしてくれる自己目標型の方がいいかもしれません。

 あるいは両方を折衷する必要があるのか。
 試練型好きが危惧するのは、無目的、無規範、無秩序からなる無気力プレイです。
 自己目標型が嫌うのは、挑戦へのストレスと、目標に邁進する事で旅情を味わえなくなる風情のなさです。
 それぞれの欠点を克服し、良いところを踏み合わせれば、世代を超えて支持を受けるいいシステムができるかもしれません。
 

 
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2005年09月03日

30のおじさんになりまして 〜私見のTRPG世代考察とメディアとしてのTRPG〜

 TRPGゲーマーにはライトノベル作家志向の人がとても多くいます。
 むしろ、富士見書房がTRPGに参入した経緯で入ってきたゲームブック愛好家や、ドラゴンマガジンやコンプティークのリプレイから興味を持って参入したライトノベル愛好家など、TRPG業界はストーリーメディア業界に販路を伸ばすことを度々しています。

 彼らの特徴は、少なからず作家志向であることです。
 一読者として消費者に甘んずることを由としない。内には自らが描いた冒険物語への無想があり、機会があればそれを表現したいという願望が彼らにはあります。同人レベルなら、それを実践している人はたくさんいます。TRPG関係のWebサイトでも、自作小説やリプレイを併設している人もよく見受けられます。

 だが、原初からTRPGがそのような作家志向者のサロンであったかと言えば、完全に違っていました。やはり『ソードワールド』以前の、TRPGがウォーゲーム、シミュレーションゲームと同居していた時代はシミュレーションゲーマーと兼任しているゲーマーが数多くいました。
 この世代の人たちはストーリーメディアには客観的で、評論することは大好きですが自らが創作することはオマージュやパスティシュでない限りあまり好みません。
 だから、TRPGにしても物語創作よりも戦略ゲームの一環として、純然とダンジョンゲームを楽しむことに専念していました。

 そして、現在もTRPGは作家志向者のサロンからは遠ざかっている傾向があります。
 もう少し観察が必要なことなんでしょうけど、2000年以降に参入してきた世代はコンシューマーゲームの影響下がとても多く、ライトノベルの影響は薄く、ゲームブックの影響は皆無です。
 これが何を意味するかと言えば、『ソードワールド』隆盛期にもっぱらゲームブック出身者が熱心に取り組んだゲーム世界の構築……ストーリーテリングに関する素養が希薄だということです。ゲーム世界に関してはコンシューマー(消費者)なのです。
 彼らはTRPGでゲーム世界を構築するって発想に乏しいし、はたしてそれが楽しいのかどうだかも知りません。ベンダが用意するものを利用すればそれでいいのです。
 それとは反して、コンシューマーゲームは対戦格闘ゲームから美少女ゲーム、大作RPGと漫画的なキャラクターメディアの宝庫へと変遷してきました。これに影響された彼らは、以前の世代より……ウォーゲーム世代の数億倍以上の……キャラクターに関する発想力が活発に機能します。

 2005年現在、ゲームブック世代は壮年期でもっとも脂が乗っています。この世代は今まさに、自分のゲーム感覚の集大成を作ろうと盛んに活動しています。だが……、いや、だからこそ、自分たちとは素養が違う2000年以降のキャラクターゲーム世代に大きな戸惑いを見せています。自分たちの集大成に助力するには素養が違いすぎて話にならないのです。
 
 結局のところ、その世代差のギャップはウォーゲーム世代がストーリーメディア世代に感じたギャップとそっくりなのです。ウォーゲーム世代はプロ競技ゲームに通ずる戦略眼、勝負強さ、機敏な判断力などを誇りにしており、自分たちの集大成を将棋やチェス、ボードゲームなどの競技ゲームに近づけようと活動していました。
 しかし、その思いはストーリーメディア世代が競技ゲームに対する素養・愛着心が希薄であったことから、次の世代に文化をつなぐことはかないませんでした。

 ちなみに、ストーリーメディア世代にゲームブック世代とライトノベル世代がいるように、ウォーゲーム世代にもヒストリカル・ウォーゲーム世代と仮想戦記ウォーゲーム世代とに分類ができます。
 後者の方は、ツクダのガンダムシリーズなどが主体で、前者に比べるとSFやアニメ愛好者が参入してきた例が多く、オマージュやパスティシュなど二次創作に対して好意的な人たちです。その反面、戦略眼や判断力に関しては夢想的で、ヒストリカルゲーム愛好者にとっては微温い連中でした。
 TRPGに入れ込んだのも仮想戦記世代の方が多かったような気がします。

 ウォーゲーム世代は40代に入って体力的にもモチベーションを維持することが困難になってきています。実の所、彼らが求めた「競技ゲームとしてのTRPGの確立」は他のゲームでも代替可能なことであり、むしろ無形文化的なTRPGよりコレクションという新たなモチベーションを与えてくれるカードゲーム、ミニチュアウォーゲームに転向していったウォーゲーム出身者は10年前にとても多く見受けられました。
 すなわち、彼らは挫折したのです。

 では現在のストーリーテリング世代も40代になれば挫折するのでしょうか。
 あるいは30代のうちに、完全にアマチュア作家に転向しTRPGから去る運命なのでしょうか。

 そうはうまくはいくまい。
 やはり小説家となるには間口は狭い。
 いかにWebサイトに自作小説を載せても満足できない「何か」があるのです。
 彼らは「メディア」を望んでいるのであって、「クリエイト」を望んではいないからです。

 そもそも、自らの創作意欲を第一としている人たちが、なぜ原稿やキーボードから離れ、わざわざ時間を割いて、複数の人間が体面してスタンドプレーの立場からゲームを通して創作意欲を発散させようという、自分の思い描く夢想がメチャクチャにされる危険を顧みないことをするのか。
 
 そこがメディアとクリエイトの違いなのです。
 彼らが求めているのは創作することと同時に、それを社会に発表して披露することなのです。すなわち、彼らは自らの物語をメディアとして「発信」したいのであって、クリエイトが目指す物語の「完成」は発信情報の精度を上げるための二次目的に過ぎないのです。
 
 彼らは「書きたい」からではなく、「読ませたい」から創作するってことです。

 ストーリーメディア世代が抱える危険は、クリエイトとメディアの立場の違いをわきまえておらず、その境目をふらついていることです。作家としてクリエイトに専念するのか、発信者としてメディアで活動するのか、まだはっきりしていません。
 下手すると、このまま中途半端な夢想家のままで40代に行ってしまうでしょう。
 
 ここで穿ってしまえば、メディアとしてのTRPGならBlogと言う逃げ口があります。
 現在30代のゲーマーは、最も盛んな時期に自分のゲーム感覚を集成することなく、中途半端なBlog書きとしてモチベーションを切り売りして終わる可能性があるのです。
 40代になって、自分何やってたんだろと激しく後悔するかもしれません。
 ちょうど40代のウォーゲーム世代が現在悩んでいるように。

 僕も今年30だから、そろそろ自分のゲームを集成する時期に入ってきてます。
 逆に言えば、一昨年ScoopsRPGでWebデビューしたころは時期尚早でした。やはり20代は自分の集大成をまとめようなどとは考えず、挫折もふくめて経験積みに専念するべきでしょう。後ろを振り向かないのは若者の特権……いや、掟です。20代で後ろばっかり振り向いていたらヒッキーになるだけだって。

 
 
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