TRPGではありませんし、そもそもゲームですらない。パーティでの余興に楽しむ遊び道具です。もちろん、TRPGの現場に持ち込んだ所でみんなが喜んで遊んでくれる代物だとも思えません。
ではなぜ、ここでアンゲームなのか。
それはこのゲームが、自己表現をすることを遊びとした遊具であるからです。
TRPGもその半分が表現活動と言えます。ある意味、キャラクター表現とシナリオ表現することを目的とした遊びであるかもしれないのです。
だからアンゲームとの親和性もどっかにあるかもしれません。
アンゲームのシステムは至って簡単。
遊び手はダイスを振って、輪形のマス目を持ったボードの駒を動かします。止まったマス目に「アンゲーム」と書かれていたら、カードをめくって書かれてある質問に答えます。お題は「子供の頃の、特別な思い出について1つ語ってください」とか「もし、あなたが人生のなかの一年をもう一度やり直せるとしたら、どの一年を選びますか? それはどうしてですか?」といった類のもの。
他には「コメント」マスがあり、これは誰かの質問にコメントをすることができます。
以上がこの遊びの基本です。
勝敗もなければ目的もゴールもない。ただカードに書かれた質問に答え続けるという遊びです。アメリカでは30年以上遊ばれているTRPG並に古いゲームではありますけど、日本のゲーマーには無名に等しい存在でしょう。
そもそも内容からしてちょっと立派な王様ゲームなのだし、TRPGゲーマーには彼方の世界にある代物であることは間違いありません。コンパと違ってプレイ仲間の性質や考えなんか知りたくもないでしょうしね。
「TRPGゲーマーに100の質問」なんてのが時折Blogでも見られますけど、暇つぶし目的なのか質問の70%を投げやりに回答している人がほとんどです。プレイヤーとしても、ゲームマスターとしても、ゲーム主催者としても、本人の履歴など必要ないのがTRPGというものです。
あくまでも扱うゲームとシナリオの性質、クラスやアーキタイプだけがTRPGゲーマーの語るべき履歴であって、それ以外は何も語らなくてよい。その匿名性の高さがコミュニケーションとしてのTRPGの特徴であって、以降の濃密な人間関係を築くことを前提としたレクリエーション的遊戯のコミュニケーションとは方向性が180度違います。
もちろん、仲間プレイヤーとツーカーの関係になることはTRPGでも円滑なコミュニケーションが取れ、役割分担も円滑に実行できます。
だが、D&Dやソードワールドの時代ならともかく、現在のTRPG作品はアーキタイプやハンドアウトなど遊び手の役割分担に関するシステムがよく整備されています。そして、現在のTRPGゲーマーはそのシステマライズされた役割分担にとても忠実です。
かつては「俺が表現したいキャラはこんなシステムでは制御不可能だぜ」と言わんがばかりに動く天邪鬼なプレイヤーがごろごろいました。D&DやソードワールドではPCの物語的役割分担などなかったですから、各自が小説や映画などからキャラクター像を自作する必要があり、そこからイメージとシステムとのギャップが生じました。
それがGURPSの登場によって、その方向性がゲームたりえることが垣間見えたものですから、GURPS日本語版登場時はキャラクタープレイ黄金時代でした。この時期が、プレイヤーの表現欲と仲間との折り合いについてもっとも紛糾した時期であり、この回転翼が現在のゲーム感覚……RPGコラム『うがつもの』で見せるものの考え方を養った時期でした。
それが現在では、PCの立ち位置などという物語的役割分担を、かつてD&Dの頃の戦力的役割分担と等しい熱意をもって語られているご時世です。熟練者はいかに立ち位置を遵守してシナリオ展開を秩序だって運営するかを考え、一般ゲーマーは自分がどんな配役を演じるかを考えてキャラクターを作ります。
今のTRPGゲーマーはシステムが提供するセオリーには忠実そのものなのです。昔の気が赴くままにキャラクターを動かしていた人には窮屈に思えるでしょうが、世界観が濃密な昨今のTRPG作品において、限られた時間と一期一会のプレイ仲間で、その世界観を堪能するにはむしろ当然すぎる変化かもしれません。
その結果、現在のTRPGは非常に遊び手の匿名性が高いゲームとなっています。
MMORPGと等しく、プレイヤーの素顔が見えないゲームであり、またそれを表現する必要も読み取る必要もないゲームになりました。キャラクターの役割とシナリオの方向性だけ知っていれば、プレイヤーのHNすら知る必要がありません。
その匿名性の高さは、前の時代にプレイヤー同士の生々しい人間関係からくるトラブルに悩まされてきた反動から来ていると僕は考えています。通常の感情的なもつれはもちろん、結構な数のゲーマーがライトノベル作家気取りにキャラクターへの表現欲を引っさげてプレイしてたもんですから方向性のギャップでよく揉めたものです。
匿名性の高さを主軸として考えるのならば、昨今のTRPGにおけるコミュニケーションの目的とは濃密な人間関係を構築することではなく、一期一会でトラブルなくすっきり別れられる接客技術に近いものかもしれません。
だとしたら、アンゲームのような自己表現は当世流ではないと考えるべきでしょう。
だが、だからこそ次の世代を見据えて考察する価値があるとも考えてます。
なぜなら、誰もがあるスタイルに慣れ親しんでいる時期とは過渡期であり、そろそろ飽きや疲れがくる時期でもあります。F.E.A.Rのゲームによって定着した現在のプレイスタイルももう最先端ではなくなってきていますし、次の世代を見据える時期に入ってきています。
今日はここまで。






