2005年11月30日

「まだ初心者」症候群 〜絶・初心者できないゲーマーの危険性〜

 上級者に真の上級者と僭称上級者がいることを前回話しました。
 今回はそれに似た初心者の話。

 TRPGゲーマーの中には、2〜3のゲームをそつなくプレイし、GMができるゲームが1つはあるという十分即戦力になる技量がありながら初心者を自称している人が結構います。場合によってはそれ以上の経験がありながら。
 そういう人ってのは、プレイ経験を問われればつい「いやいや、僕はまだ初心者ですよ」と答えてしまいます。何度か遊んでいるゲームでも「まだ初心者です」と断ってしまうし、初心者卓など立とうものなら本当の初心者を押しのけてでも入ってしまいます。

 彼ら「まだ初心者」組は扱いに難しいところがあります。
 初心者を名乗っても経験は中級者ですから、GMの問いかけに答えるのが主の模範的初心者プレイヤーの行動から一歩抜け出し、ちょいとクセのあるキャラクターを作ったり、小粋な演技をしようと試みます。
 初心者卓のGMとしては厄介です。GMとしては、それ以前の「何をやっていいのか分からない」という真の初心者にTRPGの基本的な流れを教えるべく卓を立てているのに、そろそろ自分の創作意欲の赴くままにキャラクターを自作・演技したいと意気込む「本来なら」中級者である人が混じってくるのです。
 そういう卓だと、初心者がTRPGの流れをつかむ学習活動はしばしば阻害されます。
 初心者には、何はともあれセッションが成功するよう模範的なゲームプレイを教え込む必要があります。しかし、「まだ初心者」は模範的ゲームプレイから抜け出し、ゲームをカオスへと導くゲーミングを習得する時期に入ってます。彼らのカオティックなプレイは必ずしも初心者に見せていいものではありません。

 それどころかGMがいつの間にか、彼ら「まだ初心者」に中級者としてのコーチングをする羽目に陥ることもしばしばあります。そして、その「演技指導」を目の当たりにして、初心者がTRPGの流れを理解する前に「演技」するのがTRPGだと学習してしまう危険があります。
 
 かくして、そんな初心者卓ではセッションを崩壊へと導くいびつなキャラクタープレイヤーが育っていくことになります。TRPGの流れを理解せぬまま演技を覚えた初心者は、「ゲーム世界を構築する」ゲーミングと、自己陶酔する「なりきり演技」とを取り違えて、場を白けさせたり他のプレイヤーを怒らせたりするだけではなく、NPCとの交渉をフイにしてシナリオを手詰まりさせたりとプレイにも悪影響を与えます。
 そんな初心者が無事にTRPGゲーマーとして独り立ちする可能性などないに等しいものです。

 初心者にまず独力でTRPGをやっていける技量を覚えさせるために、本当の初心者と「まだ初心者」とは厳しく分別するべきでしょう。

◆◆◆

 ところが、「まだ初心者」はもう1つ厄介な所があります。
 彼らは意欲、経験は中級者なのですが、意識の面では真の初心者と大して差がないのです。
 すなわち、中級者として自ら卓を選び、お荷物にならないようゲームプレイングをこなし、他の参加者とのコミュニケーション技術を学ぶという「自主学習」の時期には入りたくない。やっぱり最初に優しくしてくれたGMさんの所から離れたくない。見知らぬゲームをする勇気がない……そういった「巣立ちへの恐れ」を彼らは抱えているのです。
 そんな「まだ初心者」をむりやり非初心者向け卓に放り込むと、萎縮してお地蔵さんに陥る危険があります。

 実の所、彼ら「まだ初心者」は巣立ちする雛鳥と一緒で、まだ卓という巣の周りしか世界を見ていない人たちであることが多いようです。サークル全体の中で、自分とは卓を共にしたこともない人たちを見る余裕もなければ、TRPGサークルという「群集」にもまだ馴染めていません。

 「まだ初心者」の人が中級者になるためには、まずサークル全体を意識させる活動が必要なのです。具体的には会場の設営や後片付け、アンケートの集計や会誌への投稿依頼など、サークル活動に積極的に参加させて、ゲーム以前にまずプレイヤー同士が活動員として交流を持つことが、彼ら「まだ初心者」が独り立ちするきっかけとなります。
 とりあえず、誰の手助けもせずに卓を任せられるようになれば立派な中級者です。
 そこから、自らが教科書となって後進を育てていくという上級者の勉強に入ることになります。

◆◆◆

 前回、優れたプレイ仲間を呼んでくるのが真の上級者、取り巻き奴隷しか集めないのが僭称上級者だと述べましたが、後進の教育という面でもその差がでます。
 つーか、真の上級者が優れたプレイ仲間を呼べるのは後進に自立して活動できるよう教育した賜物だからです。自分がいなくても、それぞれが独自に卓を立ててサークルを盛り立てる自主性がきちんと訓練されているから「優れたプレイ仲間」なのです。そして、彼ら自身もさらに仲間を呼べる人脈があります。
 それに対して取り巻き奴隷は僭称上級者の意を汲んでプレイしているから、黙っていたら誰もセッションを主催はしない。非番の時はコンベンションに散らばるだけで、サークルを盛り立てるなどという全体的な立場に立つ顔ではありません。人脈は当然ながら断絶してます。

 「まだ初心者」の中には僭称上級者に絡めとられて取り巻き奴隷となり、そのまま1人立ちすることなく何年も活動してしまう人すらいます。そういった人はやがて僭称上級者がTRPGを辞める(「取り巻きを従えて王様ごっこをしている」という幼稚なことをしている以上、醒めるのは早い)と行き場を失い、孤独な「ロンリーゲーマー」となります。

 ロンリーゲーマーはとにかく人脈がないから、ゲーマーとして立ち直るのは困難と云えましょう。コンベンションを渡り歩いて飢えを凌ぐか、すべてを捨てて新しいサークルに入って一からやり直すか……どちらも茨の道です。
 そうならないためにも、きちんと人脈を結べるゲーマーになるべきだし、後輩にもそういうゲーマーに育てるべきなのでしょう。

 僕も何年かリタイアしていた経緯から、ロンリーゲーマーとして寂しい状態が続きました。
 今の繋がりを大事にしていきたいです。
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2005年11月26日

人は呼んでほしい。狗はいらない

 年の瀬が迫っているだけに忙しいです。
 この僕とて専業TRPGゲーマーではないので、年末はTRPGどころじゃありません。 
 
 TVのCMじゃ国内初のプロ競技TCGとかやってますけど、TRPGもプロ競技化して段位を設け、プロGMに給料払うシステムを誰か作らんのでしょうか。そうでなければ、熟練ゲーマーがサークルを作って後進を育てるというガイギャックスの普及モデルが崩壊している現在、「上級者」になること、名乗ることにデメリットはあってもメリットはないに等しいです。

 『ロールプレイング・ゲームの達人』の中でガイギャックスは達人の道程を個人としての完成からサークルを経て、そのゲームのコミュニティ、そしてゲーム業界全般へと貢献の場を広げていくものだと論じています。
 
 プレイ履歴が10年以上あっても、自分の名前で1卓集められない無名プレイヤーはガイギャックスに言わせればまだまだ達人には遠く及ばずということでしょう。しかし、一度会ってそれっきりという付き合いばかりしてきたコンベンションゲーマーには、同じ人と二度遊ぶことすら難しい注文。

 散々、自称上級者を叩いてきた僕なのですが、その僕がポジティブな視点から上級者とは何ぞやと問われたら、やはり「いつでも人を集められる人」と答えます。その上で真の上級者と僭称上級者との境目は、前者は良質なプレイ仲間を呼べるのに対し、後者は自分王国に忠実な取り巻き奴隷しか集めないってことを指摘しておきます。

 良質なプレイ仲間と取り巻き奴隷との差は、全員がプレイに貢献しているのと、誰か1人の楽しみに追従しているのとの差です。良質なプレイは、参加者全員が役割分担……他の人の活躍の場を奪わないのが役割分担の基本……をこなし、連携によってパーティの活躍を広げていきます。これに対して、ダメなプレイは誰か1人が完璧超人になって他の人が拍手団になってしまう状態です。

 RPG日本で鏡さんが言いたい上級ロールプレイというのも、TRPGってのは1人1人がそれぞれ事前にこさえたキャラクターを披露するよりも、みんなでシナリオに取り組んで色々と歓談しながらキャラクターを自然に作っていった方が楽しいよってことなのかもしれません。

 う〜む。
 だとすれば、今のTRPGは事前にキャラを作りすぎるってことなのでしょうか。
 事前に決定することが多すぎるから、「事前にイメージしたキャラクター」に偏重して、「プレイ中に形成されるキャラクター」の方が軽視されるようになったのかな。事前キャラメイクの容量が多すぎるから、完璧超人にまでイメージが膨らんでしまう余地が生まれてしまうのかもしれません。
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2005年11月18日

「なんか今日始まったアニメのキャラ名が、俺がキャンペーンで使ってるPCと同名っ。しっ、知らないよそんなアニメなんて。パクってなんかいないってばさ」

 キャラの名前で参考にしているWebサイトが地味に好評なのでリンク欄に再掲載しておきました。名前付けに困っている皆さん、参考にしてください。
 「インカ人の名前がほし〜い」とかいう人は頑張って誰でもどこでもリストを入手してくださいね。

 今日はキャラ名とほほ談第2弾。

 それは『ソードワールド』でキャンペーンをやっていた大昔の話。
 仲間の1人、ソーサラーを選んだA君(仮名)はぎりぎりまで名前で悩んでいました。
 悩むことしばし。ふっきれた彼はおもむろに……。

 「ソーサラーだからソーサにします」

 うんうん。名は体を表す。『ドラゴンハーフRPG』向きの名付け法です。
 そんなわけでソーサラー・ソーサは怪しいアラブっぽい戦士(僕のキャラ)など、みんなと楽しく冒険を続けていました。
 そして3ヵ月ほど経ったある日……。

 「んで、このサミー・ソーサってのもソーサラーなのかしら」

 世間ではマグワイヤとソーサのホームラン競争が注目され始めた時期でした。
 もちろんA君はサミー・ソーサのことなど知るよしもありませんでした。
 だが、一躍時の人になったサミーと同じ名だってことにA君はどうにも釈然としなかったようで、遠慮がちに「改名したいな」なんて呟いてました。まぁ、メンツの半数以上がメジャーリーグのことなんか気もかけない野球ヲンチだったので彼はそのままで続行。無事にキャンペーンを全うできました。
 
 やっぱりこういうのっては不可抗力なんだけどイヤですね。
 たまたまソーサがTRPGゲーマーにとっては比較的縁遠い野球選手の名だったからいいもので、これがアニメや漫画の主役だったりしたらねぇ。ファインだのレインだのいった名前は3サークルに1人は名付けてそうな名前だけど、今となっては「ゆるゆる〜っと、みてみて〜」だし。

 こればっかしは運もあります。
 ただ、どうにもTRPGゲーマーってのはファンタジー脳ですから、きっと無意識に霊感が働いて、漫画家なんかにテレパシー送っている可能性あるかもしれませんね。全然縁がない漫画とか美少女ゲームに自分のイメージしてたキャラクター像とそっくりのキャラが登場して、なぜか「パクられた」と感じた経験すら僕にはあります。

 「それは、君の萌えキャラ像だって漫画やゲームからつまみ食いして造形されてるだけだよ」

 ごもっともで。

ちなみに、なんでこの話を思い出したかと云えば…
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2005年11月17日

積木を楽しむ年頃には 〜玩具としてのTRPGと初心者の心理状態〜

 今日のコラムは子育てに関してです。
 あっ、逃げるなガキども。僕も30なんだし、こういう話してもいいでしょ。
 兄夫婦の子が双子だったもので一族が久々の育児でてんてこ舞いなんだし。

 わざわざ打ち上げの席で祝ってくれたRPG日本の皆さんに、あつく御礼申し上げます。

 ……今日は玩具にスポットを当てて話をしましょう。

 幼児に玩具を与えたとしましょう。
 たとえば積木や粘土、ブロックなどの知育玩具だとします。

 あなたが玩具を与えた親御さんだとすれば、お子さんにはどう遊んでほしいでしょうか。
 見事な造形をしたら、この子には才能ありと褒めたくなるでしょう。
 子供にしかわからない不明なオブジェだとしたら、褒めつつも首をかしげるでしょう。
 目につく物に投げつけたりと、玩具を蔑ろにする楽しみ方をしてたら、思わず叱ってしまうかもしれません。
 何も考えずに口に入れようなら、この子にはまだ早すぎることを悟るでしょう。

 知育玩具というのは、おしゃぶりなどの子供が「もの」というものを認識するための玩具から卒業した段階で必要になってきます。好奇心の塊である子供は、この時期は泣くこと以外の手段で自分が見たもの聞いたものを表現したがります。そこで登場するのが知育玩具であり、その原型としての泥・砂・石・木・水などの自然物です。子供たちはそれらを「いじる」ことから世界に関わることを知るのです。

 子供の発育において、「のびのびと育つ」と「閉鎖的に育つ」との境目は、その子が初期段階においてどれだけ世界を知るかにあります。初めて見たもの、聞いたものが自分の反応にダイナミックに答えてくれることで、子供は想像力の翼を拡大させていきます。泥が団子になって固まったり崩れたり、水が高きから低きに流れたりするのを実感して、子供は自然を実感するようになります。泣いたりオムツを濡らしたり、笑ったりハイハイで歩いたりすることによって得られる親の反応に、子供は原始的な人との関わりを知ります。
 この初期段階で、世界との関わりを得なかった子供は生命力を著しく低下させます。見聞きする物、近くにいる人すべてが無反応では子供は闇の中にいるのも当然で、情緒が不安定になりがちです。世界との関わりのなさは精神に悪影響を与えるだけでなく、病気への抵抗力なんかも悪化するそうです。

 考えてみれば、大人だって光のない独房にいたら発狂するのですし、子供にならいわずもがなです。
 要は人間にも自然にも、多くかまってもらった子供の方がのびのびと育っているということです。

◆◆◆

 ここからはTRPGの話。

 TRPGのプレイヤーも実は幼児に近い童心を露にしてプレイをしています。
 
 TRPGのプレイヤーが見せるゲームへの興味は、幼児が世界のあり方に好奇心を抱くのと同様の「目の前に広がるまだ知らない世界」への関心です。

 TRPGを知る頃にはもういい加減本を読む程度には発達しているはず。僕自身の経験から言えば、初めて『D&D』を読んだ時、冒頭のゲームブック調のミニアドベンチャーを読み進んだことによって心の中のファンタジーというスイッチがONになりました。
 以来、物語世界への想像力というファンタジーのスイッチはONのまま。そこら辺が純然とシミュレーションゲーム(これをSLGと略することにひどく反駁・軽蔑する人たちがいるから略称するのは正直怖い)から入ってきて、その亜種として捉えている大人のゲーマーたちとの意識的な差異があってよく揉めたものです。
 だが、同世代以降……ファンタジーを題材にしたメディアが多く出回ってきた時代の人たちにとってこの感覚は誰もが持っている共通認識なようです。

 シミュレーションゲームの遊び手は競技ゲームとしての戦略眼や判断力にこそゲーム性ありと見ています。それらは戦争で指揮官に要求される才能ですから、戦争の模擬であるシミュレーションゲームにとって当然の要求です。彼らにとってはTRPGは完全なコスティキャン的ゲームなのです。
 だが、小説や漫画などのストーリーメディアから入ってきた遊び手は物語世界を「知る」という知的好奇心を満たす行為を求めます。それはコスティキャンの定義するゲームの条件以前の玩具としてのTRPGと言えるでしょう。
 TRPGがゲームだかゲーム以外のものなのかしばし揉めるのは当然。遊び手の方が様々な出自・経歴を持ち多様化しているのだから、TRPGの存在もまた多様化した総合文化になっているのです。車にしたって性能を追い求める人、デザインを求める人、ドライビングという実践を求める人と様々な人の様々な欲求が蓄積した総合文化となっています。TRPGも然り。

 さて、TRPGゲーマーが童心的知的好奇心を持っているとします。
 ここで出だしの振りが活かされるわけで、TRPGゲーマーがその初期段階……初心者と呼ばれる段階でのびのびと育つか脆弱に育つかの境目もまた、彼彼女がプレイヤーの初期段階の時点でどれだけゲーム世界を知って好奇心を拡大させるかにかかっています。

 いわゆる拡散プレイ……遊び手の奔放な発想のままに動く遊び方……の状態だと何もできないお地蔵さんプレイヤーというのが結構います。以前、『うつむく萌りんにTRPGを 〜カオスとゲーミング〜』で、中級者以上のお地蔵さんプレイヤーの原因は過去にゲーミングで失敗したことが障害になっていると論じましたが、彼らはまさに初期段階での育児教育に失敗されたゲーマーなのです。

 TRPGでも知育玩具でも、プレイヤーの行動に対するリアクションは以下に分類できるでしょう。

1:賞賛    PLの行動がGMや他PLの当為に合致したとき発生
2:乾いた笑み PLの行動が期待を下回ったとき発生
3:唖然    PLの行動が奇異で、GMや他PLの想定にかすりもしなかったとき発生
4:怒り    PLの行動がGMや他PLにとって不快だったとき発生
5:見捨てる  PLの行動がGMや他PLにとっては無害だが、無能や幼稚に映ったとき発生

 ゲーミングの下手なゲーマーってのは、多くが2、3、5の反応しか返ってこなかったって人だと僕は推測しています。2は軟らかい、3と5は硬い無反応であり、反応をする側から見れば子供との関わりへの拒否反応です。
 そういう反応をされ続ければ、プレイヤーの好奇心はどんどん磨耗していきます。
 彼彼女にとって、TRPGとは自分の想像力や好奇心を満たす場所ではなく、他者に追従して楽しませる奉仕活動……それすら「和」だの「コミュニケーション」だのといったポジティブな言葉の糖衣に包まれる……になってしまいます。そうなると彼らは、TRPGをコンシューマーゲームや小説などの他メディアと同じく、観賞と応答しかできない「受け手」としての立場を強いるメディアであると判断するようになるのです。

 初心者をのびのび成長させるにはなるべく2、3、5の反応はしてはならないのですが、TRPGにはそういう反応しかできない人っても結構います。彼らは最近の子供を虐待してしまう親と一緒で、初心者の対応に対する重大な欠陥を持っている人たちです。

 そこにはTRPGのストーリーメディア化が大きく関わっており、その現象は紙芝居などの中期以降の知育玩具が抱える問題ともよく似ています。
 それについては次回。
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2005年11月14日

今度はだましきれなかった 〜エディ・ゲレロ急逝〜






訃報“ラティーノ・ヒート”エディ・ゲレロが急逝=WWE

 WWEで“ラティーノ・ヒート”として知られるスーパースター、エディ・ゲレロが現地時間13日朝、滞在先の米国・ミネソタ州ミネアポリスのホテルで急死した。享年38歳。エディはこの日の夜に開催されるWWEの大会に出場予定で同地に滞在していたが、モーニングコールに応じないため不審に思った関係者が部屋に入ったところ、すでに亡くなっていたという。死因については現在のところ不明で、現地時間の翌14日にも司法解剖が行われる予定。
 エディ・ゲレロは2004年2月にブロック・レズナーを破りWWE王者となっており、2005年初頭にはレイ・ミステリオとのコンビでWWEタッグチームチャンピオンに輝いている。またエディはかつて2代目ブラックタイガーとして新日本プロレスのリングでも活躍し、日本にもゆかりがあった。10月9日には38回目の誕生日を迎えたばかりだった。


 ちょっ、ちょっと待ってくれ。
 ありえへん。信じられん。
 そんな。ここで終わってしまうのかエディ。
 
 ショックです。
 
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2005年11月12日

予言。5年後はソロプレイ専門TRPGが主流になる 〜TRPGの適応人数の低下〜

 最近、確かな定義もされずによぉ使われている言葉に「適応人数」ってのがあります。
 察するに「私はこれだけの人数相手にマスタリングできますよ」という許容PL数をシステム的必然性を以て主張する言葉なのでしょう。
 うがってしまえば、「私がこれ以上捌けないのは私の不器量ではなくて、このRPGが正常に運営される許容人数をオーバーしているという私の合理的判断です」と言いたいが故の適応人数なのでしょう。
 
 人をマスタリングしたいんじゃなくて、システムをマスタリングしたいんですな。

 さて、この適応人数だが「3人」としている人はよく見かけます。
 大抵がF.E.A.R社などに見られるシーン制……シーンごとに1人1人の演出をしているゲームを想定しているようです。『トーキョーN◎VA』や『アルシャード』のサンプルシナリオでは平均5人を想定してハンドアウトとか作っている(『エンゼルギア』は4人だけど)が、どうもBlogとか読み渡っての感じとしては、それでは多すぎるのでしょうか。

 実際、サンプルシナリオをする際にどうしてもPLがハンドアウト数より1人多いなって事態になったらどう対処するのでしょうか。僕なら誰か2人にタッグを組ませ同一シーンをやってもらいますけど、それすらできないほど微妙なバランスだったり、想定外行動を考慮していない一本道シナリオ組んでるGMさんには「できない相談」なのかもしれません。

 それにしても3人ってのは少ないって思うんですけどね。
 
 あっ。
 適応人数3人ってのは「3人までしか裁けませんよ」だけではなく、「私の人脈では3人しか集められませんよ」っても入るのかな。

 まぁいずれにしろ、卓ごとの人数は減る一方です。
 ゲームが遊び手に要求するものが多くなる一方で、遊び手の方もゲームで表現したいことが多くなったのが適応人数低下の原因かもしれません。いわゆるFFのような映画的演出をする大作RPGの世界を堪能させるTRPGならば、遊び手の方も大作RPGならではの映画的演出を求めるということなのかもしれません。
 
 そんなに大層なゲームだと、みんなが主人公でないと要求には応えきれないでしょう。
 つーか、「PC全員自分物語付きの主人公。クライマックスで共闘」というアニメの路線そのままですな。
 それを当たり前だと思われると、誰でも一度は孤立したシーンに立たされて万能的な活躍を強いられるもんですから、『D&D』時代の感覚でパーティの欠点を補う補助役的なキャラメイクをした人はバカを見ます。
 僕も一度、『ダブルクロス』でソラリスがいなかったもんですから、ソラリスで回復役キャラを作ったら、シーンとかいう以前に他の皆さんに「はぁ?」ってな顔された苦い経験があります。「他の人の補助をする」PLがいることに目を疑っていたようです。

◆◆◆

 この前、RPG日本での打ち上げにて一笑に付されたことが1つあります。
 それはいつの日かソロプレイ専門TRPGが出るという予測です。

 PL1人とGM1人のマンツーマンセッション。
 平均セッション時間は1時間。
 デュエル感覚で卓を行き来できるよう、キャラクターの成長や死亡によるキャラクター廃棄などのルールは一切ない、完全ストーリー体感目的システム。
 戦闘は『○ストワールド』などでおなじみのアレ。

 ……なんてのが出たら、ウケると思うんですけどね。
 もちろん、その根拠は「GMの適応人数はどんどん低下してるんだから、そのうち適応人数1名というGMが大量に出るだろうし、彼らに適応したTRPGを用意するしかないっしょ」という酔った勢いがありますけど。

 正直、イヤ。的中しないで。

それはそうと(以下私信)
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2005年11月08日

[エキプロ7]クリスチャン退団か…

クールだぜ

 エキサイティングプロレスシリーズの最新作、『エキサイティングプロレス7』が今冬発売だそうです。6がかなり期待はずれ(CPの動きがヘン)だったので、今度は改善されてるかなと期待してたりします。
 ちなみに、同タイトルは『SMACK DOWN VS RAW 2006』という形でアメリカでは先行発売されているそうです。その北米版によれば今回登場するスーパースターは、

【RAW?】
ジョン・シナ
トリプルH ◎
リック・フレアー
ショーン・マイケルズ
カート・アングル
クリス・ジェリコ ×
ケイン ◎
ロヴ・ヴァン・ダム △
エッジ ◎
クリス・マスターズ
カリート
シェルトン・ベンジャミン
ユージーン
ハリケーン
レネ・デャプリー
ロヴ・コンウェイ
スニツキー
タジリ

【SMACK DOWN?】
バティスタ
JBL
アンダーテイカー ◎
ランディー・オートン
ビックショー
ブッカーT
クリス・ベノワ
エディ・ゲレロ
チャボ・ゲレロ 
レイ・ミステリオ
クリスチャン     ×
ハイデンライク
マーク・ジンドラック ×
チャーリー・ハース  ×
モハメド・ハサン △
デバリ △
オーランド・ジョーダン
ダグ・バッシャム △
ダニー・バッシャム △
スティーブン・リチャーズ △
スコッティー・2・ホッティー
ウイリアム・リーガル
シルヴァン・グルニエ
スパイク・ダッドリー ×
ポール・ロンドン

【ディーバ】
トリー・ウイルソン ×
トリッシュ・ストタラス
クリスティ・ヘミ
リタ
ステーシー・キープラー 
ジョイ・ジョヴァンニ ×
ミシェール・マッコール ×

【レジェンド】

ジミー・ハート
テッド・デビアス
ジャンクヤード・ドッグ
マンカインド
ザ・ロック
ブリティッシュ・ブルドッグ
ブレット・ハート
アンドレ・ザ・ジャイアント
ハルク・ホーガン
スティーブ・オースチン

 WWEを見ている方ならご存知かと思うが、実際には半年くらい前の所属選手が中心です。
 このうち、×印は現在退団。△印は休業中、もしくは不明です。クリス・ジェリコが音楽活動で休んでいるのはわかるけど、最近になってクリスチャンも退団。シリーズ皆勤賞が4人になってしまいました(◎印)。
 つーか、ハードコア・ホーリーいない。辞めてもいないのに不憫な。

【追伸】
レイ・ミステリオを書き漏らしていました。彼がいなくてどうする。
posted by 回転翼 at 16:55 | TrackBack(1) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月06日

友達1人作れないのなら、TRPGはアンゲームよりくだらない

 パソコンを買い換えました。
 前のパソコンを使い続けて丸4年。いい加減うるさくなったし、機能的にも満足いかなくなったので思い切って新しいのを購入しました。
 ただ、しばらくは前のパソコンにリンクケーブルを通してのデータ移行作業が続きますので、またここの更新が遅れがちになります。まことに申し訳ないです。

 では、前回に引き続いてのコラムです。

 前回、アンゲームを紹介しました。
 遊び手の考えを告白を楽しむ遊具なのですが、TRPGのゲーマーってはその手のコミュニケーションをして楽しみたいという欲求はなく、むしろプレイヤー本人は秘密の存在であることを好む業界ではないかと考えました。
 そして、そこから今のTRPGゲーマーが望むコミュニケーションの形は友達を作るのが目的ではなく、見知らぬ人とトラブルなくプレイして気持ちよく別れるのが目的なのではないかという推測を立てたのです。

 なんか寂しい気がしますね。
 僕も30になって古強者の仲間に入りましたけど、僕と同世代以上の人ならTRPGを通しての友達付き合いがとても有益であることは理解していただけるでしょう。
 今、一緒にプレイしている人とはもう二度と会うことはなく、すぐに忘れる存在だから友誼を結ぶよりは無難にやり過ごそう……なんて感覚が当たり前になってしまっては正直暗澹たる思いです。
 だけど、一昔前は僕自身TRPGが匿名性の高いゲームであることを望んでいたかもしれません。前世紀のTRPGは大学などの縦社会サークルが主な基盤で、多くの人が理不尽な村社会メンタリジーに悩まされてきたから、そういうしがらみから解放された環境でのびのびとキャラクターを表現したいという気持ちがありました。
 結果として僕自身はしがらみから解放されましたが、出会う人出会う人すべてが荒野の一匹狼になってしまいました。とにかく、孤独な人が多い。プレイ経験は10年以上あるというのに、自分の名前を使って仲間を募っても誰も応じないという悲しむべきスタンドアローンゲーマーばっかりです。

 もしTRPGを次代につなごうと考えるのなら、人と人との交友を促進する媒介としてのTRPGのあり方を本気で考えてみる必要がありそうです。僕は現行のTRPGシステムでは消化しきれていないメディアとしてのTRPG……遊び手がゲームを表現媒体として想像力・創作意欲を発揮する創作活動……を他のプレイヤーとのコミュニケーションを通して、「不必要なこと」から、ゲームの醍醐味として「必要であること」に昇華させるのが、小説・漫画・映画などの造詣が深く物語を紡ぐことに深い興味があるTRPGゲーマーに合った策だと思います。
 
 アンゲームを取り上げたのも、もしこれをプレイヤー本人ではなく、演じているキャラクターの思考に立ってロールプレイで語れとするならばどうなるのかと思ったからです。
 アンゲームのカードは家族編・ティーン編・こども編と色々なパターンがありますが、もしトーキョーN◎VA編とかダブルクロス編とかあって、プレイ前にライフパスを振る代わりにプレイ中にアンゲームをして、少しずつ表現しながら成形する方式をしたらどんなプレイになるのでしょうか。
 
 世の中にはTRPGより単純で芸がなく、やってる連中も頭悪そうな遊びが幾らでもあります。ただ、知的遊戯だとうぬぼれて遊びが持つ魅力から離れていってしまっては、やはり文化としては衰退する方向に向かうと思います。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(3) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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