2005年12月30日

なんて過酷な年末なんだ

 どうもこんにちわ。
 これが2005年最後の記事となりそうです。
 ですが、今日の僕は大変疲れていますのでコラムをまとめる気力がありません。
 まぁ、この歳ではコミケで壁サークルの売り子を手伝うだけでも肩が痛い腰が痛い膝が痛いわけなんです。

 それ以上に、年末年始は過酷そのものです。
 ただ今実家に一族が集っているんですけど、今年は生後間もない赤ん坊がいるもんですから実家で使える電力の多くを赤ん坊の保育・暖房器具に回されてしまってます。
 然るに、僕の部屋は暖房・照明・電気機器使用不可(ブレーカーが落ちる)。布団から出られず、とほほな年末を過ごしています。この記事も携帯電話からです。

 今年は年末だからといって感慨深くなるようなことはないです。
 まぁ皆さん風邪引かずに。
 ベルスポのがちゃさん、コミケで会えなくて残念です。リプレイ本、読ませていただきます。隠密の皆さんも意外とソフトな方々でした。RPGの壁、遠慮なく批評させていただきます(やるのかい)。

 それでは皆さんよいお年を。
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2005年12月22日

GURPS 4eキャラクターズ買いました

 しばらくご無沙汰でした。
 日記じゃないので無理に書くことないですから。

 『異界戦記カオスフレア』を買いに行ったら、『GURPS 4e キャラクターズ』も売っていたので併せて購入しました。「とんなゲームでもダメな人とプレイすれば最悪になるし、上手な人とプレイすればとても楽しめる」という感覚の僕としては、GURPSもFEAR社ゲームも食わず嫌いなく楽しめます。


 
 4eが出たおかげで、ようやく胸を張って「僕はGURPSに相当入れ込んでいる」と言えるのでしょうか。実際、このゲームが与えた影響力は計り知れません。
 僕らの世代と云えば、TRPGに参入するに『ロードス島戦記』などのライトノベルから入ってくる例が多かったし、イメージ先行な部分がありました。だからTRPGをプレイするのにも常に「独創的なキャラクター」を作ってゲーム世界で表現したいというメディア願望がありました。そのメディア願望が徐々に大きくなっていった環境の中でGURPSがポッと紹介されたのです。自家翻訳者などいなかったから、ほぼ直撃でした。

 そんな状態ですから、未だにキャラクターメイクという点においては、GURPSよりスマートな作品が思いつきません。4eで問題ある訳も少しは完全されたようですし、何年かは心配なくプレイできるでしょう。よかったよかった。

 それでも、「GURPSには愛があるのか」と問われれば、その問いは珍妙だから答えたくないと返します。愛は盲目ですからね。批判を受け付けないどころか、愛の足りない連中を狩ろうと徘徊しますから。

 TRPGへの愛情ってのは経験から云えば危険思想です。自分が想定した醍醐味に不運にも達成できずにいる人がいて、彼がマイナス評価を下すことに同情する気も改善を促す気もまったくありません。すべて「自分への侮辱」と見るわけです。
 その態度は、まるで自分の手足、頭の造形を批判されたことへの怒りに似ています。
 それくらい、自らを体現者として反駁してくる人が結構います。

 特定のTRPG作品に愛を表明するってことは、そのTRPG作品に相当時間と心血を注いでいることの顕れであり、すでにその人のゲーマー人生に組み込まれているってことです。その作品に対する批判は、自分の人生への批判でもあるわけです。
 GURPSなんかは、どんな批判でも大抵はどの卓でも起こりえる、ある程度FAQが作りやすい性質のものばかりです。愛を訴えるほどの熟練者ならそれらの問題に対する解決策を自らの知的財産として所有しているのでしょう。
 そこが厄介な所でして、世の中には自分は解決できた問題を解決できない不運に喘いでいる人がいるってことに気付けないし、気付いた所で優越感を払拭できません。

 TRPGはクイズじゃないから、1ゲーマーが正解を出そうとも他の仲間が受け入れてくれない限り正解とはなりません。何度かのプレイで一番しっくりきた「卓の証に合う」解答が妥当な判断になり、それが正解とされるのがTRPGの解釈というものです。
 
 その現実を、愛を表明する人は決して分かろうとしない。
 
 いくら「お前のは間違っている。正しいのはこうだ」と示されても実際のプレイの中でそれを証明しない限りは(こちら側では)机上の空論なのだし、それには体現者たる者が率先してこちらのプレイ環境に参入してくる他ないと云えましょう。

 そういうことも云わずに、ただネットのやり取りだけで人のプレイ環境をあれこれ教導しようとなど……ねぇ。こっちは蝿がたかってきたという程度の認識しかございません。プレイに誘ってもこない人の説教なんざ蝿の羽音です。
 
 まぁ、そう云えるほどGURPSでは実際にプレイに誘ってきて、実地で教えてくれる人がいて感謝しているということです。

 それではまた。カオスフレアについてはまた後日。
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2005年12月11日

その栄誉に至る道程 〜上級者の区分分け〜

 1つの言葉について意見が異なる場合、それは2つ以上の側面がその言葉の中にあるのでは……と考えるのが僕の思考パターンのようです。TRPGそのものもまた、ゲームとメディアという二面性の楽しさが共有したものだと考えているわけです。

 RPG日本さんの掲示板で俎上に上がった「上級者」という言葉も然り。
 肯定的見解もあれば否定的見解もある。判断基準があると考える人もいれば、悟りのように雲を掴むような境地の末にあるいは到達するのではと考える人、あるいはそんなものにはなりたくないと拒む人、自分は縁がないと謙遜する人、さまざまです。

 察するに、個々人にとってイメージはてんでバラバラ。
 そもそも育ったゲーム環境自体バラバラが当たり前だから、その中で上級者をイメージしろと言われてもバラバラになるのは仕方がありません。
 だが、結局は人を想定しているのだからある程度は類型を上げることができると思います。とりあえず、僕は3種類の上級者像を考えてみました。


技術的上級者:TRPGを円滑に運営するプレイ技術、コミュニケーション、組織運営などの経験を積み、TRPGの運営者としての技術を習得している者。

人格的上級者:多彩なエンターテイメントを引き出せる豊富な知識、旺盛な創作意欲を持ち、優れたリーダーシップと多くのコネクションを持つゲーマーの完成形としての上級者。

資質的上級者:システムを把握する分析力・判断力、プレイヤーを掌握する魅力や戦略眼、優れた話術や好意を得やすい容姿など、ゲームに挑むに当たって有益となる人間的資質において天才的な長所を持つ者。

 
 このうち、最も早く達成できるのは技術的上級者です。
 技術的上級者は戦力的上級者であり、集会において常に1卓を委任できる安定した力量を持っている人です。上級者になるための具体的な技術はここでは割愛しますが、GMとしてならエンタメ性とインタラクティブ性のバランスが取れたシナリオ運営、公正なマスタリング、世界観の再現、円滑な議事進行、プレイヤーの熟年度に沿った教導など、一定以上の査定基準を満たしたセッションをこなせれば、十分即戦力になるでしょう。
 技術的上級者の欠点は、ノウハウを把握すれば誰でも到達できるという即戦力のあり方に対する「味気なさ」です。技術的上級者はTRPGの専門的技術者であり、そこから世の上級者志望者が目指す名誉や徳は「これから作るもの」なのです。その戦歴を加味しないで何の上級者だと思う人もいます。

 人格的上級者はとても長いスパンで見るべき上級者像です。
 この上級者像は人生における偉業としてのTRPGであり、ゲーマー自らの知的財産を示すものでもあります。自らのTRPG人生が有益であったことを、知識と徳、それに広い人脈を以て証明しようとする考えでもあります。
 然るに、人格的上級者の道は10年かそこらでは達成したかも分からぬ漠然とした道です。
 さらに云えば、志望者本人のTRPGにおける到達地点がえらく曖昧になってしまう危険性もあります。技術の上達と、多岐に及ぶプレイ経験からなる達観とを勘違いして、無の境地に入ってしまう人もいます。まぁ「無の境地」など大げさな話ではなくて、要するにTRPGをやること自体が自然に楽しくなってしまい、それを趣味文化として伝播する反省的思考が麻痺してしまうってことです。

 残る資質的上級者は空想的上級者論です。
 『TRPGのスタンドアローン・コンプレックス 〜TRPGにおける資質論とネットワーク〜』でも語りましたが、TRPGの……とみに1つの作品に特定した上級者的プレイ技術とそうでないものの区分はサークル社会ごとにまちまちで、個々人のレベルでは十人十色の状態です。人格にしたところでプレイ環境が違えばその価値基準も違ってきます。そうなると人間の素の資質の優劣でしか上級者か否かを図る物差しがないのではないか……というのが資質的上級者の考え方です。
 簡単に言えば、「できる奴が上級者」です。超人願望でもあります。
 この上級者像の欠点は、上級者になるたの技術や経験を「超人性」に丸投げしてしまうことです。TRPGで発生する諸問題に対処することなく、「それを解決するのが上級者だろ」と無責任な態度に出てしまうのは軽薄という他ありません。スーパーヒーローが一般人に「力があるのだから世界の危機を救って当然」とみなされると一緒。

 僕自身はTRPGを趣味文化して伝播することは重要だと考えるから、技術的上級者への道は嫌悪せず精進してもらいたいものです。

 
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2005年12月05日

TRPGとは俺だ! 〜TRPGに熟練する者の気質〜

 ここ半年、ずっと考え続けてきたことがあります。

 TRPGが複数の人数で遊ぶ意義とは?

 半年もずっと考えてきた理由は、TRPGを遊ぶに適した人数ってのが曖昧で、本当に揃える必要はあるのかという疑問に対する明瞭な回答が得られなかったからです。

 逆に言えば、適応人数などまさに人それぞれ。GMの力量次第で10人もOKならば2人でもダメ。TRPGが複数で楽しめる秘訣ってのはGMの職人芸が優れているからだけであって、TRPG自体は複数で楽しめる意義など提示していないのではないのでしょうか。

 いや、遊びの意義を問うことなどゲーマーそれぞれが培ってきた「芸」に対する誹謗なのではないのか。そのままでは遊び方も定かではない1つのTRPG作品を、他者に披露できるセッションにするべく日々学習・研鑽していったTRPGゲーマーにとって取り組んだTRPG作品は自らのゲーマー人生に欠かすことのできない「血肉」になっています。

 すなわち、

 「TRPGとは何だ!」
 「TRPGとは俺だ!」

 と云わんがばかりに、そのTRPGに対する面白さのエッセンスが自らの知的財産になっているゲーマーなどゴマンといます。つーか、それこそTRPGというものでありました。少なくとも他人のゲーム感覚をそのまま吹聴して、それが正しいと思ってるゲーマーは一昔前の『ドラゴンマガジン』のSW記事を切り張りして持ち歩いていた人たち以外には見あたりません。

 …僕はまだ、2chのログを切り張りしてはセッションの際に提示するゲーマーを見たことも聞いたこともありません。清松みゆきや水野良の言葉ならいざしらず、名もない投稿者の解釈では第三者の卓を鎮める「神通力」はないということですかな。

 その「TRPGとは俺だ!」の状態だから、ゲームデザイン=メンテナンス=ベイにてSeyfertSluw氏が指摘した、
「現状のTRPGでも自分で面白くしてるから」「TRPGは所詮道具だから使う側がTRPGを面白くすればいい」という意識の人が出没するのでしょう。

 なるほど。
 TRPGは30年経って、アマチュア大道芸として確立したわけだ。
 
 TRPGで皆が楽しむってのは、大道芸人がお客さんを喜ばして楽しむのと同感覚でないのか。
 そんならプレイヤーは複数でなくてもいいはず。GMの芸に対する良きお客さんであればソロプレイでも6人パーティでも同じこと。少なくとも、現行のTRPGはプレイヤー1人でも6人でも同じ楽しさを提供できる仕組みをしています。GMの腕が良ければ、1人でも6人と同じ遊びが体験できるわけです。

 だけどね。
 僕はそんな大道芸人ゲーマーがくたびれて辞めていくのを見続けてきたゲーマー人生なんです。TRPGはやっぱり芸ではなくて宴。遊び手も宴の空気の中で躁状態になってるわけで、一時の楽しい思いが、ずっと残る思い出に昇華することは稀。ふと振り返れば、自分はプレイヤーたちにとって出来のいいアーケードの筐体に過ぎなかったのではと思うんですよ。
 なにしろ、知的財産だけだからね。
 虎は死して革を残し、職人芸術家は死しても作品を残す。
 だけど、TRPGゲーマーはどうです。
 TRPGゲーマーも大道芸人らしく楽しい思いとともに記憶から消え行く運命なのでしょうか。

 それでは浮かばれない。

 TRPGのあり方に対する論議・提議・批評など口にした人なら誰しも、
 「TRPGは使う側が面白くしていけばよい」と述べて、TRPG作品の良し悪し、あるいはTRPGのあり方に対する討論そのものが未熟者の迷いであると唾棄する者が目の前に現れます。すべての問題提議人が彼ら「いきり立つ熟練者」との喧嘩を強いられるわけです。
 僕から言わせれば、そのいきり立つ熟練者の陰に「俺はもうそんな情熱持てないよ…」と退潮する者が必ず出てきます。彼が自らの血肉と化したTRPGのバーをどんどん上げていれば、他の人には飛べない高さになることは明白。彼が自らが研鑽した「俺のTRPG」を見せ付ければ見せ付けるほど、そこまでのめりこんでいない人を脱落させる事態を招くのです。

 もうそんな大道芸人的プライドを持った熟練者にTRPGの未来は託せないのではないでしょうか。

 もっとも、『D&D』から『ソードワールド』、『GURPS』、『TORG』、『トーキョーN◎VA』、『ダブルクロス』、『アリアンロッドRPG』……と、30年も経ってTRPGは彼ら熟練者をどんどん追い抜いて変化し続けています。前の作品で研鑽した楽しみ方が次世代の作品では一転し、それに触発されて新しいゲーム感覚を持ったゲーマーが続々と生まれます。
 芸のあり方もまた、時代によって変わるということです。
 「TRPGは使う側が面白くすればよい」という感覚もいずれは過去のものになることだってありえるのです。GM1人が大道芸人よろしくプロ意識でプレイヤーを牽引し、GMの力量によってプレイヤー人数が変動する現行のTRPGのメカニズムすら、別の代案に取って代わられる可能性だって否定できません。

 少なくとも、僕は預言者ではなくて模索者であるから、TRPGが複数で遊ぶ意義を求めるために「TRPGを皆で楽しむにはどうするべきか」という具体的な方法を考えたいのです。
 現行のTRPGでは人数が減った方が1人ごとの世界観追体験の濃度が上がって満足度が上がる仕組みになっています。逆に人数が増えればGMの負担だけが増し、キャラクター1人ごとの存在感が薄れることにもなり満足度が減ることになります。

 これをどうにかして、4人より5人。5人よりも6人集ったほうが楽しさが増すシステムは作れないものでしょうか。
 
 

 
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2005年12月02日

今年はGMする余裕がない。悲しいなぁ。

 右側に第11回卓上RPG研究会の告知を設けました。
 回転翼もしばしば参加させて戴いています。興味のある方はお気軽にアクセスしてください。
 なお、僕はGMとしての参加はほぼ無理。プレイヤーでの参加になりそうです。

 さて、コーエーが『戦国無双2』を発表しました。
 発売は来年2月。エキプロ7もその頃発売でしょうか。

 今回は関ヶ原の合戦を主軸にストーリーを立てるとのこと。
 ……史実で関ヶ原に参戦していたキャラって今の所本多忠勝だけですな。もちろん織田信長、上杉謙信、お市は死んでるし。そもそも1&猛将伝のPCで史実の関ヶ原にいたのも忠勝だけだし、仮想戦記的に「最後は関ヶ原」になるのかな。

 新キャラは風魔小太郎に立花ギン千代。
 小太郎はドルマゲスです。悲しいなぁ。
 立花が出るとなると島津も出るのかな。『戦国BASARA』では島津義弘が出てきたし、ここは期待しましょう。

 そう云えば、戦国無双の織田信長を見て「なんだこりゃ。三国無双の曹操そのまんまじゃないか。パクってやがる」と毒づいた人を何人か見かけましたけど、どう返答していいのやら。忍び笑いをこらえるもよし、ため息つくもよし。
 そんな僕は、劉備が聖徳太子に見えて仕方がありません。
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