とりあえず、今日は彼の要約に勘違いがあるのでそれに反論を。
要約に勘違いがあれば、その後の論理も食い違うでしょうから。
いいよね? 僕の考えの要約なんだから。
要約1に関しては大体は合っています。
ただ、対象の碩学は間違った判断をしていることを留意してください。
問題は要約2.
2.しかし、TRPGに置いて「碩学」であることと、TRPGにおいて重要である「状況判断や発想力を発揮する」ということは、必ずしも一致しない。同様に、「TRPGに上達すれば、現実における状況判断や発想力もそれに伴って上達する」という発想も幻想に過ぎない。なぜなら、TRPGに用いる状況判断は、現実におけるそれとあまりに食い違い、相互に応用させることが難しいからである。
まずは要約文を訂正させていただきます。
2. しかし、TRPGにおいて「碩学」であることは「TRPGに上達すれば、現実における状況判断や発想力もそれに伴って上達する」ことには結びつかない。「碩学」がTRPGにおいて優れた状況判断や発想力を発揮できるのはメタ知識が豊富で判断材料や発想のイメージが具体的だからだ。現実には別の判断材料や発想のイメージが必要であり、TRPGのメタ知識は多く点在する「状況」の中のほんの一状況に過ぎない。現実における判断力・発想力の向上はTRPGの非意識時を含めた、その人のトータルな「状況」における熟達が必要である。
「TRPGに関するメタ知識とそれに基づく状況判断・発想力」は人生におけるわずかな時間にのみ有効な「頭のよさ」であって、それのみで人生における様々な状況判断に遍く発揮できる資質を語れるかと云われれば、違うのではということです。
現実における状況判断や発想力は、TRPGに取り組んでいる時もそうでない時も、意識ある時はいつでも様々な状況の中で分析し判断した、人生そのものの中で培われた判断力・分析力であって、TRPGにおける判断力などは人生経験で培った資質のほんの一角にすぎません。
だから、敢えて「TRPGこそが僕の資質を高めてくれた」というのは偏った物の見方です。TRPGをプレイしなくても、貴方の資質の向上に貢献してくれた機会は幾らでもあったわけだし、それらはTRPGの機会と等価であっても以下ではありません。
いくらTRPGのために知識を研鑽した所で、それは人生の中で多く学んだことのほんの一角に過ぎないのです。TRPGのために研鑽したことのみが資質を形成しているのではないのです。
だから碩学が「自分たちに比べて最近のゲーマーはバカになった」というのは間違い。最近のゲーマーは碩学とは違った「状況」の中でそれぞれ判断力・分析力を養っているのです。FEAR社のゲームがキャラクタープレイのために複雑な仕組みをしているのがその証左でしょう。
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続いて要約3。
3.その経験的な証拠として、TRPGで状況判断の研鑽を積み、社会的成功を収めているという人間を見たことがない。本当にTRPGに現実の成功を約束するメソッドがあるのなら、事態はまるで逆であるはずだ。したがって、「状況判断、意志決定を養うことにより洞察力がつく」とか「ロールプレイによりコミュニケーション技術が上がる」といった事は虚妄である。TRPGはそのような社会的に有意な能力を一切提供しない。
そもそも「TRPGは社会的に有意な能力を一切提供しない」などとは名言も示唆もしていません。これは明らかに白河堂氏の誤解に基づく妄想です。これには率直に謝罪と訂正を要求したいです。
この要約の主題は「TRPGは実社会の役に立つか」です。
僕はその主題自体が愚かしいと考えています。僕が「そんな人間見たことない」と論じているのは、TRPGのメタ知識から編み出した「一状況下での判断力・発想力」で別の社会でも成功した奴は見たことないということです。
「TRPGを通しての人生経験で培った判断力・発想力」が実社会で通用するか否かは別問題です。白河堂氏は要約2から3に移行する間に、「判断力」の意味を「メタ知識から基づくTRPGプレイという一状況下における限定的な判断力・発想力」を、「TRPGを通しての人生経験で培った総合的な判断力・発想力」に置き換えて論じているのです。
そして、対象の碩学もまた同じように「判断力」の意味を置き換えています。
あくまでも、別社会では通用しないのはTRPGのメタ知識であって、人生経験からなる判断力・発想力は別の社会でも役に立つ資質に間違いありません。
そのことを踏まえて要約3を訂正します。
3. 実際にはTRPGプレイという一状況下における状況判断・発想力とその源であるメタ知識で、別の社会でも社会的成功を収めたという人を見たことがない。人間的資質が伸びるか否かは、TRPGを通して培った人生経験の成長に依る所であり、TRPGのプレイそのものは一状況下における限定的な資質を伸ばしているに過ぎない。
僕はTRPGの社会的な地位向上、価値ある趣味文化としての強度を高めるためには、まず遊び手1人1人が「TRPGのある人生」の中で有意義であれと思っています。 TRPGは実業界への足掛りでもなければ、反社会的集団に至る獣道でもありません。人々の営みの中で行われる健全な文化事業です。
僕たちは政治集団でも技能集団でもなく、金稼ぎ集団でも快楽集団でもありません。娯楽に携わる文化集団なのです。権力も技能も、金も快楽も提供はできない。けど、娯楽は提供できます。
TRPGの集まりが「娯楽を提供する文化集団」であるかは別の機会にするとして、そうであると主張している僕としては、まずは文化集団として娯楽を提供する行動を堅持し、伝統としていくのが大事だと考えています。
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最後に要約4。
これに至っては白河堂氏の反駁に依る所が大きいので、要約の訂正とかいう以前の問題です。
それでも一応、訂正しておきましょう。言葉の背後にある思想まで説明する必要があるから、えらくゴツい訂正文になることをお許しいただきたい。
・原文
4.こういった虚妄に惑わされるのは、知識人志向の大学生・大学院生・大学ウン年生である。彼らはTRPGを教養の一端として捉える傾向がある。そして同時に、TRPGがバカの遊ぶゲームだと思われたくないという傾向がもある。バカでも勉強して経験を積めば熟練ゲーマーになれる環境が存在することを彼らは酷く嫌う。強烈なケガレ意識と呼ぶしかない。
・訂正文
4. そもそも「TRPGで頭がよくなるか」や「TRPGは社会の役に立つか」などが問われるのは、本来なら技能を求め提供し合う技能集団である学生層が主体となって活動しているからだ。彼らは学校と同じく、TRPGも教養を提供する技能集団として捉える傾向がある。それ故、何の教養も習得することなく(その認識すら誤解だが)娯楽に興じているだけの遊び手に対する嫌悪感を持つ傾向もある。技能集団としての自覚がない「バカ」でも勉強すれば熟練ゲーマーになれる環境が存在することを彼らは酷く嫌う。娯楽に対する強烈なケガレ意識と呼ぶしかない。
これは「TRPGに価値なしと判断できれば、いつでも全てを売り払うだけの準備はしています」という白河堂氏の宣言を聞いて、確信した考えです。彼は現在のTRPGが自分に価値あるものを提供しなくなった……技能集団として機能しなくなった時点でTRPGからすっぱり「卒業」できる人間のようです。
ともすれば、彼のゲーマー人生は大学を卒業した時点でひとまず終了ですね。
社会人になれば、TRPGの価値探しをする暇すらなくなりますから。「TRPGに価値なし」なんて判断する以前に、「俺はTRPGの価値探しすらできない奴なんだ」と膝をついて絶望する可能性大です。
僕がよく言っている「自己の限界から来る陥穽」です。
社会人を甘く見ないでもらいたいです。
何しろ時間がありません。仕事に集中しなければなりません。仕事が終わる頃には図書館は閉まってます。家庭の事があるので本屋に立ち寄る暇もありません。日々の疲労感と、あちこち異常を訴える肉体。学生の間は当たり前のようにできたことすら億劫になる。そして気がつけば、下の世代の学生たちがガンガン飛ばして自分は時代遅れになったと鬱になる。
TRPGゲーマーとしての社会以上に大事な社会を持った「労働者」という身分のゲーマーが学生に比べてどれだけのハンデを背負っていることか。「TRPGのための研鑽」なんてやりたくても出来ないし、それ以前にモチベーションを保つことすら困難です。
学生には学生のスタンスがあるように、社会人には社会人のスタンスがあります。社会人にとって学生のように問題意識と自己改革が日々発生する進取に富んだTRPGは胃にもたれます。学生からすれば陳腐であろうとも、ストレスを発散させるために変わらぬ娯楽を提供してくれる伝統が社会人ゲーマーには欲しいんですよ。
そこんとこは『更年期障害と倦怠期 〜TRPGゲーマーの体力とモチベーション〜』で率直に語っているのでぜひともご一読願いたいです。20代ゲーマーの皆さんは、こういう世代との同居を迫られているのですよ。
僕としては、技能集団として日々資質を高め合うことには正直尻込みします。それ以上に、文化集団としてこれまでTRPGが培ってきた娯楽の真髄を伝統として次代に繋げる活動の方に集中さぜていただきます。
白河堂氏にとってTRPGは日々新しい価値を授けてくれる日進月歩の世界かもしれません。だが、僕にとってTRPGは20年、30年と長いスパンの中で少しずつ蓄積していくものです。
彼は価値なくなれば辞める、真剣に向き合うことが大事なんだという心構えですが、僕は長い人生幾らでも疲れや飽きがありモチベーションは高低して当然だと考えています。「千里の道も一歩から」というわけで、自分の「道」に対して自然に構えるのが僕のやり方です。
僕はTRPGに価値など求めないと名言したことあります。
第一、「TRPGは社会的に有意な能力を一切提供しない」ことが実証されたとしても、TRPGは本当にヒッピーを生み出すゲームだったとしても、それで一体何が崩壊するというのでしょうか。
役に立たない木は伐採されないから木にとっては利点であるのと一緒。社会的に有意な能力を一切提供しないということは、有意な能力欲しさに群がる有象無象も、彼らを誑かして金をせしめようという山師詐欺師も現れない。マスコミに持て囃されることもなければバッシングを受けることもない。ホリエモンみたいな人が登場することもない。
好いことだらけじゃないですか。
そんなに毛嫌いすることでもないでしょう。
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以上、彼の恨み節に対する僕の返答でした。
正直、これは論理の勝負ではないですよね。彼の結論も相当、感情入っているし。客観的であろうとしてはいるけど、要約を読み違えているようじゃ腹の底は相当激しているんでしょう。彼の半年間の「落胆」はすべて僕への「失望」だったわけで、それを「唖然とした」の一言で見事に吐露してくれました。
彼、一応お詫びの手紙書いているんですよ。
内容は伏せておきますけど、現在の心境とは違う所もあるだろうし、一応これはチャラにしておきます。
今回の記事は、久々に燃えました。徹夜何するものぞ、です。
僕と白河堂氏との仲は実はとっても良好なんだなとつくづく思うわけですよ。
だって真剣に殴り合える仲に進展しているんですよ。馬場秀和氏を見てみなさい。何度挑戦しても暖簾に腕押し。未だ人物像が見えてきません。これほどつれない人、もう相手にしてやりません。
今年は絶対、彼と会わないと気が済みません。
忙しくならないうちに、まずはAマホ。
彼とは今、ガチ。






