かく云う僕の場合、去年1年間でプレイしたゲームを多い順で並べれば…、
1位:アリアンロッド(6回)
〃:D&D 3.5e(6回)
2位:無限のファンタジア(4回)
3位:トーキョーN◎VA The Detomation(3回)
4位:エンゼルギア(2回)
5位:クトゥルフ神話RPG、007、Pendragon、真・女神転生、蓬莱学園など(各1回)
とまぁ、半分以上がFEAR社のゲームでした。
しかも他のゲームはGMやることが多いのに、FEAR社ゲームに限ってはPL主体です。
1番のアリアンはメールで知り合った人んとこにお邪魔してプレイしてますけど、別にハンドアウトとか使わず、前世紀にソードワールドでやってたことをそのまま継承して遊んでいるから、作法にうるさい人には怒られるんでしょうか。
だけど、一番好きなFEARゲームはエンゼルギアです。
Blog活動の中で教えてもらったゲームですけど、今となっては僕の眼鏡から見て代表的FEARゲームとなりました。ドラゴンアームズで些か失望していただけに、(くだらないであろうけど)衝撃が大きかったですね。
だけど、それだけに人を選んでプレイしたいです。システムの初心者はいいけど、世界観で共同幻想がない人とはプレイしたくないです。だからRPG日本あたりで依頼があっても断ります。ヲタク少ないしあそこ。
N◎VAに至ってはシステムの最善手とか最も効率的な技能・神業の組み合わせ、タイミングとか云った「必勝テクニック」など無視してプレイした方が楽しいです。あと、チャクラやカタナが敵対勢力を成敗するよりは、フェイトやトーキーが地味に陰謀を暴く方が好きです。
つーか、カタナ、カブト、チャクラ、それにバサラやハイランダーがいないN◎VAってのもオツなもんです。
偏にFEARゲーと云っても、凡庸なアリアンとエキセントリックなエンゼルギアとはえらく違った作りしてますし、シナリオ展開にしたって僕自身が何か変わったことをしようと一捻り二捻りする人ですから、教科書通りのプレイってことにはならないはず。
僕1人の孤立した感覚からすれば、同じようには思えません。
ではなんでFEARゲーってどれを取っても同じように見えるんでしょ。
或いは、そういう錯覚を人に与えるのでしょうか。
僕自身が感じる錯覚としては、「FEARゲーをプレイしているゲーマーの顔が同じに見える」ってのがあります。FEARゲーがどれも一緒なんじゃなくて、それを遊ぶ遊び手のモチベーションが似たり寄ったりだし、遊び方にしてもなんか整然とし過ぎている。
なんか「これが正しいFEARゲーの遊び方の作法です」ってな不文律が出来ていて、そこから外れることが無作法ってな場の流れを感じてしまうんですよね。しかも自然に行えば予定調和なんですけど、「PCの立ち位置」とか「登場判定のタイミング」とかで意識し過ぎてギクシャクする人ってのも結構いるもんで、「小学校の運動会、入場式のリハーサルで行進の歩調が合わずに何度もやり直しを食らってるもどかしい時間」に似た心境になるんです。
FEARのTRPGとて道具ですからね。
「遊ぶのに飽きた」んじゃなくて「遊ばれるのに疲れた」んじゃ意味が違います。
工夫次第で多様性は幾らでも生まれるのだし、まず遊び手が「FEARゲーはこういう遊びをするものだ」という固定観念を覆せる余裕を持つことが大事なんでしょうか。
それで「普通そんな遊び方はしない」などと罵られようと「TRPGに“普通の遊び方”なんてあるかい」と言い返せるだけの強さがあるのが、確固とした仲間を持つTRPGゲーマーなんですけどね。






