今月はPendragon 5thのGMすることもあり、記事少な目です。
それもあるけど、ここんとこは過去のBlog記事や掲示板なんかを読み返していて、あれこれ模索している状態です。ここんとこ論考ばかりが着目されて、TRPG系Blog自体面白いもんじゃなくなったとお思いの人もいるでしょうし。
今日はRPG日本、馬場理論スレから。
この中でRick=T氏の発言(49番)にちょっと考える所ありました。
話の流れは「TRPGの上達基準って?」という疑問から、Rick=T氏がCoCのロールプレイを基に自らが想定する上達モデルを語った所です。
曰く、
◎プレイヤーAの場合
KP:部屋に入ると女性が倒れている。女性はピクリとも動いていない。
PL:「大丈夫か」と声をかけながら女性に駆け寄ります。
KP:女性は何の反応も示さない。
PL:死んでいるかどうかを確かめます。
KP:じゃあ、[応急手当]+50%で判定して。
PL:成功です。
KP:女性は死んでいる。死んでからそんなに時間は経っていないようだ。とりあえず[アイデア]ロールをして。
PL:成功。何かあったんですか?
KP:君は女性の首筋に何かを刺した痕を見つけた。痕は3つ、ほぼ直線上に並んでいるようだ。
PL:3つ? 首筋のどこら辺ですか?
KP:なら、[医学]ロール。
PL:成功です。
KP:痕は頚動脈の上に沿っていることがわかった。
PL:いったいなんだろう?
◎プレイヤーBの場合
KP:部屋に入ると女性が倒れている。女性はピクリとも動いていない。
PL:「大丈夫か」と声をかけながら女性に駆け寄ります。
KP:女性は何の反応も示さない。
PL:口元に手の甲をかざして息をしているか確かめます。
KP:息はしていないようだ。
PL:頚動脈に触れて脈を確かめます。あと、ペンライトを出して瞳孔反応を……。
KP:女性の脈は無い。脈を確かめようとしている時に、君は妙な感触に気付いた。
PL:何ですか?
KP:女性の首筋に何かを刺した痕がある。痕は3つ、頚動脈の上に沿って並んでいる。
PL:いったいなんだろう? あ、一応瞳孔反応も確かめます。
KP:瞳孔反応も無い。女性は死んでいる。死んでからそんなに時間は経っていないようだ。
(斜線部分は引用)
この両者を比して、後者は医者らしいロールプレイをすることによって、(ダイス運によって左右される不安定な方法ではなく:筆者注釈)効率的に情報を集めることができる。これが上達なのではないかと論じています。
それに対して、Janus氏が「KPの側にも医者のロールプレイを心得ていなければ知識は伝達しない」という理由で反論してます。だが、それはここでは問題ではありません。
僕が疑問にまず疑問に思ったことは、このRick=T氏の上達モデルは『馬場秀和のマスターリング講座』から見て妥当な上達なのかということです。馬場理論を論じている掲示板ですからね。
僕が見た所では、Rick=T氏の上達モデルは妥当どころか非難するべきものになるでしょう。
「3.5.2 演技とゲーム」の項にて、プレイヤーとキャラクターの分離意識を(なりきりによる一体感を防ぐために)を徹底するために、プレイヤーの演技力、表現力が判定に影響することを戒めています。判定に影響すれば、プレイヤーの素の演技力、表現力で代用できる交渉技能などの意義がなくなり、システムが機能しなくなるわけです。
この考えを汲み取れば、上述のモデルで医者プレイヤーが「プレイヤー自身の知識」を以て判定の代用としている行為はプレイヤーとキャラクターの分離ができていない誤ったプレイになる可能性があります。
脈を取ったり瞳孔を確認したりする行為が、馬場氏が優れた意志決定をしたとする方策の提案になるのか、それとも同じ[医学]ロールを演技によって脚色したものに過ぎないとなるのか……その点に疑問があります。
もし脈を取ったり瞳孔を確認したりの作業が、[医学]ロールの中でロールプレイせずとも、
「判定した=脈を取ったり瞳孔を確認したりしたこととする」省略が行われているとすれば、脈を取ったり瞳孔を確認したりする行為は[医学]ロールの結果を受けてKPがロールプレイするものであって、プレイヤーがしても意味がないこととなります。
KPがあらゆる知識を研鑽して、[医学]ロールの役割を十分に把握している(馬場理論的にはKPはそれが求められていると推測)ほど、[医学]ロールのロールプレイはKP主体となります。
ではもし、KPが「判定した=脈を取ったり瞳孔を確認したりしたこととする」という[医学]ロールの役割を認識していなかったとしたら(つまりJanus氏の仮定)、脈取りや瞳孔の確認は[医学]ロールにどう影響するでしょうか。
おそらく、これは優れた意志決定をしたとみなされるかもしれません。KPが容態確認のロールプレイを規定できていないので、キャラクターの医者は[医学]ロールでどう容態を確認したのかも不明ということになります。「○○さん、大丈夫ですか〜」と体を揺すったかもしれないし、顔色を診たかもしれないし、息を確認したかもしれないし、心音を聴こうとしたかもしれません。その中で「脈を取り、瞳孔を確認する」という容態確認には有効的な手段を講じたということで、優れた意志決定とみなされるかもしれないってことです。
すなわち、KP(GM)の知識や技量によって、プレイヤーの同じ行動が「演技」とも「意志決定」とも取られるってことです。医学知識のあるKPなら「医者なら脈を取ったり瞳孔調べたりするのは当然だな。ロールプレイしたって修正はしない」とするでしょうし、医学知識のないKPなら「そうか。それなら具体的だな。修正あげよう」とするでしょう。
だから、KPはなるべく勉強して脚色と方策の差を見極めるようになりなさいってのが馬場氏のGM論なのかもしれません。
◆◆◆
ここからは僕の意見。
この考察から僕が思ったことは、知力判定と技能判定の違いです。
すなわち、
プレイヤーは何をしていいのか分からないから、キャラクターの知性や経験を借りて情報を引き出そうとする知力・精神系判定と、プレイヤーが意志決定を行うべくキャラクターを操ろうとする技能・肉体系判定を同列に扱うのは妙ではないかということです。
技能・肉体系技能は行動の成否を問う「結果」の判定なのに対して、知力・精神系判定はもっぱら、これから行動(意志決定)するための判断材料を獲得するための「考案」の判定です。 だとすれば、技能・肉体系技能の行使には確たる意志決定がありますが、知力・精神系判定には意志決定の以前の段階ということになります。知力・精神系判定は「何を意志決定すればいいのか」知るために振っているのだから、そこには意志決定がないってことではないでしょうか。
上述のモデルで云えば、[アイデア]ロールですけど、これは意志決定したから判定したものではないでしょう。
だから、知力・精神系判定を意志決定の結果としてゲームを進めるのはちょっと問題ありかなと思うんですよ。知力・精神系判定で失敗した場合、「分からなかった」が結果になるでしょうけど、曖昧模糊のままこの先一体何を判断材料に意志決定すればいいんだと迷うことになります。
それ故多くの場合、「キャラクターはどう判断できるのか」というのはGMのロールプレイで決められています。そこで脈を取ったり瞳孔を調べたりする行為が脚色となるか方策となるかが、GMの知識量によって左右されるようになるのです。
馬場氏なら、そこはGMがあらゆる知識を研鑽して想定するべしだとするでしょうけど、日常生活の中で無理なくTRPGをプレイできるようにしたい僕としては、「この技能の持ち主はこういう判断材料が持てる」ということを一例の形でルールブックに明記しておいてもいいんじゃないかと思います。