2006年02月06日

狐の皿とコウノトリの水差し 〜TRPGの知識とネタの違い〜

 TRPGのメタ知識について少し注釈。

 以前、石頭氏が自身のBlogにてF.E.A.R社ゲームの元ネタ、出典はエロゲ、アニメ、漫画ライトノベルばっかりだと喝破していました。それが正しい指摘かはともかく、アキバ系の知識だけで自分たちの活動、治績、意欲と云ったものが語られるのは正直勘弁してもらいたいところ。
 自分たちの引き出しはこんな程度じゃないぞ、と。
 
 前回、TRPGプレイという一状況下における状況判断・発想力とその源であるメタ知識そのものは一状況下における限定的な資質を伸ばしているに過ぎないと指摘しました。トータルな資質は人生経験の中で等価に伸びるものであって、TRPGが他に比べてより効果的だというわけではないとも言いました。

 ところが、そのメタ知識がえらく幅広いのが碩学の碩学たる所以です。
 彼らはTRPGプレイに直接影響するルールブックやワールドガイドの把握から、数値修正を最大限に活用したキャラ作成術や戦術、GMを丸め込む話術やシナリオを読み解く眼力、仲間割れを防ぐ円滑なコミュニケーションなどの「TRPG技術」だけ修めた「TRPGの専門家」というだけに留まってはいません。
 世界の神話伝承から民俗文化などの人文科学から最新のテクノロジー、政治、経済、哲学など、およそTRPGのゲーム世界を構築しそうな知識情報を貪欲に取り入れ、それをTRPGに生かそうというのがTRPGにおける碩学の姿勢です。それを日常的に行っていれば、日々見聞きしたものがすべてTRPGの役に立つような予感が常に働くようになります。

 そういう人たちからすれば人生はすべてTRPGのメタ知識に成り得るかもしれません。
 おそらく日本人の中でも「物知り」揃いであろうTRPGゲーマーの幅広いメタ知識が、TRPGプレイの時のみに限定された資質であるなんてことは到底納得いかないはず。

 TRPG技術という狭い領域ではなく、幅広い教養によって裏付けされたTRPGゲーマーの知識は「限定された資質」などではなく、あらゆる状況で通用するトータルな資質ではないのだろうか? 
 その考えを肯定するならば、「TRPGは人生経験における資質向上に役立つ」と主張するのも理解できます。「幅広い教養はいい資質向上になる」「TRPGは幅広い知識を習得するゲームだ」「ならばTRPGはいい資質向上になる」という乱暴な三段論法です。

 僕もかつては肯定派でした。
 TRPGが単なる遊びではなく、人生経験における資質向上に役立つことを証明することは、自分が趣味に投資した時間と意欲に意義を与え、その意義が普遍的な価値観となって業界に安定をもたらすなどと考えていました。ぶっちゃけ、理論武装したかったんです。
 だが、今はどちらか云えば否定派です。
 TRPGのために幅広く教養を身につけようが、TRPGプレイに限定された資質であることに変わりはないのです。

 なぜなら、TRPGのために役立てようというモチベーションと、同じTRPGゲーマーのために使うという用途のために、幅広い教養もTRPGという一状況にのみ絞られた判断材料としてしか機能しないからです。

 「TRPGのために」と考えた時点で、教養は「ネタ」と化してしまうってことです。
 そのネタはTRPGゲーマー同士に有益になるようカスタマイズされた教養ですから、ゲーマー以外の人にとっては必要のないネタ。TRPGに高いモチベーションを持ち、TRPGに役立つ知識を披露してくれると期待している相手だからこそ通用するネタなのです。

 例えば、『Fate/stay night』の遠坂凛ちゃんを話題にするとします。
 TRPGゲーマーが「TRPGのために役立てよう」と考えるならば、FateをTRPG化するなら凛はどんなデータになるだろうか、GURPSではどう表現しようか、NPCでツンデレキャラを演出するにはどうしようか……などと考えるでしょう。最終的には、PCのアーキタイプやNPCに対する物が中心になり、原作のファンにもアニメのファンにもさっぱり分からない、TRPGゲーマーの視点で見た凛を元ネタにしたPCとかNPCとかがファンタジーとかサイバーパンクとかに出てくるわけです。

 TRPGに役立てるためと考えるならば、「アニメ版の凛の声、植田佳奈でマッチしてる?」などというネタには達しません。そこから植田さん繋がりで「くるみかわいいよくるみ」とか「祐巳ちゃんテラモエス」などと話題が発展することもないです。そもそも、くるみって誰? 祐巳って誰? かもしれません。
 或いは植田佳奈から声優繋がりで能登麻美子さんになったり田村ゆかりさんになったり水城奈々さんになったりして、それで昨年の武道館ライブの時の姫(水城奈々さん)の舞台衣装はどうだったかなんて……。

 そういうことです。
 確かに知識教養は誰でも受け入れることが出来ますが、使う人の用途によってカスタマイズされたネタという形に造形されてそれぞれの社会で活用されているのです。知識教養が幅広いから、TRPGのメタ知識も幅広いなどというわけではないのです。

 狐とコウノトリは同じ皿のスープを楽しめないわけで、誰が飲んでも美味しいスープも浅い皿に注いではコウノトリは飲めず、水差しに注いだら狐は飲めない。でも嘗め回すように飲む狐が浅い皿でスープを飲むのは適していることだし、長い嘴があるコウノトリが水差しで飲むのも適していること。コウノトリが浅い皿だから飲めないことを笑う狐はしっぺ返しを食らいます。
 僕たちも知識教養というスープを、TRPGという特殊なお皿で飲んでいるのではないでしょうか。そのお皿は他の人には変わりすぎてて飲めないかもしれません。逆にTRPGゲーマーには奇妙すぎて飲めない皿ってのも別の社会にはあるかもしれません。

 本当に幅広い知識を活用したいのなら、TRPGのみならず色々な状況で活用するしかないのでしょう。そういう意味では、「TRPGの役に立つかも」と考えてしまうTRPGゲーマーの習性もまた手放しで褒め称える資質ではないのかもしれません。
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(2) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする