あるいはもっと極端に、ずっと同じシナリオを繰り返しプレイするのは我慢ならないかと思います。プレイヤーが脇見もせずに役割分担をこなし、ゲーム目標達成のためのミッションに従事する……いわゆる予定調和に徹していれば、誰とプレイしたってシナリオ展開は自ずから統一されていくでしょう(誰も与えられた役割から脱線しないのだから)。
そうなると、ランダムの領域である戦闘シーンでしかシナリオ展開の分岐点は存在せず、プレイヤーは自分のロールプレイがシナリオ展開に影響を及ぼすことに苦慮する心配がなくなるわけです。ダイス運のなさを未熟となじるゲーマーなどそう多くはありません。
だが、戦闘すらも副次的に考えている人、PCを殺すことを嫌う人なんかは戦闘すらプレイヤーに爽快感を与えるための出来レースにしてしまうこともままあります。そうなると多様性あるシナリオ展開などゼロ。そのGMが鎮座する限り、誰がやっても同じ展開が繰り返されることになります。
あらゆる箇所で定番が繰り返されるのなら、TRPGはコンシューマーRPGと似たようなものになります。それもFFシリーズなど、CG映画を「観進める」ことを主目的としたRPGに。
FFシリーズなどの物語主体RPGを「戦闘システムつき物語鑑賞ゲーム」などと批判する人もいますけど、じっくり楽しみたいなら映画と割り切った方がいいと思います。映画の『ナルニア国物語』で、最初ヘタレのピーターがとりあえず戦えるレベルになっているのかは省略しているけど、そういう放映時間の都合による「省略」がなく、主役が物語の展開に妥当な存在になるまでじっくりと時間を割いて強化することができる「待ってくれる映画」だと見ればそう卑下するものでもありません。
どんな良質な物語でも、2度3度と繰り返しプレイすればさすがに飽きます。あるいは、TRPGはそんな単一の物語再生装置ではない、もっと自在にシナリオ展開は遊び手の行動次第で幾重にも多様性あるカオスを見せるものであると云う人もいます(次回も同じ展開と分かれば、初回プレイすら嫌がるでしょう)。
とみにボードゲームも遊んでいる人なら、同じメンツで同じゲームをしても毎回異なったプレイが楽しめるボードゲームの醍醐味を知っているだけに、TRPGがいつ誰がプレイしても同じ展開になってしまうことに違和感を隠せないかもしれません。
さらに、最近ではコンシューマーゲームも技術の発展に伴いインタラクティブ性の高さを売りにしたゲームが数多く出ており、物語よりもキャラを操作する快感の強さが求められるようになっています。例えば『ドラゴンクエスト8』でふしぎなコインを集めず、錬金釜もカジノもモンスターバトルもせずに物語を「観進める」プレイをする人は少数だと思います。遊び手のニーズが「余計なゲームなどいらん。物語の続きが観たい」というのあればその手に出る人も出てくるでしょう。FFはそういうゲームであり、ドラクエはそういうゲームではないと判断します。
そうした、広大な箱庭世界をコントローラーの操作がまま自由に動け、好きなときにミニゲームが楽しめるインタラクティブ性の高いコンシューマーゲームから予定調和ガチガチのTRPGを見たらどう見えるでしょうか。
TRPG、不自由なり。
……ここまで読んできた方、またしても最近はびこっているFEAR社ゲーム批判かとお思いでしょう。
違うのです。FEAR社ゲームがシナリオ展開技術で統一規格(と云うのがあるかのような)を打ち出したから、それをなぞるだけの面白みのないプレイヤーが急増したなんて問題、『D&D』でも『ソードワールド』でも『GURPS』でも似たような問題ありました。
『D&D』でも毎度毎度が狐と狸の化かし合いダンジョンプレイばっかりだと、『ソードワールド』でもSNEのリプレイ小説にあやかりたい猿マネばっかりだし、『GURPS』でも自キャラのロールプレイ専用ゲームになってばっかりでした。
どんなシステムであれ、TRPGはプレイし続ければ似たり寄ったりの展開になる宿命からは逃れられないのです。
なぜかって?
確かに個々のシナリオでは多様性ある展開が望まれています。
一緒に遊ぶ仲間が不特定でも、システムが変わってもまぁ了承できるでしょう。
だが、TRPGをプレイするというゲーム活動そのものに関して、あらゆるゲーマーは変質を望んでいない。最初に見知ってから培ってきた「TRPGで遊ぶ」という行為自体は変化が起こってほしくないと考えるからです。それくらい、TRPGは知的財産や人生経験に影響を及ぼすものなのです。
僕もゲーマーとして10年以上のキャリアがありますけど、とみに通信メディアの発展に伴い、Q2のパーティラインから現在のインターネットまで技術的には進化したけど、30年来のアナログ環境を崩せるほどのものはまだありません。
サイバーパンクのレベルになるまでは無理でしょう。それでも、「携帯コンテンツにTRPGを」、「PSPに電子ルールブック付き通信プレイ対応TRPGチャットを」などと模索はしているけど、なびく人はいませんね。
すなわち、
「TRPGで遊ぶということ自体には定番を求めている」
ということです。「伝統」と云ってもいいです。
シナリオやシステムで多様性があってもいい。
だが、今まで培ってきたTRPGに関する固定観念を覆すほどの、まったく別の心境でプレイしなきゃならないなんて事態は避けてほしい。大本は初めて楽しんだ頃のままであり続けてほしい……。
TRPGは革新ではなく、伝統の堅持によって支え続けられてきた30年なのです。ボードゲームのように『人生ゲーム』から『Shadow Hunters』までまったく違うゲームが多種多様に存在しているゲームではなく、コンシューマーゲームのように『戦国無双2』から『おいでよどうぶつの森』までまでまったく違うゲームが多種多様に存在しているゲームでもない。
どんなシステムであれ、誰とプレイしようとも、いつまでも変わらぬ楽しさを提供してくれるクラシックなゲーム……それがTRPGの根源的なニーズなのかもしれません。
表面的なシナリオ展開やロールプレイ技法に多様性を求める人はあれど、そのために自分が培ってきたTRPGの思い出まで一変させられるほど別種のゲームをやろうという覚悟の人はどれだけいるでしょうか。
ボードゲームではそんなこと頻繁に発生しますよ?
いくら「今のTRPGは間違っている」と云っても、根源に「俺が楽しめたあの時代に帰ろう」では歴史は繰り返されるだけでしょ。
上っ面のシステムやプレイ技法だけ変えた所では30年来のTRPGの伝統を覆すことは困難です。『トーキョーN◎VA』と『エンゼルギア』は確かに違うゲームだけど、プレイの伝統という根っこはつながっているでしょう。巷にFEAR社のゲームを「みんな同じに見える」という確信なき意見がボコボコ上がり続けているのも、システムやプレイ技法、世界観だけでは割り切れないもっと根の深い所でつながっていると感覚が告げているからかもしれません。
まぁ、色々云ってみたけど、僕個人としては「えっ!? これがTRPGなんですか? こんな楽しみ方もあるんだ」という類の驚きをしたことはそう何度もないわけで、むしろ「いつもやってるTRPG」が新しいシステムでも通用することに安堵を覚え、故郷の原風景に感慨するような感覚の方をよく味わっているということです。
だからゲームマーケット2006では飲まず食わずで閉会間際までリミッター解除でゲームやりまったんですけど。最近はボードゲームも実に多種多様で勢いがありますよ。これに比べればTRPGは精彩に欠けるのでしょうか。
『ルーンバウンド』もプレイしたけど、アークライトの人からアメリカでもルンバのようなTRPGっぽいボードゲームに徐々にプレイヤーが流出しているとのことを聞いて、そう思いましたよ。
(ゲームマーケット2006の感想は後ほど)
訂正:Shadow Huntersでした。






