2006年08月29日

涼宮ハルヒの呼び声

 副題は「もし涼宮ハルヒをクトゥルフでプレイするなら」です。

 以前、『涼宮ハルヒの憂鬱』をTRPG化するならアイディアがあるなんて云いました。アイディアというより『比叡山炎上』にインスパイアされての突飛な思いつきですけど。
 この設定のもとで『クトゥルフ神話TRPG』をするなら、ハルヒを知らないRPG日本の面々とでもハルヒTRPGを出来るかと思いますし、逆に原作ファンの方にも、TRPGらしい本家取りを楽しんでもらえるかもしれません。

 そんなわけで、さまざまな方法でこのBlogに来た『涼宮ハルヒの憂鬱』ファンの方々、俗にクトゥルフ神話と呼ばれるH.P.ラブクラフトの怪奇小説、『クトゥルフの呼び声』の世界を知らないという方々にはわけの分からない話です。この機会に挑戦してみてはどうでしょうか。



◆◆◆

【邪説その1】
涼宮ハルヒはニャルラトテッブの千の化身の1つである。
 
 彼女の稀有な奇抜さや大胆さ、万能的な才能ときまぐれな発想は、彼女がニャルラトテップの千の化身の1つであるとするならば容易に説明がつきます。ニャルラトテップの化身の1つである涼宮ハルヒは外なる神アザトースの意志を体現するべく、「世界を大いに盛り上げる」という名の下にSOS団を結成。世界を混沌に導こうとしています。もちろん、きまぐれなニャルラトテップにとってはアザトースの意志も大した問題ではなく、ただこの退屈な世界が、(這い寄る混沌によって)面白くなることを楽しんでいます。
 彼女はその活動の一環として、人間で探索者であるキョンと接触。彼を古泉の言葉で云う所の閉鎖空間……ドリームランドに引き入れることに成功します。彼女はキョンがそのままドリームランドに留まることを望んだが、キョンは現世に戻ることを選択し、彼女の陰謀は未遂に終わりました。

【邪説その2】
長門有希は冥王星から飛来した《ユゴスよりのもの》ミ=ゴである。

 長門有希はユゴス星(冥王星)を拠点とする種族《ユゴスよりのもの》ミ=ゴの変身した姿であるとするならば、超越した技術を持ち、惑星間移動が可能な種族なだけに、彼女が人類を超越した高速情報処理能力を持っていること、そして地球に来れる能力を有していることが符号します。
 おそらく、外なる神の代弁者であるニャルラトテップ……涼宮ハルヒの動向を見守るために地球に来たミ=ゴの一員……長門有希は探索者であるキョンに接触。宇宙人であることを告げ、キョンの正気度を下げることになる。
 だが、ニャルラトテップを礼拝しているミ=ゴの中にニャルラトテップをより活性化させようと考える者がおり、かねてから傀儡……ミ=ゴは人間の脳を取り出して保存。残った肉体を操る技術を持っている……として用意していた朝倉涼子を操ってキョン殺害を謀るが、あくまでも観察続行を続ける長門によって抹殺されました。

【邪説その3】
朝比奈みくるは未来から精神交換で乗り移った《イスの偉大なる種族》である。

 朝比奈みくるの正体は、人類誕生のはるか以前に地球で栄えた《イスの偉大なる種族》であると推測されます。イスの偉大なる種族は精神生命体であり、他の種族の身体を乗っ取って生きています。彼らはその精神を時空を超えて移転することができ、現在は人類滅亡後に生息しているカブトムシ状の生物に乗り移っています。
 ニャルラトテップ出現を察知したイスの偉大なる種族は、現代の人間……本来の朝比奈みくるとの間に精神交換を行い、みくるとしてハルヒに接触しました。本来の、書道部にいたとかいうみくるの精神は超古代にあったイスの地底都市にあります。

【邪説その4】
古泉一樹は旧き神々の知識を持った魔導師である。

 古泉一樹は人間です。ただし、超能力者というのは彼なりの穏当なごまかしであり、その正体は古代から禁断の知識を受け継いできた魔術結社の一員です。彼の修辞の多い謎めいた言動は、魔術に接することによるクトゥルフ神話知識の増大と、それに伴う正気度低下が原因です。

 キョンに関しては邪説というものはありません。
 彼はこの世界における探索者であり、プレイヤーの立場にいる唯一の存在です。この世界において探索者とその他一般人との間には、日常の薄紙一枚隣りにある宇宙のおぞましき不可思議に接する鋭敏な感覚の差があります。冷笑家であるキョンはつい他人を観察する性癖があり、涼宮ハルヒという存在を前に、普通の人間なら変人と切り捨て、自分はそんなにヒマでないと関係を避けるであろう問題児をつぶさに観察し始めてしまいました。これはキョンが探索者としての資質……猫殺しの好奇心を持っているが故の業です。
 結果として、彼はニャルラトテップによってこの世界に混沌を呼ぶべく宇宙人(ミ=ゴ)、未来人(イス)、超能力者(魔導師)が集うおぞましき集団……SOS団に強制入部されられ、日々狂気と戦う羽目になるのでした。

◆◆◆

 というわけで、僕が>、『涼宮ハルヒの憂鬱』をTRPG化するならばと思いついたアイディアとは、「この世のおぞましき存在と1つ同じ屋根の下で活動する」ホラーTRPGなのです。
 ニャルラトテップであるハルヒは、退屈だと思えばこの世界をぶち壊せる力を有しています。古泉が「神人」と呼んだ謎の巨大生物の正体は《夜のゴーント》かもしれません。
 PCであるキョンら探索者は、彼女が世界の混沌を招く存在だと云う事実を胸の奥で感じながら、彼女のために世界を大きく盛り上げるべく活動をしなければなりません。それが狂気の螺旋階段を1段ずつ下っていく行為だとしても……。

 う〜む。
 ニャル様ご機嫌取りTRPGか。シュールです。

おまけの邪説
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2006年08月28日

良からぬモノに取り憑かれる前に 〜TRPGでの休憩〜

 今日はTRPGにおける休憩のお話。
 僕自身もなかなかうまくいかないことだけど。

 TRPGは適度な休憩を挟みながらプレイするべきでしょう。
 具体的にはプレイ1時間ロスタイム5分ごとに5〜10分間の休憩。クライマックスに戦闘を用意している場合にも5分間休憩……これを目標としたいです。休憩時間ごとにうまくシナリオを段落付けられれば理想的です。

 だが、なかなか休憩が取れないのがTRPG。
 本来なら時間管理もGMの仕事なんですけど、シナリオが一段落つけなかったり、何十分も熱演するプレイヤーを静止できなかったり、1人2人しか対応できなかったりと、いろいろな理由で何時間もズルズルとプレイしてしまいがちです。
 
 そこで思い切って休憩を取るのと、心に区切りがつくまで時間無制限でマスタリングするのとでは、どっちがより効率のよいセッションがとれるでしょうか。

 休憩を取る利点は集中力の回復です。
 強い意志のもとで感覚を鋭敏にするのが集中力ですけど、一般には20分が限度とされています。そこまで爆発的に意識を研ぎ澄まさくても、1時間ぐらいが限度でしょう。限度を超えて集中しようとすれば、その効率は大きく下落するようです。
 集中力の下落を回避するために、1時間に10分の休憩が必要となるわけですが、10分以上休憩させては意識が緩みきってしまいます。昼食など30分以上かかる休憩の場合は、午前中のセッションに得た勢いは一旦リセットしたと思ってかかった方がいいでしょう。

 休憩の内容にしても、ただダラダラとトイレに行ってお茶を飲む程度ではダメでしょう。公民館の外に出てストレッチするくらいの運動をしてこないと、朦朧とした意識の回復はままなりません。酸素の少ない場所に篭ってるんでしょうしね。

 これに対して、なるべく連続してプレイを続ける意義を挙げろと言われれば、テンションに尽きると思います。

 集中力とは似て非なるものとして興奮状態ってのがあります。
 云わば「熱血」「感情移入」「萌え」というやつですけど、自らが没頭している存在を抑制することなく表現するってのはある種爽快感を伴うことです。日頃は妄想に過ぎない脳内世界が、TRPGの場ではシナリオやキャラクターのとして実現が与えられる……その解放感は確かに得がたき物です。
 だからTRPGのみならず、趣味人としてはテンションの高い空間に1秒でも長くいたくなるのは自然とも云えましょう。

 TRPGゲーマーの中にはテンションに高い信頼をおく人もいて、テンションを上げて物語に没頭させることがセッションを成功させる秘訣だと考えています。そうしたゲーマーは一旦休憩を入れてテンションを下げるとゲームの勢いがなくなり冷めてしまうと考えるのか、ノンストップで何時間も続けてしまいがちです。

 はたして集中力を取るべきなのか。
 それともテンションを取るべきなのか。

 僕自身としては、回復が難しいであろう集中力を優先させるためにも休憩をこまめに取るべきだと考えます。
 集中力が途切れると判断力がどんどん低下するものですけど、その状態でテンションを上げれば理性が吹き飛び、情緒が暴走することになります。いわゆる「壊れる」ってやつですけど、何時間もプレイしてるとロールプレイが壊れてくるものです。
 僕自身、徹夜でプレイした経験もありますけど、何かに取り憑かれたかのように喚きだす者、怪鳥のように笑う者、死霊のごどく言葉にならない呪文を呟く者……要するに全員、自分で何を言っているもかも分からなくなってくるんです。
 ……それ以前に、徹夜明けの朝6時に始めるセッションなど、全員寝落ちで終わってしまいましたけどね。
 ノンストップでプレイし続けると、良からぬモノに取り憑かれる危険があるので、僕としては断固として慎むべきだと思います。
 見てて楽しい光景でもありませんし。

 今はまだ続けられる限り続けてしまう姿勢の方が主流だと思いますけど、プレイ時間を短く区切って休憩を取り、集中力を回復させながらプレイした方がプレイヤーのためにもいいんじゃないかとは思うんですけどね。
 
 ただ、昨今のTRPGは昔と比べて単独行動が多くなり、テンションの高さや集中力の消耗にバラつきがあるので、休憩を取るタイミングを取りづらいという問題があります。
 今ここが俺の見せ場とばかりに熱血ロールプレイをしている傍らでは、登場する必要もなく出番のないプレイヤーが寝ている……なんてことも昨今ではあり得る話です。
ラベル:TRPG 集中力
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2006年08月21日

TRPGはもっとも小さなセカイ?

 以前、そろそろiPodをと書きましたけど、実質4時間弱というバッテリー容量の関係で最初目星をつけていたiPod nanoが候補から脱落。結局、長年愛用しているi-RIVERからT30を購入。6月末にオンラインと直営店限定販売として出た2GBモデルです(通常は1GB)。なかなかいい感じ。

 今日はセカイのお話。
 ラノベにはまるで自信のないので、軽い言及に留まりますけど。

 セカイ系と呼ばれるエンタテイメント形式の図式は、「自分 ⇔ 社会 ⇔ 世界」という個人と世界のあり方のうち、社会性が抜き取られて個人の自我が直に万物根源と向き合い物語を構成するというものらしいです。
 詳しいことは各自検索して知ってください。

 セカイ系がどうのこうのと云う話を聞いて、TRPG畑で活動する僕としては、TRPGにもセカイ系の影響はあるのかどうか気になりました。
 
 TRPGの作品自体に関してはセカイ系視点が楽しめるゲームもあります。井上純弌は典型的なポスト・エヴァンゲリオン症候群ですし、『エンゼルギア』なんかは主人公PCと主要NPCとの関係だけで世界が構成される典型的なセカイ系TRPGかもしれません。
 
 まぁ、そんなことはどうでもいいんです。
 今回のコラムが掲げる本当のお題は「セカイ系なプレイヤーっていませんか」ということです。
 すなわち、

 「PCを操るプレイヤーの自我 ⇔ ゲーム世界の設定 ⇔ ゲームプレイが生み出す物語」

 という自我、社会、世界のあり方のうち、社会に当たる「ゲーム世界の設定」が抜け落ちて、プレイヤーの自我を直接ゲームプレイにぶつけている人がいやしませんかってことです。
 
 なぜそんなことを考えるのかと云うと、活躍する人と、活躍を用意してくる人から発想が伸展したことがあります。それは、TRPGの根源であり技術であるロールプレイについても、キャラメイクで請け負った役割を演ずるロールプレイと、TRPGに関わらず普段から蓄積している「表現したい何か」を発露するロールプレイの二種類が存在するのではないかということです。
 「ロールプレイをする人」と「ロールプレイを用意してくる人」ってことです。

 『D&D』で云えば、キャラ作成によってローフル・グッドのパラディンをすることになり、ルールブックの指針に沿って、“プレイヤー本人の性質はひとまず置いといて”善良なパラディンを演じるのが「ロールプレイをする人」です。
 これが「ロールプレイを用意してくる人」の場合、自分の理想像はローフル・グッドのパラディンであると創作意欲を昂ぶらせており、自分自身の性質とも合致していると思い込んでプレイします。

 パラディンが理想像だってのはちょっと香ばしい喩えですけど、TRPGやってると、ゲームの世界観そっちのけでラノベやアニメにかぶれたとおぼしきキャラ設定を用意し、場の空気も読まずに演出して喜んでいるプレイヤーってのは結構見受けられます。

 結局はこのBlogで何度か取り上げたTRPGにおけるコミュニケーションと自己表現とり違いの差なんですけど、こうも自分の世界を引っさげてGMと直接物語作りましょとはりきるプレイヤーが存在する(しかも結構な量)ともなると、これはTRPGのプレイ現場という「社会」の中で、それを喪失して創作意欲という自我と、ゲームプレイという世界が密接してしまった「セカイ系TRPGゲーマー」ってのがいるのではないか……とも思ってしまうわけです。

 TRPGの遊び手の中には、セカイを持った人がいる。
 それが実在するかどうかは分からないけど、GMや他のプレイヤーたちはセカイ系に付き物の「神視点の主人公に実存を与える脇役」を演じるよう勝手に期待されるのだけは確実でしょう。
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2006年08月17日

コミケ70お疲れさまなの

 コミケ70が先週末(このBlog的に用があるのは非電源のある11日金曜日)に開催され、この回転翼も出向きました。何人かの知り合いとも再会し、またたくさんの同人TRPGを入手して意義のあるコミケになりました。
 コミケでお会いした方々、またどこかで会いましょう。

 ……。
 今年の夏は『涼宮ハルヒの憂鬱』TRPGが出てくると仲間内に宣言してしたのですけど、さすがに4月期のアニメをTRPGにするのは時間が足らないのか、発見できませんでした。
 
 そんなわけで、コミケ70で一番非電源的にウケてたアニメは…。

 『魔法少女リリカルなのはA's』

 でした。2作もありました。

 ……おっさんどもには絶対分からんぞ。
 
 今回購入した同人TRPGはいずれこのBlogでも取り上げるのも一興なんですけど、オリジナルTRPGを作者がいないところでプレイしたらえらく反感を買ったなんて話をこの前聞いて、たとえ即売会で販売していても、自作のTRPGが見知らぬ他人の評価を受けることに我慢がならない人だっていることを懸念しています。

 ちなみに、このBlogも12日夜半から13日にかけて大幅にアクセス数が減少しました。
 …おかしいな。TRPGのゲーマーは男性向け同人誌なんか目もくれない反ヲタクが多いと思ってたんですけど。
 
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2006年08月10日

まずはサイコロを振ること 〜TRPGの「敷居の高さ」視点〜

 今日はダイスの話を。

 よく6面体以外のダイスを用いるTRPGは敷居が高い、ゲーム初心者に敬遠されるマニア要素ではないかという意見を聞きます。それが発展して、入手しやすい6面体のみ使用するゲームこそが初心者向けTRPGの必須条件だと思っている人もいるはず。

 気持ちは分かるが、僕から見れば「コアなマニア」が「コアと呼ぶほどでもないマニア」の視点に立って、初心者に受ける方法を考えているように見えます。まだまだ部外者の立場に踏み入りきれていません。

 敷居が高いということはどれほどのものか、少し考えてみましょう。

 まず第一に、TRPGを遊んだこともない素人さんにとっては4面体も6面体も20面体も関係なく、サイコロを使って遊ぶゲーム自体に経験が乏しいことが予測されます。
 そもそも、TRPG以外に日本の青少年少女が、日常的な遊びの中でどれだけサイコロを使っているか考えてみてください。おそらくは双六の中でも古典的なもの(『人生ゲーム』など現代的な双六ともなれば、専用のルーレットが付属している)以外では、それこそ麻雀のみになるかもしれません。
 もちろん、『太閤立志伝』のファンでもない限り、「ちんちろりん」などのサイコロ遊びなんか知りようもないでしょうし、丁半賭博の経験者などいたら昭和以前の語り部的存在です。

 おそらく、TRPGを知らない日本の青少年少女にとって、サイコロを使っての遊びなんて双六と丁半賭博しか想像できないと思います。そんな状態の素人さん相手に、20面体が6面体になったからと云って態度が軟化するとは到底思えません。

 だが、日本のTRPG業界はそれを「軟化する」と言い張ってきました。
 別にこの業界が視野狭窄だったからではありません。初心者初心者と云いますけど、見知らぬ人の集まりに出向いては辻説法などの布教活動をするスタイルではなく、サークルやコンベンションなどの僧院を構えて人を待つスタイルで広まったTRPGにおいては、すべての初心者が僧院の門を叩いた「入門希望者」であり、「なんでゲームをやるのか」程度のモチベーションは口説かれるまでもなく備わっているのです。
 そんな彼彼女は未知のゲームをプレイするという敷居はクリアしており、どれだけ馴染めるかという次のステップに入っています。ここで6面体オンリーか多種類ダイスがいいのかという問題が出てくるのです。
 
 すなわち、TRPG業界では双六や丁半賭博ではないサイコロゲームの意義を問う必要もなければ、問われることもなかったということです。

 本気で素人を想定するなら、「なぜよく見かける6面体ではなくて、専門道具めいた20面体などを使うのか」というレベルではなく、「なぜサイコロを使うのか。双六や丁半賭博とは違うのか」といったレベルにまで落として意義を考える必要があるのではないでしょうか。

 付け加えて僕の経験から云わせてもらいますけど、ダイスの種類によって敷居が高い低いかなどは実際のところ、ほとんど影響しません。
 入門者のみならず、敷居が高いか低いかを判別する基準はダイスの種類ではなく、「どれだけ計算をさせるか」、「どれだけ数値修正を参照させられるか」という2点であり、ひいては「どれだけ自分の行動が専門的な処理によって素人目には分からないものにさせられるか」ということです。

 一言で云えば「不透明さ」です。
 自分の振ったダイスがどれほどの結果を招いたのか、自分で判断できないゲームが優しいゲームであるはずがない。いわんや、その判断を他者たるGMが管理しているゲームともなれば、はたして自分は自分の意志でゲームをコントロールしているのか……それすらも分からなくなります。
 
 人間は頭だけでゲームをやっているわけではありません。
 大事なのはゲームをしたという実感であり、それには拙いなりにも自発的行動……自分の発想で行動し、自分の手でキャラクターを動かし、自分の心で行動結果を受け止めることです。
 言葉にすれば難しいようですけど、そんなことはどんなゲームやスポーツでもごく自然にやっていることです。
 「分からないでもいい。まずやってみよう」で、まず体感することから始まる趣味文化の中で、TRPGはむしろ体感より前に理解を求める傾向があるように僕には思えてならないのです。

 ちなみに、僕は多面体はむしろ素人受けが良いと考えています。
 どんな趣味文化でも、日常手にしない専門道具を手にすれば気が高揚するものです。6面体以外のサイコロなど、TRPGを知らない人にとっては間違いなく目新しいものです。所詮はサイコロですから、触るのもキモいってほど奇怪なものでもありません(不潔なのはダメですけど)。
 
 ただ、アイテムとしての多面体は素人受けがいいんですけど、多面体を用いたTRPGシステムともなるとこれが不透明なものがものが多くて、なかなかお勧めできないのが辛いところです。
ラベル:TRPG
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2006年08月07日

山崎邦正vsモリマン戦を大晦日に観たい!

 昨日のHero's観てそう思いました。とくに最後の桜庭戦は勝敗以前に、運営側の杜撰さが浮き彫りになった試合です。打撃もらって半失神した時点で止めなければダメでしょう。レフリー、ジャッジ、セコンド、ドクターすべてがまともに機能していませんでしたね。最初なんか、格闘技を食い物にしているとしか思えないほど信用が失墜したTBSの意図が働いているかと思ったぐらいです。
 谷川プロデューサーに関しては僕がとやかく云うまでもないでしょう。  「何かあった」時に現在ふじみ野市が糾弾されているような「危機管理意識」というものを真正面から受けるのはこの人なのだし。

 総合格闘技はプロレスと違って加減利かないんだし、選手だってプロレスラーと違って興行者としては素人なんだから、「何かあったら」という事態は十分起こりえる。いくら桜庭がプロレスラーだと云え……人の価値観はそれぞれだけど、僕からすれば桜庭や美濃輪育久なんかは本家プロレスからはもう十分距離を置いている選手なのだし、体質もプロレスラーとは違っていると思うんですけどね……、打撃を耐え忍んで反撃するスタイルこそプロレスなんだというプロレス風の観方をしててはダメでしょう。
 
 力道山じゃないんだからさ。

 今回のHero's、結局は桜庭が「生きている」ことに救われた感はあります。もちろん、深刻なダメージを受けたことには間違いなく、何事もなかったわけではないにしろ、「運悪く殺人現場を目撃してしまった哀れな視聴者」にならずに済んだのは幸いです。
 当然、受け入れがたきヒヤヒヤした思いをさせた運営側には不信の目を向けざるをえないのですけどね。

 だから、この時期に山崎邦正vsモリマン戦をやってくれた日テレに今回は軍配を上げようかと。

 ぜひ大晦日でもやってください。
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2006年08月06日

活躍する人と、活躍を用意してくる人

 最近コラムの本数がめっきり減った原因……それは0時過ぎると眠たくて仕方がない最近の体調にあると思います。夏バテはイヤなので夜更かしせずに早寝することにした結果ですけど、22時ぐらいからもう瞼が下がってきます。
 「夜に強い」というある程度不健康な性質も物書きとしては必須なんでしょうか。

 24時間テレビのテーマが絆。とうとう黒いチャンプとして白い目で見られている親子も篤い親子愛が喧伝されていて、その一方で親子の絆が破綻してるような事件が次々明るみに出てきてため息もでる昨今。

 最近は遊び手同士の連携もバラバラで、昔より他のプレイヤーに期待していた絆も共有感も疑わなくてはならないイヤな状態だなと思っていたけど、それはTRPGに限ったことではなく、日本社会そのものが抱える空気そのものなのかもしれないのでしょうか。
 今日はそんな絆の希薄さを考えながら、PCの活躍ぶりに関する話を。

◆◆◆
 
 TRPGでは「すごい活躍をする人」と「すごい活躍を用意してくる人」がいます。この両者のどこが違うかと云えば、前者は「手強い」人で、後者は「イタい」人ってとこです。

 僕は「海賊船を討伐するシナリオで、PCの発想次第では海賊船を乗っ取ることも可能なのがTRPGだ」と思ってたりします。それがGMの思惑から外れていて……海賊船の沈没を前提にしたシナリオを組んでいても、そこは話し合いによって適宜修正していって、遊び手たちにとってより面白い方向に持っていけばいいだけのこと。物語を作るのはシナリオではなくてPCたちの行動なのですし、シナリオをなぞらせるだけのプレイは展開の一部始終をナビゲートするだけ僕にとっては負担です。

 海賊船が領海を荒らしており、PCたちは討伐を命じられた。

 そこで「すごい活躍をする人」ってのは、GMの想定通り海賊と戦闘して依頼主に報告するだけという行動はしません。富と名誉……PC的には経験値と財貨のため、プレイヤー的には物語を作ることへの積極的参加のためにどんどん話を大きくしてきます。海賊船にはどれだけの財貨があるのか、船自体の価値はあるのか、彼らにはアジトがあるのの、アジトに財宝はあるのか、彼らは単独なのか艦隊を率いているのか、黒幕がいるのか……GMが戦闘フィールドとしか用意しなかった海賊船がプレイヤーたちのおしゃべりによってどんどん膨らんでいきます。
 その膨張した物語の中でPCの性能を最大限に発揮して、GMの想定よりも多くの成果を得るのが「すごく活躍する人」なのかもしれません。
 何よりもすごいのは話題の中心になっているということです。ともすればGMだけが必死に話すことの多いTRPGにおいて、プレイヤー主導で話が盛り上がるのは会心の出来事であり、その主導権を取れる人ってのは少なからず好意的に見られるものです。

 だが、「すごい活躍を用意してくる人」は違います。

☆「領内を荒らす海賊を討伐して、海賊船を乗っ取ります」
●「いや、今日は砂漠の村で井戸掘りするシナリオだけど……」

●「では一息つけると、町長は井戸掘りのスケジュールに関する……」
☆「その前に、海賊についての情報を聞き出したいんだけど」
●「いや、今回は見渡す限りの砂漠なんだけど」
☆(GMを白い目で睨んで、失望感を露にする)

 さすがに海賊を探すともなるとピンとこないでしょうけど、「行方不明の兄を探す」「親の仇を追う」「特定のモンスターを狩り出す」などの設定を用意しては、シナリオそっちのけで(GMが用意もしていない)自己目的のためのロールプレイをするプレイヤーってのは結構いるものです。
 そして、それは決まって無視されるか適当にあしらわれるだけです。物語の主導権を握ることはまずないでしょう。

 「すごい活躍をする人」と「すごい活躍を用意する人」との差は、前者が「みんなが取り組んでいる話題を膨らませる人」であり、後者は「自分1人で盛り上がっているか、他者が乗ってくることを期待して自分主体の話題を作ろうと躍起になっている人」だということです。
 「すごい活躍をする人」は、みんなが物語として参加に興味がある「海賊討伐」という話題を膨らませ、全員が参加できる物語を深くさせることを目的に話を展開します。
 ところが、「すごい活躍を用意する人」の話は他の人の興味から外れたところからスタートします。彼彼女はまず用意した物語を他の人に語ることからしなくてはなりません。それもGMのシナリオとは別箇に、「僕のキャラにはミニシナリオが付属していますので、そちらもお付き合いしてください」という要求をしているようなものです。
 他の参加者からすれば藪から棒であり、シナリオとの相性が著しく悪い場合は、不快な行動とされます。

 では偶然にもシナリオと符合すれば、「すごい活躍を用意する人」は一躍「すごい活躍をする人」に変身するかと云えば、ならない方が多いです。
 「すごい活躍を用意する人」の多くが既存のメディアに影響されて、自分も表現者として自作のキャラを披露したいという作家願望者ですけど、そういう人たちにとって「活躍」とは「活躍できる機会」ではなく、「活躍という結果」であり、そこには他の人には介入してほしくない自分だけのストーリー展開が用意する人の頭ん中には出来上がっていることがままあります。
 とどのつまり、「すごい活躍を用意する人」は自分物語を吟遊詩人したいだけなのです。他の人は黙って俺のロールプレイを拝聴するべし、GMは俺の思った通りの補助をしてくれというわけです。

 くだらない。

 くだらないならまだしも、彼の用意した自分物語自体が「つまらなかった」りしたら、もう目も当たられない。話すことが目も当てられないってこと繋がりで「TRPG界の山崎拓」とでも渾名をつけてさしあげましょう。
 



ラベル:TRPG
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