2006年09月28日

汎用TRPGとスタンダードTRPGの違いは?

 リプレイ本『東方の快男児』を読んだついでに『ダブルクロス2nd Edition』とサプリメント『アルターライン』を改めて読んでいると、このTRPGはおそらく国産では初めて広く受け入れられた汎用TRPGであるのでないかと思えてきます。

 その一方で、『アルシャードガイア』でF.E.A.R社はスタンダードTRPGの登場を謳い、『ソードワールド』を基調としたスタンダード作品(『スクラップド・プリンセスTRPG』)を出しているグループSNE、そして未だ重鎮として君臨する『D&D』と、スタンダードTRPGは議論のネタにするには十分の品揃えができたかと思います。

 んで、ここで疑問が生じました。
 「汎用TRPG」と「スタンダードTRPG」の違いって何でしょう。

 スタンダードTRPGについてはすでに膨大な議論がなされていますから、今更僕がどうのこうの云ってもバカにされるだけですけど、バカなのはもう隠しようもありませんしね。

 一方の汎用TRPGなのですが、これは旧melma! Blogにて論じたことがあります。ここでもう一度述べておきましょう。
 TRPGのシステムを役割ごとに分割すると、

1:基幹システム
  世界観に関わらず、TRPGをゲームとして管理運営するためのシステム。
2:世界観再現システム
  そのゲームが提唱している世界観を遊び手が体験するためのシステム。
3:データ
  世界観を構築するための道具類。

 の3つに分類できます。
 ダブルクロスで表せば、能力値やHP、判定システムなどが基幹システムに属します。一方でエフェクトやロイス&タイタス、侵食率などは基幹ではなく、世界観再現システムに属します。基幹システムと違い、世界観再現システムはTRPGの方向性を決定づけるシステムであり、本来は曖昧模糊なコミュニケーションであるTRPGを、誰もが同じように遊べるゲームにしてしまう拘束力があるのです。

 『GURPS』では特徴ルールの設定により、遊び手はプレイヤーとしての思惑よりも、特徴に従ってロールプレイをすることの方を楽しみます。遊ぶ世界観が変わろうとも、基本的には遊び方が変わることはまずありません。ダブルクロスにしても、例え平安京物怪録であろうとデモンズシティであろうと、PCは登場するたびに侵食率が増加し、プレイ中にロイスをどんどん結びますし、クライマックスは侵食率100%のチキンレースをする典型的なダブルクロスの遊び方を外すことはありません。

 もし世界観再現システムが弱い……例えば判定システムの延長である「技能」に独自性を求めるに留まるTRPGは、世界観の方向性によって遊び方も大きく変化します。『ASURAシステム』などがそうですし、『スクラップド・プリンセスTRPG』にしたって、『ソードワールド』よりも交渉に頼った遊び方がなされます。
 世界観再現システムがなく、データのみで世界観を表現するともならば、そりゃもう遊び方は卓ごとに違って当然。シナリオとおしゃべりで各自好きに楽しんでくださいと云った突き放した作りになります。

 おそらく、スタンダードTRPGの場合は強く堅牢で、信頼性が確保された基幹システムをもって様々な遊び方をしようという作りなのかもしれません。アルシャードガイアなどはハンドアウトなどによるシナリオ展開システムが役割分担や立ち位置を方向付けるという消極的な立場であるが、強い世界観再現システムとなって基幹システムを支えているのでしょう。

 いずれにせよ、世界観再現システムが用意されているTRPGはGMの性質に関わらずある一定の方向性をゲーム上で示せるTRPGであると云えます。コンベンションで見ず知らずのGMと当たってもゲームに対する意識において危惧するほど差異がでないのが、汎用TRPGやスタンダードTRPGなのかもと考えています。

 結局、違いを説明することはできませんな。
 両者の違いは曖昧なものかもしれませし、単に古い謳い文句、新しい謳い文句の違いだけかもしれません。どこかで誰かが明確な答えを出してくれることを期待します。

◆◆◆

 最近、佐藤賢一の本を再び読み始めて、銃士物(Swashbuckler)TRPGもやりたいなと思っているんですけど、『GURPS』ではノリを出し切れるか心許無いし、『ASURAファンタジー』では戦闘ばかりになってしまう。『7th Sea』もそんなに再現していないとのことだし、『Lace & Steel』は持っていない。

 第一、世界観だけ用意してもプレイヤーが十分ノリを掴んでくれるか怪しいところです。せっかくデータを用意しても、世界観再現システムがなければ普通にあるファンタジーと変わらぬ遊び方になってつまらないですからね。

 そんなわけで、『ダブルクロス』が一番いいかもと最近着目しています。

 
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2006年09月21日

TRPGが現代神話になるには 〜TRPGにおけるイメージと物語〜

 9月19日をもって、旧melma! Blogを含めてのBlog活動2周年を迎えました。今年に入ってから仕事や家庭の都合で執筆量が減少してしまいまして、これは誠に申し訳ないです。
 ですけど、これからも無理なく活動を続けていきますので宜しくご贔屓のほどお願いします。

 今日はTRPGにある「語りたい欲求」を考察します。

 TRPGにおいてなぜ戦闘が最も仔細かつ豊富なシステムと、ゲームオーバーを伴う厳密なルールによって管理されているかと云えば、ゲーム側からでは元々が対戦・競技ゲームであったウォーゲームから派生した以上物語は後付けであるということと、メディア側からすれば戦闘は遊び手にロマンをもたらす彩りとして役立つからであると僕は考えています。

 物語にこそTRPGの醍醐味だと信じる人の中には、いっそウォーゲームの要素を撤廃し、説話と談笑のみで楽しむのが究極のTRPG像だと考える人もいます。いわゆる「RP」「なりきりチャット」です。その逆に、ウォーゲーム出身者からすればいつ物語を撤廃して、元のウォーゲームに戻っても構わないはずです。
 このうち、ウォーゲームの原理主義者はウォーゲームやTCG、対戦格闘ゲームに鞍替えすればいいのでそんなに問題にすることでもありません。問題はRP・なりチャ願望の人たちでして、彼らには代替するメディアとしてこれと云った決定打がないのです。彼らとしては現状のTRPGを改造するしか道がありません。

 だが、仮想世界を扱うTRPGにおいては共有すべき既知情報が決定的に不足しており、限られた時間の中ですべてを語りきることも聞き取って把握することも困難な作業です。
 それを補うためには、現実世界で自然と身につけたように既知情報を皆が学習して共有できる情報を再構築する必要があります。そのためにルールブックはワールドガイドを盛り込み、またはゲーマー個人が数々の参考資料を読んで教養を養ことが求められています。

 だが、実際には物語を「語る」ことは求められていますが、「読む」ということにはあまり重視されていません。むしろ敬遠されています。
 それはRP・なりチャ願望の人たちが真に望むTRPGは語る場、披露する道具としてであり、共有するべき情報など興味がないからなのです。
 「読む・書く・語る・聞く」といった文語的行動の中で彼らがTRPGに求めるのは「語る」の一点であり、自らのキャラを披露し、自分物語を語り聞かせたい欲求こそが彼らの原点なのです。物語を読んで教養を高めることも、物語を書いて夢を完成させることも彼らは望んでおらず(それを望んでいたら学者や作家の領域に入るわけで、その道に踏み入れるほど野心も願望もない)、それよりも簡単に望みがかなえられるであろう、「語り部として人々を喜ばせ賞賛を得る」道を望んでいるのです。
 さらに追求すれば、彼らは日常会話では抑圧されている「夢想」を発散させたいがためにTRPGを語りの場にしたいのです。

 難しい表現ですが、要は自分の夢を肴にお喋りして盛り上がりたいだけなのです。 
 
 そういう人たちがルールブックを読むことにも価値を見出さず、自分が考案したキャラ設定を聞いてくれとTRPGに参加してくるというのなら、なるほど諍いが絶えないわけです。
 あろうことか、「女性はゲームやるよりお喋りする方が好き」などという携帯電話業界の受け売りみたいな女性原理論を振りかざして、女性ゲーマー獲得のためにはルールやシステムなどのゲーム要素は障害であると吹聴する人までいます。
 さすれば、TRPGのルールをよく学習して参加している女性ゲーマー諸姉は女性社会からアウトした「女性ならざるモノ」ということになります。我々の社会に順応するような女性はゲーマーとしては男性同然であり、求めるべき革新思想は持っていない……。
 男性原理社会で馴染めるように勉強してきたはずなのに、当の男性陣の中から「ゲームよりお喋り」などという女性化した考えの持ち主が出て、通りで談笑しているお姉ちゃんに釘付けなのでは仕方がありません。
 
 僕としては、ただ「日常会話では情緒を疑われかねない怪しい夢想」をバカにせず聴いてもらえる場としてTRPGをプレイするには、もう少し意識改革が必要なのではと思います。
 夢想を抱くこと自体は恥ずべきことではありません。
 現象学で云えば、僕たちは自らの身体を以て経験した世界、伝聞による誰かが経験した世界、そしてフィクションを夢見ることによって擬似的に経験するイメージの世界の3つの世界像があるとのこと。このイメージの世界は神話や宗教として人を動かす力があり、実証できないが人に備わっている原理の1つと考えられます。
 まずは自らの夢想が正常な人間原理だと受け止めなければ、他の人の不快感を招くような歪な意識のままで夢語りをせざるを得ないのではないのでしょうか。本来語るのは恥ずべきことだと感じているから、語りたい思いを遂げるために迷惑をかけることを厭まなくなります。

 それを止揚するためにも、夢を語ることを正常に受け入れるだけの環境を整える必要があります。そのためには、「語る」の反対に位置する「聞く」について意識を高めるのが第一です。
 実はRP・なりチャ願望の人が一番苦手にしているのが「聞く」ことなのです。聞くということは、他人の語りを尊重し自己のイメージ世界に他者のイメージが介入することを意味しますから、自己のイメージのみを尊重する者にとっては受け入れ難いことなのです。

 イメージと物語とは非なるものです。
 人のイメージは個々人では断片的かつ曖昧なものです。教養が足らず自分1人ではイメージできない事項など実はたくさんあるのです。そこで他の人のイメージを受け入れ、共同幻想によって止揚されたイメージ……それこそが物語であると思うのです。
タグ:TRPG 現象学
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2006年09月18日

「どうゆう世界」か、「どういう配役」か

 最近、ファンタジーと伝奇物ばかりプレイしていないような気がします。
 もちろん、細かく分類すれば色々バリエーションはあるんでしょうけど、それでも昔に比べればゲーム世界が整合化されているような感じがします。
 昔はSF、サイバーパンク、スチームパンク、ロボット物、学園物とどれに入れ込もうか迷うぐらい多彩でした。

 ただ、ゲームジャンルが多彩だからと云ってよいことばかりではありませんでした。
 昔は卓についても、そのゲームの世界観をよく知らなかったり、馴染めないままに終わるプレイヤーも結構いたものです。『スペオペヒーローズ』、『蓬莱学園の冒険!』、『熱血専用!』、『番長学園』、『天羅万象』、『戦国霊異伝』……色々ありますけど、どれもプレイヤーの入れ込み具合が定まっていないままプレイして、それでゲームの「濃さ」についていけずお地蔵さんになる人と、もう「特濃」にまで入れ込んでロールプレイに張り切り過ぎる人とでえらく温度差があったものです。

 これに対して、最近のゲームはファンタジーでも伝奇物でも、初心者であってもゲーム世界の濃さに違和感を感じてお地蔵さんになることは昔に比べて減ってきていると感じています。ごく一部の人を除いては、「ああ、このTRPGはあの漫画(or小説、アニメ、映画)に近いノリなんだな」と感づき、まず違和感のない行動を取るイメージへの直感にかけては10年前よりは格段に発達しているでしょう。

 ちなみに、自己のイメージが強すぎて特濃になる人が、「ごく一部の人」です。例えば伝奇物TRPGのノリとくれば、『月姫』+『Fate/stay night』+『灼眼のシャナ』+『BLAECH』+『ローゼンメイデン』+『ウィッチブレイド』+『BLOOD+』+(その源流として石森章太郎)+etc…と云ったもののカクテルであり、それぞれが曖昧なまま「それっぽく」楽しめるんですけど、例えば『ローゼンメイデン』一本に萌える特濃な人だと気分はアリスゲーム一直線でして、それは他のゲームのノリを期待して参加している人たちとは違和感が出て当然です。

 それを以て、最近のTRPGはヲタクに親しい世界しか提供しない二次創作に過ぎないと云う口さがない人もいるでしょうけど、昔はヲタクに親しい世界のTRPGを出した所で、それで訳知りの人が来てくれるとは限りませんでしたからね。

◆◆◆

 ここまで書いてきて、昔のTRPGと今のTRPGの違いは、舞台設定に重点を置くか配役設定に重点を置くかということにあり、そうなると配役設定重視と思われる昨今のTRPGではファンタジー、伝奇物、SFと云った舞台設定を想定してのジャンル分けはそぐわなくなったのではないかと思うんです。
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2006年09月14日

W刊行なのにリプレイだけ目立っているってど〜ゆ〜こと?

 『アルシャードガイアRPG』を購入。
 文庫本だということで、書店で気軽に買えると思った僕は少し時勢を見る目が曇っていたようです。

 矢野俊策氏のリプレイ本は目立ったところにありました。
 だが、同時敢行のはずのルールブックがリプレイの近辺にない。
 いや、一冊もない。
 今回、池袋の書店(とらのあな、まんがの森、ジュンク堂、池袋リブロ、三省堂芳林堂など)やゲーム屋(イエサブ池袋店)を巡ったんですけど、リプレイ本と比べてルールブックの見当たらないこと見当たらないこと。結局、新宿のイエサブで買いました。
 僕個人の運も悪かったんでしょうけど、スタンダードTRPGと銘打たれた物を入手することにこんな苦労するとは意外でした。『アリアンロッドRPG』でさえ、最初に行った店で買えたというのに。

 些か鬱になった気分でうがってみますけど、これは「リプレイ本に触発されてルールブックを買う」という販促効果としてのリプレイ本の役割が、すでに時代遅れの発想であることを流通側によって突きつけられた1つの事例ではないでしょうか。
 すなわち、リプレイ本を読んだからといってTRPGに興味を示すとは限らない……いや、それ以上。

 もはやリプレイ本の読者はTRPGに興味を示すことなどまずない。リプレイ本はライトノベルの一形式として、TRPGから完全に分離したのだ。

 などと考えてしまうのです。
 こりゃ「リプレイがTRPGを滅ぼす」などと云う以前の問題です。
 「リプレイはTRPGとは縁がなくなった」のかもしれません。
 どないしましょ。

 

◆◆◆

 前回の記事が静かな反響を呼んでいます。
 反響と云うより、話がシティアドベンチャー全般に広がっているようで、あまり深いこと考えずに話を始めた身の上としてはすこし困惑もあったりします。
 思えば首ナイフもドクロちゃんのついでに書いたもんだったんだけど。

 一通り呼んで感じたのは、システムの制約が緩いアドベンチャーパートはGMが自分のテンポで展開できる場面であり、TRPGに一家言あるゲームデザイン志向者(そんな志向はないと主張する人の方が多いだろうけど、本当に一家言もないゲーマーなら先例を真似るだけで事足りるもの。わざわざ主張しようなどとも思うまい)にとって自分の流儀・志向を搭載する格好の舞台なのかもしれないってことです。
 
 アドベンチャーパートを論ずるに、この本質は「いかなる力量のプレイヤーを想定し、いかなるテンポでゲームを展開するか」というマスタリングの基本姿勢にあるのではないでしょうか。



訂正:芳林堂コミックプラザでした。
   昨日行ったら1冊ありました。ちょっとうれしい。
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2006年09月10日

SOSボトルは拾われるべき 〜TRPGでの「はずれ」行動〜

 『迷宮キングダム』サプリメント、『シティアドベンチャー』を購入。
 まよキンでは珍しい国内冒険なんですけど、なかなか面白いです。
 ただ、NPCの名前決定チャート、「鉱石の名前」とか「ゲームの名前」とか云われても咄嗟にいいのが思いつきません。チャートでも自作しようかな。

 ちなみに、僕の初キャラは「クラス:騎士、ジョブ:迷宮職人」だったので「バトルシティー」と名付けました。

 今日は情報収集の「はずれ」に関する話。
 明日は朝早いのでほんとに短く。

 情報収集などではどんなにいい出目が出ても、何の情報も得られないことがままあります。大抵の場合、GMが事件の核心をつく情報について、1つしか入手経路を考えていないのが原因です。
 社会化が進んでいるゲームほど、PCたちは様々な情報源を持っており、様々な手段で情報を集めようとするものです。情報屋を訪ねる者、専門家に依頼する者、手下を動員して聞き込みをする者、図書館やネットに張り付く者……、PCにコンタクトの設定がつくことが多い昨今のTRPGでは、PCたちは多種多様な手段で情報を得ようとします。
 GMが想定するよりずっと多彩な手段で。

 情報の入手経路を1つしか想定していないGMからすれば、自分が組み立てたルート通りでないとシナリオが進展しないような作りである以上、ルート以外の方法で調査をするPCの行動は「的外れ」に映るものです。おそらく、まったくの空白のはず。
 そんな場合、大抵のGMは想定外の入手手段は判定如何に関わらずスルーします。
 曰く、「有益な情報はなかった」と。
 「はずれ判定」とでも云いましょうか。

 下手くそなGMともなると、1つしか入手経路を用意していないのに、その入手経路に関する目星や、そこにたどりつくまでの誘導手段についてまったく考えていないこともあります。プレイヤーが自分の組み立てた手順通りに動かぬ限り、ひたすら「はずれ」と告げ続けるGMもいて、それでプレイヤーが詰まると慌てて急展開で話を進めたりします。

 もはやTRPGではない。クイズです。
 目星も誘導もないともなれば、それこそ問題もなく前置きだけ聞かされるクイズです。PC側は「何が問題なのか」ということからひねり出さなくてはなりません。これはすなわち、「自分たちは何をするのか」すらあやふやだってことです。
 TRPGで「何をしていいのか分からない」という心理状態に置かれるのは非常に危険な状態です。多くの場合、遊び手の士気は著しく減退します。

 この「判定に成功しながら、シナリオの想定外だからGMの恣意でスルー」という行動はTRPGでは結構やってしまうことであり、TRPGを不透明にさせる原因の1つになっています。
 
 こうした事態を防ぐためにも、使うゲームをよく研究して、PCが取りそうな情報収集方法をあれこれ想定し、そのどれからも糸口がつかめるようにすることと、なるべくPCたちに目星をつけさせるよう情報を出して誘導することが大事かと思います。

 しかし、なるべく「はずれ判定」はやりたくないものです。
 物語を方向づけるのはPCの行動であってGMのシナリオではないはずです。

 そもそも、調査方法にあたりはずれがあると考えるのは違います。
 ゲームの主役はPCたちである以上、彼らの行動は基本的にあたりなのです。彼らが行動すれば「どんな行動でも」必ずゲームは展開するのであり、
「はずれ行動」などとしてゲームを展開できない状況に置くことはGMのミスリードに値します。
 肝心なのは、PCの行動にあたりはずれがあるかではなく、PCの行動が好転するか災難を招くかなのです。

 たとえピントがズレたプレイヤーが、「事件の鍵を知っている人を探していますって紙をボトルに詰めて川に流します」なんて素っ頓狂な行動を起こしても、「何の音沙汰もありませんでした」などとスルーするのはつまらない対応。GMとしてはそんな下らない手段につきあいたくないと思うでしょうけど、プレイヤーとしてもそんな下らない対応を取られて、何のためにTRPGをやりにきたんだと思うものです。

 流れたボトルが敵にせよ味方にせよ、PCの取る行動は必ずゲームを展開することを原則とするならば、そのボトルはゲームを展開できるNPCによって拾われるのが望ましいところです。
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2006年09月04日

キャラ名参考LINKに追加

 キャラ名参考LINKに欧羅巴人名録これでインディアBehind the SurnameAfrican Namesの4サイトを追加します。欧羅巴人名録さんには英・仏・独・伊・西・露にスウェーデンの名前・姓があります。これでインディアさんは、「身毒企画」内の「カタカナ表記」にインド人の姓名があります。Behind the Surnameの方はBehind the Nameの姉妹サイトらしく、世界各国の姓が掲載されています(英語です)。African Namesはアフリカ各国の名前がリストにあります。これも英語です。

 さらにマウスをあてるとどこの国の名前があるのか分かるようタグをつけました。

 今回の更新でインドやアフリカ諸国の名前もなんとか参考できるようになれたかと思います。引き続き、中央および東南アジアの名前サイトを探していくつもりです。
 もちろん、このLINKの使い道は利用する皆様のご随意のままにです。
 
タグ:名前 姓名 人名
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