2006年09月21日

TRPGが現代神話になるには 〜TRPGにおけるイメージと物語〜

 9月19日をもって、旧melma! Blogを含めてのBlog活動2周年を迎えました。今年に入ってから仕事や家庭の都合で執筆量が減少してしまいまして、これは誠に申し訳ないです。
 ですけど、これからも無理なく活動を続けていきますので宜しくご贔屓のほどお願いします。

 今日はTRPGにある「語りたい欲求」を考察します。

 TRPGにおいてなぜ戦闘が最も仔細かつ豊富なシステムと、ゲームオーバーを伴う厳密なルールによって管理されているかと云えば、ゲーム側からでは元々が対戦・競技ゲームであったウォーゲームから派生した以上物語は後付けであるということと、メディア側からすれば戦闘は遊び手にロマンをもたらす彩りとして役立つからであると僕は考えています。

 物語にこそTRPGの醍醐味だと信じる人の中には、いっそウォーゲームの要素を撤廃し、説話と談笑のみで楽しむのが究極のTRPG像だと考える人もいます。いわゆる「RP」「なりきりチャット」です。その逆に、ウォーゲーム出身者からすればいつ物語を撤廃して、元のウォーゲームに戻っても構わないはずです。
 このうち、ウォーゲームの原理主義者はウォーゲームやTCG、対戦格闘ゲームに鞍替えすればいいのでそんなに問題にすることでもありません。問題はRP・なりチャ願望の人たちでして、彼らには代替するメディアとしてこれと云った決定打がないのです。彼らとしては現状のTRPGを改造するしか道がありません。

 だが、仮想世界を扱うTRPGにおいては共有すべき既知情報が決定的に不足しており、限られた時間の中ですべてを語りきることも聞き取って把握することも困難な作業です。
 それを補うためには、現実世界で自然と身につけたように既知情報を皆が学習して共有できる情報を再構築する必要があります。そのためにルールブックはワールドガイドを盛り込み、またはゲーマー個人が数々の参考資料を読んで教養を養ことが求められています。

 だが、実際には物語を「語る」ことは求められていますが、「読む」ということにはあまり重視されていません。むしろ敬遠されています。
 それはRP・なりチャ願望の人たちが真に望むTRPGは語る場、披露する道具としてであり、共有するべき情報など興味がないからなのです。
 「読む・書く・語る・聞く」といった文語的行動の中で彼らがTRPGに求めるのは「語る」の一点であり、自らのキャラを披露し、自分物語を語り聞かせたい欲求こそが彼らの原点なのです。物語を読んで教養を高めることも、物語を書いて夢を完成させることも彼らは望んでおらず(それを望んでいたら学者や作家の領域に入るわけで、その道に踏み入れるほど野心も願望もない)、それよりも簡単に望みがかなえられるであろう、「語り部として人々を喜ばせ賞賛を得る」道を望んでいるのです。
 さらに追求すれば、彼らは日常会話では抑圧されている「夢想」を発散させたいがためにTRPGを語りの場にしたいのです。

 難しい表現ですが、要は自分の夢を肴にお喋りして盛り上がりたいだけなのです。 
 
 そういう人たちがルールブックを読むことにも価値を見出さず、自分が考案したキャラ設定を聞いてくれとTRPGに参加してくるというのなら、なるほど諍いが絶えないわけです。
 あろうことか、「女性はゲームやるよりお喋りする方が好き」などという携帯電話業界の受け売りみたいな女性原理論を振りかざして、女性ゲーマー獲得のためにはルールやシステムなどのゲーム要素は障害であると吹聴する人までいます。
 さすれば、TRPGのルールをよく学習して参加している女性ゲーマー諸姉は女性社会からアウトした「女性ならざるモノ」ということになります。我々の社会に順応するような女性はゲーマーとしては男性同然であり、求めるべき革新思想は持っていない……。
 男性原理社会で馴染めるように勉強してきたはずなのに、当の男性陣の中から「ゲームよりお喋り」などという女性化した考えの持ち主が出て、通りで談笑しているお姉ちゃんに釘付けなのでは仕方がありません。
 
 僕としては、ただ「日常会話では情緒を疑われかねない怪しい夢想」をバカにせず聴いてもらえる場としてTRPGをプレイするには、もう少し意識改革が必要なのではと思います。
 夢想を抱くこと自体は恥ずべきことではありません。
 現象学で云えば、僕たちは自らの身体を以て経験した世界、伝聞による誰かが経験した世界、そしてフィクションを夢見ることによって擬似的に経験するイメージの世界の3つの世界像があるとのこと。このイメージの世界は神話や宗教として人を動かす力があり、実証できないが人に備わっている原理の1つと考えられます。
 まずは自らの夢想が正常な人間原理だと受け止めなければ、他の人の不快感を招くような歪な意識のままで夢語りをせざるを得ないのではないのでしょうか。本来語るのは恥ずべきことだと感じているから、語りたい思いを遂げるために迷惑をかけることを厭まなくなります。

 それを止揚するためにも、夢を語ることを正常に受け入れるだけの環境を整える必要があります。そのためには、「語る」の反対に位置する「聞く」について意識を高めるのが第一です。
 実はRP・なりチャ願望の人が一番苦手にしているのが「聞く」ことなのです。聞くということは、他人の語りを尊重し自己のイメージ世界に他者のイメージが介入することを意味しますから、自己のイメージのみを尊重する者にとっては受け入れ難いことなのです。

 イメージと物語とは非なるものです。
 人のイメージは個々人では断片的かつ曖昧なものです。教養が足らず自分1人ではイメージできない事項など実はたくさんあるのです。そこで他の人のイメージを受け入れ、共同幻想によって止揚されたイメージ……それこそが物語であると思うのです。
タグ:TRPG 現象学
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする