TRPGは目標を達成する
ゲームですけど、その後PCたちはどうなるのかと云う問題があります。ゲームとしてのTRPGなら経験値与えてお開きなんですけど、物語としては色々語れちゃう展開ってのがあります。
今日はTRPGでいう「成長」に関する以前とは違った話。
D&Dの頃と云えば、成長は単なる経験値をご褒美にもらうことではありませんでした。赤箱レベルなら迷宮漁り専門だったゲームが、青箱では野外での冒険に現代風の物語がついたシナリオがついて、緑箱だと領地経営したり戦争したり異世界行ったりして、黒箱では半神になって司馬遷(小学生にはスーマ・チェンが司馬遷だなんて分かりませんでしたよ)に会ったりして、レベルアップしていくにつれて楽しみ方の幅も広がったものです。
ガキの頃ですから、
ファイターレベルが5で「短剣家」になってしまって、それで学校の漢字テストで間違ったり、レベル9で「郷士」になって、それで郷士って何だと調べたら武市半平太が出てきて、そうか武市半平太は土佐藩のLordなのか、それじゃ〜藩士ってのはLordよりも上なんだなと妙な解釈に至ったりと、何かと漢字で苦労しましたけどね。
それがソードワールドの頃になると、いくら経験値を貰ってレベルが上がっても、やることはいつも変わらず下っ端の冒険者と同じ。新米の便利屋と熟練の便利屋との差ぐらいなもんです。
で、冒険者レベル10にもなって、なんで村どころか国を揺るがしかねない強力なリッチの討伐を、単に最寄だからという理由だけで村の酒場で村長さんから受けなきゃいけないのよ。1000人規模の命を救うなんて
大冒険を村にたむろしてた便利屋風情が片付けていいの? そりゃいくらなんでも倒されるリッチが不憫ですよ。しかもそのリッチが政変で敗れた王族だったときたら、まさか最寄の村長さんに頼まれましたなんてもう
ショックなはずです。
まぁ、それはそれで楽しかったですけどね。
それでも、シーフレベル10にもなるのに、つまらないギルド
マスターに顎で使われるは我慢ならないってんで、シナリオそっちのけで「自分たちに都合のいいギルドを作ろう」なんて画策したりしても、卓の興が乗ればGMも用意してきたシナリオを放棄してアドリブでやってくれるだけの余裕が当時にはありました。
もちろん、そんなGMばかりではなく、一度脇道にそれたらパニクるばかりの一本道GMとか、やたらとミニ小説を語るだけの吟遊詩人GMってのも結構いました。それで、D&D時代のプレイ
スタイルを知らない遊び手がリプレイ小説を追体験するのが目的のように、GMの小説語りに参加するのが楽しみでプレイしにきた人が多くなるにつれて、上述のようなカオスを招くプレイはどんどん困ったちゃん指定を受けるようになりました。
それからしばらくして、ダブルクロスの初版が出る頃にはF.E.A.R社のスタイルが定着して、世界を変えるなどということはほとんど意識しなくなりました。むしろ敵の方が世界の改変を狙っていて、こちらは元は満足した生活を送っていたのがアウトして戦い、大偉業をしたけど名もなきまま闇に消えるというダーク
ヒーロー的なスタンスが主流になってきました。
そういうゲームだと世界観ってのは変化しない……PCたちが事前に知りえる世界観を改変するのではなく、安定させる方向に動くからカオスってのは極力起こらない。だから臨機応変に状況に合わせたロールプレイをする必要性ってのはさほどなく、事前に暖めておいた
キャラクター設定を披露できるだけの余裕があります。
昔は、「僕のキャラこれこれこういう設定です」などと用意したところで、千変万化する
セッションの中でそれが発揮できるか理解されるかも保障されないという意識があって、それがロールプレイを「設定の披露」よりも「当意即妙なリアクション」の方がキャラが立つという感覚があったんですけど、ゲームが違えば意識も変えざるを得ないのが現実でして、うまいことやりたいのであれば、馴染んだプレイスタイルを思い出棚にしまうことも必要でした。
話を成長に戻します。
ここまで3種のプレイスタイルを述べましたけど、この3種のゲームはそれぞれ成長に関するスタンスも違っていると僕は考えます。
1:役割が成長するスタイル
D&Dでのロールプレイとは役割分担のことなんですけど、レベルアップに従って請け負う役割が拡大していくのがこの成長スタイルです。ただの戦士がドラゴンを倒す頃には英雄として尊敬され、やがて半神として人間の手に余る事業へと役割が拡大していく……この役割の拡大は『太閤立志伝』などの出世物語に通ずるものがあります。
この成長システムだと、プレイヤーの方は夢が膨らむ一方で楽しいんですけど、GMの立場からすればどんどんルールが増えるわけで大変な労力を消耗します。
2:肉体改造・修行に留まるスタイル
いくら経験値を貰っても、能力値や技能の数値を高めることしか使い道がないゲームがこれに該当します。D&Dではレベルアップ時に増大してきた(財貨=経験値だから、成長するに従って富豪になる以上それは自然のなりゆき)役割の成長が、GMが用意する物語の展開によって決められるのがこのスタイルの特徴です。
GMによってはPCは単なる冒険者から栄達することもあれば、ドラゴンを倒す力量があっても街の便利屋のままだったりするってことです。
要はドラクエ以来続くCRPGのスタイルなんですけど、この形式だとキャラクターの成長がGMの裁量の幅に影響することは少なく、常に妥当な敵を用意すればシナリオとして事足りるので余った時間を物語へと投入することができます。
3:成長する意義が薄いスタイル
カジュアルプレイが主体のゲームともなると、成長ってのが必ずしもよい結果をもたらさないものもあります。ダブルクロスの場合、クライマックスで事前に用意したロイスをタイタスにしてしまったがばかりに、当初の設定が崩れてしまうPCもいたりして、それでそのキャラを使い続ける気が失せてしまう人もいました。
結局、事前に用意したりハンドアウトで与えられたキャラ設定的役割をこなすのが目的のゲームの場合、経験値を獲得する喜びよりも、設定を無事発揮できたという達成感の方が強いわけで、ダブルクロスの場合は経験点でエフェクトなどを獲得するより、自律判定でジャーム化を避けることの方が断然楽しいのです。
ダブクロに限って云えば、経験点なんかなくてもいいです。
自分のキャラ設定を発揮できて、それでロイスを獲得してジャームにならなければ、それでこのゲームの目標は達成できたと思っています。
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現在の段階だと、F.E.A.Rが3のスタイルで主流に立ち、他の……例えばグループSNEはデモン
パラサイトで形はダブルクロスの同系列にありながら2のスタイルを展開しており、1のスタイルはD&D3.5版を含めてほとんどないなという状態です。
僕は1の遊び方が大好きなんですけど、GMの処理量を超えてしまったり、物語が混沌としたりと何かと問題がつきまといます。第一、これはできるプレイヤーとできないプレイヤーとがはっきり分かれてしまうスタイルですし、両者のすれ違いも深刻になりがちです。
それでも、このスタイルはTRPGでしか味わえないものですから、廃れるのはちょっと待ってもらいたいところです。
逆に、CRPGやMMORPGでほぼ代替できる2のスタイルは今後廃れていっても問題ないでしょう。僕が単に「TRPGならでは」という要素の薄いものに執着しない姿勢だからでしょうけど、PCをよりビルドアップしてより強敵へというドラクエ風のキャンペーンを続けるという要望が今の遊び手には希薄ではないかと考えているわけです。
自由奔放にキャラを動かして物語世界を歩き回るか、一挙手一投足まで設定したキャラクターを最大限に披露してヒーロー像を満喫するか、そのどちらかに分かれているのが昨今の遊び手なのではないでしょうか。