2006年11月27日

自分はTRPGに何を要求しているかを知らされる

 エキプロ8こと(今回は発売元がTHQなのでこの名称が用いられることはないでしょう)WWE SmackDown vs. Raw 2007の発売日が来年1月25日に延期。今年はTRPGとコミケ、あと戦国無双2Empireに専念せよとの啓示でしょうか。

 さて、今日もよしなしごと。

 TRPGつれづれなるままにさんのBlogにてTRPGのプレイヤー診断なるものが掲載されていました。丁寧な和訳も掲載されており(いい仕事です!)、なかなか面白い診断だと思います。

 タイプ診断(診断項目の和訳あり)
 タイプ診断・項目別(診断結果の和訳あり)

 今回、この診断を作ったCharles Ryan氏は、僕から見ればTRPG的にとても大きな仕事をしたと考えています。それというのも、TRPGはタイトルによって様々な遊び方があるのに、その遊び方の分類についてこれといって明確な分類がなく、またそれを提示してプレイヤーを餞別することも困難でした。
 従来のTRPGは「ファンタジー」「SF」「サイバーパンク」と云った世界観を貴重としたジャンルによる分類をしていました。だが、同じファンタジーでも『エルリック!』のようなダークファンタジーから『ドラゴンハーフRPGのようなギャグファンタジーあり、『D&D』のような精密なタクティカルコンバットをするものもあれば、『深淵』のような物語りを重視するものもあります。
 それによって、傾向の違うプレイヤーがジャンルが近しいというだけに集う場合があり、しばしば歯車の合わないセッションが発生しました(一番よくあったのが、ガチ戦闘卓にカジュアルプレイヤーが迷い込んだときです)。

 だからこうして、遊び手の傾向に対する領域分けに関して定着した言葉があれば、プレイヤーを募集する際にも自分の傾向に近しいタイプの人が集めやすくなるのではと思うのですよ。

 それ以上に、ネットでの論議だと互いの傾向が不鮮明のまま論じ合ってるケースがままあって、互いに(他者に提示できるほど客観的に提示もできない)自分のゲーム感覚からなる是非をぶつけ合ってるだけ。「TRPGの遊び方なんか人それぞれだよ」の一言で空中分解してしまいます。
 まずは自分はこういう傾向だったのかと客観的に知ることは、論議する以前に大事なんだとは思うんですけどね。

 ちなみに僕自身の診断結果ですが、今後のBlog活動への指針も合わせて、とっても分かりやすい場所に掲載しておきました。
 それにしても、95%の高濃度キャラクタープレイヤーであるなんて……いや、納得。鏡見せられた気分。
 
ラベル:TRPG
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2006年11月23日

トールキンの申し子たる涼宮ハルヒ

 今日でSeesaa移籍後100回目のTRPGコラムです。
 でもまとまりきらなかったので今日は雑感のみ。

◆◆◆

 現実の馬に感動するために、人はまず一角獣に会う必要がある。
                   ―――J・R・R・トールキン

 トールキンのファンタジー観を表した言葉として秀逸な一言です。
 僕なりに解釈すれば、一角獣はまだ見ぬこの世、あるいは隣りの異世界にある不思議の象徴であり、不思議に対する好奇心を抱いてこそ、現実世界こそが不思議が満ち溢れている場であることを知る……これこそがファンタジーなのだと思います。
 
 このトールキンの言葉に対して、蓬莱学園のデザイナー・柳川房彦(新城カズマ)はこのような注釈をつけています。


 一角獣に出会うためにも、現実の馬の習性を知っておいて損はない。
                      ―――柳川房彦

 彼の云う「馬の習性」は「知」のことでしょう。
 おそらく、この言葉は「不思議は知によって解明されるべき」という意味があるのでしょう。トールキンの言葉は不思議への好奇心が肯定されていますが、柳川氏からすれば不思議は無知蒙昧な原始的情緒であり、知による啓蒙の方こそ価値があるという意味に取れます。
 柳川氏は自著『プロの発想法で作る! ゲームキャラクター』(BNN)の冒頭でこの2つの言葉を並べています。僕の解釈が的を得ていたなら、柳川氏はファンタジーの御大たるトールキンに挑発的な意趣返しをしたことになるかもしれません。

 もちろん、柳川氏の言葉にもさらに意趣返しは続けることはできます。
 彼が必要性を説く「馬の習性」とは迷信・蒙昧を振り払う知の光ですが、その反面「固定観念」「常識」を持ってしまうことにもつながります。その常識から一角獣という不思議を見たとして、はたして知による解明は起こりえるでしょうか。
 もし知が常識であるならば、彼は一角獣を「馬ならざるもの」として見るでしょう。常識の該当しない存在に不安を感じ、これはモンスターであると断ずるでしょう。無知蒙昧からなる迷信もあれば、常識を持ったがばかりに思考停止するという危険もあります。

 トールキンの目を通して無知蒙昧になるか。
 柳川房彦の目を通して思考停止になるか。

 どちらを価値ありとみなすかは人それぞれです。

 ライトノベルの歴史的変遷は伝達でしか知りませんけど、どうも80年代に隆盛したファンタジーが翳りを見せ、いわゆるセカイ系が一時期隆盛し、現在はその爛熟期にあるようです。

 僕が思うに、このセカイ系の世界観は柳川氏の言葉にこそ象徴されています。セカイ系はファンタジーを知でもって解明しようと試みた挑戦的な小説なのかもしれないからです。

 セカイ系の主人公は全能的な力を以て世界を俯瞰できる立場にいます。セカイ系小説は主人公の内面的な思考がダイレクトに世界を構成しており、彼の葛藤がドラマとしての闘争としてメインに据えられています。
 すなわち、セカイ系の主人公は不思議を不思議と自然に捉えることができません。全能的な力を自覚しているがあまり、彼の価値観ではこの世界に「どうすることもできない」ことなどないはずだが、彼が信じる世界には彼の思考を越えたことばかりだという不安も抱えています。人類を皆殺しにできる力がありながら、親の心すら察することができない……。
 そうして葛藤していく主人公が、最後は近親者を通して社会というものを知り、自己を克服することで救済されていく……これがいわゆるセカイ系と呼ばれるものの大雑把な姿でしょう。

 セカイ系の主人公は知の啓発による自己の救済にこそ重きをおいていますが、その反面思考停止により自己をモンスターと見る危険を抱えています。セカイ系小説は90年代の自意識過剰な価値観の象徴とされているのも頷けます。

 セカイ系によってファンタジーが衰退したのは、世界の不思議を好意的に受け入れるトールキンの好奇心が無知蒙昧だと否定されたのが原因なのかもしれません。ヲタク的な衒学志向によって、この世の姿に象罔(形なきぼんやりとしたもの)としたものがなくなったと意識するようになったのです。

 おそらく、セカイ系は実の所読者の自意識をくすぐらせ、読者にセカイ系主人公よりも完全たる知の姿を垣間見させる……読めばなんか俺って賢くね? って意識を芽生えさせる所に魅力があるかもしれません。

 そう考えると、美少女主義というのも柳川的発想による自我の克服がもたらした言葉なのかもしれません。この場合、一角獣が麗しき幻想の姫君に変化し……、

 現実の少女に感動するために、人はまず姫に会う必要がある。
 姫に出会うためにも、現実の少女の習性を知っておいて損はない。

 となります。
 美少女主義は柳川氏の言葉に従って、幻想の姫君に現実世界の少女たちの姿を当てはめて、外見上の特徴(メイドとか猫耳とか)や内面的特長(ツンデレとか)……すなわち属性とよぱれる尺度でよって幻想の姫君をリアルに解明しようという働きがあるのかもしれません。
 これによって、萌え者は自分こそが姫君の魅力を知りえる存在なのだと自意識をくすぐられるのです。

 んで、このセカイ系も爛熟期に差し掛かってきたとのことです。
 結局、セカイ系に惹かれたエヴァンゲリオン世代も40近くに差し掛かり、そろそろ「人生なんかこんなもんだった」と不惑の時期に入っているからなのでしょう。彼らにとって解明されたセカイはあまり魅力的なものではありませんでした。
 セカイ系はこの世代の老化に伴い、爛熟期から否定期に入り、しばらくは潜伏するものと思われます。

 今年話題になったラノベと云えば涼宮ハルヒですが、僕はこのハルヒが柳川的世界観に対するトールキンの逆襲であると見ています。

 ハルヒの面白い所は、全能的立場にいるはずのハルヒが世界の俯瞰者としての立場を放棄し、この世界は不思議に満ちていると標榜していることです。そして世界の俯瞰者にしてセカイ系主人公の継承者であるキョンをあれこれ不思議に引きずり出そうとするのです。
 
 現実世界に冷笑的で、その陳腐さに鬱屈しているキョンの姿は、かつて思考すればこの世の姿が解明できると信じたポスト・エヴァンゲリオン世代の成れの果てでしょう。そんなキョンに宇宙人や未来人がいればいいのにとキョンの解明したセカイをブチ壊す異端児・ハルヒは失われた一角獣を探すトールキン・ファンタジーの申し子のように僕には見えてきます。

 だからこそ、美少女主義の中で「何をしでかすかわからない」涼宮ハルヒというキャラは異彩を放っているのでしょう。
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2006年11月20日

ちょいとスパークしてます

 前々回の記事が静かな反響を呼びました。
 僕の拙い記事を紹介してくださった皆様方にあつく御礼申し上げます。
 ちなみに、題名は「……じゃないの?」ではありません。語尾を下げて解釈してくだされば幸いです。

 前々回の記事は、以前書いたこのコラムが関係しています。
 『TRPG−ルーンバウンド=? 〜ボドゲにないTRPGの魅力について悩んでみる〜』

 僕はシミュレーションゲーム研究会でTRPGを教わりましたが、それ以前にRPGそのものすらPC-98時代の『ウィザードリィ』でした。それで中学校時代はひたすら『D&D』や『T&T』でして、『指輪物語』はおろか『ロードス島戦記』ですら、高校時に入ったサークルが『ソードワールド』中心だってので薦められるまで読んだことありませんでした。
 当然、リプレイも『D&Dがよくわかる本』程度。

 こんな環境で育ったから、TRPGにロールプレイが必要なのか、そもそも物語が必要なのか、いちいち悩んでみないと理解できません。三つ子の魂何とやらと云う言葉がありますが、こうして悩んでいたりすると定期的にスパーク起こして、
 「シナリオなんかいるか! ロールプレイなんかまだるっこしぃ! ダンジョンに潜らせろ!」

 などど暴発してしまい、そのままコラムが書けずじまい。
 
 逆に戦闘システムを使わないTRPGなんて云われたら、ごく自然に「こいつどうにかしてる」と思える自分はいるんですけどね。トーク自慢のGMさんの中にはそう嘯く人もいますけど、同じこと僕がやれと云われても無理だからきっぱり拒絶。

 だから、そんな僕が何故『蓬莱学園の冒険!』(初版)にハマって、今でも好きなTRPG三傑のうち1つに入っているのか……正直不気味。システムはスカスカで、GURPSと同じく戦闘システムが基幹判定システムの延長だから、D&D時代のゲーム感覚が通用しないはずなんだが……。そもそも、蓬莱のGMやってても戦闘なんか活劇の一手法に過ぎなかったしなぁ。

 もしかして蓬莱学園こそ僕が始めてTRPGの「物語」を知ったゲームなのかも。ルーツ?
 
 う〜む。
 また蓬莱やりたくなってきました。
 つーか、2006年現在の蓬莱学園を考えるだけでも戦闘なんかせずにご飯3杯いけるんですけど。それってやっぱりどうにかしちゃったのかもしれません。また悩んでみないと。
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2006年11月13日

[エキプロ8]今回のは小技がよさそう

 世間ではプレステ3に大行列だそうだけど、僕はXbox360購入のために現在貯金中。それでもD&DプレイヤーズハンドブックUは見つけ次第買ってしまいましたけど。

 はやくWWE SmackDown vs. Raw 2007のデモ版をプレイしたいです。
 なんとしたことか、意外とウチの記事がぐぐるの上位に来ているので吃驚。エキプロ8(仮名)の情報を求めて来ている方々には申し訳ない気持ちで一杯です。
 そんなわけで、最近はもっぱらYou TubeでSVR2007のデモ画面を観て逸る気持ちを抑えています。今日はその中からエキプロファンとして見所のあるのを少し紹介。

◆ポール・ヴァージル入場シーン
ttp://www.youtube.com/watch?v=DzlWoEGzMqE

 WWEのパイレーツ・オブ・カリビアン、ポール・ヴァージルの入場シーンなんですけど、ロープで飛び降りるは剣を出すわで、リングがなかったらTRPGなんぞ扱っているこのBlogのこと、ファンタジーと勘違いする人だっているかもしれません。このおっさんはWWEというプロレス団体に所属している仰々しいギミックの最近はぱっとしないレスラーさんです。

◆ケン・ケネディー入場シーン
ttp://www.youtube.com/watch?v=EaikybQaCX4

 自分でリングアナをする変な人、ケン・ケネディーの入場シーン。
 当然ながら、ただ口パクしているだけの時代ではない。ケネディーさんのうぃーすこんしーんな肉声がきちんと入ってます。

 他にも各選手の入場シーンがありましたけど、Xbox360だけにすごくいい出来です。(一応プレステ2でも出ますけど)。

 あと、気になるのを1つ。
 おそらくファンが創作したプレビューです。

ttp://www.youtube.com/watch?v=F7IPbx8ViNE

 このプレビューなどから、「放送席に寝た相手にコーナーからダイブ」、「放送席モニターのコードで首を絞める」、「コーナーの鉄階段に叩きつける」、「鉄柱に腕を叩きつける」、「ロープに顔を押し付けグリグリする」「リングサイドでダウンした相手にリング外からエルボー」、「場外から足を引っ張って鉄柱に金的攻撃」、「ロープを揺さぶってコーナー上の相手に金的攻撃」など、プロレスではおなじみの変則攻撃ができるようです。楽しみ。

 あと、このプレビューで使われているLinkin Parkの『Somewhere I belong』って曲……ハマった。
 まずそれが書きたかったです。

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2006年11月11日

萌えキャラって自分自身じゃないの 〜性差によるイメージの違い〜

【注意】
 この記事には一部アニメファンの大事な思いに深刻な悪影響を与える表現があります。一度連想すると頭から離れないような性質の方はこの記事を読まないことをお勧めします。

◆◆◆

 一昔前までTRPGステージの主流と云えばファンタジーでした。
 最近では現代活劇物が主流となって、女の子がカタナを振り回して異世界の来訪者と次元界の存亡をかけて戦うってのがオツであるとかそんなことないとかもう時代遅れだとか。それが美少女主義だとか煩わしい話題は得意でないので放っておきます。
 それでも今日は女性キャラの話。

 男のプレイヤーが女のキャラをプレイするのは難しいものです。
 女口調や声色が気色悪いという演技の巧拙の問題もありますけど、それがイヤだからと云って男性が女性キャラを扱うこと自体イヤと云ってしまったら、GMだって女性は出せたものではありません。

 いや、昔そういう人がいたんでPCもNPCも全員男性にしたことあります。
 代わりにゴブリンだのラストモンスターなど、モンスターを全部雌にしてゴブリンの下着入れ漁らせたり、ラストモンスターの出産に立ち合わせたりしましたけど。

 まぁ、普通の人はそこまで演技しないと女性PCを扱うことなどできないとは思っていません。イメージを遊ぶゲームであるのがTRPGなのだから、他の人が自分のキャラのイメージを漠然とでいいから掴んで反映しれくれれば十分であり、それはプレイヤー発言としての描写で事足ります。

 だけど、その「反映してくれる」ってのが難しい。
 なぜなら、そもそも異性PCを表現すること自体が難しいからです。

 どんなTRPGでも、自分のやりたい人物像をモチーフにキャラを作ります。
 これが同性キャラなら、憧れや変身願望によって容易に自分が演じられるキャラが作れるでしょう。なぜなら、まず自分はこのゲームでどのようなことがしたいのかをイメージし、それに見合ったキャラクター像を形成するのが同性キャラを作るうえでの発想ですけど、どんなに変貌しようが世界の構築を意志決定する以上、キャラの自我は自己の延長となります。それは演技が可能な範囲です。
 
 だが、異性キャラはそうもいきません。
 同性キャラをイメージする場合、そのキャラクターが自分と対峙し語りかけるような光景はイメージしづらいと思います。おそらく、同性キャラは自己が変身した姿として、遊び手の自我を映す存在として動きます。
 これに対して、異性キャラはまず自己の分身としてイメージする方が難しいでしょう。大抵は美少女ゲームの視点のように、キャラが自分と対峙し、自分とは違う自我を持ち、自分が喋らないようなセリフを自分とは違う声で喋る光景をイメージするものです。

 すなわち、異性キャラは基本的に「他者」なのです。
 それも自我を認知し存在を証明するセックスパートナーとしてイメージを形成してしまうのです。

 アンドロギュノス的な融合の観念を持ち込めば、セカイを形成するモノとそれを認知するモノ、その2つの融合があってイメージは完全になります。性同一性障害でない限り、異性を自己の延長として憧れる意識は自然ではないでしょうから、セカイを構築する自我が同性であるならば、セカイを認知する存在に異性を持ってくることは自然な発想です。

 燃えキャラはどこまで行っても自己の延長。
 同性キャラはセカイを構成する自我の形成です。
 対して萌えキャラはどこまで行ってもパートナー。
 異性キャラはセカイを形成する自我を受け入れる認知なのです。

 TRPGで異性キャラをプレイする難しさ……、その根底にあるのは異性キャラがプレイヤー本人の自我とは別人格であることなのです。
 その異性キャラは、おそらくどんなゲームでも自分が作る同性キャラの恋人としてふさわしい存在なのかもしれません。
 だとしたら難しいのは当然のこと。自分を認知してくれる自分でないものを自分だとしてロールプレイするのですから無理がでる。認知してくれる存在とは自我を肯定・擁護してくれる存在であるから、他のプレイヤーとの関係によって変化してほしいとは考えづらいものです。

 例えば君の自我の分身である同性キャラが、ファンタジーの戦士から現代の高校生になったところで、君の幻想にいる異性キャラは衣装を変えつつも君のよき理解者としてい続けてくれるだろう。だが、君の自我はそのままで彼女だけが突然悪魔になったり体型が変わったりしたりどう思うでしょうか。

 具体的には……。
 涼宮ハルヒの声が平野綾から田中真紀子になったとイメージしてください。長門有希の外見がジャイアント・バーナードになったとイメージしてください。朝比奈みくるの正体がイスの偉大なる種族(Great Race of Yith)だとイメージしてください……。
 ↑のリンク先をクリックすれば該当者の画像に飛びます。

 イヤでしょ。
 どんどんイメージして正気度を下げてください。

 俺は変化するのは構わない。俺は完全ではないし柔軟だからだ。
 だが、俺の彼女を変化させないでくれ。彼女は俺を完全にしてくれるから。彼女が変化してしまったら、俺の自我を誰が受け入れてくれるんだ……。

 長門さんが長門さんであり貴方を受け入れてくれる限り、あなたの外見は今のままでもジャイアント・バーナードになってでも我慢できると思います。だが、長門さんがジャイアント・バーナードになってしまったら多分あなたの萌えは地獄に叩き落されてしまうでしょう。

 TRPGは自分がジャイアント・バーナードになってしまうことが多々あるゲームです(筋力に能力値を多く配分すれば体型は似てくる)。キャラクターもゲーム世界も、シナリオとゲーミングによって絶えずカオスが発生し、そこから新しい物語が生まれるのです。

 そんなゲームの中、プレイヤー本人からすれば変化してほしくない異性キャラを投入すれば、自分のキャラのイメージを防御するようロールプレイするに決まっています。そのために、他者の行動によって自分のキャラが変化しないよう、また自分のキャラも他人に変化をさせようという気を起こさせないようなプレイをします。
 すなわち、自己完結。
 プレイヤー本人の願望を異性キャラが実現して、終わる。
 自分の意思とイメージとして対峙する異性キャラとの2人パーティによる妄想美少女ゲームです。そこには他のプレイヤーとの接点はありません。

 そんな状態ですから、他の人のキャラが彼彼女の異性キャラを口説いて恋人設定にしようとしてもまず無理です。だってその異性キャラの恋人は作ったプレイヤー本人なのですから。

 異性キャラをプレイすることの難しさ、それは自分の夢が他者の介入によって変化してしまう危険に侵されるTRPGの現実が根底にあります。
 長門さんが好きで長門さんをPCに仕立てたとして、もしプレイ中にジャイアント・バーナードになってしまったら、あなたはプレイを続行できるほど意識あります?

 自分の萌えキャラをいじられた程度で真っ白になったりGMを殴り倒したりしないためにも、あるいはそれ以前に萌えキャラが自我とは異なる現実の前に消化不良のセッションをしてしまったり……こっちの方がほとんどだけど……せんためにも、少しは妄想とは距離を置いたキャラ作成ができればいいんですけど。
 でも、無理に昔の、萌えなんて大した意味なんかなかった時代のTRPGに戻すべきだと主張しても誰も靡かないんじゃないかな。妄想を具象化できるゲームメディアとして、TRPGはもっとも近いラインに迫れるものであるわけだし、それは弊害があれど大きな武器にもしてきたわけですから。

 むしろ、現在のTRPGはまだウォーゲームの独立性が頑なに守られている……いかなるキャラもウォーゲームでの戦力的役割分担を基調としたデザインがされ、ウォーゲームをしないことにはゲームとしての骨格がレイムダックしてしまう仕組みです。
 そこを刷新してウォーゲームなくともただのお喋り会と見られない、TCGやボードゲームやってる人から見ても、これはゲームをやってるんだと認めさせるような新しいゲームデザインをすればよいんだし、その中で自分のイメージが「ロールプレイ支援」などという迂遠な手段ではなく、もっと主流として発揮できるよう、そして自我とイメージとのギャップに苦しまぬようプレイ中にイメージを再構築し、プレイにあうよううまくイメージを作り直せるようにすればいいんじゃないかなと僕は思います。

 そんなことは『蓬莱学園の冒険!』で荒削りながら自然とやってたんですけどね。あの頃培ったものをもっと洗練化できはしないかと模索しているわけです。
 
 

 
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2006年11月05日

屋台迷宮に遭遇

 TRPGのゲーマーは健全なのか土日祝日はアクセス数が減ります。
 まぁ、休日昼間にアクセス数があるようではこの業界は問題ありでしょう。むしろ平日投稿の方がアクセス数が稼げる(お金にはならないけど、ちょっと嬉しい)ので、なるべく平日に書きたいものです。
 ただ、シナリオ書いたり、ルールブックやサプリや資料を読んだり、録画番組をダビングしてたりすると夜なんかすぐに過ぎてしまうので、自然とコラムの数は減っていくものです。
 とりあえず毎日投稿すればアクセス数アップするかもしれないけど、そのためにはTRPGを止める必要がありますな。

 そんなわけで、今日はよしなし事。
 しかもつまらんことなのでちょびっと。

 昨日、11月4日は酉の市でした。
 いつもは近所の大鳥神社に出向くのですが、「いい加減縁日の並びも憶えた」という僕の一言により、急遽東京最大の酉の市、浅草鳳神社に出かけることになりました。

 …すごいや。
 浅草鳳神社は浅草寺から少し奥に入った千束という町にあるんですけど、千束から竜泉、三ノ輪と云った、小道が入り組んだ町が屋台に支配されていました。迂闊にも浅草から来てしまったものですから、1時間くらい屋台迷宮をさまよってしまいました。
 
 なるほど。戦闘のないTRPGでダンジョン物をする場合はこういうシチュエーションにすればいいんですか。PCの嗜好に合わせた様々な屋台がトラップとしてPCたちのHP…財布を削り、無軌道な人の流れがパーティを分裂していく。モンスターはいないが酔っ払いはたくさん。
 はたして無事にお参りをすませ、勝利の護符(熊手)を入手できるのか…。

 実際プレイすれば盛り上がるけど、文面にするとつまらないゲームができそうですな。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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