2006年12月28日

しゃれたヒゲですな 〜今年も過酷な年末〜

 大掃除、やっと終了。もう疲れた。
 これで何とかコミケに行かれます。今年は去年と違って壁の売り子はせずに済みました。だけど肩が痛い腰が痛い膝が痛いという状況は去年とまったく一緒。
 おそらくこれが最後の書き込みになるのかなぁ。去年も一年の総括は松が取れてからにしましたし。それ以前に新春早々地方から帰ってくる級友と『T&T』やる約束しちゃって、しかも僕がGM。
 
 T&Tと云えば新版が出たばかりですけど、1レベル呪文の中に<しゃれたヒゲだね>なんてのがあって、思わずほくそ笑んでしまいました。こういう呪文はGMたるものゴブリン1人の命を賭けてでも行使しなければなりません。
 ちなみに説明文にあるヴァン・ダイク髭ってがどんな髭なのか知らない人はこちらをチェックしてください。髭の世界の奥深さを垣間見れるかもしれません。ドワーフ愛好家の方々は必見です。

 一般的なヒゲの形の名称(潟Jミソリ倶楽部)

 では今日はこのへんで。
 みなさんよいお年を。
  
ラベル:T&T ゴブリン
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2006年12月21日

無用の用だってあるさ

 師走とくれば大掃除なわけで、忘年会シーズンに備えて12月前半は大掃除に忙殺されます。特に実家の大掃除は屋根の掃除から庭のコニファーの選定まで多岐にわたります。
 それにしてもコニファー……それも最もポピュラーで、最大10mは達するゴールドクレスト……は半年で50cmも伸びるんもんですから、人気だとか見た目とかで安易に選んでは後で後悔するぞということです。

 ……などと月曜夜に書いていたらSeesaaがメンテナンスで時間切れ。
 しかも翌日は屋根に上ってデッキブラシで苔落とし。

 こんなことだと頭ん中が真っ白になります。
 だから今日は方向性まったくなし。

 『アリアンロッドRPGアイテムガイド』を購入。
 嗚呼。なんだかんだ云って、今年はD&Dとアリアンばかりの年でした。
 こういう装備品ガイドが出るってのは嬉しい。装備品ってのはデータの中でも分かりやすい項目だから、そんなにヘビーじゃないゲーマー(僕。持ち込みGM経験なし)にもありがたいものです。
 
 実の所、PCを強化する手段として特技・技能で強化するか装備で強化するかとなると、僕は断然装備の方を支持します。
 特技・技能は組み合わせによって効果が倍増するもののあれば、シナリオ次第によってはまったく使い道がなくなったり……内陸しか舞台に選ばないGMのもとでドレッド・パイレートをプレイするとか……して、その選択には十分な研究が必要なものです。

 第一、アリアンロッドのスキルは大抵カタカナだし、説明も2〜3行なのでイメージつきづらく実感に乏しい。ROの影響なんでしょうけど、これでは「自分の遊びたいキャラクター像を投影できるように作る」というキャラ作成動機が湧きません。ロールプレイで使用したいってほど面白味が湧かないわけで、それなら数値修正的に最善手を選んだ方が無難に活躍できるぞ、と。

 特技・スキルをただの強化、数値修正だと思えばそんなこと特に問題ないんですけど、僕の場合、『GURPS』や『蓬莱学園の冒険!』や『PENDRAGON』といった、キャラの性格がキャラ作成の仕方によってプレイヤー本人の気質などお構いなしに出来上がっちゃうゲームが好みでして、自分の「素」とは違う異質なキャラをロールプレイするのが楽しいわけです。
 だからキャラクターがTCGのデッキを紙面に表記した程度の役割しかないのなら、TCGの方がメリハリがあって楽しいんじゃないのかなと思ってしまうのです。

 アリアンロッドの場合でも、数値修正だけ考えていればいいかもしれないって思うんですけど、やはり何らかしら「遊び」もほしいわけでして、そのために真っ先に「ダンサーやらせてくれ」と僕らしくないわがままを要求してしまいました。そのおかげで楽しめたし、長続きしました。
 ただ戦闘で最善手が打てるだけのキャラ作ってたら2、3回で飽きていたかもしれません。

 TRPGには勝敗があるかないかなんて論は昔からありますけど、TRPGは「勝ちにいく」よりも「遊びにいく」ことの方が大事なんだと僕は思います。
 TCGと違って最善手に多様性がない……ウォーゲーム以来の特徴なのだが、ウォーゲームは題材となる戦争を模擬するのが目的だから、至上のシミュレーション結果としての最善手が凛然と存在し、プレイヤーはそれを目指して鎬を削る……わけだから、勝ちにいこうとするなら誰がやろうと和マンチキャラで画一化されて当然だし、それならキャラ作成なんかなくてもテンプレートのみでいいんじゃないでしょうか。

 ウォーゲームはウォーゲームで割り切って、後はキャラなんか放っておいてプレイヤー同士シナリオを肴におしゃべりしてればいいやという人もいるでしょうけど、僕はそういうのは性に合わない。
 キャラクターという玩具で遊んでないと飽きっぽくなるという点で、僕はTRPGで「遊びにいってる」人なんだなと思います。
 
 ……ああ。そういえばROで遊んでた頃も中途半端な能力値振り分け(TRPG出身なだけに人間としての平均以下は気が引ける)をして、何かと苦労をした……VIT27のハンター作って、「アコを作るのだけはやめとけ。向かんwww」なんて云われた……もんです。

 ……作ったよ。思いっきりINTアコをね。
 おかげで万死に値するっいうか万死して迷惑かけまくりでしたよ。

 
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2006年12月12日

まじないとしてのリプレイ本渡し 〜本当にリプレイ本を渡すべき相手〜

 TRPGのゲーマーは、TRPGに興味を持った素人にリプレイ本を渡す風習があります。これは「どうかTRPGに興味を持って、コンベンションに参加してくれますように」との願いをかけたおまじないの意味があります。

 本来、リプレイ本を渡すのは相手に「私はただのファンであって、君に技術や醍醐味を伝授できるエキスパートではない」という意思表示をするための社交辞令でした。
 これは音楽やスポーツなど、プロの活動家と素人のファンが分離している業界では共通した行動と云えます。音楽が好きだという人が知人から音楽の魅力を教えてくれと聞かれたとき、CDを渡すか楽器を持ち出すかの違いと似ているかもしれません。TRPGの場合、ほぼ99%のゲーマーがアマチュアながら、その専門知識の多さから技術指導・普及に熱心なエキスパートと、一消費者として気ままに遊ぶことを望むファンとゲーマーが分離しています。

 だが、社交辞令というのはしばしば換骨奪胎がおこるものでして、中身に込められた意味が忘却されながら、形式のみが無意味に行われることがあります。

 かつてはリプレイが契機となってTRPGに参入してくる人もいました。
 それはリプレイが80年代の発明品であり、当時RPGそのものの情報が、『コンプティーク』などのゲーム総合情報誌や、『ドラゴンマガジン』などのラノベ誌による雑誌メディアに限定されていたことが背景にあります。総合誌にリプレイが掲載されれば、情報量の少ない時代、読んで興味をもってくれる人も結構いました。
 リプレイがTRPGの勧誘に役立つというのはこの時代に培われた常識感覚です。

 総合情報誌への売り込みは功を奏して、多くの新規参入者を得ることになりましたが、それは同時にシミュレーションゲーム上がりの旧来愛好者たちがコンシューマーやライトノベルと云った異種の文化に晒されることを意味しました。彼らはこの異世界から参入者を招いたアストラルゲートと呼ぶべきリプレイの威力に惑わされていきます。
 リプレイ本自体が読み物として面白かったこともあり、TRPGゲーマーたちはリプレイ本がTRPGの入門書なのかライトノベルの一種なのか冷静に見極めることができなくなり、その時点で本来の意味が忘れ去られました。本来なら自分の指導でTRPGの魅力を教えられるエキスパートですら、リプレイ本を渡すことがTRPGの魅力を伝えることができると思うようになったのです。
 
 そして、いつしか「リプレイの読み物としての面白さ」が、「TRPGというゲームへの伝道と指導に役立つ」というよく考えれば結びつかない2つの要素がゲーマーの間では結びつくという、ある意味お花・的な思考が定着するに至りました。

 かくして、リプレイ本を渡すという行動はTRPGの普及のために役立つ神聖な行為として讃えられるようになりました。書店のライトノベルコーナーにリプレイ本があると、あたかもTRPG業界の健在ぶりが誇示されているかのように嬉しさを感じます。そして、リプレイ本を買う人はいずれもTRPG愛好家ならびに予備軍として集会に足を運ぶ人たちであろうと思い込んでいます。

 このBlogはラノベ好きの方々も見ていらっしゃると思いますのでお知らせしますが、もしあなたが書店でリプレイ本を手にした時、近くに心の中でガッツポーズをしているような人を見かけたら、その人はTRPGゲーマーです。あなたがTRPGゲーマーではないことを知ったら鬱で卒倒するでしょうから、訳知り顔をしてやり過ごすことをお勧めします。

◆◆◆

 さて、ここで冒頭の一節を読み返してください。
 この一節は明らかに矛盾しています。

 「TRPGに興味を持ってくれますように」という願いを篭めてリプレイ本を渡していますが、渡している相手は「すでにTRPGに興味を持っている」人なのです。実はTRPGゲーマーがリプレイ本を渡すときは、ほとんどがTRPGに興味を抱いた人への返答としての行動なのです。
 
 もうすでに興味を持ってくれてるんだから、ルールブックやダイスを見せ、できるならプレイに誘って教えてもいい段階です。
 確かにリプレイはTRPGの存在を世に知らしめ、人々に興味を持ってもらうようにする役割は十分あります。だが、それはリプレイを書いて出版するプロの役割です。
 アマチュアであり、TRPGの現場に立つ市井のゲーマーがやるべきことは、興味を持ってその道の人を尋ねてきた人たちを現場に誘い、TRPGの楽しさを実地で教えることにあります。

 そういうことを理解せず、ただリプレイを渡すことがTRPGの普及に役立つとお思いの方、そう主張する方々……僕はあなたがたのTRPGへの情熱は大いに賞賛するべきだと思います。
 だが、少し間違っています。

 あなたがたがリプレイ本を渡すべきなのは、TRPGに興味を持ってあなたを尋ねてきた、同心円の縁(ヘリ)にいる人たちではなくて、その外にいるTRPGの存在を知らない人たちなのです。

 TRPGの同心円の外を見渡して、リプレイ本がどのような扱いを受けているかもう一度注視する必要があるんじゃないですか? 書店でリプレイ本を手に取る人がTRPGゲーマー予備軍なのか、ただのラノベ愛好者なのかよくよく見極めなくてはなりません。

 今までリプレイ本のおまじないは効いて当然でした。
 端から興味のある人に興味が湧くようにおまじないしているのだから。
 もし効かなかったとしたら、それはTRPGの実体を教えなかった渡し人本人の怠惰に幻滅されただけのこと。

 本当にTRPGの普及に情熱を持っているならば、ここは興味を持ってくれるかどうか分からない、思わず祈りたくなるほどTRPGに縁のなかった人にこそ、願いを篭めてリプレイ本を渡すべきです。

 まず手始めに、自分の趣味において最も理解がほしい相手であり、なおかつTRPGについて絶望的に興味がないであろう、あなたの親にリプレイ本を渡してみてはいかがでしょうか。

 ゲーマー諸君、リプレイ本を親に渡すべし。

◆◆◆

 ちなみに、リプレイ本が初心者の教本として役立つなんて意見はまったくのデタラメです。つーか、誰が主張しようとも、いざプレイとなればリプレイ本が持ち出される機会なんてほとんどありません。せいぜい、リプレイと同じ舞台でGMが街の光景をリプレイ本朗読して知らせる程度で、それすら該当する一節を探し出して朗読するよりは、適当に憶えて自分の口で言い直す方を選びます。

 なにより、プレイが終わって無事新規参入者がTRPGゲーマーになったとしても、「リプレイがあったこそこの出会いがあった。ありがとうリプレイさん」とリプレイ本に感謝するゲーマーなんていやしません。
 大抵が自分の教え方が良かったと思いますから。

 だから「おまじない」なの。
 受験や就職で成功して、散々願をかけた神社仏閣にお礼参りをする人ですか? 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(1) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

人それぞれ、それぞれの人 〜TRPGは何をもって個々の違いを示しているか〜

 皆様、大変長らくお待たせいたしました。
 ようやく熱も37度を下回り、なんとか活動を再開できる環境になりました。12月ですので忙しいのは当然でまだまだ本調子ではないですけど、なんとか以前のペースでやっていきたいので、よろしくお願いします。

◆◆◆

 「TRPGの楽しみ方は人それぞれ」
 よく聞く言葉です。
 その言葉の中身をいったいどれだけの人が考えたのか、さっぱり見えてこない言葉でもあります。大抵、大した意味などなく用いられているんでしょうけど、そんな言葉だからこそ無意識の感覚が篭められているのでしょう。
 今日はなんでTRPGは人それぞれなのか考えてみます。

 TRPGってのは他のゲームのように心の住み分けがうまくいかないゲームだから、よく遊び方に対する姿勢で揉めます。この「心の住み分け」ってのは、例えばボードゲームでも読みや駆け引きが重要なゲーム、資源管理・運営が重要なゲーム、運の強さが重要なゲームと色々あります。そうした多種多様なゲームの存在を認めることが「心の住み分け」です。
 簡単に云えば「ボードゲームって色々あるよね」ってこと。
 ボードゲームなら、『プエルトリコ』と『サンファン』は同じ舞台を使いながら、前者はシミュレーションらしく高い戦略眼が要求され、後者はカードゲームらしく素早くコンボを固める判断力が要求される、まったく異種のゲームであることを意識しなければなりません。
 
 ところが、TRPGの場合はボードゲームほど多種多様な遊び方をしないものです。物語の再現というメディア要素が強いTRPGは、ゲームシステムの多様性以前に、TRPGで再現できる物語に多様性が求められてきました。似たようなシステムで似たような遊び方をしようが、扱う物語が多種多様ならばそれで十分事足りたのです。
 それ故、ゲームシステムとしてのTRPGに関しては他のゲームほど区別を意識する必要はありませんでした。
 言ってしまえば、「どんなゲームだろうと、TRPGはTRPGだ」「どんなTRPGも根っこは同じだ」ということです。システムの違いによるゲーム性の違いに対して、TRPGゲーマーは驚くほど無頓着です。
 どうせどんなTRPGも、普段と同じようにプレイしてりゃ〜間違いないだろうにと、大抵の人は思ってプレイします。

 そして、よく間違えます。
 TRPGはゲームで遊び方の違いが見分けられないもんなのです。
 
 こういう普段の感覚でやったら失敗したとしても、「ああ、これは違う性質のゲームなのだな」と思うのが他のゲームでしょうが、システムの差異に無頓着なTRPGの場合、「ああ、これはGMの嗜好が僕とは違うのだな」という方向に行きます。
 すなわち、「ゲームが合わなかった」ではなく、「遊び相手と合わなかった」という発想をするということです。間違いないと思ってたのが間違っていて、それでゲームの違いなんか意識していないとしたら、残りは遊び手の違いでしか違いを区別することができないでしょう。
 
 言い換えれば、「遊び手の相性が合えば、どんなゲームも同じように遊べる」のがTRPGだと云うことです。システムよりも扱う物語の性質で違いを判別してきたTRPGゲーマーにとって、物語の実務を担当するGMこそが多様性を生み出す差異であると認識しているのです。
 同じシナリオを扱ったとて、GMが違えばまったく違うセッションが楽しめる。あるいはGMが同じでもプレイヤーが1人違えば……。いや、遊ぶ相手も同じでも……。
 
 人それぞれに違うゲームが味わえる。
 そのことにTRPGゲーマーは何ら不思議を感じません。
 素晴らしいこととさえ思っています。
 「同じシナリオなんだから、全国津々浦々どこの誰がやってもある程度のパターンしか遊び方なんか生まれない」なんて誰も考えません。

 確かに素晴らしい発想ではあるんですけど、それは一方で「遊び手の経験こそがTRPGのすべてなんだよ」と言っているようなものです。それですら、TRPGは遊び手自身の資質向上に役立っているとかポジティブな見方もできますけど、穿ってしまえば「経験がなければ誰とも分かり合えず、何も理解できない世界」とも云えます。

 素晴らしき人それぞれの世界。
 人ができていなければ同じ趣味を持つ資格がないのです。
 人が合わなければ、同じゲームの愛好家であっても理解し合える要素なんかどこにもないのです。あいつは異星人だったと喧嘩別れするしかないのです。
 それくらい、この世界では人それぞれの経験が重視される世界ですし、人それぞれの経験に揺るぎない自信を持っている世界だと云えます。
 この世界では「人それぞれ」という言葉は、「人それぞれなんだから、お互い妥協しようよ」という意味ではありません。「人それぞれなんだから、もう距離を置くしかないじゃないか」という意味です。なぜなら、人それぞれに妥協できる点がないほど違う経験が備わっており、それはゲームの多様性を引き出すには欠かせない要素であり不可欠とされているから……。

 実際にはそんなことないのに。

 僕は、「TRPGは人それぞれ」という言葉を聞くたびになんか不気味な感覚を感じていたんですけど、この言葉の裏にある「それぞれの人が分からなきゃ、TRPGは分かり合えない」ことを意味しているようで、そこに怖さを感じたんです。
 一昔前、TRPG系Blogでも問題児告発がちょこっと盛んになってだいぶ気に病んだことがありました。なにしろ僕がそのはしりでしたし。
 肝心なのは、そこから何を学び、どう自分を克服していったかでしょう。言いたいことだけ云って、ああ気が済んだとBlogを畳まれては残ってBlogを続ける身としてこれほど迷惑なことはないです。
 他人をコキ下ろすなら、返す刃で自分もコキ下ろされることをTRPG系Blog書きの人は忘れてはなりません。日本の問題ゲーマー四天王の1人に君臨する(かもしれない)僕が云うのだから間違いないです。
 下手にBlogで告発しても、結果は黙ってりゃいいのにという評価しか返ってこないことの方が多いもんです。

 そりゃTRPGとて人付き合いだから、何かと気に喰わないことはあります。
 だけど、そんなんは一声お説教したら許せる範囲のもんです。徹底的に分かり合えないってほどのものではありません。
 そんな完全無欠な経験を積んだゲーマーなんかいやしませんて。

 「人それぞれ」ってのはやはり尊重し合おうという意味の方が健康的でよろしいと思います。もう譲れない一線超えたから距離を起きましょうなんて、なんともさみしいじゃないですか。たかがその人間のちっぽけな欠片でしかない論と論との諍いでさ。

 前々回紹介したプレイヤー診断が結構流行ったようですけど、たぶんほとんどの人が「こんな診断なんかで俺様の経験は測れやしまい」と思っているでしょう。診断結果を公表したBlogを廻って、自分では一番数値が低かった要素が一番の人と出くわし、はたしてこの人と同じTRPGで楽しんでいけるのだろうかと考えるまでに至ったでしょうか。
 
 実際には問題なく遊べても、意識的には無理です。

 やっぱりゲームの遊び方を「人」によって分別するやり方はあまり好きではありませんね。それが厳密になれば、絶対的に分かりあえないものってができてしまうのではないでしょうか。
 そのためにも、少しはゲームによって遊び方の違いが出てきてもいいんですけど。


 
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2006年12月08日

風邪ひきました

 皆さん、予防接種は体調万全のときにやりましょうね。

 そんなわけで快癒するまでコラムを休ませていただきます。
 12月は開店休業状態で、皆様にご迷惑をおかけしてどうもすみませんです。
 
posted by 回転翼 at 00:30 | TrackBack(0) | 更新情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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