今日は「システムの簡略化はGMの負担を減らせるのか」というお話。
TRPGは慢性的なGM不足です。
これはGMがゲーム運営、裁量、シナリオ運営、プレイヤー間の仲介と仕事が多いこと、把握すべき情報量が非常に多いことなど、総合的に「敷居が高い」のが原因とされています。
ならば簡単なシステムにすればいいのでしょうか。
煩雑なデータ、再確認が容易ではない数値修正、時間と手間がかかる判定、面倒な計算、余計な記述箇所……そういったTRPGを「時間と手間がかかるもの」たらしめるものは、何かあるごとに生き字引のようにシステムを読み解くよう要求される分、プレイヤー以上にGMに負担のかかる存在です。
そういったものを廃し、GMが一々ルールブックをプレイ中「再検索」することがないよう、憶えやすいスリムなものにすればきっとGMの負担は減り、その敷居は大きく下がるに違いない……。
ほんとかしら。
実の所、TRPGのルールは戦闘に使うルールが8割で、その前提としての判定システムを足せば一応用が足せるようにできています。元々はウォーゲームの派生なのだから、戦闘以外は雰囲気付けたる刺身のツマでも良かったわけで。
だから戦闘をしなければTRPGはとってもシンプルなものになります。
戦闘を楽しむために作られたゲームで戦闘しないで遊ぼうねというのは頓珍漢な話。だけど、TRPGはラノベ誌などからリプレイ小説を通して参入者を集めている経緯もあって、ファンタジーの語り部会ができる物語再現装置としての役割を期待して参加してくる人もいたわけです。そういう人たちにとって、TRPGはリプレイ小説のようにおしゃべりができることが第一であって、シミュレーションゲームの真似事をする気などさらさらありません。
されど、無軌道な放談では彼らの期待する「物語」など脱線するばかりですから、次第にシナリオ運営技術が「ルールにはないルール」として育まれるようになりました。現在においてはF.E.A.R社のハンドハウトや『Aの魔法陣』の物語運営システムとして、「時間と手間がかかるもの」の中に組み込まれることがごく当たり前になっています。
昔はTRPGにとって物語はおまけでした。
だからシステムとしてはスカスカで、そこはルールなんかなく好きにお喋りしてればいいものでした。だけど、ラノベにしろゲームブックにしろ、ただのお喋りより1ランク上の「物語の精度」を求めるようになって、ただのお喋りが一転、アドベンチャーゲームばりのシナリオプロットとゲームブックばりの描写、ラノベばりのキャラクター、挙句は演劇ばりの演技まで貪欲に物語の裾野を広げたせいで、「ルールでないルール」であるシナリオ運営技術がどんどん必要になり、結局は「審判&ルールブックの生き字引」という従来のGMとは別のところで負担がかかるようになりました。
要は、審判と生き字引としての努力が必要だったGMに、さらに吟遊詩人と議長の役目をプラスしたのが現在のGMということです。
なるほど。敷居が高いわけです。
結局、1ランク上のことを要求すれば自ずと技術が堆積して、気が付けば敷居の高いルールがまた出来上がるということなのでしょうか。
戦闘が存在意義であるがために戦闘システムに偏重しているTRPGにおいて、戦闘が主体ではない遊び手が戦闘以外のスカスカで負担のかからないところで遊ぼうとした。だけど色々要求を高めていくうちに、物語も存在意義となって、物語が存在意義であるがために物語システムも戦闘システム同様の存在となった。
もしTRPGがまた敷居を下げるべく、負担のかからないスカスカの新天地を見つけるとしたら、「戦闘をしない」というのと同様に「物語をしない」ということにも着手しなければならないのかもしれません。
『Aの魔法陣』は物語作りをプレイヤーに委譲することですでにその道に入っていますが、物語の負担を大幅に削減するならば、いずれはシナリオ作成の意義がまったくないTRPGすら登場するかもしれません。
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