TRPGのロールプレイを「ごっこ遊び」と表現したのは誰だかは、TRPGに勝敗はないという言葉と同様、誰が嚆矢だか定かではありません。だが、かなり古い時期から使われていたとは思います。
TRPGの前身たるアナログゲームの世界では、例えば『ディプロマシー』などの交渉ゲームで、ゲーム内容を楽しむべくプレイヤーが外交官っぽいそぶりをしたりするのがロールプレイの源流だという説をどこかで読んだことがあります。僕もこの説で概ねいいと思い、これから「TRPG以前からロールプレイは存在していた」と考えています。
先人たちはTRPGにも継承された交渉ゲームのロールプレイを、それを知らない人に分かりやすく表現するために「ごっこ遊び」のようなものと表現したのでしょう。ただ、一般人が想像するごっこ遊びはこいでたくが漫画で描いた通り、幼稚園児が楽しむアンパンマンごっこなどの「お遊戯」であり、それをゲームに結びつけるのは困難だという語弊からなる問題を起こしました。
さらに演劇の脚本めいたリプレイ本が登場するに至り、TRPGゲーマーは、ひょっとしてTRPGはゲームというより芝居か何かではないかと考えるようになりました。より正確に云えば、演劇をするに近い目的を持ったゲームなのではと考えたわけです。
ゲームとごっこ遊びの違い。
TRPGはこの違いを曖昧にしてきたし、遊び手だって明瞭に区分したりはしてません。ウォーゲームから継承した部分を除けば、TRPGはいつだってごっこ遊びに転じることができます。
実際はどうなのか。
今までは「自分たちはゲームをしている」ことを前提に、1つのゲームの中にゲーム性、演技性などがどのくらいの割合で混入されているのかを問うことが主体でした。
だが実の所、TRPGは行事であってゲームはその中の(行事内)プログラムに過ぎないとも云えます。歓談あり、創作活動ありの中、じゃそろそろゲームをしますかとゲーム盤を取り出す……そんな懇親会全体をTRPGと認識しているのが、現在のTRPGの姿ではないかと考えています。
それというのも、TRPGでは終始ウォーゲームを意識してHPやMPを管理せにゃならんゲームというものでなく、また戦闘中までロールプレイを意識して行動を制限せにゃならんゲームでもありません。これが交渉ゲームともなると、プレイ開始から終了までロールプレイをプレイ中に貫徹するのが通例で、TRPGより密接した関係にあります(それゆえ、「やってられんわ」とぶっちゃける人もいるんですけど)。
ゲームもしている。ごっこ遊びもしている。
それがパートとしてきっちり分離しているのが現状なのではないでしょうか。それが正しいか否かではなく、進化の一過程として現状ではまあいいんじゃないかという段階にあるのでしょう。
もちろん、これからさらに欲が出てきたり、他のゲームから外圧を受けたり、はたまた問題が浮上したりして、TRPGはこれからも変化し続けるでしょう。
今日はここまで。






