2007年09月18日

妙手と発想のバランス 〜TRPGにおける卓上ゲーム化の基盤〜

 TRPGの行動宣言は曖昧で困ると云う話が出てきてます。

 キーワードリンクによる情報収集(氷川 TRPG 研究室)
 行動宣言とゲーム進行 セリフとか判定とか(Try to Star -星に挑め!)


 行動宣言が曖昧なのは卓上ゲーム化が進んでいないからでしょう。
 前回、バトルゲームの基盤として、

・ターン制(時局のルール化):「いつ」
・ゲーム盤(行動のルール化):「どこで」
・管理資源(戦力のルール化):「何を使って」
・コマンド(手段のルール化):「どうする」

 が制定されているものだと論じましたが、これは卓上ゲームの多くに共通している骨格要素です。TRPGの場合、もともとはダンジョン歩きが主体のゲームであって、シティアドベンチャーは卓上ゲームの範囲外で行われる雑談扱いだから卓上ゲームとしての基盤が整備されないまま現在に至っているのでしょう。

 だが、卓上ゲーム化未整備がよくないかと云われれば、そうとも言い切れない所があります。
 むしろ未整備だからこそ、ゲームの縛りがない自由さ、とっつきやすさが発揮されているのではとも考えています。雑談から出るウィットやアイディアによってコマンドによるデザイナー推奨行動以上の画期的もしくは面白おかしい行動が取れたりする楽しみってのは他のボードゲームでは味わえない要素ではないでしょうか。

 TRPGなら戦闘システムは卓上ゲームとしてのゲーム化が完了している箇所ですけど、一旦整備されてしまうとゲームとしての理性的行動の縛りがでてきます。システム内での理性的な最善手が優先されるのか、それとも自由な発想から生まれる最善手が優先されるのか……。

粉塵爆発はできるか。
出産直後の女性は精神力が高いのか。
屍毒は有効か。
敵の足元に敷かれた絨毯を引っ張れないか。

 ……などの諸問題に卓上ゲームとして理性的な回答……卓上ゲームのルールとして整備された状態で提示しなければなりません。ここが曖昧だと、すでにゲーム化された要素(戦闘動作、魔法など)が形骸化し「駆け引き・やり取り」の楽しさが変質するかもしれません。ゲーム化する能力がないGMの場合、不確実性の危険から防御するためにも、「ゲームとしてできない」と明言したほうがいいです。

 TRPGにおける行動宣言の曖昧さの魅力ってのは、電源媒体のみならずあらゆるゲームでは対応できない「自由な発想」をフリートークという非常に融通の利く方法で活かせるっのがあると思います。
 
 発想を活かせるということは意外な発想が発揮されるのみならず、発想が思いつかない場合でも容易に助け舟を出せるという利点があります。遊び手は誰しも探偵ではないので、何をしていいのか分からないという「お地蔵さん」状態になることも結構あります。
 実の所そういう人にコマンドを示すと、どのコマンドも出せず萎縮するものです。コマンドが有効なのかという発想ができないのですから迷うのです(自分への利益もさることながら、周囲への責任による所が大きい)。
 行動宣言が曖昧だと、「よく発想できないけど、○○について調べます」なんて「曖昧検索」もカバーできますし、ヒントなどを柔軟に出せたりもします。

 これは非常に快適だし、何よりも初心者にストレスを与えません。

 だが、ゲーム化を厳密にするにはそれなりの利点があります。
 なぜ、ゲーム化した行動宣言が楽しいかと云えば、誰もが有効手だと認知できる理性的な妙手が出せ、万人に駆け引き・やり取りを支配したことを認めさせることにあります。

 妙手を出せば勝ちってこと。
 遊び手が誰であれ。キャラクターが何であれ。

 行動宣言のゲーム化が未整備だと、妙手が妙手なのか分からなり、混乱を招きます。
 例えば、ライトニングボルトの呪文効果が未整備だとします。
 そこで、

「僕は衣服の上にフルプレート着てますから、金属鎧がアースとなって電気は地面に流れてますよね。僕って無傷じゃね?」

 なんてこと言い出せる余地が生じることになります。
 
 「水属性の敵にはサンダーが効く」という神話(「いんちき」心理学研究所)

 ここで、「そうか。じゃ〜みんなどうする?」で協議して裁定したりするのが行動宣言が曖昧な例。「ルールでは○D○のダメージを与えるって制定してるから却下。ゲームのことなんだから無視してくれ」とするのが行動宣言が厳密な例。
 もし受けた側の主張によってダメージ無効となったら、出した側はルールに従って出した妙手を言葉1つで無効化されたことになります。当然ながら理不尽な行為です。
 そんなのが罷り通るのなら、わざわざライトニングボルトなんか選ばず、プレイヤー知識で思いつく限り最も確実に相手を倒せる手段を「直に」説得できるよう考える方を選びます。そっちの方が受け入れられやすいのならば。

◆◆◆

 TRPGはゲームと遊びの間にあって、その楽しさを「妙手と発想」のどちらに委ねおうか模索している段階にあるのではないかと思います。
 『TORG』の推奨行動など、まずコマンドとして妙手を出させ、その次に妙手の内容を発想させるというシステムもあり、デザイン次第では折衷できる要素かもしれません。

 まぁ、シティアドベンチャーに関しては議論を具体化するために、一度卓上ゲーム化されたものを提示するのがよさそうなんですけどね。
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(2) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

『らき☆すたTRPG』は作成至難 〜TRPGの根源にある駆け引き・やり取りのゲーム〜

  今日は『らき☆すた』はTRPG化するのは難しいという話。
 TRPGのゲームとしての限界を語る予定。

 TRPGに限らず、RPGではヒロイックな世界が好まれます。互換性が高いと云えばより的確でしょうか。
 一般にヒロイックがTRPG向きなのは、そこに描写されたアクションがTRPGの前身であるミニチュア・ウォーゲームで表現可能だったからでしょう。段々とアクションを単語化しコマンドとしてしていくことで、例えば戦闘動作や魔法などはコマンドとしてTRPGのシステムに組み込むことができたわけです。
 然るに、一般にヒロイックとされていない作品がTRPGに向かないのは、基幹となるゲームシステムが見つからない……何を以て遊びと成すのかが定まらず、ごっこ遊びから昇華するゲーム化の意義すら見出せない……ことと、作品内のキャラクターが見せる動作を単語化しコマンドとする作業が難しいからではないかと考えています。

 RPGを物語再生装置として捉えるならば、物語さえあればそこにヒロイックなどなくとも、いわんや戦闘がなくともRPGで表現可能に見えてきます。それは「主人公の成長による物語の伸展」という物語によくある構図にRPGが合致しているから、その構図に則った物語がRPG的に思えてくるからなのでしょう。

 だが、物語再生装置だのRPG的だのと云ったものを剥ぎ取れば、『D&D』にしろ『ウィザードリィ』にしろ、浮かび上がるのはコマンド制によるバトルゲームであり、その淵源はチェスや将棋にたどり着きます。『D&D』から昨今出た『六門世界RPG(第2版)』まで、コマンドバトルゲームによる「やり取り」が伝統的に継承され、それを以てゲーム性としているのが現状です。『Aの魔法陣』のみ、それから外れているようですが、それが本質なのか皮相なのかは後述でします。
 バトルゲームの基本は将棋・チェスと同じターン制(時局のルール化)とゲーム盤(行動のルール化)で、それに管理資源(戦力のルール化)及びコマンド(手段のルール化)を足したものです。これが何を意味するかと云えば、TRPGはセッション中に将棋やチェスのようなゲームを行うのが通例の集いであるということです。

 そこに現行TRPGの限界があるのですが、現行TRPGはごっこ遊びからゲームに昇華させるシステムとして『チェインメイル』らウォーゲームしか採用していません。世界各国で百種類以上あるTRPGが、多様性などという言葉をあざ笑うがごどく悉くチェインメイルに似通った戦闘システムにゲーム性を依拠しているというならば、ゲームとしてのTRPGの楽しさはウォーゲームが持つ楽しさの限界と等しいわけです。

 ではウォーゲームの楽しさとは何か。
 それは「駆け引き・やり取り」のゲームの楽しさであります。
 
 ウォーゲームやその淵源たる将棋・チェスの醍醐味は「駆け引き・やり取り」と云う戦術及び交渉の妙にあります。格闘技やスポーツ
と云った「優劣を競う」ゲームとは微妙に異なる要素ですが、「駆け引き・やり取り」のゲームには不確定要素(カオス)を極力廃し、ゲームにとって理性的な行動が障害なく行えるような仕組みが取られています。例えば、将棋やチェスには遊び手の肉体的差異はまったく影響しませんので、ドーピングは無意味です。
 ゲームが求めている資質……将棋・チェスでは戦略眼など……以外の要素によるゲームへの影響を悪影響として排除してこそ、初めて競技者は互角の土俵に着け、技量を比べることができるというのが「駆け引き・やり取り」のゲームの考えであり、結果こそ全てであり、そのためなら人間の資質はできる限り総動員すべきという「優劣を競う」ゲームとはゲームに対する捉え方が異なっている所です。

 つまり、「優劣を競う」ゲームは技量と同等にコンディション、メンタル、道具、環境なども左右する総合資質ゲームなのに対し、「駆け引き・やり取り」のゲームは限定資質ゲームと云えましょう。
 これは、格闘技・スポーツなどは不慮の事故による怪我や中断、誤審によるヒューマンエラーなど不確定要素によるゲームへの影響が頻発するもの故、競技者は不確定要素に備えるべく技量以外の資質も磨かなければならないのに対し、将棋やチェスにはさほど深刻な不確定要素がないので考慮すべき資質は少なくて済むというのが理由です。
 さらに云えば、格闘技やスポーツは肉体という個人差があり、有限で、消耗する資質を競っているのですから不確定要素は起こって当たり前です。それ故に結果が未知数になり、「勝負は下駄を預けるまで分からない」面白さがあると云えましょう。
 一番の記録を出した選手がファウルで無効になるってのはスポーツの世界ではよくあることです。それによって二番目の選手が優勝することも、「優劣を競う」ゲームにとってはアリなのです。これは単に記録だけが勝利条件ではないという「非理性的な勝利」と云えましょう。

 「駆け引き・やり取り」のゲームは不確定要素を極力排除していますから、ゲームにとって理性的な行動以外は取れない仕組みをしています。将棋・チェスでは、自分の番に動かし方を制限された駒を1つ動かすこと以外の事はできません。それ故、遊び手の行動にはパターンの限界がつき、結果を求めるための要素は有限となります。不確定要素が入らないので、勝利するためには「理性的な勝利」しかないってわけです。
 駆け引きに勝った者はアクシデントなく勝てる。
 それ故、結果の性質に関して「駆け引き・やり取り」のゲームが与えるニュアンスは少ないものです。純粋に優劣を競うだけでは、面白みに欠けるのです。だが、一方で勝ちを急ぐ必要がないから戦略をじっくり考える余裕があり、試合経過を眺望することが可能となります。だから、「駆け引き・やり取り」のゲームは試合経過にこそ重きが置かれる傾向にあります。

 「駆け引き・やり取り」のゲームで面白いゲームを引き出すには、いかにして結果を出すのではなく、いかにして魅力的なパターンを演出するかにあるかと云えます。妙手にこそ命ありです。

 TRPGの楽しさの淵源にある、「駆け引き・やり取り」のゲームの楽しさとはすなわち、「妙手を出して駆け引きを支配する」ことの楽しさにあるのです。これは単にシステム上のみならず、シナリオを面白くするフリートークの部分でも同じことです。単にシナリオをクリアして多くの結果(経験値)を求めることよりも、いかに妙手を繰り出してシナリオをよりドラマチックにするかの方がセッションにとって有益なことだというのが大勢の意見だと云えます。
 この楽しさを損なったらTRPGはゲーム性を完全に失うし、この楽しさでしか現状においてはTRPGは楽しめない。この楽しさに飽きてしまったら、もうTRPGは楽しさを提供できないのです。

 『Aの魔法陣』はチェインメイル風のウォーゲームが基幹ではないので従来のTRPGとは一線を画した印象がありますけど、むしろ本質である「妙手を出して駆け引きを支配する」楽しみには特化しており、TRPGの楽しさの本質からは外れてはいないと思います。

 TRPGの場合、まだ戦闘が1セッションにつき1〜2回程度であり、ゲームによっては物語の伸展に合わせて投入されるのがセオリーなのでまだ問題ないのですが、CRPGに至ってはビルドアップのためにちまちまとした戦闘を何十回と繰り返し、しかもほとんどが物語に影響することがない……いくら妙手を繰り出してもゲームを支配できないという仕組みによって、ゲームとしての意義を大きく低下させています。
 おそらく、CRPGの醍醐味はビジュアルノベルと等しい紙芝居であり、煩雑な戦闘は物語を読み進める達成感を高めるためのストレスを溜めるためにあるのでしょう。
 もちろん、TRPGとは縁遠いゲームです。

◆◆◆

 さて、TRPGの楽しさの根源を「妙手を出して駆け引きを支配する」と定めたわけですけど、それだと妙手を出す必要がなかったり、駆け引きを支配する必要のない性質の作品をTRPGにするのは正直難しい所です。
 これは『Aの魔法陣』を含めたTRPGの限界ですけど、物語やドラマのない作品をTRPGにして楽しむことは困難です。登場人物の特徴的な行動を眺めて楽しむことが主体の作品にとって、登場人物の目的と云えば「目立つこと」唯1つです。
 この「目立つ」というのが厄介でして、単に「妙手を出して駆け引きを支配する」だけでは達成できない。TRPGで云えば、ロールプレイのみで目立つことは困難であり、そこには遊び手のルックスや話術、場の環境や聞き手の興味などの総合的資質が要求される、将棋やチェスよりは格闘技やスポーツに親和性がある楽しみと云えます。
 到底、「妙手を出して駆け引きを支配する」ことに特化したTRPGでは表現しきれないものです。

 むしろ、「やったもん勝ち」の世界です。
 そこには物語やドラマに必須の連続性がなく、シナリオなど作れようがない。登場人物の個性発揮こそが主題なので、変にシナリオによって物語を作るのは作品に対する冒涜にもなりかねません。 

 『らき☆すた』はそういう意味で、TRPG化などできるはずもない作品です。『らき☆すた』以外にも、『あずまんが大王』や『ひだまりスケッチ』などの4コマ漫画はTRPGに向いているとは云えません。
 そういう意味で、僕は『フォーチュン・クエスト』はあまりTRPG
に向いた作品ではなかったかと思ってたりもします。お面をかぶって登場人物を演技することを、そんなに多くの人が楽しめたとは到底思えないのですが……。

 まぁ、大抵の人は学園物TRPGでそれっぽい雰囲気のゲームをやれば満足する程度のものでしょう。単に目立てばいいのですから。
 もちろん、目立つという総合的資質がなければ気持ち悪がられて終わりです。ゲームデザインを考える立場からすれば、誰でも安全に目立てなければ、目立つことを目的とするゲームとしては失格です。

 だから、もし『らき☆すた』をTRPGにするなら、いかに「妙手を出して駆け引きを支配する」というTRPGの目的と、「目立つ」という原作の目的を合致させるかという課題をクリアする必要があると考えます。そのためにチェインメイル風のウォーゲームが撤廃されても、何ら問題はないかと思われます。

 例えば、僕は『ひぐなしのなく頃に』をTRPGにするならば、チェインメイルよりもむしろ人狼の方が搭載するシステムとしては合致しているのではないかと考えています。
 
  
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(5) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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