2007年11月25日

TRPG攻略対策・前編

 TRPGには攻略法があるというのが前回の主旨ですが、当然ながらGMにはプレイヤーがどう攻略するかに対する対策も存在します。今日はそのうち、前半として攻略法1と2に対する対策を。

◆◆◆

1:戦士型攻略法(基幹システム行使による解決)対策

 戦士型攻略法は、魔法使い攻略法とともにシナリオ解決の手段を「優位性の確保」に求める。

 判定による数値的優勢を軸とする戦士型には、ダイスの出目に賭けるバーバリアン型と、元値や数値修正の高さで「振らずして勝つ」ことを目指すソードマスター型の2種類が存在する。前者が派手にダイスを振ろうとするのに対して、後者は自分が活躍する機会(専ら戦闘)が行われるまでダイスロールをせず、歓談に徹することが多い。

 バーバリアン型は成功しっこない判定でも嬉々として振る。
 ソードマスター型は出番が来るまで寝てたり漫画を読んでたりすることが多々ある。

 バーバリアン型、ソードマスター型双方とも和マンチである。前者が能力値の一点集中やダメージの高い武器(ファンタジーならツーハンデットソードやハルバードなど)などを好み、後者は技能や特殊能力の組み合わせによるコンボ技を好む。

 戦士型は数値が良ければGMが善処してくれると思っているので、シナリオの把握に欠ける傾向がある。交渉技能の判定に高い数値で成功しておきながら、何を聞き出すのか分かっていないことも結構ある。とみに交渉技能に関しては、成功すればNPCが何かヒントをくれるための技能だと思っているフシもある(ゲームによっては間違った考えではない)。
 全体的に注意力散漫なので途中で何か書物(ルールブック含む)を読み始めたら、今まで説明したシナリオ展開などは綺麗に忘れられたと思っても差し支えない。

 戦士型プレイヤーを御すには、とにかく飽きさせないことが大事である。

2:魔法使い型攻略法(妙手によって場を支配する解決)対策

 魔法使い型は状況再現システムを手段として用いるが、基本は戦士型と同じく優位性を以てシナリオを支配することを望む。しかし、状況再現システムはあくまでもゲーム世界を再現するためにあるので、彼・彼女の勝利がパーティ全体の勝利に結びつくとは限らない。仲間を残して派手に散華することすらある。

 魔法使い型には積極的に妙手を駆使しようと目論むウィザード型と、パーティの不足部分を補えばどこがで活躍できるだろうと漠然と挑むドルイド型の2種類が存在する。

 ウィザード型は必殺技を有しているが、同時に「必殺技が炸裂したらどうシナリオを支配しよう」という目論見まで溜め込んでいる場合がある。それがクライマックス時であることも多く、結果として終盤まで実力を出し渋る傾向にある。
 もちろん、目論見が外れて何も出来ずじまいに終わるケースも予測される。人間魚雷をするはずが無難に勝てたり(仲間のリードミス)、交渉の妙技を披露しようとしたらNPCがシナリオ設定によって問答無用だったり(GMのリードミス)、魔法使い型はタイミングが難しく、機会を逃すと死にキャラとなる危険がある。己のキャラが死に体となった場合、独力で役立たずから回生するのは難しい。
 なお明白ではないが、絶大な効果を出す必殺技ほど、出せる状況は限られてくるものである。

 当然ながら、魔法使い型プレイヤーは妙手のあるキャラクタータイプを選んでくる。GMは彼のキャラクター作成を注視して、彼の妙手が何であるのか理解しておかねばならない。
 ウィザード型には大技よりも、使い勝手のよい小技を複数取らせた方がよい。

 ウィザード型は明確な勝ちパターンを持っているが、それはキャラクターの性能のみならずロールプレイの設定にまで影響している。物語の登場人物めいた過剰な設定のキャラを紙面であれ脳内であれ用意しており、プレイ中はその再現に務めようとする。
 ただ、彼・彼女の行動方針は常に単体のキャラとしての成功のみに想定されていることが多く、パーティ内での調和とかポジションとかは想定の範囲外である。

 消極的なドルイド型は派手なロールプレイをしないが、自分のキャラクターを把握していない可能性があり、脇役NPCめいた自販機キャラに堕す恐れがある。そもそも、他者のキャラ作成を見てから作り出すタイプなので、プレイヤー本人もかなり控え目であると見てよい。
 ドルイド型は一発で場を支配できる大技を持たせた方がよい。
 無理に空きキャラを据えず、大抵は活躍する機会がある戦士系キャラにさせるという手もある。

 魔法使い型プレイヤーは基本的に夢想家で、一場面でしか個性を発揮できないので、化けるか霞むかのどちらかしかない。状況再現システムは単発向けのゲームほど比重がかかっているので、そういうゲームを選ぶことから始められれば理想である。
 もちろん、対極的に動くキャンペーン向けのゲームで人間魚雷のような一発屋をやられても困るわけで、そこら辺はプレイヤーの成長を待つより他はない。

◆◆◆

 今日はここまで。 

 
タグ:TRPG
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2007年11月20日

TRPGの攻略法 〜未完成ノートその2〜

 『BLADE STORM 〜百年戦争〜』にハマってしまいました。ここんとこ、Blog書いてる時間を削ってプレイ中です。すいません。
 そんなわけで、今日もまとまりがついてないノートです。

その3:TRPGの攻略法は4種

 TRPGのシナリオ上における目標、すなわちミッションを解決するための方法を攻略法と呼ぶならば、TRPGの攻略法はおよそ以下の4種類に分類される。

1:基幹システム行使による解決
2:妙手によって場を支配する解決
3:交渉によって調整をする解決
4:アイディアによって状況を打破する解決
 
 1のシステム行使による解決は云わば「戦士的攻略法」である。

 この攻略法は、あらゆる判定の成功による数値的優勢からなる勝利である。TRPGのほとんどが判定で行動の成否を決めるルールを採用しており、またゲームに参加するキャラクターの性能や耐久性をはじめ、あらゆるデータを数値化しており、成否を決めるダイスの目に解決の是非を問う名分を与えている。この手法は客観的かつ公正であるが、遊び手の思考が反映されづらいことがデメリットとしてある。

 基幹システム行使による解決がよく反映されているTRPG作品は『GURPS』が挙げられる。キャラクターの資質すべてをCPと多大な技能によって再現しているGURPSは基幹システムの力が強力であり、数値的有利がそのままプレイに大きく影響する。

 2の妙手によって場を支配する解決とは「魔法使い的解決」である。

 この攻略法は状況再現システムを行使した解決策である。各キャラクターが個別に獲得している特殊技術・能力を行使することにより、基幹システムによる判定では得られない特別な効果を発動させ、数値的有利あるいは無条件成功を得るのが手法である。
 云わば切札の投入であり、乱発を避けるために使用条件や制限(その代表がMP)を仕組むゲームは多い。また、双方が切札を持っている場合は切札の応酬もあり、駆け引きの技術が必要となる。

 妙手によって場を支配する解決が色濃く出ているTRPG作品は『トーキョーN◎VA』と云えよう。各自3種取れる神業の効力が物語を方向付ける重要な要素であり、ゲーム的には神業の応酬を制する駆け引きが大事な技術になっている。

 3の交渉によって調整をする解決は「僧侶的解決」である。

 TRPGはゲームであると同時に、人間同士が生で語り合うコミュニケーションの場である。従って、遊び手同士による対話によって物語がシステムを用いることなく解決することもありえる。この解決策は、キャラクターがものを考えたり口にしたりすることに関してシステムとして搭載していないゲームなどでは顕著である。
 この手法はGMを直に説得できれば勝ちという超法規的処置を狙った手法である。GMはもちろんのこと、他の遊び手をも納得させる対話をしなければ揉め事の元となる。もちろん、お喋りが弾みすぎてゲームが空洞化する事もある。

 交渉によって調整をする解決は多くのTRPGで自然と発生している。さらに1や2との組み合わせで数値的優勢を補完する目的で行使されていることもある。だが、調整による解決のみを採用するTRPGはめったになく、ダイスを使わないオンラインセッションなどに留まっているのが現状である。

 4のアイディアによって状況を打破する解決は「盗賊的解決」である。

 1や2がGMが組んだシナリオの想定に沿った形、3がGMと話し合いによって折り合いをつける形での解決策なのに対して、この解決法は「GMの意表をつくこと」を以てシナリオの前提を崩す形での攻略となる。シナリオの盲点やGMの想定不足を突くのだから、反発をするGMもいる。
 TRPGのシナリオはえてして障害物競走みたいに各種障害を真正面から潜り抜ける形式になりがちではあるが、TRPGではアイディア次第によって障害を無効化することも可能である。障害物競走にシナリオの楽しさのほとんどを賭けていたGMからすれば楽しみを白けさす余計な発想とも云えるわけで、アイディアを活かすか殺すかGMの裁量による所が大きい。

 アイディアによって状況を打破する解決を盛り込んだTRPGとして『Aの魔法陣』が挙げられるかもしれない。本来なら物語展開をGMが決めていたTRPGのシナリオをプレイヤーの収束力によって方向付けるものにした新感覚の作品である。

◆◆◆
 
 今日はここまで。
 
タグ:TRPG
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2007年11月08日

汝はデタラメな世界に迷い込んだ 〜TRPGでのデタラメな設定の考え方〜

 
 TRPGに限らず、ゲームメディアは遊び道具として各種設定をデータ化しているわけで、真っ当な学術目的で資料にしてはダメなデタラメ設定をすることも多々あります。
 そもそもゲーム化の基本は各種設定の数値化なわけで、HPという不思議な成分で生きている原生生物めいたクリーチャーを使用するという時点でもうデタラメなのだし、リアルを言い出したらキリがありません。汝はデタラメな世界に迷いこんだということで勘弁してもらうしかないでしょう。
 では、ゲームを作る側はデタラメな設定をすることを、物語として(妄想するに快感な)夢があることを願って潔しとすることが求められますが、それは作る人本人がデタラメでいいのとはちょっと違います。
 同じデタラメをつくのにも、無知を取り繕うデタラメと、現実を知りその断片的な情報を統合してからつくデタラメとでは共同幻想の質の面で優劣がつくものです。デタラメは多くつけばつくほど遊び手に馬鹿にされるものですから、何がリアルっぽく、何がデタラメっぽいかを見極め、なるべくリアルっぽいデタラメをつくのが望ましい所です。そのために、つくデタラメにまつわるリアル資料を集めることはとても有益なことです。
 
 TRPGだとコラやパロディにしづらい(小難しい長文だらけの書籍だし)ので、「ちょろいもんだぜ」なんて和みのネタにされることはなく、ストレートに軽蔑されるだけだと思いますしね。

 少し実例を。
 例えばドイツ人の名前(アルシャードで多用します)にジョニーなんて付けたら馬鹿にされるだけです。狙ってなければ完全な無知。
 ではドイツ人名を調べて、ヨハンとかハイドリッヒとか付けてみてはどうでしょう。確かにドイツ人っぽいけど、中世ファンタジーならともかく『ナイトウィザード』などの現代物では少しズレた名前でしょう。それというのも、ヨハンやハイドリッヒは近年のドイツでは些か古めかしい名前です。おっさんや老人にはいいかもしれませんが、若者につけるのは少しデタラメっぽい。
 では現代物ではどうすればよいかと云えば、近年統計された新生児の名前の上位を調べれば若者向けの名前も分かることでしょう。サーチエンジンで「Popular name German」とでも入れて検索すればそれっぽいサイトはすぐ見つかります。
 ちなみに近年ドイツで最も多い男児名はアレクザンダーやマクシミリアンとのこと。おそらく、愛称のアレックス、マックスが元でしょう。

 そんなことまで調べんで、適当でええやんと思う人もいましょう。
 だが、上述のようなことを例えばアメリカ人が日本人キャラの名前を付けるに、イ・スンヨプとか付けたら日本人にとってどんだけ〜なことです。
 そこで日本人名を調べたとしても、現代物で「姉小路五左衛門」なんて付けたら(これでもアメリカ人としては凄いけど)やっぱり変。

 ……こんなちょっとした不勉強デタラメが積み重なることによって、用意した設定が重く捉えられるか、軽く見られるか違いが出てきます。
 パロディ目的でないのであれば、軽く見られる(「気軽に受け止められる」とは違うからね。軽く見られる=馬鹿扱いされスルーされるってこと)のは得策ではありません。

 まぁ、シナリオ1つ書くにも裏を取りましょうね…という程度の話ということです。
タグ:TRPG
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2007年11月01日

「何でもできるけど何もできない」が見つかった 〜TRPGでの消極的/積極的自由〜

 TRPGの自由を語る上で、1つ留意すべき問題があります。
 それは、「何でもできるということは何もできないことではないか」という自由そのものに関わる問題です。この問題は2002年に『ゲーマーズフィールド』誌にて鈴吹太郎氏が提唱した問題に対してRPG日本にて議論されたものです。

 「なんにもできない」とは「何ができない」のか(RPG日本)

 遊び手が自由な発想のもと、自発的に行動することを期待し、そのためにGMによる教導を控えた。だが、遊び手たちはシナリオ展開を理解せず、GMの想定とは外れたプレイをしてしまった…。
 鈴吹氏はこの体験から、過度の自由は迷走・脱線の元になるから制限する方が望ましい。何でもできることは何もできないのと一種だと述べています。

 このコラムに関しては鏡氏が分析しているので、ここで改めて解題する必要はないでしょう。コラム発表から5年が経過していますが、F.E.A.R社製TRPG作品が提供するシナリオ運営技術はほぼ鈴吹氏の思惑…それを推測した鏡氏の指摘に近い仕組みになっていると見ていいでしょう。

 さて、今日ここで取り上げるのは鏡氏が投げかけたこの言葉。

 もしどなたか「なんにもできない」ような「なんでもできる」状況をご存知なら、ぜひ教えて欲しい。

 模範解答ではないでしょうけど、見つかりました。

◆◆◆

 一口に自由と申しましても、その言葉の中には様々な意味があります。そこでアイザイア・バーリンなるラトビア生まれの哲学者は自由の観念を2つに分類しました。

消極的自由(negative liberty):他者からの強制的干渉による拘束が不在であるという自由。

積極的自由(Positive liberty):自分の行動、生き様、命そのものが自分の意志決定によって成り立っている、自分で自分を律しているという自由。

 この2種の自由の捉え方がとりあえず簡単でしょうから、これを「何もできる」かつ「何もできない」状態に当てはめていくとどうなるか検証してみましょう。

1:「消極的自由」があって「消極的自由」がない
2:「消極的自由」があって「積極的自由」がない
3:「積極的自由」があって「消極的自由」がない
4:「積極的自由」があって「積極的自由」がない

 このうち、1番と4番は矛盾しますので除外。

 鈴吹氏が懸念する「何でもできるは何もできない」は論調から察するに2番であると思います。すなわち、マスタリングによる拘束から解き放たれたプレイヤーたちだが、自ら行動する自我を持てずにいるから何もできないということです。
 だが、彼がコラムにて引き出した体験談を鏡氏は、古城探索というシナリオ目的にたどり着けはしなかったが、途上の森を探索する遊びが見つかり楽しめた以上、遊び手たちは自分たちの意志でゲームを動かしており、「何もできない」状態ではないと論破しています。

 実は鈴吹氏のコラムがおかしく感じられるのは、僕が察するに彼が引き出した体験談が、本人は2番のつもりなのだろうが、その実は3番なのではなかったのはないでしょうか。
 すなわち、遊び手たちには自ら遊び方を求めゲームをコントロールする権限は与えられていた。だがGMはシナリオ展開という強制的干渉によって拘束する予定であった…。あくまでも、シナリオという籠の中で自由に飛び回れるという意味での自由なのでしょう。
 そう考えれば、シナリオの枠外で遊んだ遊び手たちの行動は鈴吹氏からみれば無価値な失敗であり、氏にとってTRPGにとしてふさわしくないものと捉えられたのでしょう。

 おそらく鈴吹氏はTRPGでの消極的自由には否定的な考えの人なのかもしれません。悪く云えば、遊び手はシナリオを効率的に進めるマシーンであるべきだと考えているのではないか、とも映ります。もちろん、それは一面の真理です。3番はほぼF,E,A,R社のゲームが体現していると思います。
 だが、一方で鏡氏…消極的自由、積極的自由双方が備わった形式での自由……強制的干渉のないプレイヤーが、自らの意志により自発的に行動するゲームもあるよと訴えている人もいます。それも空論ではありません。

 問題は2番。鈴吹氏が本来問題にし、鏡氏が疑問を投げかけた自由の形です。

 僕はまず、「無人島に流された」状況を考えてみました。
 無人島ならあらゆる社会の束縛からは解放されます。だが、彼の今後のスケジュールは白紙。何かしようにも、彼の今までの人生で行使できた自由はまったく訳に立たなくなった…。
 彼は「何でもできるが何もできない」のか。

 これはNO。
 彼は生きるために無人島を認識し、生きるために自分の意志で行動するでしょう。水や食料、住処を得るため。脱出するため。身を守るため…。彼が持つ過去の積極的自由は失われたが、現在の環境で新しい積極的自由は得ているのです。

 次に、「暗闇に閉じ込められる」状況ならばと考えました。
 全てが漆黒の闇の空間。自分の手足すら見えない…。すべての認識できるものが喪失すれば、人は「何でもできるが何もできない」状況に置かれるのではないか…。

 これもNO。
 人は感覚での認識の他にも、イメージによる想像という擬似的な認識能力を持っています。おそらく、暗闇に閉じ込められた人も、空間が部屋であると想像し、壁や床を探そうと積極的自由な行動を取ることでしょう。

 こうなると、認識する感覚、想像する脳の双方が機能不全を起こさないかぎり、積極的自由の喪失はないというになるかもしれません。
 そんな状態とくれば、これはもう「死んでいる」状態でしかないでしょう。

 そう。死ねば何でもできるが何もできないのです。
 死んだPCはゲーム世界の法、慣習、物理法則すべてから解放されます(ファンタジーではロストしなきゃ解放されないが)が、もう世界に意志の一片も残せないわけで、何もできない。

 そんな状態がはたしてTRPG上で起こりえるのか。
 普通、PCが全滅したらそこでおしまいだし、誰か1人だけが死んでも観客として付き合うことはできます。ゲームによってはいろいろ指摘を受けた通り、幽霊プレイを推奨したり、代替キャラの使用を認めたりしてますけど。
 
 だが、遊び手本人ならどうでしょうか。
 本当に死んでたらヤバいのですが、死んだような状態になるってのはままあることです。すなわち、茫然自失状態です。状況認識もイメージもできず、頭が空っぽ、目は虚ろで何を問いかけても何も答えられないという状態……これが「何でもできるか何もできない」状態なのではないでしょうか。
 PCはプレイヤーの意思によって動く人形ですので、その操り手が上の空であるなら、PCも糸が切れた操り人形と同じで、ただの紙切れ同然の存在となるでしょう。

◆◆◆

 では、TRPGで茫然自失状態に陥る人がいると仮定して、なぜ彼はTRPGで呆然事実になるのか。それに対処するのはどうすればいいのかに関してはまた後日ということで。
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