2007年12月18日

TRPG攻略対策・中編Ver.2

 『あいつはクラスメート!』購入。
 平成19年度版、『学園ぱらだいす』といった趣ですが、全体として学園物アニメにありがちな、ちょっと個性的な生徒が割拠する学園物のようですね。システムとしては独創的な要素は少ないので、ぶっとんだとまではいってないのがちょっと残念。
 ただ、こんなヲタクが市民権得ているような学園生活を送っていない僕としては隔世の感ありです。

 ちなみに、クラスメートNPCとしてアニメキャラのそっくりさんを出すのは学園物を盛り上げる有効手段と見ていいでしょう。学園物は人間関係がキャラクターの能力以上に大事な要素だと僕は考えています。

 前々回記事、TRPG攻略対策・中編が説明不足な所、冗長だった所と、何かと満足の行く出来ではなかったので書き直しました。こういうことは論考Blogでは滅多にないことでしょうけど、ご了承ください。

◆◆◆

 僧侶型攻略法は盗賊型攻略法とともに、シナリオ解決の手段を「GMとの対話」に求める。

 僧侶型プレイヤーはロールプレイよりもリアルプレイ(遊び手本人のゲーマーとしての立場、思惑)を尊重する。謎解きや交渉、戦闘など遊び手本人の才能が活かされる場面を好む反面、酒場での盛り上がりなど無害なロールプレイで楽しむ場面はあまり好きではない。
 僧侶型プレイヤーを分類すると、GMの幇助に積極的で、シナリオ展開を予測してパーティを牽引しようとするプリースト型と、パーティの議事進行役としてロールプレイを制御しようとするシャーマン型の2種類が存在する。

 調整を目的として対話を試みるプリースト型プレイヤーはGMに協力的である。強いリーダーシップを発揮してシナリオ進行を幇助する他、システム面でのアドバイスなどサブマスターとしての役割も買って出る。

 GMからすれば役立つ人間であるが、強いリーダーシップが時として専横となる危険がプリースト型プレイヤーにはある。僧侶型プレイヤーは典型として古株の遊び手に多く、卓上で一目置かれることに腐心している。彼がTRPGに望むのは年長者、古強者としての敬意を得ることであり、セッションの成否は自らを彩る名誉の一端に過ぎない。
 
 プリースト型プレイヤーにとって一番名誉なのは、シナリオを読み解き、GMの期待通りの解決策を提案することである。そのためにGMとのワンツーマンな展開をすることがあり、他のプレイヤーの自主性を損害することもしばしある。だが、最終的には勝利者ではなくキングメーカーとして他の遊び手に華を持たせることも多く、結果として卓の遊び手全員から敬意を得る。
 セッションの出来不出来を、GMではなく僧侶型プレイヤーに求めるようになったら彼・彼女にとって成功である。

 もちろん、僧侶型プレイヤーの実力が見掛け倒しである場合もある。セッションの円滑な進展のためのリーダーシップが自己目的化してしまった者は黒化してダークプリースト型プレイヤーとなる。プリースト型が幾多の成功や仲間の信頼に驕って黒化するケースは多い。

 シナリオの読み解きを推理ではなく、GMへの執拗な尋問や揚げ足取りで得ようとし、GMの幇助を忘れて自分勝手に振舞うなど横柄な態度を取る者や、調整などできないのにリーダーシップだけは求める無責任な者もいる。
 一番白けさせるのは、勝手にシナリオを予想してタネ明かし・批評を始めたり、自らの見識を披露してGMや他の遊び手、あるいはデザイナーを嘲笑したりするスカした態度を取ることである。
 
 プリースト型プレイヤーは増長すると他の遊び手を軽蔑する傾向があるので、GMは彼が謹厳に努めを果たすようきちんと責任ある言動を取らせることが必要である。プリースト型プレイヤーは他の遊び手に対する責任感の有無で黄金にもゴミクズにもなるので、GMは看過してはいけない。
 
 シャーマン型はプリースト型とは打って変わって謙虚な物腰である。積極的にシナリオ展開を牽引することもなければ、サブマスター的役目を買って出ることもしない。
 彼・彼女のすることは、ただ「真面目にシナリオを進める」ことのみである。シャーマン型プレイヤーにとってTRPGのシナリオとはパズルを解くようなもので、正解を導き出す知的好奇心を楽しみとしている。

 シャーマン型はプリースト型と違って勝手な読み解きをせず、できる限り質問をする。情報収集にも熱心だが、キャラクターの技能やコネを動員するよりも、地道にNPCに聞き込みをする方を好む。とにかく、シナリオ解決に直結する行動を取る傾向があり、ロールプレイはその分おろそかになりがちである。

 逆に、他の遊び手が笑いを取ろうと脱線したロールプレイをしてたりしたら、盛り上がる一同を遮ってでも軌道修正しようとする。彼・彼女にとって、脱線して盛り上がることは、皆を楽しませようとシナリオを用意してくれたGMに失礼なことに思えるためである。
 シャーマン型プレイヤーは律儀で誠実な気質の者がなりやすく、GMとプレイヤーとに主客関係を引いてしまう癖がある。その性質がシナリオをスムーズに進める潤滑剤になることもあれば、円滑すぎて何の盛り上がりもなくシナリオを解決してしまうこともある。

 シャーマン型プレイヤーは調整役としては優等生なのだが、控えめな性質が災いして遊び手としての印象が薄くなるのが問題である。悪く云えば、誰でもできる役目であり、最も忘れ去られるタイプである。
 彼・彼女は単体にさせると埋没して、キャラクターがどこにいるのかも分からない状態になりがちなので、ロールプレイが派手で脱線の多い遊び手と組ますのも手である。 
 
 僧侶型プレイヤーは総じてシナリオを掌握し、自分のペースで進めることに専心する性質があるので、GMとしては退屈なセッションにならないように、適度にダレ場を用意する必要がある。
 
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2007年12月13日

夢は甘美、されど夢見る事は甘美か 〜TRPGでリアルプレイは意識的か〜

 
 TRPGには気付きもしない些細な仕組みがたくさんあります。
 それは機械に紛れているネジのようなもので、あることに気付くのも大変ですが、それが機械の中でどんな役目をしてどれだけ必要なのか気付くのも大変です。大抵がプレイに影響しない石ころのような物ですから、ついスルーしてしまいます。
 そこをスルーせず、磨き抜かれた知恵として活かすには、愚直に考えを巡らし文字にするしかありません。

 今日は前回出したリアルプレイの話。

 TRPGに限らず、RPGはロールプレイを自然受容していることを前提にプレゼンテーションをしてないかと最近思いつきました。物語上のキャラクターの視点から、こんな冒険ができますよ、こんなストーリーが楽しめますよと誘うわけです。
 つまり、RPGはいかなるゲームを楽しませるか以前に、いかなるロールプレイを楽しませるかに重点が置かれているのです。TRPGならどんな作品にもある「はじめに」の欄を見ても、ロールプレイをする媒体としての売りを語るデザイナーの方が、ゲームとして遊び手本人にいかなる楽しみを提供するかという売りを語る人より多いようです。

 確かにロールプレイの方向性は多種多様です。
 だが、遊び手本人がプレイして得られる遊び手としての実感は、ロールプレイ同様、多種多様を売りとしているのか……。

 もちろん、あるなしの度合いは人それぞれの視点次第です。
 問題はそれに意識的であるのか。プレイしている遊び手本人は今どんな気分なのか、何を思い何を楽しんでいるか、ロールプレイを突き放して考えることがTRPGに携わっている人たちが意識しているか否かということです。

 ロールプレイを夢だとするならば、リアルプレイは夢見る行為です。いかに甘美な夢なのかを語るのは結構なのだが、はたして夢を見ようとするのは楽しいことなのか。
 恥ずかしいことではないのか。
 下らないことではないのか。
 時間の無駄ではないのか。

 夢が甘美であっても、夢見る人が苦そうな顔をしていては誰もついてこない。
 TRPGだと、例えばいかにアニメ調の萌えキャラがロールプレイできる世界を用意したとて、遊び手が操作するのに苦しむ……魔法少女物好きのコスプレ少女なんてキャラを嬉々として演じる男性など、傍目ではキモヲタでしかない……作りをしていては作品としては失敗作ではないのかということです。
 これがロールプレイ自然受容の考えでいけば、美少女萌えゲームで美少女キャラを選ぶ人は例外なく美少女ロールプレイをしたくて、自分の身などどうでもよいから、とにかく美少女ロールプレイに耽溺したい人なのだから、彼・彼女の事情なんて考えなくてもいいよということになります。ロールプレイ自然受容の前提から虚飾を剥ぎ取れば、浮かび上がるのは「遊び手とキャラの同一視」です。
 
 もちろん、遊び手が自分を忘れてロールプレイに耽溺しているだけでは問題ないんですけど、TRPGって公共の場でプレイすることも多いし、ヲタクATフィールド張られては困るのですよ。

 まぁ、ヲタクの世界はATフィールド当たり前の世界ですけど。
 そこを当たり前と思ってしまっては外に語る言葉を失います。

 自分自身が楽しければ周囲はどうだってよいと考えるのは勝手です。だが、TRPGはソリティア(1人遊び)ではなく、複数の人が時間を割き手を取り合って楽しむレクリエーションである以上、楽しさを共有するのは絶対条件です。
 リアルプレイを意識するならば、遊び手本人がロールプレイが原因で諍いを起こしたり、後で気まずい思いをしたりするのはマズいゲームです。TRPGは卓の仲間が楽しい実感を一体とできることがリアルプレイの立場からして好ましいと云えましょう。
 さらに僕は、TRPGが外に語る言葉を持つために「岡目から見たゲームプレイ」を付け加えたいと思います。すなわち、観客としてリアルプレイを見て楽しめるかも、TRPGがタコツボ環境から一歩抜け出すために必要な視点ではないでしょうか。
ラベル:TRPG
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2007年12月06日

TRPG攻略対策・中編

【注意】
 この記事は後日の記事によって本文に書き直しがされています。この記事自体は書き直し前ですので、作者としては没記事であり現在の意見とは異なる箇所もございます。よろしくご了承ください。


 TRPG攻略対策・中編Ver.2

 『とらぶるエイリアンず』購入。
 僕がいつぞや言っていた人狼型TRPGの嚆矢と云えましょう。嘘の記述が許されるキャラクターシートと裏キャラシーの存在、対立する個人目標、正体を悟られるか否かで増減するプレイヤー経験値など、ゆるい外見に似合わず、中々手強い玄人向けのゲームかもしれません。

 当分は「ぬいぐるみを持つ少女」をコテに勝ち抜く手段を考案せねば…。

 今日はTRPG攻略法対策の中編。

◆◆◆
 
 僧侶型攻略法は盗賊型攻略法とともに、シナリオ解決の手段を「GMとの対話」に求める。

 僧侶型プレイヤーはロールプレイよりもリアルプレイ(遊び手本人のゲーマーとしての立場、思惑)を尊重する。分類すると、セッション全体の幇助に責任感を持っているプリースト型と、自らの衝動がままにセッションを掌握しようとするダークプリースト型が存在する。

 調整を目的として対話を試みるプリースト型プレイヤーはGMに協力的である。強いリーダーシップを発揮してシナリオ進行を幇助する他、システム面でのアドバイスなどサブマスターとしての役割も買って出る。

 GMからすれば役立つ人間であるが、強いリーダーシップが時として専横となる危険がプリースト型プレイヤーにはある。僧侶型プレイヤーは典型として古株の遊び手に多く、卓上で一目置かれることに腐心している。彼がTRPGに望むのは年長者、古強者としての敬意を得ることであり、セッションの成否は自らを彩る名誉の一端に過ぎない。

 プリースト型プレイヤーにとって一番名誉なのは、シナリオを読み解き、GMの期待通りの解決策を提案することである。そのためにGMとのワンツーマンな展開をすることがあり、他のプレイヤーの自主性を損害することもしばしある。だが、最終的には勝利者ではなくキングメーカーとして他の遊び手に華を持たせることも多く、結果として卓の遊び手全員から敬意を得る。
 セッションの出来不出来を、GMではなく僧侶型プレイヤーに求めるようになったら彼・彼女にとって成功である。

 もちろん、僧侶型プレイヤーの実力が見掛け倒しである場合もある。ダークプリースト型はセッションの円滑な進展めためのリーダーシップが自己目的化してしまった者である。プリースト型が幾多の成功や仲間の信頼に驕って黒化するケースは多い。
 シナリオの読み解きを推理ではなく、GMへの執拗な尋問や揚げ足取りで得ようとし、GMの幇助を忘れて自分勝手に振舞うなど横柄な態度を取る者や、調整などできないのにリーダーシップだけは求める無責任な者もいる。
 
 一番白けさせるのは、勝手にシナリオを予想してタネ明かし・批評を始めたり、自らの見識を披露してGMや他の遊び手、あるいはデザイナーを嘲笑したりするスカした態度を取ることである。

 僧侶型プレイヤーは増長すると他の遊び手を軽蔑する傾向があるので、GMは彼が謹厳に努めを果たすようきちんと責任ある言動を取らせることが必要である。僧侶型プレイヤーは他の遊び手に対する責任感の有無で黄金にもゴミクズにもなるので、GMは看過してはいけない。

 また、ダークプリースト型は「勝つためなら何をしてもよい」というアメリカンマンチキンでもある場合がある。飴マンチは信頼も名誉もかなぐり捨てて、自分だけがゲームで得をすることに専心するので、彼・彼女に優遇は禁物である。一度わがままを許してしまったら際限はないと見てよい。

 ダークプリースト型は不良ゲーマーかもしれないが、ゲームで憂さを晴らしたいという未成熟さゆえの甘えでもあり、ゲーマーとしては若い気質と云える。悪辣さに憧れているが、実際には思春期に似た情緒不安定であると云ってもよい。
 彼に必要なのは知恵をすり潰し、数値的にも劣勢を強いられる本当の意味での難易度の高いシナリオなのかもしれない。
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2007年12月01日

錬金術師に贈る意味不明な言葉

 今日は久方ぶりのよしなし事。
 今日は誰とは云わず、何を直言するまでもなく、誰に分かってもらおうとも思っていない壁書をここに貼っておきます。チラシの裏はチラシの裏らしく、意味不明を貫徹するのみ。

 それにしても、意味不明って言葉の安いこと安いこと。
 どんな変態にも分からないから意味不明なのであります。

◆◆◆

 世の中で、ある壁書を巡って信者とアンチが「妄信するか、さもなくば忌避するか」と罵り合っている場所には誰1人賢者などいないものです。

 賢者は言葉には囚われず、そっと意のみを汲んで去っていきます。
 壁書の作者としては、目の前にある喧々諤々の光景に己がセンセーションを起こしたことへの高揚感があるかもしれません。だが、彼らは熱が冷めれば壁書のことなど忘れてしまうのが常。
 もし作者が名より実を取るならば、いつか賢者が自分よりも明朗な言葉で自分の意を汲んだ壁書を書いてくれれば冥利に尽きるというもの。それがあらゆる角度でなら尚更のこと。それは確かな収穫となり、自分へ還元されます。

 愚か者になれない者は賢者にもなれません。

 賢者にも愚者にもなれない者が、壁書を破り取って駆け回ります。
 理解などしていない。掲げれば魔よけの護符にでもなると思ってるのだろう。それで何が起こるかと云えば、護符の作者は神かペテン師かで揉めるだけ。しまいには神ならば奇跡を見せよ、さもなくばペテン師として首をくくるぞ、となります。
 錬金術師が人生、かくあるべし。

 世の中には錬金術師を見て、自分も錬金術を唱えれば有名人になれるぞと猿真似をし出す者もいます。それで錬金術師同様神かペテン師か審問にかけられるのは一緒だけど、錬金術師本人よりずっと軽く扱われるのは致し方ないもの。神であれペテン師であれ、猿である以上人間様より滑稽でなければならぬと人は思うもの。

 名を求める者よ。せいぜい気張るがよい。

◆誤字ちょっと訂正(12/6)
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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