今日は誰とは云わず、何を直言するまでもなく、誰に分かってもらおうとも思っていない壁書をここに貼っておきます。チラシの裏はチラシの裏らしく、意味不明を貫徹するのみ。
それにしても、意味不明って言葉の安いこと安いこと。
どんな変態にも分からないから意味不明なのであります。
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世の中で、ある壁書を巡って信者とアンチが「妄信するか、さもなくば忌避するか」と罵り合っている場所には誰1人賢者などいないものです。
賢者は言葉には囚われず、そっと意のみを汲んで去っていきます。
壁書の作者としては、目の前にある喧々諤々の光景に己がセンセーションを起こしたことへの高揚感があるかもしれません。だが、彼らは熱が冷めれば壁書のことなど忘れてしまうのが常。
もし作者が名より実を取るならば、いつか賢者が自分よりも明朗な言葉で自分の意を汲んだ壁書を書いてくれれば冥利に尽きるというもの。それがあらゆる角度でなら尚更のこと。それは確かな収穫となり、自分へ還元されます。
愚か者になれない者は賢者にもなれません。
賢者にも愚者にもなれない者が、壁書を破り取って駆け回ります。
理解などしていない。掲げれば魔よけの護符にでもなると思ってるのだろう。それで何が起こるかと云えば、護符の作者は神かペテン師かで揉めるだけ。しまいには神ならば奇跡を見せよ、さもなくばペテン師として首をくくるぞ、となります。
錬金術師が人生、かくあるべし。
世の中には錬金術師を見て、自分も錬金術を唱えれば有名人になれるぞと猿真似をし出す者もいます。それで錬金術師同様神かペテン師か審問にかけられるのは一緒だけど、錬金術師本人よりずっと軽く扱われるのは致し方ないもの。神であれペテン師であれ、猿である以上人間様より滑稽でなければならぬと人は思うもの。
名を求める者よ。せいぜい気張るがよい。
◆誤字ちょっと訂正(12/6)






