2008年03月27日

使命が終わることの意味 〜TRPG人気サイクルから見るTRPG市場〜

 そろそろTRPG.NETのRSSアンテナでの、『きまぐれTRPGニュース』の扱いを検討してはいかがと思います。前にも日時設定のズルを指摘したこともありますが、、『きまぐれTRPGニュース』は市販品の紹介もしており、悪質なアファリエイト活動とも見られます。
 管理人のaccelerator氏はTRPG.NETとよく協議し、解決策がでない場合はTRPG.NETへのRSS送信の撤退も考慮すべきかと思います。

 今日はTRPGの使命が終わるということの意味です。

 そもそもTRPG愛好者としてTRPG作品に引導を渡す行為は、あまり善良なことではありません。その作品を研究し普及に努め、経験が知財となっているゲーマーの苦労を水泡に帰すとならば、反発を受けるよりは口を閉ざす優しさを選ぶ人の方が多いのは明らかなことです。
 よって、単に自分が好まざるゲームを中傷するがための蛮勇でしか、そのような声が聞こえなくなり、TRPG作品への批評に悪影響が出てきているのではないでしょうか。
 
 正当な批評であっても、悪意ある中傷と見なされる業界は自由がありません。遊び手が業界を賛美する声ばかりを褒め、異論を受け入れる寛容さを失ったら、業界は閉塞します。
 それでも、自分の趣味を否定される不安から、たやすく自由な環境を放棄してしまう人はいます。だが愛好者が厳しい意見を遠ざける環境は、喜びに満ちる場になるどころか、怨嗟と嫉妬が渦巻く魔境となるものです。
 なぜなら、優しい意見のみに耳を傾け、厳しい意見に耳を塞ぐ態度はポジティブではなく、不寛容に他なりませんから。
 
 批評を受け入れる寛容さのある業界なら、1つの作品が馴染まなかったと公言しても、別の作品に移行したり、プレイ環境を変えるなど本人は自由でい続けられます。
 だが、賛美しか受け入れられない業界だったらどうでしょう。作品批判はすぐに業界、愛好者への攻撃へと見なされ、異端者としてグループから追放されるしかありません。そして次第に、自分がスケープゴートにされはしまいかと周囲の顔色を窺う地獄へと変貌していくのです。

◆◆◆
 
 正当な批評が受け入れられる自由な環境のためには、それだけの見識が必要でしょう。寛容が善ですので、個人的な好き嫌いで使命の終了を断じてはならず、かつ個人の熱意や好みまで強制的に終了させる性質のものではありません。

 まず、なぜ使命の終了を判断する必要があるのか。
 それにはまずこの記事をご覧下さい。TRPGは市場流通に依存した商品である以上、消費者の人気と支持に影響される運命を持っています。

TRPGは止揚される 〜TRPG作品の人気サイクル〜

 絶版になったTRPG作品は否定期から反省期に入っている作品です。ここで爛熟期に起きた影響を検討し、来るべき黎明期への再生のために、市場のニーズを再調査して異なる価値観を持つ次世代にも通用する作品にリメイクするかが、作品再生への鍵となります。そのために、爛熟期の終了を宣言するのが使命を終えることの意味です。

 ここでいつまでも「ブームは終わっていない」と往時の流行を引き摺って「あの頃はあれで良かったのだ。変える必要はない」と頑迷な態度を続けていれば、価値観がガラリと変わった次世代への支持は得られません。
 まぁ、そういう状態を「時代に取り残された」と云います。そんな者たちがいかなる末路を歩むか、誰もが察することができると思います。
 
◆◆◆

 では、使命が終わったとは具体的にどんな状態を指すのでしょうか。

 TRPG作品にとって使命を終えることとは、市場を失うことです。
 市場は人々の生活環境を整えるために物品を交換する場です。生活環境には必需品(単体の生活に必要な物品)と奢侈品(社会生活に役に立つ物品)が必要であり、必需品を望む必需価値と奢侈品を望むブランド価値が市場に並ぶ物品を定める基準となります。
 そして、市場の運営者は消費者がそれぞれの生活環境から自由な選択ができることに合わせ、ニーズに応える競争力をつけた品物を優先的に並べます。
 
 すなわち、市場に並ぶのは必需価値やブランドがある物品ということです。TRPGの遊び手にとって生活環境とはプレイ環境のことですから、市場から途絶えたTRPG作品は個人の欲求としても、集団の流行としてもプレイ環境に組み入れる必要がないと下されたことなのです。

 具体的には、TRPG作品は黎明期に常に業界にアンテナを張り活発な言論活動をしているコアゲーマーが買い、隆盛期に各グループでGM活動をしている親ゲーマーが買い、爛熟期に親ゲーマーの影響で興味を持っているが、自らが親ゲーマーとなって伝道活動をする気がない繁殖力のない子ゲーマーが買います。
 どんなTRPGでも子ゲーマーが購入層の限界です。子ゲーマーにくまなく作品が行き渡った時点で、TRPG作品は爛熟期から否定期に入るのでしょう。

 だから、市場を失うことは決して「売れなかった」ことではないのです。「売れる層に十分行き渡った」ことを意味するのです。市場は購買層の購買意欲の数だけしか容量がありませんから、業界に不足している作品……人気が出始めた作品を優先的に陳列しますし、供給が行き届いた作品は規模を縮小し、そして絶版にします。
 なにしろ、TRPGは書籍ですから物持ちが良いですからね。子ゲーマーとならば数年経とうと使用に耐えうる品質を保ち続けるでしょう。

 また、劇的な環境の変化で瞬く間に必需価値を失う場合もあります。この場合は、親ゲーマーが十分な子ゲーマーを獲得できる前に市場が途絶えてしまいます。例えば欠陥品やネガティブ・キャンペーンを受けた作品、各種審査協会から止められた作品などです。メーカーが事業に失敗して、十分に販売できないまま解散することもあります。

 だが、それ以上に劇的な変化として、技術革新によって物品そのものの必需価値が消滅したり、革新された技術に合わせて世の中のルールが一変し価値を否定されたりすることがあります。
 例えば人力車がそれに当たります。自動車の拡充によって人力車は移動手段としての必需価値を失ったのみならず、車道が自動車に合わさったルールで運営されるようになり、人力車は自動車と同じ世界で活動すること自体ができなくなりました。

 市場を失うということは、これらの諸事情が影響して人々の生活環境にそぐわなくなっていったということです。

◆◆◆

 最後に、再生のための手順を提示しましょう。

 遊び手に十分行き渡ったので市場から退いた場合、必需価値は満たされましたが、ブランドは持続しています。ただ、否定期のプレイでその作品が提供しうるゲームプレイはほぼ出し尽くされます。
 
 TRPGはまずシステムから消耗し、続いてデザインコンセプト、最後にゲーム世界が持ちこたえます。この3要素のどれがどれだけ消耗し、どれだけ持続しているか再検討することが作品再生の匙加減です。

 『D20メタルヘッド』はデザインコンセプト、ゲーム世界を堅持し、システムのみを変えました。
 『トーキョーN◎VA』や『天羅万象』はゲーム世界のみを活かし、デザインコンセプトを従来のサークル中心からカジュアル中心のプレイ環境に合わせて作り直しています。
 ゲーム世界まで変化されたとなると作品自体が変化していますので、菊池たけし、井上純弌ブランドとか、デザイナーブランド内での変化と見ていいでしょう。例えば『天羅万象』、『テラ・ザ・ガンスリンガー』、『エンゼルギア』の設定が『天羅WARS』に継承されたこととかです。
 逆に3種すべてを堅持したまま、データを加味修正しただけで再登場したものもあります。『パワープレイ・プログレス』がそれに当たります。

 劇的な変化で市場からの退場を余儀なくされた作品は必需価値はまだ残っているでしょうけど、ブランドが十分発揮できなかった可能性があります。これらの作品はまず、新しいベンダを見つけて再出発するしかありません。

 『戦国霊異伝』は発売元がイエローサブマリン内ブランド、キラメキだっただけに流通経路が限られており十分に購買層を拡大できないまま絶版になりました。だからブランドは残っており、やがて復刊.comにて復刊され、さらに『幕末霊異伝MI・BU・RO』とさらなる展開をすることができました。
 逆に『蓬莱学園の冒険!』は著作権の移行が不明であり、人気作であるにも関わらず現在市場が途絶えたままです。

 存在意義が否定されるほどの変化を受けた作品の再生は容易ではありません。なにしろ、今まで活動していた環境にもう居場所がないのですから。
 こうした作品は、市場を新たに開拓するしかありません。

 TRPGにはまだ存在意義が否定されるほどの作品は登場しませんので、人力車の喩えで続けましょう。
 もし人力車の車夫が業界再生をかけて、もう一度タクシーとシェア競争をさせてくれと運動したらどうでしょう。おそらくタクシーとの規模・利便性の差で負けることは必至でしょうけど、それ以前にもう生活環境は市場の勝者・自動車に合わせてルール変更がされており、道路は自動車のルールの元に作り変えられています。その中で人力車が活動するのは不便であり、渋滞で迷惑を引き起こし、危険です。
 もはや人力車はタクシーと同じ土俵で活動すること自体否定されているのです。それ故、自動車の往来が制限された観光地での観光車両として再生し、かつて健脚が自慢だった人力車夫は観光ガイドとして再出発しました。

 TRPGが存在を否定されるほど技術革新がされるとしたら、まずオンライン環境の進化が予測されるでしょうか。もしネットランが可能になったらTRPGは仮想空間を舞台にした擬似ライブRPGに進化することもありえます。
 TRPG自体が反社会的行為として国や組織から弾圧される可能性もあります。『D&D』が出た当初、シーフが活躍する『D&D』はキリスト教精神に反する反社会的な存在とネガテイブ・キャンペーンが発生したことがありましたが、同じことが日本で起きないとも限りません。

 ほら、日本には怪しい著作権シールを売って儲けたいと目論む人たちが多くいますし。

◆◆◆

 TRPGの使命が終わるということは、決して悲劇ではなく、むしろ役目を十分に果たしたという結果でもあるのです。そして再生のために必要な反省への歩みを始めることなのです。
 
 使命が終わったから努力が水泡に帰したと落胆するのは早計です。ゲームプレイで培った経験は反省的視野となって次世代のゲームにも役立ちますし、そうした積み重ねが総体として優れたゲーム感覚として次世代のリスペクトを得る要素となるのです。

 本当に努力が水泡に帰すのは、往時の栄光を引き摺って自分自身のゲーマーとしての使命すら終わらしてしまうことではないでしょうか。

◆◆◆

追記:2008.3/29

その1:『2D6で1』のstealth氏から、『戦国霊異伝』に関する情報に誤認があるとの意見を戴きました。関係者の方々に謹んでお詫び申し上げるとともに、訂正記事を引用させて戴きます。

一言だけ

実誤認があるようなので申し上げますと、「有限会社キラメキ」はイエローサブマリン内部のブランドではありません。
『戦国霊異伝』初版はキラメキから直接出版されております。
イエローサブマリンの内部ブランド「マジカルミステリーツアー」から発売されたのは、キラメキ制作の『アコースティックリ−フ』であります。
ちなみに『幕末霊異伝MI・BU・RO』をディベロップしたのは「番長学園!!」のTEAS事務所です。


その2:冒頭の『きまぐれTRPGニュース』への指摘の件で、『TRPGのススメ?』の紅茶檸檬氏からアフィリエイトではないという指摘を受けました。誤解を招く表現をしてしまったことをここに謹んでお詫び申し上げます。

hatenaでアフィリエイトのお話ー
タグ:TRPG
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2008年03月22日

『パワープレイ』に捧げる挽歌 〜TRPG作品が使命を終えるとき〜

 春分の日を利用しまして、かねてからやりたかった秘密プロジェクトを始動しました。もうすでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、今後はそちらの方でもまったり活動していきますので、よろしゅうご贔屓にお願いします。
 
 今日は1つのTRPGが使命を終える時の話。
 
 2007年は『ナイトウィザード』、『シャドウラン』、『六門世界RPG』、『ナイトメアハンター・ディープ』、『マルス2nd』など改訂版が多く登場し、今年に入ってからも『深淵』、『セブン=フォートレス』が装いを新たにし、それにD20システムで『メタルヘッド』、『ワースブレイド』が続きます。

 その一方で、再販の声もかからず忘れ去られたTRPGもあります。
 もちろん書籍形態のTRPG、持ち出せば何年経とうがプレイできますし、そのTRPGが「ある」限り、使命を終えたなどと宣言するのは早すぎると思う方もおりましょう。
 だが、「ある」にも関わらずプレミアもつかない。中古品が安値のまま放置され、TRPG系Blogなどで懐古する者もおらねば、再販の声も聞かれない。プレイ歴3〜5年の若手の間では断絶状態。そんなTRPG作品は自然発生的に再起することは至難であり、使命を終えたと断じてもいいのではないのでしょうか。

 今回はそんな使命の終わったTRPGの1つとして、『パワープレイ』を挙げたいと思います。高校時代によくプレイしたゲームの1つです。

 『パワープレイ(以下PP)』は和製『D&D』を目指した作品でした。
 そのシステム構成は『D&D』とほぼ同じで、種族&職業、能力値と判定、戦闘システム、魔法、モンスター、成長、その他の諸ルールで成り立っています。まだ状況再現システム(作品の特色を出すための特例ルール)が存在しない、原始的なダンジョン探索ゲームをするためのTRPGです。

 PPの特徴は以下の3つが挙げられます。

・複数個のD6を振らせるが、1つでも1の目が出れば失敗(ランダム性の強い判定)
・魔法や武器には能力値制限があり、能力値を上げて段階的に習得する(ビルドアップを前提とした作り)
・経験値が「(レベルの合計)×(プレイ時間)×100÷(人数)」(ダンジョン探索を目的とした経験値)

 僕は、この3つの特徴全てがカッコで示す通り、新和版『D&D』での基調プレイ……プレイ時間のほとんどをダンジョン探索に費やし、ランダム性が高い危険な戦闘や探索に挑み、できる限りじっくりと時間をかけて探索をしつつ生存することをゲーム目標とし、その褒賞としてキャラクターをビルドアップし、さらに脅威度の高いダンジョンに挑む……をするためにデザインしたものと考えています。

 だがPPが世に出た91年はもう『D&D』の時代ではありませんでした。89年に出た『ソードワールド』、『ロードス島戦記コンパニオン』とリプレイ集によって、TRPGは物語再現装置としてゲームメディアとしての道を猛進しており、TRPG業界にはライトノベル誌やゲーム総合誌などから多くの物語好きな層が参入してきました。
 この層がTRPGで特に好んだのが、ゲームブックのように対話と描写で物語を進めるアドベンチャーであり、物語を語り合うストーリーテリングでした。
 このダンジョン巡り主体からストーリーテリング主体へとプレイスタイルの流行が変化したことは、PPの特色を根底から揺るがすものでした。TRPGには、HPなどの資源管理を行わない安全な時間が多くなり、その代わりストーリーテリングを行う時間が飛躍的に拡張されていきました。プレイ時間=タイムサバイバルという前提で作られていたPPにとっては「ゲームと見なしていない場面で経験値が貯まる」という事態に陥りました。

 さらに、リプレイの隆盛と定着によってキャンペーンにも物語的展開が導入されるようになり、キャラクターのビルドアップはキャンペーンの主体ではなくなっていきました。そもそも『D&D』にしても迷宮専門だった赤箱から野外での物語付き冒険が楽しめる青箱、異世界冒険や領地経営など個人を超えた冒険向けの緑箱、そしてイモータルに至る黒箱とレベルアップをするに従って冒険の規模自体がスケールアップしていったのに対して、PPのレベルアップはどこまで行ってもキャラクターの増強のみでした。

 云わば、時間が続く限り赤箱状態で楽しむことがPPの存在意義と云えましょう。PPはホビージャパンの作品だけに、RPGマガジン誌による支援を受け、同誌読者をターゲットにしたファンタジーとして一定の地位を築いていました。
 そして、RPGマガジン終焉とともにその使命を一端終えました。

 だが、この当時はまだTRPG作品としてのブランドは残っており、2000年には『パワープレイ・プログレス(以下PPP)』として改訂されています。PPPの執筆陣には『スター・レジェンド』の銅大氏や田中天氏など、現在も活躍する人たちがいます。

 PPPはPPのシステムに加えて、独自のゲーム世界を作れるワールドメイキングの設定が追加されました。これは『AD&D』や『ソードワールド』などのファンタジーTRPGで当時頻繁に行われていたサークル内オリジナル世界でのプレイを前提にした作りをしているもの思われます。
 だが、2000年〜01年の間にも、PPPにとっては不幸なことにTRPG業界はまたしてもプレイスタイルの劇的な変化が起こりました。99年発売の『ビーストバインド 魔獣の絆』以降、試行錯誤が続いたシナリオ運営技術化の動きが2000年の『天羅万象・零』、01年の『輪廻戦記ゼノスケープ』、『プレイド・オブ・アルカナ 2nd Edition』、『テラ:ザ・ガンスリンガー』、『ダブルクロス』などによってハンドアウトとして結実。手作りオリジナル世界が優勢だったTRPG業界は、一気にデザイナーブランド中心の業界へと変化しました。TRPGは作品ごとに独自の世界観を打ち出すことが当たり前になり、PPPのような自作を基調にしたTRPG作品はまったく需要が絶えてしまいました。
 また、シナリオ運営技術の確立によってプレイ時間は「できる限り時間をかけて遊ぶもの」から、「遊び手の都合に合わせて管理するべきもの」へと意識変化が起き、PPと変わらぬ経験値配分であるPPPは益々時代にそぐわなくなっていきました。

 その他の諸因もありますが、かくしてPPPは次々と最新技術を搭載した後発ゲームによって人気を保ち続けることもできず、2008年現在は絶版状態にあり、再販の予定もありません。
 そして2007年末、物語の強いカジュアルプレイを重視しながらゲーム世界を自作する『りゅうたま』の登場によって、PPPはその使命を完全に終えることになりました。

 PPそしてPPPが廃れていった原因は、いずれも時代を読み違えたことにあるかと思われます。どちらも当時主流だったプレイスタイルを踏襲し、泥臭さをなくした作りをしています。だが、時代にとって最先端技術ではなく、どちらかと云えば懐古的であったのが問題であり、単に時代時代の原始的楽しさを洗練したのみでは、ゲームとしてのトレンドは掴めなかったと云えましょう。

 僕もPPはよくプレイしたし、作者の山北篤氏は尊敬すべきデザイナーだと認識しています。だが、現代になって氏の業績が業界に痕跡を残していないという現状を顧みれば、厳しい評価をせざるをえません。
 
 確かに昔を懐かしむ気持ちはありますが、TRPGの遊び手を取り巻く環境は日々変化しているもので、10年前には誰もが自然に遊んでいたスタイルが現在ではプレイすることすら困難になることがままあるのです。
 TRPGは今の遊び手がプレイ可能な環境にも適応できなくなったら、その使命を終えるのです。ここ1〜2年の間に再販されたTRPGも、今遊び手が置かれているプレイ環境に適応できるか否かで、今後の運命が左右されるものかと存じます。

 

 
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2008年03月17日

昔の記事を掘り出して見る

 たとえ1晩でも幼子が群れをなす家は戦場です。
 1人なら目が届きますし休息もできます。だが、2人以上となればそれぞれが無軌道に散開しますし、片方は食べるのにもう片方は残すという無統制ぶりを見せる。それでいて片方が泣き出すと連鎖的に全員泣き出すし、1人起きれば全員起きる。
 
 そろそろ自分が書いた過去記事を再確認しないといけない段階に入ってきました。自分が過去にまったく違う意見を云っていたか、同じ意見を復唱していなかったかなど、150近くのTRPG雑記を書いているだけに記憶が曖昧になってしまいまして。

 だけど、5年10年書き続けても同じこと云い続けるのは、正直「まったく改善されていません」ってことを示しているってことで、政治経済や思想などの長いスパンで語る問題ではなく、自分のプレイ環境という短いスパンの問題を語っている立場としては少し恥ずかしいことなのではないでしょうか。
 その一方で、昔の言動がまるで別人みたいに変動しているってのもあまり歓迎されはしないとも考えています。

 僕としては、新しい知識や情報、環境の変化で表面的な意見や主張は変化するものであっても、見識から培ってきた総合判断、哲学は初期から熟成されることはあっても変質することは滅多にないかと思います。初期の文には初期の文なりに、荒削りながら今の自分の考えに合致するエッセンスがあったりして、それを再発見するのはとても嬉しいことです。

 そんなわけで、今日は何点かテーマごとに再読をしているものをピックアップしておきます。

▼TRPGマッチョに関する記事

悪人の告白と楽しむための守備範囲
 TRPGのマッチョイズムに毒された者の心境

僕は偽初心者卓を立てたことあります 〜ダメサークル視点での上級者と初心者〜
 TRPGマッチョのサークル運営術。

人は呼んでほしい。狗はいらない
 TRPGマッチョの初心者オルグ術。TRPGマッチョには偽マッチョもいます。

▼キャラクタープレイに関する記事

喧嘩番長でロシアンフック 〜TRPGとコンシューマーでのインタラクティブ性の違い〜
 ロールプレイとキャラメイクでは得られる面白さは違うわけで、そこは再度考察せねば。

キャラクタープレイをまとめてみた
 当時はトークゲームに関する見解がなかったので、これも再考が必要か。

萌えない者の辛苦 〜萌えTRPG、パチモンPCとの付き合い〜
 考えの根幹は今も同じ。だが、かと云って僕がキャラクタープレイを無条件否定していると思われるのは心外。どこかで補完せねば。

クラウザー2世は1万人に1人、根岸クンは100人に1人 〜ロールプレイとのろけ話の違い〜
 これも根幹は変わっていない。自己完結からいいキャラは生まれない。

萌えキャラって自分自身じゃないの 〜性差によるイメージの違い〜
 はてなデビュー作。TRPGは時として「他者」をも作ろうとする。

『らき☆すたTRPG』は作成至難 〜TRPGの根源にある駆け引き・やり取りのゲーム〜
 TRPG→らき☆すたは自然にあるけど、らき☆すた→TRPGは難しい。紅茶さんトコで取り上げられたことだし、そろそろ補完記事書かねば。
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2008年03月09日

初心者がまず構築すべきTRPGドクトリン

 ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むさんとこにて、論客としての僕が紹介されました。取り上げていただきありがとうございます。

 率直な感想云いますと、他のお三方とは違った視座に立っていることは論客としては非常に重要なことです。確かに僕はTRPG論客ならず、TRPG者論客なのかもしれません。それを最初に指摘したのが馬場秀和氏なわけで。まぁ純粋にシステム論議するよりは語りやすいからなんですけどね。

 今日はTRPG攻略法をもとにした、TRPG初心者が訓練を受けるに必要なシステムの基礎です。

◆◆◆
 
 TRPGの初心者か否かについて、1つの明確な基準があります。
 それはあなたがTRPGグループの中で何ができるのか、具体的な長所を自覚しているか否かです。自分に何ができるか無知な人は何年プレイしようが、グループの中では間に合わせのモブ(人格を留意する必要のない重要性の低い人物)です。大抵の人は軽視される環境に不満を感じ、待遇を改善すべく精勤しますが、その際基調となる思考は「自分はいかにしてグループの中で存在感を示すか」です。いかなるグループも、グループの活動を維持するために必要な人材が優遇されます。
 
 TRPG初心者は、まず「自分はグループの中で何ができるか」と考えることを第一歩としてください。

 TRPGに接した人が一様に感じるのが、「なんか難しそうで近づき難い」という障壁です。これは未知の環境に放り込まれた者が共通して抱く感情であり、イメージが飛び交うTRPG環境では漠然と混沌が常態であります。

 TRPGは1人の遊び手が主役を演じれば脇役も演じ、ルールブックを駆使してウォーゲームを勝ち抜くこともあれば、巣の知力や機転を利かせて謎やパズルを解くこともあり、あるいは社交術を活かして円滑な交渉をすることもあります。
 考慮すべき事項もウォーゲームの勝利、シナリオの成否、レクリエーション活動の充実具合と、部長と課長と平社員の役割を同時に引き受けるかのような多様な思考が求められます。これにGM業、さらにグループの運営業までこなす必要が生じれば、1人1人がTRPGを独立して運営していけるだけの力量が問われることになります。

 なぜ、TRPGは各人に独立運営能力を求めているか。
 それは「TRPGは好きなゲームを好きな時に、遊び仲間を特定せず楽しむ」ことを前提に活動を維持しているからです。TRPGは各ゲームごとの支持者のみで分離して活動するには遊び手の絶対数に不安があります。
 なぜならTRPGは熱狂的愛好者の堅信的活動……いわゆる信者・中毒者の犠牲によって運営されている奴隷商売を行っていません。ほぼすべての愛好者が多くある選択肢から、その日の気分でTRPGを愛好しているという弱い結束のもとで成立しています。

 初心者の方は、「TRPGは好きなゲームを好きな時に、遊び仲間を特定せず楽しむ」環境であることを認識しておいて下さい。これだけであなたは戦場の地の利を得ます。
 では、こうした環境の中でいかに自分の居場所を求めましょうか。

 TRPGに参加できる年齢であれば、これまで実社会で何かしらの組織の元で、何人かでグループを組み活動した経験があるかと思います。そしてグループ活動に成果を出すに、「自分はこうすればお役に立てる」「自分はチームの中でこんな具合に動く」という自分自身の得意な役割を講じたことがあるか考えて下さい。

 TRPGという複雑な環境に戸惑う人は、いかにして異質な環境に順応すべきか考えてしまうものですが、忘れてください。複雑な環境ですが、そこに生きている人はごく普通の人ばかりです。
 あなたは実社会で通じている性格から自分の長所を見出せばいいのです。
 
 人によっては、グループ活動など精力的に活動したこともない。すべて右から左に流しても問題なかったから、グループの中で存在感を示そうとも、そのために自分の長所など考えたこともないと云う人もおりましょう。
 活動維持費を徴収しているわけではないTRPGのグループとしては、そのような低意欲な人に居場所を与え続けるほど甘い環境ではありません。
 世にグループは、その活動の維持に精力的な人から人材としてカウントするのが習いです。活動に消極的な人など、人以下の消費物として使い潰されるのが世の常だと肝に銘じておいて下さい。もちろん、ただ精力的なだけで存在感を示せない人もモブとして、使い潰されるのは一緒です(トイレットペーパーとメモ用紙ぐらいの差はありますけど)。
 たかが趣味の世界で使い潰されるなど、愚の骨頂です。

◆◆◆

 TRPGという環境で活動する第一の心構えは「自分の長所を発揮する」ことでグループ内での存在感を示すことです。その長所は、今までの実生活で培った性格から編み出すべきでしょう。
 ここでは、グループで活動するに武器とすべき長所……資質的特性を「TRPGドクトリン」と表現します。ドクトリンとは軍隊では、各軍隊の存在意義から編み出した特性のことを指し、ドクトリンが発揮されるように戦術を組み、戦略を練ります。

 まずはあなたのTRPGドクトリンを決めましょう。
 TRPG活動に精力的な人は、次に示す8種のTRPGドクトリンのうち1つ以上を発揮するよう活動しています。まず、あなたのTRPGドクトリンがどのタイプにあるのか、自らの実生活から一番実感の持てるものを選択してください。

【TRPGの行動指針8種】

1:成功確率を読んで、勝負に出る
2:有利な状況を作り出し、勝てる勝負を作る
3:ここ一番の得意技を繰り出す
4:補佐役としてチームの欠点を補う
5:チームを鼓舞し、目標に向かって牽引する
6:常に目的を見定め、脱線しないように軌道修正をする
7:打開策を講じ、楽して成功する道を探す
8:明るいムードを演出して、チームを活気づける

 あなたがTRPGで行うべき仕事は、TRPGドクトリンで定めたあなたの長所を生かしてチームのお役に立つことです。チームの成功はTRPG活動そのものの成功に寄与し、あなたに様々な恩恵……仲間の信頼、充実した時間、素晴らしい物語の体感、そしてあなたがTRPGを選んだことが間違いではなかったという満足感……になります。

 ドクトリンが決まれば、それを発揮すべく運動能力を構築しましょう。TRPGは各ドクトリンに対応した役割分担が、チームという単位では職業、クラス、テンプレート、アーキタイプといった物語上での配役構成に似た形で提示されています。団体競技で云うポジション、軍隊では部隊編成に当たるもので、多くのTRPGはそれぞれ違ったドクトリンの元で強化された別兵科の者たちが組み合わさって協同するコンバインド・アームズで成り立っています。

 TRPGの運動能力とコンバインド・アームズに関しては次回。 
 
 
タグ:TRPG
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2008年03月06日

ガイギャックスはRPGの神様になられた

 すでにご存知でしょうけど、『D&D』デザイナーの1人、ゲーリー・ガイギャックス氏が4日に逝去しました。氏の多大なる功績を称え、ここに謹んで哀悼の意を表するものであります。

 これで僕らはTRPG始祖とは世代ではなく、時代が隔たってしまったのでしょうか。彼一代の流行で終わるのか、それとも時代を越えた輝きを持ち続けるのか、それは遊び手それぞれの敬意によって変わってくるものかと思います。

 イモータルの道を歩み始めた魔術師モルデンカイネンに乾杯!
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2008年03月03日

外に語る時代ではなくなった 〜TRPGブロガーがアニメ版ナイトウィザードに冷淡だった一因〜

 昨年10月〜12月にかけてTVアニメ『ナイトウィザード The ANIMATION』が放送され、ロードス以来のTRPG原作アニメということで僕もその動向を注視していました。やはり原作設定の多いTRPGと云う媒介を1クールで説明しきるのは至難の技でしたが、頭を抱えるほどの逸脱や作画崩壊(OPを含め何度かハラハラしたけど)もなく、まぁまず無難に終えた感はあります。

 TRPG愛好家の間では久々の露出にさぞ湧き上がっているかと思いきや、意外と冷淡です。放送時に合わせて、『ナイトウィザード 2nd Rdition』が発売されたのですが、そんなに騒ぐほど話題になったというほどではありません。
 ナイトウィザード愛好家の元に行けば、それなりの熱い盛り上がりを体感できたかと思いますが、それでないごく普通にTRPGをプレイしている環境では、正直アニメ版は別次元の話でした。

 様々な諸因はあるでしょうけど、アニメ化がTRPGの販売促進に繋がったかは正直微妙ではないかと思います。結論を出すにはまだ早いのでしょうけど、ナイトウィザードで活動している方々の実感も聞いてみたい所です。

 そんなわけで、今日はTRPG愛好者が外部露出に冷淡になったのかを問い、その諸因の1つを推察します。

◆◆◆

 かつて『ロードス島戦記』が世に出て、TRPGの存在が知れ渡った時代、日本においてTRPGの背景たる西洋ファンタジー自体が認知されておらず、TRPGは新しいゲームであると同時に、新しい物語文化の伝道者としての役目を求められていました。そもそも、当時はゲームに小説のような物語が織り込まれ、ゲーム中に物語られること自体が異質の存在でした。

 すなわち、当時のTRPG愛好者は世間一般の人より物語世界のイメージが豊富であり、イメージ格差の是正をするために盛んに外部に自分たちの文化を語る必要がありました。
 この時代、TRPGは紛れもなく文化の発信者でした。TRPGは物語世界の文化では最先端技術でもあったのです。

 翻って現在では、映画、漫画、アニメ、小説、そしてゲームと物語文化を演出するメディアは多種多様になり、またインターネットの登場によって文化の伝播が格段と容易になりました。これによって、TRPG愛好者はゲームを紹介するのに一々物語世界を解説する手間から解放されました。チェインメイルが何なのか、ゴブリンとはどんな生き物なのか、十分にイメージがついてから参加してくる人が多くなり、それ以前にゲームを遊ぶのに物語世界を把握する必要性が認知されるようになりました。

 現在では、TRPG以外のメディアに精通し、TRPG愛好者よりも物語世界のイメージが豊富な人など、それこそ市場を成すほどいるでしょう。ある物語文化を楽しむにTRPGは文字(小説)、ヴィジュアル(視覚メディア)、コミュニケーション(オンライン)のどれもアンティークな存在になり、「物語文化の体験」というかってはTRPGが最先端技術だった時代は趣味文化の多様化によって拡散されるようになりました。物語文化を体感するに、TRPGは最先端から選択肢の1つに成り下がりました。

 今の時代、物語文化の最先端技術の座を降りたTRPGは逆に文化の受信者となっています。むしろTRPGの方が他メディアの影響を受け、流行のメディアを再現するようアンテナを張ることが求められています。
 TRPGが外部発信から内部受信の文化になった時期はおそらく、冬の時代と呼ばれた2000年前後と、F.E.A.R社が旗手となって現在のスタイルが新生された2005年頃の間、5年の間かと思います。

 TRPG系BlogはTRPGを知らぬ外部に宣伝活動をするよりも、TRPG愛好者の間で啓蒙活動をするBlogの方が多くあります。僕のBlogもその走りであるわけですけど、要するにBlogを開くほど発言に意欲のあるゲーマーの興味が外よりも内に向いているということです。
 これは当然の事で、TRPG系ブロガーと云えども数ある趣味の中にTRPGがあるに過ぎず、異文化の良さを十分知っているからです。趣味文化が多様化し、それぞれが認知され住み分けられるほど成熟した日本では、それぞれの趣味が市民権を持ちやすく、「○○こそ優れている。××はダメ」という文句がつけづらくなっています。
 今の時代、TRPGが優れた文化であることを宣伝しても、より市場が広く熟練した見識者がいる他メディアによって返り討ちに遭うことは目に見えています。

 TRPGの良さを外部に伝える必要性を感じるのは、趣味文化が多種多様になった現在では簡単なことではないのです。趣味文化が未成熟な時代は、それぞれの井戸の中で、俺たちの趣味こそ天下一と主張し合うことこそが趣味人の在り方でした。それぞれの趣味文化が今よりずっと閉鎖環境にあったからです。その不便さから、外に向かう言葉が必要だったのです。
 だが、それぞれの趣味が独自に発展し、それらがインターネットによって容易く伝播し合える現代では趣味を持つに閉鎖環境に置かれることはなく、いつでも外の世界を窺い知ることができます。そんな開かれた世界になった時代に、TRPGこそ優れた趣味だと訴えた所で、すぐ他の世界と見比べることが可能なのです。

 こんな時代ですから、TRPGが他メディアに物語を提供した所で、TRPGがアニメ業界に貢献した、TRPGはアニメ業界に恩を売った、アニメ業界はTRPG様の善意によって優れた作品を得たなどと思う人は誰もいません。いわんや、アニメ業界に御恩を与えたのだから、アニメ業界からは恩に報いるべく参入者が来て当然ではないかと考える者は今や妄動の徒と云えましょう。
 
 TRPGはTRPG、アニメはアニメと趣味の世界はそれぞれに成熟し別次元で住み分けられているのが現在なのです。それが分かっているからこその冷淡ぶりなのでしょう。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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