2008年04月28日

もってけ!TRPG 〜ゲームマーケット2008で人生最安値の購入〜

 『大帝の剣RPG』と『アニムンサクシスTRPG』、『スターオーシャンTRPG』、定価合計11800円の3冊(新古品)をゲームマーケット2008で購入しました。

 300円で。

 差し引き11500円分の儲け。
 だけどプレイすることなんかないでしょうな。結局、書棚の飾りに300円も使ったということか…いや、これらのTRPGも楽しくプレイしている人たちがいて、接点が持てるという点で300円は破格の安値と云えるのでしょうか。

 まぁ、まずは書棚のスペース工面せんとね。

 そんなわけで、ゲームマーケット2008に行ってきました。
 今回も時間いっぱいボードゲームやカードゲームを楽しんできました。僕はあまり深いこと考えず、場をかき乱しては自爆するタイプなので大勝ちかボロ負けが常なようです。1回ごとのすっきり感があるけど、とっても疲れます。
 
 だから、戦略を駆使するゲームよりも、ゆる〜い面白さを追究したゲームの方が単純に楽しめたかなとも思っています。ゲームマーケットはトイに近い原始的な遊びのゲームがとても多いのが特徴です。
 
 冒険企画局のブースでも、これまでのカードゲームとは一転、木製の人形を高い場所からバンジーさせるゲームってのがありました。長さの違うバンジーの紐をダイスで獲得して、うまく地表スレスレに紐の長さを調節するのがゲームのコツなんですけど、意外に盛り上がります。
 んで、そのゲームの紹介絵が、まよキンの子鬼がバンジーしてる絵だったんですけど、HP1の子鬼だと地面に激突はおろか紐で吊られるだけで死ぬのではないかと…。
 なにしろ正座して足が痺れたり湯豆腐で口の中火傷しただけでも死ぬかもって生き物だそうですし。

 そんなわけで、今日もたっぷり楽しんできました。一緒にプレイした参加者の皆様、どうもありがとうございます。
 
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2008年04月24日

なぜソードワールドは廃れなかったのか 〜文庫としてのTRPG〜

 『ソードワールドRPG2.0(SW2.0)』買いました。
 色々と「ああ、こうなっちゃったんだね…」と思うことはありますが、システムのバランスがとてもよいということなので、とりあえず掴みは良好のようです。

 そんなわけで、今日はなぜソードワールドが廃れなかったかという話。

◆◆◆

 旧作『ソードワールドRPG(SW)』は思えば不思議な作品でした。
 『パワープレイ(PP)』と同様、TRPGがまだウォーゲームの派生として、ウォーゲームの合間にファンタジー物語を語り合うという和製『D&D』を求めていた頃の作品であり、『バトルテック』を参考にした独自のシステムは非ウォーゲーマーから見れば些かマニアックであり、TRPGとして決して分かりやすいシステムではありませんでした。
 僕が高校生だった頃は『ロードス島戦記RPG』や『ブルーフォレスト物語』などより簡潔なシステムがあり、SWは『D&D』ほどマニアックではないが、サークルでもそれなりに技能を磨いた玄人が好んでいたという印象があります。

 さすれば、僕がPPに対して断じたように、和製『D&D』の存在意義が物語メディアの発達によって薄れた時期に合わせて、SWの使命は終わったと断ずる人が出てきてもおかしくはありません。
 
 曰く、SWはシステムも、牧歌的な冒険者物語(デザインコンセプト)も研究され、表現され尽くした感があり飽きてきた。よりバランスが取れ現在のトラブルに対処した清新なシステム、最新のファンタジー物語に合わせたハイセンスなデザインコンセプトに基づいた設定がなされたゲームが登場すれば、SWは自ずとスタンダードTRPGという大仰な看板を下ろし使命を終わるであろう……。
 TRPGサイクルの否定期によくある批判をSWも受けました。

 事実、96年にハードカバー版『ソードワールドRPG完全版』が出版されましたが、08年現在でもSWと云ったら旧来の文庫版を示す人の方が多いのが現実です。完全版は累積した用語の整理やバランス調整など文庫版より完成度の高いシステムだったはずなのですが、文庫版より低い評価に留まっています。
 同じSNEのゲームとして前年に出た『クリスタニアRPG』の方にファンが傾倒したのが主たる理由でしたが、95年の『トーキョーN◎VA the 2nd edition』、96年の『熱血専用!!』、『天羅万象』、97年の『深淵』、『番長学園RPG』とロールプレイの妙を楽しむ濃厚なデザインのゲームが露出してきた時代であり、SWの寡占状態だったプレイ環境に割り入ってきたというのもあります。

 僕が一旦リタイアした2000年前後までの間に、SWは爛熟期から否定期に差し掛かり、代わりに初期F.E.A.R社の人気タイトルが隆盛期に入ってきました。
 少なくとも、都会では。

 そしてTRPG冬の時代も過ぎ、インターネット環境が発達して趣味文化の多くが「多くある興味を引くものの1つ」になった現在、使命を終えたはずのSWはまだしぶとく現役でい続けていました。それも文庫版の方が、です。
 そして今年、『ソードワールドRPG2.0(SW2.0)』としての再生…。
 TRPG系Blog界隈はかってない反響を以てこの再生を迎えました。
 
 同じ和製D&Dを目指したPPとの差、これは何でしょう。
 僕はSWにはシステムの清新さというゲーマーの視点だけでは語りきれないブランド価値が備わっており、それがSWを不朽にしたと考えます。

 SW最大の武器は文庫版だったことです。
 TRPGを入手する場所に事欠かない都会ゲーマーには想像し難いことですが、地方のゲーマーにとってSWは注文しなくとも買える可能性がある唯一のTRPGでした。僕もまた都会ゲーマーなので、これに関してはうまく説明できないでしょう。そこは地方のゲーマー諸兄にお任せします。
 だが、実の所入手しやすさはSWにとって最重要なメリットではありません。ここから先は都会も地方も一緒です。

 SWが文庫本であることで、TRPGの遊び手は始めて自分のライフスタイルの中にTRPGを組み込むことが可能になった……これがSWが持つ最大の功績です。
 それまでTRPGと云えばボックスであったりA4サイズの巨大ムックであったりと、日常生活の中で広げるには抵抗のある「プロの道具」でした。趣味の道具とは云えTRPGは文字の集合体たる書籍…、読書感覚でTRPGに触れることができればどれだけ気軽であろうか…。
 SWが出て、始めてTRPGの遊び手は電車の中や喫茶店で、気兼ねなくルールブックを開くことができるようになったのです。実社会の中で堂々と自分の趣味を開陳できるという喜びは多くの遊び手にモチベーションを与え、業界を活性化させる効果があったのです。
 その意味では、TRPGのライフスタイル化への可能性を開いた『T&T』の功績も忘れてはならないでしょう。

 ゲーム総合情報誌やライトノベル誌に登場したリプレイはTRPGの知名度に貢献しましたが、コンシューマーゲーマーやラノベ愛好者がすんなりTRPGに入ってきたのも、SWが彼らの趣味文化に何か特別な変化をもたらすことなく参加できるような土壌を作ったからでしょう。SWはコンシューマーゲームやラノベの世界とTRPGの世界とを繋ぐ橋としては見事な形態であったと云えます。これが『D&D』だったらこんなにすんなりいかなかったでしょう。
ここまで来て、SW完全版がなぜ文和版よりも完成度が高いのに評価が低いのかお分かりいただけたかと思います。あのぶ厚いムック版は遊び手のライフスタイルに組み込むには大仰すぎたのです。

 文庫版と云えば『D&D』も一時期文庫版が出版されましたが結果は総スカンでした。D&Dは当初からコアな志向を持つマニア愛好の品であり、システムも情報もTRPGの中の高級品です。云わば文庫版D&Dは持つのも恥ずかしい廉価版なのです。何でも文庫にすれば売れるわけではないのです。
 
 文庫版TRPGは日常のライフスタイルに入り込める作品だけが成功する形式であり、SWはゲーム誌やラノベに好奇心や娯楽を求める人たちが日常に組み込んでいるライフスタイルの中に溶け込むことでブランドを得ました。
 到底、TRPG一徹者やシュミレーションゲーム流れには気付きもしないことです。

◆◆◆
 
 さて、2008年現在、文庫版TRPGは『アリアンロッドRPG』や『アルシャード・ガイア』があり、SW2.0はそれら先発と同じ市場を奪い合うという意見もあります。
 だが、それ以上に奪い合いになる真のライバルがいます。
 云うまでもなく、旧版たる『ソードワールドRPG』です。ブルーレイがHDDVDとの競争に勝ち、現在は現在主流のDVDとのシェア争いが予測されるのと同様に、SW2.0もSWが築いているシェアをどれだけ奪えるかが勝負となりましょう。
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2008年04月21日

TRPG SNSに入会

 『ソードワールド2.0』まだ買えてません。
 今日は実家で庭木の剪定してたもんでして……言い訳するほどではないかな。
 
 気まぐれTRPGニュースを見れば、このゲームへの期待感が非常に高いことが窺えます。TRPG.NETの件は未来記事が非表示になるということで一応の解決が見られました。これを以て当方も適正な処置が取られたと判断します。関係者及び読者の方々にあつく御礼申し上げます。並びに気まぐれTRPGニュースの今後の活躍に大きく期待するものであります。

 前から懸案していたTRPG SNSに参加いたしました。まだ何かするというわけではないのですが、参加者の皆様には今後ともよろしくお願いします。

 今日は報告のみです。
タグ:TRPG SNS TRPG
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2008年04月10日

労力は課題であって経費ではない 〜TRPGのコストとプロブレム〜

 オリンピックの聖火リレーがチベット問題で大揉めです。ですが、仮に長野でも同様の騒動が発生するとするならば、中国の隣国であり多くの在日中国人を抱えている日本では、デモ活動を行うのは英仏のようにチベット問題活動家ばかりだと考えるのは問題ではないでしょうか。
 予測されるのは、愛国を訴え抗議活動を妨害するために人が集まって、抗議活動グループと衝突することです。それはそれで「絵」になる光景ですけど、軽い気持ちで「電凸だ」と出かけたら怖い愛国者にボコられたなんて惨めですから、出かける方はくれぐれも用心してくださいね。

 本来なら、そうした反発も含めての自重なんですけどね。
 まぁ杞憂であることを願います。
 
 さて、今日はこの記事から。

TRPGのコスト

TRPGのベネフィット

(ともに『まりおんのらんだむと〜く+』より)

 題名で示した通りなのですが、自分の資源(リソース)で調整がきかないものをコストと呼ぶのは問題があると思います。そもそもコストは生産活動における対価を意味するものであって、何かを成し遂げるために克服すべき課題(プロブレム)と混合してはいないでしょうか。
 簡単に云えば、コストは「○○を得るために、どれだけ支払うのか」という意味であって、「○○を得るために、どれだけ努力するのか」という意味ではありません。後者は生産活動そのものであって、生産活動をするために支払う費用ではないからです。

 その意味で、人的コストをTRPGのコストとして換算するのは間違っています。まりおん氏の用例は「まず人を集める必要がある」、すなわち参加者確保のために必要な労力のことなのでしょうが、労力自体は課題であって経費ではありません。生産活動における人的コストとは人件費、すなわち賃金に他なりません。
 もしTRPGで、参加者に給金を支払うというのなら人的コストがかかります。また、人集めに広告など経費がかさむというのなら、人的コストではないが人集めのための必要経費としてコストに加算されるでしょう。
 
 また、時間をコストに換算するのは、各人がいかなる活動に価値を見出しているかで差異があるという点において、コストに換算するのは難しいかと考えます。
 これには機会費用(opportunity cost)という言葉があます。もし該当する時間の中で最も価値を生み出す活動をしていたならばいくら儲かっていたのか、実際に行った活動を得られたであろう儲けの額に換算して、価値の損得を考えるというものです。
 例えば時給1万円で働いている人が1時間休んだとします。機会費用の考えからすると、彼の休憩は1万円の価値があるわけです。

 もしTRPGの準備時間およびプレイ時間を機会費用で考えるなら、遊び手が就業して入手した時給と比較して、TRPGにかかった時間分だけ働いて手に入れた給金額ほどの価値がTRPGにあるかと考えるわけです。
 5時間プレイしたとすると、時給900円のバイト5時間で入手できる4500円の価値がプレイ時間にあるか、または4500円の機会費用価値がある空き時間を超える価値がプレイ時間にあるのか……。
 まぁ、個人差が大きいものです。
 
 環境コストも人的コストと同様、換算できるのは施設借入にかかる経費や交通費だけであり、施設を用意する努力は課題であって経費ではありません。

 高橋志臣氏が提言した評価コストに関しても、評価を得るために支払った経費、すなわち宣伝費や遊興費こそがコストとして換算されるべきであって、「評価を得るための努力」は課題の範疇です。
 ましてや、結果として得た評価は経費ではないでしょう。経費を払って得たものです。

 結局、資金コストのみがTRPGにおけるコストの問題であって、残りは課題もしくは機会費用の範疇に入るのではないのでしょうか。
 以上が僕の意見です。

 
タグ:TRPG
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2008年04月06日

反響に応えるという土壌 〜キャラクターを作ることと使用すること〜

 TRPGは物語の登場人物めいたキャラクターを操作するゲームです。しかるにTRPGのキャラクターが創作活動に活かせるという発想が生まれ、漫画家や小説家、ゲーム脚本家などが着想の源としてTRPGを嗜んでいるということです。なるほど、TRPGは創作活動を補助する環境開発ツールだというのも頷けます。

 魅力的なキャラはTRPGの産物と云えます。
 ですが、僕らの周囲はゲームに小説、漫画にアニメとキャラクターを売りにしたメディアが溢れています。その中でTRPGが生み出すキャラクターが持つ特性や、どのような工程の元で生まれるのか認識することは有益なことかと存じます。

 今日は、ただ作成されたキャラクターとプレイに使用されたキャラクターとの間にある差についてです。

◆◆◆

 TRPGのキャラクターは誰であろうと魅力的になり得ます。
 だが、創作活動に近い作業をこなさなければ、誰であっても魅力的なキャラクターなど制作はできません。描かれない絵、飾られない絵の魅力を語ることなどできませんから、世の名画とされる絵は例外なく描かれ、そして飾られています。
 TRPGのキャラクターも、キャラクター作成ルールに従って作成しただけでは魅力的なキャラになるとは限りません。ただ、描かれない絵、飾られない絵だろうと絵師の脳内あるいは地下室にて絵師のみには光彩を放っているように、プレイされないキャラクターと云えども、作った本人のみには十分魅力的であるものです。

 要するに自己満足なんですけど、作った本人からすればまんざら悪い思いではありません。TRPGのルールがなければ形にすらならなかったのですから。
 だが、己の創作意欲が結実した自己満足だけが、TRPGで得られる快感ではありません。プレイに用いれば自己満足とは違った、新しい快感を得ることが可能で、新しい快感はキャラクターを実体なき虚像から、実感の持てる実像へと進化させることができます。

 その新しい快感とは何でしょうか。
 ここからは、新しい快感を得たゲームと、新しい快感を得られなかったゲームとして、『Forza Motorsport 2』と『WWE SmackDown vs Raw2008』を取り上げます。

◆◆◆

 僕はプロレスが好きですから、『エキサイティングプロレス(エキプロ)』シリーズ……発売元がTHQに移って『WWE SmackDown vs Raw(SVR)』シリーズも購入しプレイしています。
 このエキプロorSVRシリーズの売りとして、オリジナルのレスラーを作るエディット機能というのがありまして、細かな外見から技、仕草や入場シーンまで事細かに作成できるのです。それで作成されたオリジナルレスラーはCAWと呼ばれ、ネットでは自作のCAWを公開したりして交流が行われています。

 ですが、最新版の『WWE SmackDown vs Raw2008』でもオンラインでは対戦しか行えず、またエディットパーツの一部が商標上使用できないということもあり、CAW表現の場としては不都合な状態です。
 CAWの楽しさはMAD動画に近いもので、漫画やゲーム、アニメのキャラを再現してプロレスする姿を観て楽しむことだと思います。結局はYouTubeやニコニコ動画を借りて動画がちょこっと出る程度で、現状ではソリティア(1人遊び)ゲームの粋から一歩も出ていません。

 さて、なぜSVRのことに触れたかと云えば、SVRのCAWは優れた……4以降は改善と改悪が混在し、手放しで褒められた進化をしていないのですが……エディット機能で完成度の高いキャラを作り出すことはできますが、それだけでは魅力的なキャラに「なる」ことはできないことを言いたかったからです。
 
 魅力的なキャラに「なる」とはどういうことか…。
 それはキャラが消費者(読者、視聴者、遊び手)にメッセージやイメージを与えるメディアとなり、メディアの世界で賞賛を得ることに他なりません。それには、作成されたキャラを披露し、その特徴を表現するという意識的素地が必要なのです。

 云わば、作成したキャラを衆目の前に飾ることです。

 SVRのCAWはキャラの個性を表現する場に乏しく、多くの遊び手にとってCOWを飾る楽しみに魅力を感じることはありません。ニコニコ動画を見れば分かると思いますが、動画を投稿する第一の理由は、衆目の反響を浴びたいという表現者なら誰もが持つ喜びにあります。反響を得られる場がなければ、反響を得る喜び自体に無頓着になりがちなもので、そうした環境では自己満足以上の感情は芽生えません。なぜなら、自己満足で事足りる世界では反響を得るための労苦や、より多くの反響を得るための戦略的視野を持つ必要性を感じないからです。
 これは同じようにエディット機能が自由自在で、完成度の高いキャラクター(車)が作成できながら、オンライン環境が整っていたお陰で存分に自作ペイント車を披露でき、高い反響を得た『Forza Motorsport 2』との違いとも云えます。
 Forzaのペイント車は反響を呼ぶ場が存在しているという点で、自己満足の発露でしかない実社会のペイント車より多彩な環境にあります。実社会のペイント車でアニメキャラをペイントしたものはあっても、野球やサッカーのユニフォームをモチーフにしたり、著名レーシングチームのレプリカペイントをしたり、挙句は企業商品やAAまでペイントしたいという環境はないでしょう。
 実社会ではそんな真似までして得る反響より、自己満足感の方が優先されます。しかるに実社会のペイント車は俗に痛車と呼ばれる、作者の萌え感情の発露の手段に留まっています。

◆◆◆

 反響こそエディットでは得られない新しい快感なのですけど、TRPGの場合イベントの場で数人の同好者相手に披露するわけですから、不愉快な反響はさほど多くありません。
 何よりも反響をすぐに活かし、リアルタイムにキャラクターを肉付けすることが可能な点がTRPGの利点です。     

 TRPGのセッションでは、キャラメイクのみでは得られないキャラクターの細かい肉付けがプレイでの行動によってなされます。
 キャラメイクではキャラの身体的特性、特技、大まかな性格、履歴書程度のプロフィールが設定されますが、出来上がったキャラクターはまだ書類上のデータでしかありません。自己満足してしまう人はキャラの肖像の多くを脳内のイメージ貯蔵庫に保蔵したまま、夢想することで満足してしまうものですけど、実の所肖像の多くは本人の想像力の遥か奥で眠っているものです。

 キャラの面白さってのは生活の中に起こる光景に、どんなことを言って、どんな仕草で、どう動くのかってのを観察するのが楽しいわけで、それにはセッションを通して1つ1つ想像しロールプレイによって形にするしかありません。
 そうして、キャラクターを実世界で動く僕たちと同様に思い、悩み、考え、行動する実像を持った存在にして、始めて二次創作の主人公としての使用に耐えうる魅力的なキャラクターへと進化するのではないでしょうか。

 TRPGで使ったキャラが面白い肉付けができたってのは、どこのセッションでも自然に発生するものです。ただ、物語で楽しんだ思い出とその過程でダベっているうちにポンポン浮かんできた(ロールプレイと素性の混成物である)キャラは、あくまでも物語を作る際にできる副産物であって、副産物が脚光を浴びることはあっても、じゃあ副産物(面白キャラ)が欲しいから主産物(物語)抜きでTRPGをやろうとしても、目的に見合ったキャラが作れるとは思えないと云うのが僕の考えです。
タグ:TRPG
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