2008年07月31日

軽戦士に戦理はあるのか

 東京では『ウォーハンマー』がよくプレイされています。
 『アリアンロッドRPG』、『ソード・ワールド2.0』に次いで3番目に卓が立つファンタジーTRPGではないでしょうか。この3作に『六門世界RPG』辺りが次点にきて、他は毎度のプレイは期待できません。
 システムが分かりやすいってのもあるけど、あの特濃な世界観でよく受けたなと思います。

◆◆◆

 過去3記事で、TRPGがMWGから派生する間にいかなるデザインの変遷があったのかを推察してきましたが、これはTRPGが『D&D』以来30年以上、戦闘システムの基幹をターン制と対抗判定という『Chain Mail』以来の伝統的なスタイルを継承する理由を解題するためにありました。
 そして、この執筆にあたって僕は1つの仮説を立てていました。
 すなわち、TRPGの戦闘システムが不変なのは、それがTRPGのゲーム形式そのものに起因しており、MWGから遊び方を移行していく中で遊び手の立場や欲求に適応していった結果なのだからではないか、と。

 もしこの仮説が正しければ、ちょっとした小手先の変化ぐらいではTRPGの戦闘システムは変化しないことになります。そして、推察は仮説を肯定する方向で進みました。

 TRPGの基幹である「1人1キャラのプレイヤー数人と、モンスターを一手に引き受けるGM1人」の構図自体が、「プレイヤーは自駒の保全がゲーム目標と化し、そのために連携して各個撃退を始める」という展開を生み、不均衡な構図を互角にするために「連携するプレイヤー集団vs強力なモンスター単体」の戦闘に落ち着くわけです。

 もちろん、構図が同じであれば戦法も鉄則が生まれます。

 まず、PC側は何ラウンドも悠長に戦える余裕がありません。
 相手も高い数値修正を持っているので防御判定も確実ではなく、毎ラウンド深刻なダメージを受け続けるのが常です。持久戦は不利な相手なので、速効で最大攻撃力を叩き込むことが求められます。

 そのためにダメージの高い両手武器を装備し、特技などもダメージを増加させる物に特化されます。防御判定がアテにならないので、回避を期待せずACとHPの高さで凌ぐしかありません。そのため、高いACを持てる……硬い鎧を着れるクラスが前衛として不可欠になります。

 すなわち、対ドラゴン戦……TRPGで最も完成度の高い戦闘場面では片手剣などの中途半端な性能の武器や盾、格闘家や軽戦士など大したダメージを与えられないクラスなどは役立たずになる恐れがあるということです。
 これらの高機動力、高い回避能力、多彩な技能を誇る装備やクラスは互角以下のモンスター数体を各個撃退する「見せ場戦闘」にこそ威力を発揮するものと云えましょう。威力と云ってもイニシアチブを取るため程度で、いくら先制攻撃しようが機械的に対応するモンスター相手では電撃戦の意義はまるでありません。素早さの代償として低ダメージの武器しか与えられない軽戦士のやることなど先制してモンスターの頬をはたく程度のことです。
 実の所、後衛の支援が会えば前衛が鈍重でも何ら問題なく、例え先制できなくても敵が来るのをのんびり待てば問題ありません。重戦士は支援ある限り揺るがない優位を保てるTRPGで最も安定性の高いキャラなのです。
 本当、TRPGにおいて軽戦士の類は単に上級者向けというより戦理に合わないクラスと云えましょう。 それに成長でも重戦士は能力強化に加えて装備でも充実してくるけど、軽装備にこだわる軽戦士は大した装備が持てなくてどんどん先細りしていきます。

 第一、固定値であるACとダイス目修正の回避能力が天秤にかけられるってのがおかしいわけで、出目次第でご破算になる回避能力よりは、運がいくらなくとも適応されるACの方が確実にキャラを保全させる力があります。

 それでも懲りずに設定され続けているのは、口だけの世界では軽戦士必勝法がどこかにあるってことなんでしょうか。現場じゃとんとお目にかかりませんけど。
 
 それでも、んじゃ軽戦士いらないって云うのも夢がありません。

 重戦士でいくことが戦理である現在の戦闘システムを改善するのが根本的な解決策ですけど、それにはキャラクターの保全がゲーム目標であるTRPGの仕組みそのものに手を加える必要があるかと思います。
 
 今日はここまで。


【関連記事】

夢世界の双刃剣、現実世界の巨剣 〜TRPGにおけるデータの有為無為とムダ〜
 
ラベル:TRPG
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2008年07月24日

なぜドラゴンはTRPGの主役になりえたのか

 またしても地震。怖いです。
 東北地方の方々、お気をつけてください。

 今日も前回の続き。
 MWGからTRPGに移行するプロセスの中で生まれたボス敵の存在についてです。

◆◆◆

 TRPGは1人1キャラで、陣取りなどの大局的目標がなくPCを保全することが目的の戦闘ゲームですので、プレイヤー側は戦力を集中し各個撃破を仕掛けるのが常道になっています。
 これに対してモンスター(GM)側は、無制限の防御判定と数値修正、ACなどの1キャラを保全するシステムの壁に阻まれ、弱い敵はいくら出しても歯が立ちません。
 互角以上の敵を出しても、PCの保全という微視的な目標しかないTRPGでは、プレイヤー側の敗北はがっかり感しか与えません。ゲームとしてより多くの遊び手を幸福にしなけはれば支持されない実情を顧みれば、GMは最終的には1人負けするように計らわなければなりません。

 ここまでが前回のおさらい。
 
 この時点でTRPGはウォーゲームとしての目標がレイムダックし、物語作りを演出するトライアル的な存在になっていきます。すなわちTRPGでの戦闘は、勝敗よりもいかに試練として試し甲斐があるかの方が重要になってきたのです。
 そうなると、戦闘に対するコンセプトそのものが変化していきます。もはや用なしとなった「陣」と「駒」は抽象的なイメージに簡略化され、プレイヤーが連携して集団行動を取ることを前提に対処されたモンスターが用意されるようになったのです。

 つまり、連携するプレイヤーたちに対し、連携はしないが互角に戦える相手であり、なおかつプレイヤーたちをジリ貧にして士気を下げさせない短期決戦に向いたモンスターです。
 そこで登場するのが、圧倒的な巨体とネームバリューを誇る単体のボス敵です。

 PCの堅牢な数値修正やACをブチ抜き、一撃でHPの1/3から半分ぐらいを奪う圧倒的な打撃力と、集中砲火を受けても数ターンは耐えうるHP。それに後衛の油断を突く全体攻撃…。
 このような圧倒的なモンスターを1体だけ出すことにより、プレイヤー側に一か八かの大勝負を感じさせる緊張感を与え、負けた時のがっかり感を軽減させることができます。仮に負けても、あんな圧倒的な敵では仕方がないと甘受できますし、1体だけなら倒せる望みを保持し続けることができます。すなわち、悔しさの矛先がGMに向きません。さらに、全員が同じターゲットを攻撃しているので、プレイヤー側の目が戦功争いよりも団結に向き、プレイヤー間にまとまりがつきます。

 すなわち、団結し役割分担を駆使するプレイヤーチームvs圧倒的な攻撃力を持つ強大モンスター単体という構図がTRPGの戦闘としてもっとも白熱し、なおかつ娯楽として安泰であるということです。

 幸運なことに、ファンタジーTRPGの世界ではドラゴンというボス敵の条件を満たしたモンスターがいました。
 実の所、聖ゲオルギウスやジークフリードなど神話伝承には竜退治のエピソードがありますが、当時のファンタジー愛好家たちの聖書であった『指輪物語』にはドラゴンは登場していないわけで、ガイギャックスらがどうしてドラゴンをタイトルに冠するほど主要なモンスターに抜擢したのか定かではありません。
 もし、ガイギャックスらが指輪物語に固執していたら、バルログのような妖魔がボス敵に設定されていたかもしれません。あるいは、版権上バルログの名を出すことが出来なかったが、ボス敵のロール・モデルとして意識していたかもしれません。いずれにせよ、彼らの手によって神話伝承の存在であったドラゴンはゲーム世界の登場人物として設定がつけられ、今日のファンタジーでも使われている姿へと定着していったのです。

 日米ともにTRPGで最も好まれているのはファンタジーですけど、それは1人1キャラ戦闘に最も合致したドラゴンというモンスターを創造できたことが一因としてあると思います。
 SF、サイバーパンク、スチームパンクなどファンタジー以外のTRPGではドラゴンに相当するボス敵を創造することができず、結果としてトライアルの対象としてファンタジーほど明確なモチーフを提唱できず、ゲーム目標がぼやけてしまっています。そのモチーフの不明瞭さが、シナリオ創作やプレイヤー募集においてネックとなっているのでしょう。

 続きは次回。
ラベル:TRPG ドラゴン
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2008年07月20日

GMは娯楽文化としての立場のために負けなければならない

 社会人層のTRPG離れが著しいという意見がありますけど、まず趣味と仕事を両立できる環境を育てないといけないという点で、全ての趣味文化共通の悩みと云えましょう。

 まずは、休日は静養以外に選択肢がないという層に、いかに精力・活力をつけさせるかという課題を解決しないとダメでしょう。そのためには滋養ある食事、適度な運動と健康な体作りが必要ですけど、まず第一に大事なのは、十分な睡眠を取ることです。それも夜間の睡眠は大事です。

 そのためには夜間のネット利用は慎むべきなのですが、それにはまず「昼間にネットで遊んでいても軽蔑されない」環境にしなければなりません。昼間ネットにいるのは無職引き篭もりだけなんて揶揄が罷り通っていたら、誰だって夜しか利用しませんよ。

 今日は前回の続き。
 このBlogはあくまでもTRPGが生活の中で両立できている人のためのBlogです。
 
◆◆◆

 防御判定によって1人1キャラの戦闘ゲームはようやくバランスが取れ始めてきました。だが、バランスが取れたことにより今度は設定の中から非合理的な存在が生まれ、ゲームとしてムダが出てき始めてきました。

 それは「駒」の重要性です。

 TRPGの戦闘システムは攻撃判定vs防御判定のダイスバトルが基調ですが、ユニットの戦闘能力を表現するために実力を数値修正にて補正しています。
 これによって、数値修正およびダイス目による達成値で防御判定の最低値を上回れないユニットが打撃を与えることが不可能になりました。これはクリティカル・ファンブルによる無条件成功・失敗の要素が発明されることにより完全ではなくなりましたが、仮に攻撃が成功しても圧倒的な数値修正差がつくほどの相手ともなればACやHPも総体的に高く、十分なダメージを与えられないのが実情です。

 こうなると、モンスター側はいくら数を揃えても「叶わない相手には徹底的に叶わない」ことになります。何百とゴブリンを揃えても、高レベルPC相手に一撃を与えることすらできません。
 DM側は果てしない徒労を強いられ、プレイヤー側は退屈な虱潰しになるわけで、この時点で「弱敵」の存在がいらなくなるのです。

 防御判定と数値修正によって、もはやTRPGでは頭数は戦力たりえない要素になったのです。「守るべき存在のいる侍と雑魚1万、どっちが強い」という問いに侍だと即答できるという『天羅万象』のデザインコンセプトは別に突飛な発想ではなく、『D&D』の時代からあるTRPG戦闘システムの極端な結論でもあったのです。

 こうして、TRPGではプレイヤー側と同等以上の数値修正を有したモンスターとの戦闘が伯仲することが判明したのです。各レベルごとに互角だとランク付けされたモンスターか、用意されたPCと同じレベルのNPCが自然に伯仲する相手となります。

 互角の戦力同士になって、ようやくTRPGはバトルゲームとしてバランスが取れたかに見えましたが、ここでまた不合理が発生したのです。

 それは「DMが勝つ」ことの重要性です。

 数値修正的に互角の敵を揃えてもプレイヤー側は戦力の集中と各個撃退によって、戦力を削ってくることが可能です。対するDM側はそうした戦術を多用することはアンフェアとされ、極力無軌道に行動することが求められています。
 これは増援という形で新たに戦力を増強できる立場のDMへの抑止効果もありますが、何よりもプレイヤー側が不利な状況に立たされることによるプレイヤーの士気低下が、思った以上に深刻な悪影響を与えることが分かったからです。
 TRPGではモンスター側の勝利が、複数いるプレイヤーに不幸な虚脱感しか与えなかったのです。

 ゲームならば娯楽として最大多数の幸福が実現したほうが安泰なのですが、戦闘ゲームへと一歩微視的な立場で楽しむTRPGではPCの保持以上の大局的な楽しみを提示しづらく、より多くの遊び手を楽しませるには複数いるプレイヤー側がキャラを保全しやすい立場にあるのが道理になります。
 すなわち、DMが1人負け役を引き受けることが、多くの遊び手が楽しめるためには必要だったのです。そのためにTRPGではモンスターはあくまでも非知性的であって、DMはあくまでもプレイヤーの楽しみを引き立てるために戦術を多用してはならないというマナーが次々と提唱され、不文律として成立しています。

 かくしてTRPGはより多くの遊び手を幸福にするために、戦闘ゲームからPCの活躍ぶりを演出する出来レースへと変貌することになったのです。もはや戦闘は伯仲はするが最終的にはプレイヤー勝利へと流れていくのが最も妥当な方向になりました。
 
 もちろん、これではゲームとしての楽しさが大きくレイムダックしてしまいます。いくら多数の幸福のためとは言え、勝者と敗者の数的バランスが取れてこそよきゲームとなります。多数でDM1人に勝っても大した優越感は得られないのです。
 多数のプレイヤーと1人のDMという圧倒的な人数差の中で、勝者敗者のバランスを取るためにはどうすればいいのか…。
 それは次回。
ラベル:TRPG
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2008年07月13日

ミニチュアウォーゲームからTRPGになるまでの間にあったゲーム要素の転換

 よく「次回」などと銘打ちながらテーマを続けないことがあります。
 それは単純に反応が鈍かった記事でして、アクセス数が伸びなかったり、はてなブックマークがつかなかったりして、あまり食いつきが良くなかった記事はテーマとして打ち切りにしています。
 食いつきが悪いテーマを根気よく続けるのは時局を読めないわけですし、そういう記事は公表するよりも下書き段階で暖めた方がよい。むしろ今スラスラ書ける話題に転換した方が硬直せずに続けられるというのが僕の姿勢です。

◆◆◆

 TRPGはミニチュアウォーゲーム(略:MWG)の派生として生まれたことは本Blogで何度か取り上げました。MWGに興じていたG・ガイギャックスらのグループが、それまでユニット(軍団)を率いていたMWGを1人1キャラにしてはどうかと思いつき、そこから試行錯誤を経て『D&D』の前身である『Chain Mail』が誕生しました。
 そして『D&D』からモンスター側と審判の役割が統合されたDMという遊び手が発明され、1人1キャラ担当のプレイヤー数人対モンスター集団を1人で扱うDM1人という図式になりました。

 これがMWGからTRPGが派生した「神話」なのですけど、この派生に至るまでに、どのようにゲームが改造され、コンセプトが設計され直されたのか詳細な記録は残されていません。
 今回は、MWGからTRPGに移行するまでの間にどのような変化があったのかを推察してみようかと思います。

◆◆◆

 MWGはSLGであり、その基本はチェスと同じ陣取りゲームです。
 陣取りゲームは各駒の性能を活かし、行動範囲が決められた盤面上で交互に駒を動かし、最後は陣取りを制して相手を詰みにすることを目的としたゲームです。MWGは駒がユニット、盤面がジオラマや六角マスのボードに変化しただけです。

 さて、チェスやMWGは共通の特性が1つあります。それは最終的な勝利のために、駒を生かす必要がないということです。陣を確保するために捨石になる駒、役目を終え盤を埋めるのみの駒など、駒は活かされるのみならず、殺されるためにも使われるということです。
 これは遊び手に、最終的な勝利のためにどう駒を使い、なおかつどう駒を捨てるかという視点を与えます。陣取りゲームの遊び手は犠牲を厭わないのです。

 これが1人1キャラになると、駒の死=ゲームオーバーですから駒を殺して陣を取る意義がなくなります。各個が自駒の保全を目的に動くので、プレイヤー側には陣取りの勝利という巨視的な見方をする人がいなくなりました。
 陣取りに勝つために、自分がゲームから脱落することを納得させるのは中々難しいことですし、それを他者に強要することはもっと難しいことです。

 この時点で、各個が自駒の生存のために動くプレイヤー側と、モンスターを活かすことも殺すことも自在なDM側とで遊び手の立場が異なるようになり、ともするとDM側の方が有利な環境になりました。
 駒を捨てられないプレイヤー側と、全体的勝利のために捨て駒を使えるDM側の方が手堅く陣を取れるでしょうから。
 この絶対的な戦力の不均衡を是正するために、後にTRPGの方向性を決定付ける観念が導入されることになったのです。

 それが、「無制限に使える防御判定」です。

 防御判定に成功する限り、無制限に駒を保全することが可能ですし、無数の敵にも対応できます。HPにも駒の耐久性を上げる効果はあるにせよ、無制限に駒を保全できる可能性を与えたのは画期的な観念と云えるでしょう。
 
 そしてさらにPCの生存率が高まるように、食らったダメージの総数を軽減できる装甲によるアーマー・クラス(AC)という要素も発明されました。これも無制限です。

 防御判定とACによって生存率が大幅に上がったプレイヤー側は、モンスター側との戦力差を埋めるべく従来の陣取りゲームでは想定外の戦法を取り始めました。プレイヤー側が集結し、DM側のモンスターを1匹ずつ各個撃退し始めたのです。陣取りをするために犠牲を強いることを辞め、とにかく生き残るために相手の駒を虱潰しにし始めたのです。
 この現象により、DM側も陣取りゲームをする意義が失われました。陣を守る必要がなくなったプレイヤー側が固まってモンスターを潰すことに専念するのですから、DM側の戦術も単純な戦力投入しかなくなります。
 
 かくして、1人1キャラという前提に無制限の防御判定、集結と各個撃破という戦法によってTRPGは「陣取り」という大目標を失い、結果として戦術ゲームから戦闘ゲームへと一歩微視的な立場で楽しむゲームへと変化していきました。

 さらにキャラの性能を表現すべく発明された「数値修正」によって、TRPGはMWGから完全に逸脱した新しいゲームと変貌していくのです。そこから先は「気が向けば」次回。
ラベル:TRPG D&D MWG
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2008年07月08日

ソード・ワールドの話題力

 『ソードワールド2.0』をようやくプレイしてきました。
 発売前にF.E.A.R的だという声がありましたけど、『アリアンロッドRPG』とは違う、紛れもなくかつてSWで体感したSNEのゲームでしたよ。
 世界観のくだらないムダ話で話が弾むトコとか、マンチキンというかセコい裏技……ターン終了の直前ごとにアンビエント歌ったりとか、ペットの蛙を手榴弾よろしく投げ込んだりとか……があったりとか。

 TRPGの数値修正で完璧なデータバランスを取ることは難しいもので、どこかに脆弱性があって不均衡なキャラメイクや戦法が生まれてしまいます。それでゲームがヌルくなったりすると糞ゲー扱いされるものですけど、TRPGに関しては完璧なデータバランスのゲームよりは、珍妙な裏技があって笑えるヌルさがある糞ゲーの方が楽しめるものです。
 コンシューマーなどのソリティア(1人遊び)ゲームだと、個人的な欲求を満たす目的でプレイしているわけで、そこにゲームの愛好者として高次な目的意識を求めれば技量の研鑽や隅々まで確認した見識など、エキスパートとしての求道を目指すのが自然です。
 そういう世界だと、道具としては扱いの難しい名器が玄人面しやすく尊ばれるものでして、ヌルさや奇天烈ぶりのあるゲーム=糞ゲーの烙印がたやすく押されてしまいます。自分を高い所に持って行きたいのですから、なまくら物は価値なしとされるわけです。

 一方、TRPGは対話で盛り上がった者勝ちのパーティです。歓談のネタとして道具を使うなら、それはいびつで滑稽な、突っ込み所満載だけどそこが面白い器の方が好まれます。
 こっちの世界は面白いもの勝ちであり、どんなに1人でゲーム通たらんと望む者としてヌルい糞ゲーだと感じても、そのヌルさ、奇天烈ぶりがセッションの面白さを加味する材料たりえるならば、名器よりはなまくら物の方が味があってよろしいとなるわけです。

 SWもそうでしたけど、どの卓に行っても笑い話になるネタがあって、それで笑い合ううちに自然と打ち解けあえるってのはこの作品の目に見えない実力なのだなと思います。

 
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