2008年09月25日

シーフを軽戦士にするな

 昔の新和(TSR)版D&Dと、昨今のHJ(WoC)版D&Dとでは1つ違う所があります。
 それはDMとして「戦闘を回避して目標を達成する」という選択を用意しているかしてないかということです。罠を解除しモンスターをやり過ごしては隠された財宝を探す新和版D&Dとは違い、HJ版D&D者は正面きってのMWGを当然のごとく仕掛けてきます。

 新和版D&Dではモンスター相手に戦わずして勝つことに十分な意義がありました。財宝の量こそが経験点であり、モンスター経験点はゴミに等しかったからです。だが、MWGに重点をおいた3版そして3.5版のD&Dは倒したモンスターの脅威度に応じて経験点を得るので、戦闘を回避するという選択肢はゲーム目標に反することになります。
 
 僕は新和版D&D者でしたから、HJ版D&Dをプレイする際には戸惑いを隠せない場面がしばしばあります。そんなに戦闘に入れ込むなら、いっそ物語なんか省いてDDM(D&Dミニチュアゲーム)にすればいいのではとも思うけど、見せかけの物語はまだ完全に捨てられずにはいるようです。

 思えば、昨今日本で盛んにプレイされているHJ版D&D、ソード・ワールド2.0、アリアンロッドRPGの3作は戦闘を回避しないTRPGです。倒したモンスターで経験点が入るD&D、ドロップ品・戦利品と全ての戦闘に大きな実利があるSW2.0とARA…。
 この3作を見れば、昨今のファンタジーTRPGはまさに戦闘全盛の時代と云えるかもしれません。迷宮キングダムも戦闘で荒稼ぎが基本です。
 他のファンタジーTRPGでも物語のクライマックスおよびアクセントとして戦闘を組み込むのが通例です。

 …ここまではよくある戦闘偏重への批判です。
 ここで注意しなければならないのは、批判する対象を「正面きってのガチ戦闘」に絞らず、広く戦闘そのものに求めてしまうことです。

 そうでないと、一足飛びに「戦闘がまったくないTRPG」を代案として用意するTRPG者が決まって出てくるからです。最近では『りゅうたま』が顕著ですけど、戦闘を重視しないシステムのゲームを指摘したり、戦闘システムを用いず歓談や対話ゲームのみで楽しむテクニックを指摘したりと、とにかく戦闘そのものを除外したTRPGで戦闘嫌いもすべて解決と論ずる人にどれだけ出会ったことであろうか…。

 そうではないのです。

 戦闘はあって結構。
 だが、戦闘をせずとも実利を得られる手段があるTRPGがしたいのです。あるいは、正面きって斬り合わずとも、計略を用いて戦わずして勝てるTRPGがしたいのです。

 例えばARAのドロップ品でも、装備品の類は戦って強奪以外でも、例えば寝込みを忍び込んで盗むとか、言葉巧みに取引をして頂戴するとか色々アイディアは発揮されてしかるべきだと思います。

 新和版D&Dでもアイディア勝負のシーフが一番楽しかった僕としては、戦闘を回避して目標を達成するTRPGが1つはほしいのですよ。テクニックではなく、デザインとして盛り込まれたTRPGが。
 そうでないと、シーフは限りなく軽戦士化してしまいますから。
 
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2008年09月22日

テイルズ課金でCRPGが失うもの

 『テイルズ オブ ヴェスペリア』が経験値を販売することについて、ネット界隈では賛否両論があったようです。TRPG者として言及するならば、金をかけても時間をかけても両者ともに同じ展開である以上、その手段をとやかく言っても仕方がない。CRPGの成長システムを見つめ直すいい機会ではないかと思います。

 実の所、CRPG愛好者にCRPGの成長システムを問い質すことには一抹の躊躇がありました。彼らは一様に多大な苦労を経験しているからです。
 誰でも時間をかければクリアできるCRPGはともすれば、成功が確約されたゲームとも云えます。だが、その確約が実現するまでには膨大な時間を単調で実入りの少ない経験値稼ぎに費やさなくてはならないわけで、その苦労は技量が向上するまでひたすらトライ&エラーを繰り返すアクションゲームの苦労と比較しても、決して卑下するものではありません。
 アクションゲームは達成感を得るためのストレスに、失敗による挫折や無力感が用意されていますが、CRPGも達成感のためにストレスが用意されているのは同じで、こちらは単調で実入りの少ない作業による苛立ちと徒労感があります。
 その苛立ちと徒労感を乗り越え、苦労を達成感へと昇華させた苦労人に対して賞賛することはあれ、その意義を問い質すことなどゲーマーとしての良心が許しません。
 
 でも、その苦労は金と等価になってしまいました。
 テイルズの経験値販売は、いわゆるアイテム課金と違って出資した者としない者との間に格差が生ずる物ではありません。両者ともに同じ展開のゲームをプレイします。そのための道程が、時間をかけるか金を投じるかの差というだけです。
 この問題が波紋を呼んだのは、金と時間が等価になったことではないのです。CRPGに費やす時間は多大な苦労が伴っていたわけで、その苦労と金が等価になったことが波紋の原因なのです。 

 CRPG愛好者は今までの苦労が金で買える時代になったことへの憤りがあります。だが、それ以上に遊び手自身の技量で勝負し課金による成長ができないアクションゲーム愛好者よりも、一歩位が下がったことが、CRPG愛好者にとっては痛いのかもしれません。

 CRPGもソリティア(1人遊び)ですけど、誰もが身近にあるコンシューマーゲームの場合、ゲームのクリア実績は友達同士の間ではちょっとしたステータスになり得ます。 
 ゲーマー同士でリスペクトを得ようとするなら、それは技量の高い所を見せ付けるか、誰もが納得できる正当な苦労を重ねるかして目標を達成したかを誇示するのが筋です。CRPGの場合は苦労の方ですけど、金で代替できるものをリスペクトする人はどれだけいるでしょうか。
 
 そのうち、CRPGをクリアしたことが何の自慢にもならなくなる日がくるのかもしれません。お前金払ってクリアしたんだろだせ〜なと、残酷な子供社会ではいじめのネタになるかもと懸念されたり、と。
 あるいはよりビジュアルノベルに近い存在になり、誰もが小説やアニメを語るがごとく、クリアの実績よりも物語の評論を以てリスペクトを得ようとする世界になるかもしれません。
 
 でも、それってより一層マニア向けになるってことです。
 子供社会は単純に「俺このゲームクリアしたんだぜ」「スゲー」の世界ですからね。その枠組みから外れることがどれだけ市場の幅を狭めることになろうか…。

 TRPGに限らずRPGは成長が共通したテーマになっています。
 経験値を稼ぎ成長していくシステムが、主人公が経験を積んで試練を乗り越える物語に合致し、物語の主人公と遊び手が共に成長する過程を楽しむゲームとしてRPGは支持されてきました。
 それが、遊び手は苦労せずとも課金で解決ともなればRPGに入れ込む理由が失せてしまうわけですが、まぁ主人公の方も最初から厨二設定な俺様TSUEEEEE! 的なキャラならお似合いなのでしょうか。
 遊び手は苦労知らず、主人公も厨二英雄だとしたらTRPG者である僕としてはこれ良きビジュアルノベルであると評するわけです。

 それでいいのかは、僕には分かりません。
 今はまだ課金システム自体が一部のコアゲーマーの間だけのものですけど、今後このシステムが定着するかどうか、市場の観察は注意深く行うつもりです。

◆◆◆

参考記事

経験値を廃止してもよいTRPGもある 〜成長の意義あれこれ〜
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2008年09月15日

TRPGにおけるシステムとルールの違い

 TRPGにおいて「システム」と「ルール」が用語として曖昧に用いられているので、またしてもノートとして定義しておきます。今回は別箇の意味にしてありますので、混合して用いている場合においては論外とさせていただきます。

◆◆◆

 TRPGには、「遊び方」と「楽しみ方」とが別箇に存在します。
 遊び方は遊び手自身が遊ぶための道具の使い方、楽しみ方とはTRPGを通して仲間と良き交流をするための作法と云った所でしょうか。そして、遊び方を記したのがシステム、楽しみ方を記したのがルールです。

 TRPGにおけるシステムは、ゲームを遊ぶための道具の使用法ですが、他のパーティゲームと同じく複数人が参加することを前提で作られているので、1人で遊ぶことはできません。また、複数のプレイヤーと1人のGMという遊戯形式を取っているTRPGでは、双方に別箇のシステムが用意されます。
 TRPGが提供する遊びは時としてマニュアルに記載されたシステムのみでは対応しきれない場面があるので、遊び手はゲーム仲間の承認の下にカスタマイズ、ローカライズをすることが可能です。その一方で、卓(TRPGを楽しむ一組の単位)の中では全員が共通のシステムを使うことが求められます。

 TRPGでデザインと云えば、もっぱらシステムを制作する作業を指します。システムは該当するTRPGを遊ぶ際、遊び手に関わらず共通の遊びをさせるために設計されます。

 TRPGにおけるルールとは、TRPGというゲーム活動が健全かつ安定した遊びを提供する、社会活動しての娯楽を守るためのマナーです。マナーゆえにゲーム活動の枠組みを越えた社会活動のあり方など、人間感情の機微に触れた内容もあるが、遊び手はよくルールをわきまえ、遊び手同士がよき信頼関係を結べるよう努力するよう求められます。
 
 TRPGでは基本的にルールを決めることはデザインの範疇外とされます。なぜなら、ルールひいてはマナーは、各卓ごとのコンセンサスの下に実行されるべきだからです。最低限としてシステムの遵守と、ゲーム活動の権限や領分はゴールデン・ルールとして定められるが、細かいルールは遊び手同士の合意にもとずく判断が優先されます。
 
ラベル:TRPG
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2008年09月08日

アーンソンのプレイリポートから 〜TRPGにおけるデザインとしての戦闘と、テクニックとしての物語〜

 『GAME JAPAN』2008年6月号に掲載されたG・ガイギャックスのコラム『ウォーゲームにおける剣と魔法』(発表:1974年 訳:桂令夫)によると、G・ガイギャックスがは『D&D』の基盤となる『Chain Mail(略してCM)』をファンタジーではなく、中世風歴史物MWGを目指して設計したことを窺わせる記述があります。

 『チェインメイル』の中世風ルールの開発は、1969年初頭に開始された。1971年に発売された際にはこれにファンタジー版サプリメントが付いていた。中世ヨーロッパというのは比較的人気のある時代設定であり、『チェインメイル』のルールはプレイアブルでリアリスティック、これはいける……はずだったのだがしかし、フタをあけてみると購入者の10分の9はファンタジー要素のほうに惹かれるに至った。(斜線部引用)

 そもそも、ガイギャックスのグループがCMを制作したのは、中世風MWG『グレート・キングダム』を1人1キャラで遊ぶためにあったと僕は推察しています(僕はCMの実物を確認していないので、多摩豊氏の『次世代RPGはこうなる!』に準拠しています)。現在のTRPGはおろか、D&Dのプレイ形式すら当初は想定していなかったのでしょう。
 
 だが、おまけに過ぎなかったファンタジー版サプリに人気が集中し、その中からガイギャックスとは別のグループにいた「本物のファンタジーバカ」D・アーンソンがサプリを改良して初めてのキャンペーンを行い、そのプレイリポートが起爆剤となってD&Dのプレイ形式が始まりました。

 TRPGは本来MWGを1人1キャラで遊ぶために設計されたものであり、販路をサブカル層に拡大するためにファンタジー物語の登場人物構図をTRPGのキャラクター構図に当てはめたのではないかというのがTRPGの設計経緯に関する僕の推察ですが、このガイギャックスの記事を読んだ感じでは当たらずとも遠からじってところです。

 今までの考察から察する通り、僕自身もTRPGは1人1キャラのMWGが本質であり、TRPGはファンタジー物語の構図だけは搭載されているが、物語を作り出す創作活動そのものは本来の設計思想の中に織り込まれていないと考えています。
 TRPGで物語調のシナリオを作り、皆で歓談をしながら物語を作るゲーミングの作業は、あくまでも幕間に行われた余興として発展したものであり、TRPGは物語創作を目的として作られたゲームではない…。
 
 実の所、僕がTRPGの戦闘を語る時はこうした推察から、戦闘システムと物語を別次元の存在と位置づけて語っていました。
 だが、アーンソンのプレイリポートから発展したTRPGの物語はやがて『ドラゴンランス戦記』など小説の題材としてマルチメディア化し、ゲームの本質とは裏腹にTRPGはゲームと物語が一体化した遊びとして定着していきます。それが当然の認識としてTRPGを知る人にとって、TRPGの本質は物語再生装置であり、戦闘の方が物語を演出する余興であると位置づけするでしょう。
 そこら辺の認識違いで、温度差や食い違いが生じることは十分予測されます。

 D&DやT&Tなどの古式TRPGを愛好するTRPG者には、ダンジョン探索のみに集中し物語は添え物程度と考えるダンジョンハッカーな人が多くいます。逆にTRPGは物語再生装置だと考える人の中には、物語を創作する対話ゲームこそが本質であって、戦闘はなくてもよいという人もいます。
 その両方が1つの方向性としてアリなんですけど、多くの人は1人1キャラのMWGも楽しいし、物語の対話ゲームも面白いからどっちがあってもよく、難しいこと抜きにしてそんなごった煮な遊びがTRPGなのだと感じているのでしょう。

 TRPGをウォーゲーム主体で捉えている僕は、CMからD&Dに移行するまでのデザイン変遷を推察することによって、TRPGにとってウォーゲームが設計思想の段階でいかに密接な関係にあるかを示す試みをしました。
 TRPGは物語が主体だと考えてる人、あるいはTRPGと物語をごったにしている人は、はたしてあなたたちが主題としている物語と、それを執り行う対話ゲームがTRPGの設計思想に十分組み込まれているのか、今一度再考してほしいのです。

 あなたたちはデザインの話題をしているのか。
 それともテクニックの話題をしているのか…。

 肝心なのは、デザインとはただ利用することを目的に使用する一般ユーザーにも作る目的に沿った使い方をさせるためにあるのに対し、テクニックは使用意図に賛同した者のみが使用する余技であるということです。
 僕はまだ物語や対話ゲームはデザインではなく、テクニックの領域にあると思っています。そういうことが好きな人が使えばよいという程度のもので、下手であっても問題なく遊べるのならデザインの領域ではないでしょう。
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2008年09月04日

今はいずこかも知れぬ「先輩」へ 〜コラム活動5周年〜

 ここ2ヶ月ほど、TRPG系Blog界隈の動向に背を向けるようにミニチュア・ウォーゲーム(MWG)からTRPGに移行する経路を推察し、さらに8月に入ってからはBlogそのものを放置して思索を重ねてきました。
 
 TRPG系Blogとは云え、このBlogはオフライン環境を前提とした伝統派であり、オンラインでのチャットTRPGを専門としているブロガーも数多くいる界隈の中ではいささか古めかしい立場にあります。
 さらに、仲間とは定期的に集えない自身の経緯からコンベンションでの活動を主体に話を展開しているのですが、コンベンションを渡り歩く一放浪者がBlog活動をしているのはTRPG界隈でも稀なケースなのかもしれません。
 だから、誰のために記事を書くのかという明確な相手がいないという点に於いて、普通のTRPG系Blogより難儀と云えます。自らの欲求と思索からしか、記事を書く動機がないのですから。

 まぁ、孤独、孤立はなるべくしてなったものだと理解し、むしろ気楽に構えるべきだと心得てはいます。僕自身、新しいゲームを遊ぶこと、違う人と遊ぶことを好んでいるので、実際はそんな深刻なことでもないのでしょう。

 そんなわけで、今日は気まぐれな思い出話。
 実は先月で、ScoopsRPGに初めて投稿をしてから、現在のHNでのコラム活動5周年を達成しました。当Blogをご覧になっている皆様方にはあつく御礼申し上げるとともに、これからもよろしくお願いいたします。

◆◆◆

 昔、僕が高校時代に所属していたサークルに「先輩」と呼ばれる人がいました。いつも例会が終わる頃に顔を出し、サークル幹部衆の歓迎を受けていた人でした。
 当時の僕は、外来者がキャンペーンをする幹部衆の邪魔にならないよう集めておく隔離卓のGMを請け負っていて、外来者の方々と仲良くやっていました。

 それが「先輩」の気に障ったのか知らないけど、ある日の例会終了後、打ち上げの宴席に招かれた僕は「先輩」から説教を食らうことになりました。
 正直、一緒にプレイしたどころか、プレイしている光景を見たこともない人から後輩扱いされるのは存外ですが、僕をサークルに誘ってくれた幹部やサークル代表まで、幹部衆がそろって頭を下げる人だったので敬意を払わざるをえませんでした。

 その先輩曰く、キミはこの界隈に入ったばかりだから、TRPGを何でもできる素晴らしいゲームで、TRPGのゲーマーは何でも相談できる素晴らしい友人だと思っているだろう…。
 でも、それはキミがこの業界のことに無知だからに過ぎない。
 無知だからゲームの無限を信じれるし、フロンティアでもいられる。でも実際は我々が遊んだ通りに真似をしているに過ぎず、キミの先輩にはなれても友達にはなるつもりはない…。

 要するに、いい気になるな、と。

 この「先輩」とはその後1度プレイを共にしたのですが、とりたてて印象に残るプレイをしたとは云いがたく、TRPG者としての思い出を何1つ残すことなく、ただ仕事の愚痴とガンダムの批評話だけには旺盛だったという印象以外すっぱり忘れてしまいました。

 だが、彼が若い僕に語った言葉だけは今でも憶えています。
 こういう人間を実力で叩き落していかないと、心置きなく遊べる環境は得られないぞという苦い思いと共に…。

 まぁ、その後頻繁にプレイに誘っては「すげぇ…! こんなカッコイイロールプレイができるもんだな」と唸らせるだけの人に出会って信服してしまい、彼とはリタイアするまで懇意にしていたのでさほどひねくれたゲーマーに育たずに済んだのですが…。

 リタイアもあれば復帰もあり、現在のHNでコラム活動を始めてもう5年が過ぎ、その間にも多くの出会いと別れがあって、現在は都内のコンベンションを渡り歩く身の上…。年齢もあの「先輩」に近くなりました。

 結果、出来上がったのは永遠の初心者でした。
 前世紀のTRPGを知らない若い人たちとプレイしてても、自分たちの真似をしているとも、友達になる気はないとも思いません。自分から見てはるかに青く未熟な遊び手のプレイにも心躍らされるし、平気で頭を下げられます。
 つーか、あれだけ散々「もうこの業界は終わった」と絶望したゲームを未だ続けられることが正直嬉しくて仕方がない。自分が見捨ててた間も辛抱強く受け継いでくれたことに感謝したいのです。

 その喜びに比べたら、小集団相手に先輩面してお山の大将を気取れる楽しさなどゴミに等しい。そこで満足してタコ壷に入っていたなら、回転翼というブロガーはいなかったでしょう。せいぜい、後輩たちの離脱とともにゲーム活動を「卒業」し、それっきりでしょう。

 その「先輩」が現在もゲーム活動をしているかは不明です。
 彼自身は年齢からTRPGの黎明期を体感した世代であり、熟練ゲーマーたちに頭を下げさせる経験と貫禄はあったのでしょう。だが、1人のゲーマーとして善良であっても、組織の重鎮としては自らの影響力を誇示するばかりの「得体の知れないOB」でした。
 彼の目には、現在のTRPGはどのように映っているのでしょうか。

 そして、自分が今プレイできる幸せを楽しんでいるTRPGは幻想なのでしょうか。それとも確信できる何かがあるのでしょうか…。

 分かりません。
 ただ、果てしない可能性と無際限の夢を与えてくれる素晴らしい道具だとの思いは今も持ち続けています。「先輩」の言葉は今もTRPGが与えてくれる喜びが何物なのか、僕に問いかけ続けています。


 
ラベル:TRPG
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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