2009年01月26日

気のいい人しか参加できないゲームにあらず 〜TRPGにおける善意とコンセンサス〜

 「TRPGは悪意に弱い」という言葉があります。
 TRPGはみんなで歓談をしながら物語を楽しむのが醍醐味なのですが、誰かが協調を拒めば物語が台無しになる脆弱性を孕んでいます。大抵が1人よがりで譲ることを知らない性質の人が悶着を起こしてムードをブチ壊すのが常で、悩めるTRPG者は各々解決策を模索しているわけであります。

 もちろん、信頼と強調で成り立つ世界をブチ壊す暗い楽しみってのはあります。善男善女を誑かしては罵倒し、戸惑わせ狼狽させるのが無常に楽しいという人だっていることでしょう。
 そんなのは便所の水味わってもらうしかないので論外。

 そんな確信犯を除くと、TRPGが抱える問題児の多くがTRPGにおけるコンセンサス(合意)に関する認識が不足している人たちだと僕は考えています。彼らにとってTRPGはまだ1人遊びの枠組内であり、レクリエーション活動であるという意識が希薄なのではないでしょうか。

 あるいはTRPGはコンセンサスが未整備なのか…。

 そんなわけで今日はTRPGにおけるコンセンサスの話。

◆◆◆

 TRPGにおけるコンセンサスとは、
 「ゲーム活動を成立させるために参加者が遊び方やマナー、スケジュールについて取り交わす歩調合せ」
 といった所でしょうか。
 TRPGはシステムを把握し、ロールプレイを駆使しただけではセッションは上手に遊べません。遊び手同士が連携しチームプレイをこなすことで物語は個人の妄想を超える真価を発揮します。もちろん、技術以前に好きなゲームを肴に歓談をすること自体、愛好家として幸福であることでしょう。

 問題なのは、良質なパーティは技術でも特性でもなく、たまたまメンツが全員話好きで人のいい連中だったからに過ぎないってことです。
 逆に云えば、メンツの相性が合わなかったならば、もうゲームを破綻させない理由などなくなるってことです。ゲームがどう台無しになろうが、「相手が悪かった」で誰も傷つかない。誰も失点をかぶる心配もない。
 もちろん、ルール上の欠陥ではないからベンダやデザイナーにとっても失点ではありません。勝手に崩れた卓の問題ですし、誰も知ったことではないというのなら捨て置くのみです。

 正直、TRPGの問題児はしばし「ゲームをしない」という選択肢をとります。我慢をしてゲームをするよりは、自分を譲らないまま卓を蹴る人も多くいます。
 TRPGをプレイする機会も時間も有限ですし、これだけ多様なTRPG作品がある中で呼びかけずとも卓が立つことはコンベンションでは幸運と云ってもよいはずです。その機会を蹴ってでも、コンセンサスを蔑ろにする価値はあるのでしょうか…。

 これがTRPGがまだ1人遊びの領域内だと思っている人ならば、ありえると僕は考えています。
 TRPGはGM1人、プレイヤー数人で遊ぶゲームなのは常識ですが、それはあくまでMWGから派生したRPGというゲームシステムを遊ぶための常識。それとは別に、遊び手たちの歓談から生まれる……ゲームプレイとは別の意趣から生まれた……物語を楽しむという点に関しては1人でもできます。
 そしてほとんどの人が、まずTRPGを読み物として触れます。
 他の遊び手のことなど想定せず、自分1人の世界からTRPGは始まるのです。
 
 TRPGのルールブックを読めば、TRPGが読者にどんな物語を与えてくれるかばかりが示され、物語を作るためにどんなことをしなければならないのかを示している箇所はわずかです。
 ましてや、集団が物語を分かち合うために他の遊び手とどう付き合えばよいのか、集団で作る物語の特性は何か、個人で夢見る物語と集団で作る物語との違いは何かなど、プレイ現場で繰り広げられている物語の実態をルールブックがどれほど具体的に示しているでしょうか。

 自分1人が活躍し脚光を浴びる物語しか想定せず、TRPGを自らの物語を披露し賞賛し合う品評会のようなものとゲーマーが思い込んでもおかしくない要素がTRPGのルールブックにはあるのではないでしょうか。
 そして自分1人が活躍できるよう作ったキャラクターを用意し、セッションに参加して私はこれこれこんな物語をしたいのですがやってもらえませんかとくるわけです。

 そこまで、彼彼女にとってTRPGは読み物として触れた自分1人の物語であり、システムは自分物語を再現する装置であり、GMは物語を引き出してくれるカウンセラーであり、他の遊び手は自分物語を賞賛し自己を擁護してくれるエヴァ(アニメ版だから「ヱヴァ」にあらず)の「おめでとう拍手隊」なのです。

 もちろん、そんなはずありません。
 GMにはGMの、他の遊び手には遊び手の物語があり、語らいの中から誰のものではなかった「みんなの」物語が生まれます。多くの遊び手はみんなの物語を作る楽しさを知り、そのためにどう自分を変えるべきなのかを学びます。
 自分の活躍を主張するばかりでなく、他者の活躍を引き立てること、場を和ますために他者と掛け合いをすること、連携を取ったり食い違いや誤解を解くために話し合うことなど、個人の遊びとしてのTRPGからチームプレイとしてのTRPGへと変化していくのです。

 こうやって1人の孤立したルールブック読者から、卓のメンバーの一員としてレクリエーション活動を共同構築する立場……真のTRPG経験者になるために必要な心得の集大成がTRPGのコンセンサスなのです。

◆◆◆

 現行のTRPGはコンセンサスを伝える有効なプレゼン方法をまだ見出せていないと僕は考えています。いくらルールブックでみんなの物語を説いた所で、読者は1人なのです。誰が面と向かっていない他の遊び手のことを意識して読むでしょう。読書は読者1人の世界です。

 したがって、多くのTRPG者が独自に手作りのコンセンサスを考案して実践しているのが現状です。結果、技術が集積せず継承が困難な職人技となり果てています。
 あまりに手作り状態が続いてるので、どんなトラブルも「自分がいれば大丈夫」と答える熟練ゲーマーもいる始末。ぜひとも北は北海道から南は沖縄までくまなくサポートしてくださいな。なんならクローンを50人ばかりこさえましょうか。
 やるべきはコンセンサス名人を作ることではなく、コンセンサスをより多くのルールブック読者に教えることです。

 「TRPGは悪意に弱い」などとまことしやかに語られる裏には、TRPGの物語は激しく善意を期待するお高く気取った性質があるってことです。問題児の実害のみが集積し、その度にTRPGに要求される善意のハードルはより高いものになっていきます。
 
 ゲームプレイとは別の意趣から生まれたTRPGの物語は、その成立を要求する技術もルールもありません。あるのは「成立すればどれだけ素晴らしいか」という期待と、期待に応えようとする善意のみです。
 
 コンセンサスと善意は似て異なるものです。
 善意はどんな素晴らしいものでも、個人の期待から導き出された、これも1人遊びの領域から生まれるものです。他者の異なる価値観から出された他者の善意への対策など想定外です。
 コンセンサスは互いの善意と、その背後にある期待を明確にして、この期待には対応しよう、その期待は自重するべきだと相互に紳士協定を結ぶことです。価値観の相違を尊重し、その上で協力すべき事項を明確にする宣誓なのです。

 別にTRPGは高潔な人格者だけが参加するべき遊びじゃないのです。
 その「高潔な人格」とは何? という点で結局は自分の期待感を神聖化して高説をぶる熟練者など大した連中ではありません。僕だってそんな時期があったことでしょうけど、おそらくそれは黒歴史。

 問題児を減らすためには、ひたすら善意のハードルを上げるのではなく、互いが歩み寄って過剰な期待感をいかに調節するかが大事なのではないでしょうか。もちろん、譲りすぎて自分の期待を放棄する行為もまたコンセンサスの放棄です。

 TRPGのコンセンサスを集積するにはまず、遊び手はTRPGを手にしてどのような期待をし、何を実現したがるのかを考察する必要があるでしょう。
ラベル:TRPG
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(2) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月05日

TRPG者の負担となっている2つの責任

 2009年明けましておめでとうございます。
 今年も回転翼は実家に帰省し、暖房と照明を奪われた大晦日と正月の夜を過ごしました。つーかコミケ参加で疲労困憊なうえに帰省ですから年越し番組も見ずに早寝でした。
 
 今日は新春ということですし、今年の展望などを。

 ここ1〜2年は決まった仲間を持たず、1人ふらりとコンベンションに出かけては見知らぬ相手と一期一会のセッションをするのが通例となっています。慣れない場所で見知らぬ相手とプレイすることを躊躇う人が多い業界の中では珍しい存在かもしれません。
 ゲームも特定のものにこだわることなく、新しいゲームや珍しいゲームに進んで参加しているものですから、10年以上のキャリアがありながら毎度毎度が初心者です。
 
 昨年は有意義なセッションが多く、気に入ったシステムも何作か出来て満足のいく1年でした。何よりもこの界隈で喧伝されているようなトラブルの類とは無縁だったのが何よりも快適でした。

 実の所、今の僕は従来TRPG者に課せられてきた「責任」から逃れる形を取っています。その「責任」とは「特定ゲームシステムを練達・伝道し業界に貢献する」責任と、「サークル活動で交友に従事し、普及に努める」責任の2つです。
 この2つの責任はTRPG者の義務とされてきましたから、その責任を放棄して、はたしてTRPGを続けられるのか正直不安でした。

 大概のTRPG者は特定のゲームシステムやデザイナーの支持者となるか、サークル仲間との交友を軸にTRPG活動を続けます。そして特定作品の練達者としてオピニオンリーダーとなっていくか、サークル活動の主催者となってグループの領袖となるかがTRPG者としての上達モデルとされてきました。

 だが、そのどちらも遊び手の献身を前提とした上達モデルです。
 TRPGは段位も大会、賞金もない……プロ競技としての性質がない遊技です。なのに業界発展のためと称して、遊び手にゲーマー以上の献身を要求してきました。より熱意がある遊び手に業界の未来、グループの未来を背負わし、あたかもTRPG業界の今後はあなたの献身的活動に掛かっているという錯覚を与えてきました。

 いわば、TRPGは「熱心に活動しなければいつでも廃れる」「熱心に活動しなければ仲間が集まらなくて遊べない」とゲーマーに脅迫をし続けて成り立っていたわけです。
 
 そして、僕がコラム活動を通してその上達・普及モデルを研究して得た結論は、満足感以上のものを与えないTRPGは別に上達しても便利屋として使い潰されるだけで、そんなモデルに付き合うぐらいなら脱落する者の方が多いであろうということです。
 TRPGがファンタジー・サブカル文化の領袖ではなく、多くある趣味の1つに成り下がった現代なら尚更のことです。

 この流れはどこかで革める必要があります。
 この流れが嫌で、業界の動向に振り回されることも、身勝手な……楽の感情にぶれている者たちが協調することない……仲間の取り持ちに失敗して仲違いをすることももう沢山だと云う男が、それでもTRPG自体は10単位で続けていきたいというのですから、第三の拠り所を探すしかないのです。

 その第三の道として、僕は業界の責任もサークルの責任も負わない…、さらには高度なゲームプレイという責任、皆を楽しまなければならないというGMの責任、過剰なまでにお行儀よくしなければならないというプレイヤーの責任なども軽減した「低責任TRPG」を模索しているのです。

 業界やサークルに関わる精神的負担はTRPG者としての幸福や上達には関係ないどころか、よりよいセッションのために要求してきた努力や心配り、求道精神すら必要なものではないのではないかと僕は思うのですよ。
 それら精神主義を廃しても、TRPGは上達ができるし、トラブルに悩まされることないゲームプレイは可能だと考えています。

 今年はこの「低責任TRPG」が主題の1つとなるでしょう。
 そんなわけで、今年もRPGコラム『うがつもの』をよろしくおねがいします。
 
ラベル:TRPG
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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