2009年03月29日

忘却したコミュニティ 〜ブルーフォレスト物語のプレイモデル〜

 かつて僕が楽しんだゲームの1つに『ブルーフォレスト物語』(通称:青森)があります。伏見健二氏がデザインした東洋的世界・シュリーウェバでの冒険を楽しむファンタジーRPGです。伏見氏はその後小説としてもこの世界をテーマにし、いわば伏見氏のライフワークともいえる作品です。
 去年、グランベール社によってリバイバル版が再販され、PDF版ルール及び二次使用可能な基本システムが盛り込まれたCD-ROMが同封されるようになりました。これによってルールサマリーの製作などの手間が軽減され、GMをする身としてはありがたい道具となりました。

 ところで、このグランベール版青森の後書きにて、伏見氏はまた新しい青森を製作中であり、この再販はいわば布石であるという内容の文章を載せています。
 伏見氏の意気込みは今後も見守るとして、この旧版青森自体は現在手に取って見ると、はたして現在現場で盛んにプレイされている『ソード・ワールドRPG2.0』、『アリアンロッドRPG』などといったファンタジーTRPGと競う中、十分なプレイ環境を得られるのか自信がありません。1度や2度なら、物珍しさに集まるかもしれませんけど、純粋にゲームシステムの魅力から見てそう何度もプレイしたい作品ではないと思うのです。

 僕自身は思い入れがあるわけで、個人としてはまだ終わっていないと言えます。だが、90年代半ばに展開した価値モデルは崩壊しており、本格的ファンタジーTRPGが乱立している2009年において青森が一定のシェアを獲得できるのは至難の技だと考えています。

 そんなわけで、今日は90年代半ばに行われた青森の価値モデルについて。

◆◆◆

 旧版たる青森・ツクダ版は1990年発売の古いゲームです。
 当時はまだTRPGがまだ新型MWGとして、SLG愛好者の間でプレイされていた時期でした。やがて90年代中ごろまでにはゲーム総合情報誌、ライトノベル誌などでの販促によってTRPGが物語文化のプラットホーム的立場になると、青森もライト寄りのファンタジーTRPGとして定着するようになりました。

 この時代、伏見氏は青森をTRPGだけではなく、小説版、コンシューマーゲーム版(PCエンジン)、読者参加ゲーム版とマルチメディアとして展開していきました。しかも読者参加ゲームが草創期、コンシューマー版が過去、TRPG版が現代、小説版が未来とシュリーウェバの世界観を分離しての活動です。
 つまり、『ロードス島戦記』がリプレイ小説から小説版、アニメ版へと販路を拡大したの同じ角川メディアミックスの手法を取ったのです。

 ただ、ロードスは水野良氏の小説と高山浩氏のリプレイ小説の2枚看板であったのに対し、青森は伏見氏の個人ブランドである以上、伏見氏個人の活動の範囲で展開していきました。
 
 だが、個人の力でメディアミックスを仕切るには、規模としては個人商店レベルであり、伏見氏以外にゲームデザインに関わる人間がいなかった以上、伏見氏が活動を終えれば青森もまた生産終了品となる運命でした。
 現在、小説版は古書を探すしかなく、読者参加ゲームやコンシューマーゲームでどのような展開がなされていたのか、詳細な記録を探すのは1ゲーマーの手に余る作業です。

 要するに、2009年現在青森がどのようなゲームなのか改めて知ることができるメディアはほとんど残っておらず、2000年以降に参入した遊び手は青森がどんなゲームかを事前に知ることはまず無理だということです。そして青森はメディアミックスによる販促で好きになった遊び手たちの支持を基に価値モデルを作っていたゲームです。

 ゲームシステムとしての青森はサプリメントでも際立ったシステム拡張をせず、終始ベーシックルールを踏襲した遊びに徹底していました。代わりに世界観は歴史の縦軸をベースに拡張を広げ、ゲームとしてより物語再生装置としての幅を広げていきました。

 これによって、青森のプレイスタイルはシステムの工夫よりも物語を体感することを楽しむ方向に進み、GMが物語を披露しプレイヤーがロールプレイを披露する歓談の道具として支持されるようになったのです。

 言ってしまえば、青森は「青森の世界が好き!」という愛好者が集まって、シナリオを肴に青森世界を楽しく語り合うのがプレイスタイルのゲームだってことです。

 青森の世界を好きになる手段に乏しくなれば、自ずとゲームへの魅力を失うわけで、残されたTRPGのルルブを見ても今となっては同人TRPGと大差ない六日の菖蒲とも云えるベーシックルールでしかありません。

 もう一度、伏見氏が青森の世界でブームを起こさない限り、旧版青森が脚光を浴びることはなく、このままでは『パワープレイ』同様、使命の終わったTRPGとして記念碑にのみ残る作品となってしまいます。
 
◆◆◆

 TRPGがファンタジーメディアのプラットホーム的な立場を失った現在、TRPGをプレイする人たちは単体の趣味文化としてのTRPGを支持している人です。
 TRPGにはTRPGならではの魅力があり、例えば「本来はラノベが書きたいけど、文章力がないし表現者の気分を味わうだけでいいから」など言った他の期待感を満たすための道具とは思っていません。やはりゲームとしてのTRPGを支持し、イベントとしてのTRPGコミュニティに参加しているのです。

 現在現役のTRPGはそうしたプレイ環境に適応し、販促に期待しない作りをしている作品ばかりです。いきなり参加してもTRPGそのものが好きな人ならば順応できるよう、世界観を体現できるゲームシステムを多く搭載したゲームが主流と言えます。
 青森も現代のプレイ環境に沿った、あるいは次世代を見据えたデザインにリニューアルすれば、再生する可能性は十分にあるでしょう。

 だが、一番のネックはやはり青森がまだ伏見氏の個人ブランドであり、現在も伏見氏待ちの状況だってことです。個人ブランドのゲームは様々な人間のイマジネーションを包括するだけの母体がないだけに、迂闊に独自活動しづらい所がありますからね。

 もし僕が自分のプレイ環境でも適応できる改良版を作ったとしても、それはあくまでもフリーシステムである2DRシステムを基にした「青森っぽい」ゲームであると、こっそり身内で楽しむ程度に留まるでしょう。

◆◆◆

追伸:はてなキーワードにおいて、グランペール版青森の情報は未記載です。僕ははてな市民ではないので、どなたか記載していただければ幸いです。


posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

オードリーや超新塾の笑いは美少女アニメやゲームの萌えに通ずるのかも

 この前、NHK『爆笑オンエアバトル』の第11回チャンピオン大会B組予選を観ました。結果は超新塾、フラミンゴ、我が家など定番のネタを披露したグループが上位でファイナルに進出し、逆に多彩な芸を持ち今回はシュールネタで来た井上マーは最下位に終わりました。

 僕はお笑いには疎いのですが、仮にこの結果が最近の潮流だとしたら、超新塾や我が家といった「いかなるボケをかますのか」、大まかなキャラクター付けされた芸人がテンポよくボケを連発し続ける芸風が舞台ではよく受けるのでしょう。昨年末からブレイクしているオードリーもキャラクター&テンポの芸風がよく計算されているコンビです。

 逆に井上マーは芸の幅が広く、色々な種類の笑いを引き出せる人なのですが、それ故に彼の芸は客に「読む」ことを強いているのかもしれません。いわゆる「じわっとくる」芸であり、後々数寄者たちの間で「これこれ、この芸どう思う?」と話題になることでじんわりと真価が発揮される芸なのでしょう。瞬発的にこみ上げる笑いが重視されるオンエアバトルの舞台では、今回のネタは少し鈍重だったのかもしれません。

 今回の予選で勝ちあがった5組とA組の5組が決勝にて珠玉のお笑いを発揮できることを期待したいと思います。もちろん、敗退した者たちにも幸あれかし、と。

◆◆◆

 さて、今回のオンエアバトルを見て僕はこんな発想をしました。

 「美少女ゲームやアニメに見られる“萌え”の境地は、超新塾や我が家の笑いと共通するものがあるのではないか…」

 お笑い芸人を美少女キャラ、笑いを愛嬌へと変換すれば、なるほど萌えとは瞬発的な愛嬌を見せる舞台芸であると解釈できます。

 先程、お笑いにも瞬発的な笑いを出すタイプと、読み解くことによってじわっと笑いを発想させるタイプがあると言いましたが、メディアによる表現活動そのものも、直感的認識に訴える感性タイプと、思考に訴える理解タイプの2種類があると僕は考えています。
 そしていわゆるヲタクメディアでは、アニメとゲームが感性タイプ、漫画や小説が理解タイプに分類されると思います。

 アニメやゲームなどの感性タイプメディアは基本的には読み返しをせず、展開を一気に流す不可逆的な要素があります。アニメやゲームは画像と音声を同時に発することにより、思考よりも視覚・聴覚による直感的認識を以て表現とする体感型メディアであると云えます。
 感じる能力に訴える感性型メディアは、人が社会生活を営む中で学んだ経験則によるものの良し悪しを計る感情……好感度を刺激することによって支持を得ます。感性型メディアへの許容を示すのは「好き」「嫌い」だってことです。
 そして、人類は長い歴史の中で「笑い」や「愛嬌」「セックスアピール」などを好ましいと位置づけています。これらを好感覚と呼べば、感性型メディアとは好感覚を喚起することが媒体としての影響力であると云えます。

 もちろん、人間が直感的に認識できる感覚には限界があります。
 そこで好感覚が瞬時に引き出せるように「パターン」や「記号」といった好感覚の詰め合わせが発明されるようになりました。感性型メディアは基本的にパターン・記号を見せることで発揮されます。
 
 対して小説や漫画など理解タイプのメディアは読者が自由に読みたい箇所を読み、自分のペースで理解することで楽しみを得ます。感性タイプは云わば様々な認識が交錯して頭が混乱している、衝動時に発揮されるメディアなのに対して、理解型メディアは情報が整理され、頭が平静な状態の時に発揮されるメディアです。
 共に根源は感覚に訴えてはいますが、理解型メディアには人類が快適さを得るための集合知が加味され、空間認識に関する集合知としての「美」が理解型メディアの判断基準になることが多々あります。
 
 簡単に言えば、人間が知的生命体故に備わっている想像力、イメージする能力に訴えるのが理解型メディアだってことです。「美」「物語」「哲学」「ジョーク」などはイメージとして好ましく享受できる感覚なので、思考による理解が必要です。

 ここまで難しいこと言いましたけど、アニメやゲームに出てくる萌えの境地はイメージではなく、パターンであり記号です。ツンデレ、ヤンデレと云ったパターン、メイドや巫女と云った記号によってヲタクの好感覚を刺激して、体感として影響させるのが萌えアニメ、萌えゲーの手法なのです。第1話で通学中にすれ違う出会いも、7話ぐらいで海やプールで水着祭り→縁日で浴衣祭りになるのも、すべてはパターンであり記号なのです。

 オードリーのコントも「ズレた会話をする気色悪い男」と「平凡だが奇獣の扱いに慣れた男」がパターンとして定型化されたコントを見せることによって、笑いを体感させる芸をしています。記号としても、いつもピンクのセーター姿の春日をはじめ、超新塾、我が家など常に同じ格好をしています。

 なるほど、春日はヲタクにも受けがいいわけです。

◆◆◆

 ここまで考察すると、萌えがアニメを駄目にしたという意見にもきちんとした理由があるのだなと思います。とみに漫画、ラノベ原作のアニメ、ゲームはレイプとまで言われるのにも同様の理由があるのでしょう。

 漫画、ラノベは理解型メディアですから愛好者は芸風を読み解き、イメージとして愛好しているものかと思います。ところがアニメ、ゲームは感性型メディアですから、イメージは製作者側の手によってパターン、記号として勝手にまとめられてしまってます。

 レイプという言葉が全てを物語っている通り、理解型メディアの原動力たるイメージは性行為ではオナニーに当たります。それが自分のオカズが他人のイメージによって感性型メディアたるポルノに仕立てあげられたら、なるほど寝取られ感はあるでしょう。

 漫画、ラノベ原作のアニメ、ゲームが難しいのはファンサイトが理解型メディアで形成され、イメージを読み解いてファンになっているのに感性型メディアではイメージが及ばないパターン・記号として演出がされている。すなわち自分のイメージが介入する余地なし。
 しかもアニメ、ゲームから入った感性型メディアのファンは思考ではなく、ハイな状態から直感として「好き」と言っているだけ。自分のように平静な状態から「美しい」と理解するような事はしない…。

 う〜む。
 繰り返しますが、僕はお笑いには疎いので推測することしかできませんけど、井上マーの笑いが好きだって人はオードリーや超新塾、我が家のようなコントは嫌いなのかもしれません。

 今日はここまで。
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月05日

本格的なTRPGがあふれている

 TRPGでの気力の消耗が最近著しいのです。
 今年に入ってからプレイしたのが、『ウォーハンマーRPG』、『D&D4th・フォーゴトンレルム』、『ソードワールドRPG2.0・ミストキャッスル』と波乱に富んだ危険続きのファンタジーばかりなので当然と云えば当然なのですが、こうも緊張感あふれるゲームばかりプレイしてては虚脱感も一入です。

 考えてみれば、昨今プレイされているファンタジーTRPGは、上述の3作品を含めて『アリアンロッドRPG』、『六門世界RPG2nd』、『迷宮キングダム』など、どれも濃密なデータに趣向を凝らした独自のシステム、遊び手を油断させない緊張感ある世界観と、本格的なゲームばかりです。もちろんシステム自体も堅牢さ、シンプルさなど安定感は昔よりずっとあります。

 これら本格的なゲームはシステムの妙味、世界観の奥深さなど没頭すればするほど深みが増す、いずれも10年TRPGになりえる性質を持っています。僕がお相手したGMさんも熟練の伝道者ぞろいで、旧版を含めると10年以上伝道をし続けている人もいました。もちろん、一緒にプレイしたプレイヤーさんもいずれも一家言ある前のめりな人たちばかりです。

 おかげで三十路なのに一番初心者状態がもう何ヶ月も続いてます。
 正直、僕は今まで何をしていたのだと圧倒されることも何度かあります。5年前にコラム活動を始めた当時の不満や疑問、要求もここ1年ほどで随分解消されているような気がするのですよ。
 そう思えてくるのも、僕自身前のめりにプレイしすぎなんでしょうけど。

 しかし、こうも前のめりな情熱を使うゲームばかりだと、ゆるりと物語を満喫できる気軽なゲームはあるのか…。あったとしても需要があるのか少し心配です。そういうゲームは気軽だけどやり甲斐の少ないゲームなわけで、物足りなきを感じる要素があるのかもしれません。
 例えば、去年改訂版が出た『ブルーフォレスト物語』も本格的というよりは雰囲気の良さで遊ぶゲームでして、古いゲームなだけにシステムも古めかしい所があります。こういう今となってはパッとした目新しさのないゲームを雰囲気だけで集めることができるのか…。

 本格的なゲームが必ずしも難解なシステムではないように、雰囲気の良さで選ぶゲームも必ずしもシンプルなシステムが受けるとは限らない…。むしろ気軽に遊べるゲームだからこそ、すぐゲームの面白さが分かるように完成度の高い競技ゲームを仕込むべきなのでしょうか。

 まぁ、要は今の時代に青森が受けるにはどうすりゃいいんべと。
 
ラベル:TRPG
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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