まったく、Blogを書く時間が取れなくてすみません。
では今日もコラム。
今日はライフパスの役割について。
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ライフパスとは「PCはどのような生まれなのか」「冒険に出た経緯は」など、PCの物語的背景・立ち位置を設定するデータ群であり、多くのはチャートにまとめられています。
僕が初めてライフパスに触れたのは『サイバーパンク2.0.2.0』だったんですが、自分の想像を凌駕するほど劇的なパンクを作り出せるライフパスは当時かなり衝撃的でした。自分のキャラがどこまで有能になるか、はたまた手ひどい仕打ちを受けるのか…、2.0.2.0のキャラメイクはエキサイティングであり、プレッシャーを感じ、そして盛り上がりました。
2.0.2.0日本語版が出た当時ライフパスと言えば『トラベラー』というのがあり、これのキャラメイクもとても楽しめたゲームでした。18の若者からスタートして、選んだ経歴に従ってキャリアを無事積めたかで判定して、成功すれば能力値や技能を積める…。これを1判定4年で行って中年以降になってピークになったらキャラメイク完成……なんだけど、キャリア途中で死んだりしてやりなおしとか、このゲームも劇的な不良中年ばかりできて盛り上がったものです。
2.0.2.0のライフパスとトラベラーの経歴。
この2つのゲームでのライフパスってのは、プレイヤー本人の発想では及びもつかない別次元に生きるプロでありパンクを作るものであり、それをキャラメイク時にみんなでワイワイやりながら、「うわっ、俺こんなひどい生い立ちになったよ」と盛り上がるためのツールであったと僕は考えています。
つまりライフパスは劇的であることが第一。
そして仲間を面白がらせるユニークさがあってこそが華であり、ライフパスを作る目的はコミュニケーションのためにあるのではないでしょうか。
そう考えると、ここ何年かに出た何作かのTRPGにあるライフパスは何かと物足りなく感じ、なんか無駄な要素に思えてくるのです。
例えば、2.0.2.0より劇的な設定である『ダブルクロス』や『エンゼルギア』なんかだと、オーヴァードだったりシュネルギア適応者だったりと、PCの大本の設定自体が十分劇的であり、「両親を亡くした」だの「施設で育てられた」だのいったライフパスの設定がちっとも劇的に感じません。むしろこれから遊ぶシナリオの方がPCの人生としてはずっと劇的でしょう。
同じ現代伝奇でも『シルバーレイン』になるとライフパスの各項目ごとに能力値のプラス修正があって加算されるものですから、ライフパスが単なるブースト(強化)のための数値修正が目的であり、物語的背景などはただの端書きに過ぎません。
国産の現代伝奇物TRPGはPCの存在自体に劇的な設定がなされており、それこそPC全体の設定とキャラクタークラスの設定だけで、十分キャラクターの個性を演出できてしまうものです。これらの設定に比べてパンチ力が弱いライフパスは別に演出する必要はなく、演出しても盛り上がることは少ない「端書き」になってしまっているように思えます。
劇的な設定がいる伝奇物でもそうですから、プレイヤーにとって劇的なPCが出来る必要がないファンタジーでは、それこそ無理してライフパスを設定する必要があるのか甚だ疑問なのですよ。
設定した側も、その設定を目のあたりにする側も共に「ふーん。そうなんだ」程度にしか盛り上がらないライフパスのデータ群はコミュニケーションの道具としての役割を失さており、単なるルールブックの穴埋めに成り下がったと言っても過言ではないでしょう。
ライフパスが単なるキャラクターシートの余白部分を埋める端書きに堕すのは、かつてライフパスで盛り上がっていた僕からすれば実にもったいないわけで、何らかしらのアイディアを以て改善したいものです。
システム面で面白いギミックを入れるのも解決策ですが、普段のプレイでも例えば冒頭でいきなり開陳するような野暮は避け、プレイの幕間にPC同士のロールプレイをする際に一定条件下で演出できたら何らかのボーナスを与えるとかいった工夫などしてみたら面白いかもしれません。
ラベル:TRPG