2009年09月28日

ルールブックをPDF化するには 〜TRPG電子媒体化への道・前編〜

 TRPGで遊ぶにあたって、1つ問題なのはルールブックが重たい本だということです。A4版200ページ前後のルルブは大抵、重量にして700g〜1kgぐらいあって、結構重量感があります。
 もちろん、サプリメントを使用するシステムとかだとその分も加算されますし、コンベンションだと卓決め抽選があったりして、当日どんなゲームがプレイできるのか分からない場合もあるので複数のルールブックを持参してくることもあります。

 そうなると総重量は5kg近くになることもあります。
 もはやカートで引いてくるレベルの重量であり、そこまでして来る人なんてそうそういるもんではありません。実際コンベンションではルルブを持参しない手弁当な参加者も結構いますけど、何をプレイできるか分からないという不確実な所がある以上、そう責められる問題ではありません。

 そこで考えついたのがTRPGの電子媒体化。
 電子媒体にして持ち運びをすれば重量はかなり軽減されるのではと考える人がいたっていいはずです。

 そんなわけで、今日はTRPG電子媒体化について、まずはPDF化への道です。

◆◆◆

 TRPGは大抵が書籍です。
 書籍を電子媒体化するには書面をスキャニングし、PDFファイルで保存するのが一般的です。国産TRPGでPDF販売されているものは知っている限りではないので、電子媒体にするには自力でスキャニングをするしかありません。

 今回、この記事を書くにあたって書籍のスキャニングをしている業者に依頼して、実際にルルブをPDF化してもらいました。

本をスキャンし電子化するスキャニングサービス-ペパレス

 今回依頼したのは、現在絶版中のルルブ1冊と、現在も販売中のルルブ1冊。ともに200〜350ページ。重量は絶版中のが約1kg、販売中の方が約750gです。

 なお、具体的なシステム名はお伝えしませんし、PDFでの見本はお見せできません。会社さんのホームページにある見本を見て参考にしてください。
 

 この会社では、スキャンするに当たって2つの選択肢があります。

1:本の背を裁断してスキャン。料金1000円。
2:本を裁断せずスキャン。料金2500円

 1番は本を背中から5mmぐらいの所でばっさり裁断。全部バラバラにして連続スキャン。2番は1ページずつ手作業でコピー機みたいにスキャンします。1番のメリットは裁断するため、2番よりも本の内側までスキャンできるのに対して、2番は本を破損しないかわりに本の内側がスキャナーに届かなくなる恐れがあります。
 
 今回は絶版中のルルブを2番。販売中のルルブを破損覚悟の1番で注文しました。作業費1000円、配送費450円と併せて4550円の出費がかかりました。

 見積もりから作業終了、書籍とデータが送られてくるまでに5日ほどかかりました。

 今回は200dpi24ビットカラーによるスキャンでしたが、絶版中のルルブ(約350ページ)はPDFにして約150MB、販売中のルルブ(約200ページ)は約65MBほどの容量に収まりました。
 今回のスキャンの結果ですが、非裁断にしたルルブも一番内側の文字がギリギリ写っており、使用には何ら問題ありませんでした。

 ただ、オプションサービスにあるPDFのOCRソフトによる文字のテキスト化は文字化けが著しく、およそ役には立ちません。会社さんに校正を依頼すればそれこそ1ページいくらの世界なので、今回はしませんでした。

◆◆◆

 次回はPDF化したファイルを持ち運ぶにあたって、はたして本を持ち歩くより手軽なのかについて。

 なお、ルルブをPDFする行為が著作権上問題がある行為なのかについて、個人的用途での使用である以上問題はないと思っています。当然ながら、作成したPDFファイルを配ったりするのはダメなので、暗号化などの管理が必要になるでしょう。
 ルルブを破損する行為自体もかつてHOBBY JAPAN社がRPGマガジン誌にて自社製ファイルケースの宣伝記事にてルルブを裁断する記事があったことだし、問題はないかと存じます。


ラベル:TRPG PDF ペパレス
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2009年09月20日

ゲームブック的遊びにはロールプレイは余興に過ぎないのか

 連休です。
 僕も実家に帰省するにあたり、念願のネットブックを購入しました。
 これで「電子媒体だけでオフラインTRPG」という道に近づいたかと思ったのですが、色々問題もありまして…。
 これに関しては現在検証中。
 
 今日はTRPG内AVGとゲームブックとの関連性についてのノート(自分の思索を書き綴ったチラ裏)です。

◆◆◆

 TRPGで、いわゆる情報収集と呼ばれるTRPG内AVGは大抵がGMが考えた物語の筋書きをジグソーパズルにしてゲームの舞台にばらまき、ひたすら情報の断片というピースを拾い集めては筋書きを読み解くというゲームをしていると思います。

 この遊びはいわば「選択肢を自分で考案するゲームブック」であり、ゲームブック好きとTRPG好きはファンタジー好きの物語文化圏の中でも近しい位置にいるだけに、TRPGで物語を扱う場合の定番になっていると言ってもいいでしょう。
 僕自身はゲームブックにはそんなに馴染んでなかったので、この遊びにはそれほど執着していないのですが、今日はそれは置いときます。

 僕が考えているのは、このゲームブック遊び自体には「キャラクターを物語の登場人物として演出するためのコミュニケーション技術」としてのロールプレイは必要ではないのではということ。
 
 言わば、プレイヤーのゲームブックをもっと自由な展開で遊びたいという欲求と、GMのゲームブックのような物語を提供したいという欲求の合致によってこのゲームブック遊びは成立し、そこにはプレイヤー自身とGM自身との非ペルソナ状態というゲームの構図がある…。
 すなわち、間にキャラクターが立っている意味がない。
 プレイヤーとGMとのチャットに過ぎないのではないか…。

 もしTRPG内AVGの本質がゲームブック遊びであるならば、ロールプレイを「キャラクターを物語の登場人物として演出するためのコミュニケーション技術」だとした僕の見解は無用、もしくは別次元の話ということにもなります。
 物語を作るというゲームにおいて、主役はゲームブック的遊びをしたいプレイヤー本人であって、キャラクターを物語の登場人物として仕立て上げるような遊びではない…。

 実際、僕がこのゲームブック遊びと呼ぶことにしたTRPG内AVGにおいて、ロールプレイは演出というより小芝居であり、コミュニケーションというより座興のために行われるものに僕には見えます。
 いわゆるキャラクタープレイと呼ばれるものですが、ゲーム上の機能は皆無で、とにかくパーティを盛り上げる宴会芸としてのみ機能しているのではないでしょうか。

 そう考えると、ゲームとしてのロールプレイを考察すること自体が馬鹿馬鹿しく思えてくるのですよ。「ロールプレイはお座敷芸であり、ゲーム上の役割はありません」しいうのがロールプレイに関する一番目的に適った説明になるのでしょうか。

 それは違うと言いたいが、それには確固としたゲームモデルが必要です。少なくとも、ゲームブック遊びの中ではロールプレイは必須の技術ではありません。

 実の所、僕自身はあまりゲームブックとは縁がなくて、ゲームブック遊びにも必要性を感じていません。むしろコンシューマーゲーム、ライトノベル、アニメにPCゲームとキャラクターメディアに強く影響されていますから、キャラクターを立てるという遊びに慣れ親しんでいるのです。それがSLG、MWG、ボードゲームにゲームブックといった遊び手本人のゲームセンスを競う遊びに慣れ親しんだ上の世代との間でギャップがあるわけです。

 もちろん、全くの妄想からロールプレイへの着想を得ているわけではありません。
 そこらへんは『サイバーパンク2.0.2.0』や『トーキョーN◎VA』、
『TORG』といった演出としてのロールプレイがテーマとして、あるいはシステムとして搭載されているゲームが強く影響しているのかもしれません。
ラベル:TRPG
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2009年09月12日

種明かしセッションは憂鬱だ 〜GMによる手作りTRPG内AVGの問題点〜

 TRPGのアドベンチャーパートは選択肢のないゲームブックみたいなものです。
 スタートとなる依頼のシーンから始まり、ゴールとなるクライマックスの種明かしで終わりますが、GMによっては途中の道筋がまったく立っておらず、とにかくプレイヤーがシナリオ展開に必要なキーワードを思い浮かべるまで、当てもなく街をさまよう展開になることもままあります。

 物語の展開方法がシステム化されていないTRPGでは各GMがハンドメイドでAVGを作ってくるものですが、大抵が家庭用ゲーム機の推理AVGの手法に近いものが用意されるものです。
 すなわち、

・依頼者の元に集められる。パーティが置かれた現在の立場を確認し、事件の存在を告げられる。パーティの行動範囲が定められ、漠然とした目標が提示される。
 
 ↓

・事件の現場に行く。事件の概略を示すキーワードが提示される。

 ↓

・プレイヤーはキーワードから、シナリオを展開させる新たなキーワードがある場所を推理する。捜査がキーワードに合致すれば、GMは新たなキーワードを与える。
 キーワードに合致しない推理は無駄骨となる。

 ↓

・パーティがクライマックスに到達できるだけのキーワードを獲得していると判断したら、パーティの了承を得てクライマックスに入る。GMはここで事件の全容を種明かしする。

 ↓

・パーティがクライマックスをクリアしたらエンディングに入る。ここでパーティが獲得できなかったキーワードが提示され、GMは全ての真相を明らかにする。

 ……という展開です。
 要は「GMが考えたキーワードがどうすれば得られるのかひたすら推理する」のがTRPG内のAVGです。重要なのは、実際に行動するのはプレイヤーとは違った人格を持つキャラクターであるというゲーム上、キーワード自体の推理は目星に過ぎないってことです。

 例えば、殺人事件の捜査で犯人はナントカ氏だとプレイヤーが推理したとします。だが、それが真実だとしてもシナリオは何の展開もしません。プレイヤーが「キャラクターはどこをどの手段で捜査すれば、ナントカ氏が犯人であるというキーワードを見つけ出せるのか」を推理し、それが有効手であるとGMが判断してはじめてシナリオが展開します。
 すなわち、

・キーワード自体の推理
・キーワードを得られる場所の推理
・キャラクターがキーワードを得られる手段の推理
・キャラクターがキーワードをある場所に行き、得るための手段を講じるための的確なロールプレイの考案とGMへの説得

 ……の4つの推理、説得を成功させてはじめてGMは物語を展開するためにダイスを振る許可を与えてくれるのです。

 TRPGはキャラクターを操るロールプレイを楽しむゲームですから、遊び手同士の知恵比べよりキャラクターを操作する楽しさの方が常に優先されます。上述の難しいキーワード探しも、プレイヤーが推理するのではなく、キャラクターが物語世界の中で推理に勤しむ光景を楽しむのがゲーム活動の目的であるがための手段です。

 こうして理念はあるし、およそよくいるGMが用意してくるAVGの展開も、大体の常道は上述の通りにあります。ただ、それがうまく機能しているとは限りません。
 むしろ、「ロールプレイができなかったらどうする」という問題をうまく解決できないGMは多くいます。上述の4段階思考法はこの記事をまめとるために僕が急遽考えたものであり、問題を抱えるGMの多くはこうした思考法に無頓着です。

 TRPGはロールプレイをするゲームですから、キーワードさえ与えればプレイヤーは自ずとキャラクターを操作してキーワードを得られる場所や手段を特定し、見事なロールプレイをしてくれるだろうという期待はGMとして当然抱く感情です。
 ただ、それには難しい思考法を習得してはじめて可能になります。
 ロールプレイというキャラクターの操作方法に習熟する必要もあれば、その操作に不自然がないようGMを説得する論理力も要求されます。
 ゲーム世界でのキャラクターの「可能・不可能」、「常識的・非常識」に関して深い理解があり、あくまでもキャラクターが理にかなった行動を取ったようロールプレイをしなければ、ゲーム世界の提供者であるGMを満足させることはできないでしょう。
 ロールプレイを楽しむTRPGたるもの、遊び手は良きゲーム世界の再現者でならなければならないし、少なくともそのゲームが好きだと自認している人はそう振る舞うことを喜びとします。

 この「TRPGの遊び手はロールプレイをしてゲーム世界を再現する」という考えが行き過ぎると、まず的確なロールプレイをしなければ、キーワードすら提示しないという、推理の機会すら奪う暴挙をしでかすGMが出てきます。
 
 事件現場に向かって、プレイヤーがすることは「キーワードを得るにふさわしい的確なロールプレイをする」ことであり、これがGMの意に適していなければ、何の情報も与えないこともあります。GMとしてはプレイヤーは的確なロールプレイをあれこれしてくれるものと期待していますから、意に介さないロールプレイを「はずれ」としても問題を感じないのです。

 だが、上述の通りロールプレイは難しい思考法が必要なのです。
 そんなに器用にできる人などそうそういません。
 どんなゲームだって、その世界での「可能・不可能」、「常識的・非常識」の領分などルールブックを読んだだけでは理解できるものではなく、十分に経験を積んだ一部の古強者だけが悟れる境地です。

 普通のファンタジー世界でも、街の裏事情を調べるにはまず盗賊ギルドを発想し、そこが該当する裏事情に精通しているかを考え、それがどこにあって、PCが問題なく接触するにはどうような手段をとればいいのか……これらのことを咄嗟に思いついて説得できなければ、GMは判定の機会すら与えてはくれませんでしょう。

 大抵がやっとのことで1つか2つアイディアを出して、それが通用するか恐る恐るGMに打診するのが精一杯。それが無効手だと判断されれば、もうプレイヤーは途方に暮れるしかありません。

 下手なGMはこうして何度もプレイヤーに自分の意に適わぬロールプレイをさせては途方に暮れさせて、セッションが停滞したので渋々と強制展開をしてはキーワードを種明かしし、釈然としないまま戦闘でお茶を濁すものです。

 『シルバーレインRPG』サプリメント、『メガリスクライシス』には拡張ルールとして、偶然の力で物語を展開させるリール判定があり、『まじしゃんず・あかでみぃRPG』には行き詰まった時に強制展開させるカオスチャートなるデータがあります。
 これらのシステム、データはシナリオに行き詰まった場合の救済処置なのですが、これらのシナリオが生まれたこと自体が、TRPG内AVGの最大の問題が行き詰まりにあることを浮き彫りにしているのではないでしょうか。
 少なくとも、僕は行き詰まり救済システムは使ったら負けかなと思っています。

 こんな僕ですから、プレイヤーが何1つ自力で物語を展開させることができず、GMが終始種明かしをして進むセッションは憂鬱でしかないのです。
 GMが思い描いた物語を忠実に再現することだけがロールプレイではないというのに……。

 かく言う僕も、今の今までそうしたプレイヤーにキーワード探しをさせるシナリオばかり書いてきたわけで、他人を叱るよりまず自分を改善したくて仕方がありません。
 つーか、それが当たり前だと思っていて、自分の目指すセッションと摩擦が起こったので初めておかしいと感じたわけでして……。

 僕はシナリオ展開の主導権はプレイヤーにあり、ロールプレイはプレイヤーが物語を自分好みに書き換えるための道具であってほしいと常々思っています。
 海賊を討伐するシナリオで、海賊船を乗っ取って自らが海賊になってもよいとするのがTRPGの自由です。それを実現するためにも、GMに主導権がありすぎる現行のTRPG内AVGの常道を再検討すべきなのではと考えています。
ラベル:TRPG
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2009年09月01日

消失した「なりきり演技」論 〜「語る」技術としてのロールプレイの黄昏〜

 TRPGもそうですが、MMORPGなんかだと「人生すべてを賭けている。俺は偉大だ」と自負する廃人ゲーマーがよくいるものです。遊びなのに「遊びのつもりで参加するな」といきり立つ人ならTRPGにもいて、僕みたいなルーニーはよく白眼視されます。
 こういう人たちを僕は「最前線に立っている」と表現しています。
 彼らは戦っているのです。最前線に立つ者の自負のみを支えに。
 
 今日はロールプレイについてまた再考しました。

◆◆◆

 TRPGでロールプレイをする楽しさって何でしょう。
 今までは物語に参加する楽しさ……幻想的な物語世界を舞台に、自らが物語の登場人物となるキャラクターを操り、GMや仲間との語らいの中で楽しい物語を作り出していくことが楽しみと言われてきましたし、それは間違いではありません。

 でも、それだけでは何か足りない気がするのです。
 事実、ロールプレイをしたからといって、必ずしも楽しめる結果が返ってくるとは限りません。TRPGはゲーム以前に人付き合いですし、円滑なコミュニケーションなしには成り立たない遊びです。コミュニケーションがうまく取れずに消化不良になったセッションなど何度もありますし、相手のロールプレイを不快に感じたこともあれば、その逆もあります。もちろん、喧嘩別れになってしまったことすらあります。

 同時に、コミュニケーションがうまくいってロールプレイが活かされた時の快さは「物語への参加」という言葉では表現不足なのかもしれません。ぶっちゃけ、TRPGは遊び手個人の夢や空想を発露する場ではないのです。成功したセッションでは尚更。

 ルールブックではまず販促として個人がロールプレイをする楽しみから語りますが、ロールプレイをする楽しさはゲームを成立する楽しさより下位ですし、最上位としてパーティとしてのゲーム活動を成功させる楽しみがあります。GMや遊び仲間との交友に成功しなければ、実際何も楽しめません。
 セッションに臨めば、そこには自分と同様にロールプレイを欲する遊び仲間がいて、その上に自作の物語を提供するGMがいます。誰もが自分なりの物語を持っていて、限られた時間の中で対話を重ね、時には諦め、時には妥協し、想定外の役をふられる時もあれば思わぬ屈辱を受けることもあります。
 その中で各自が得意分野を確認し合い分担をして、共同作業でシナリオを解決するのがTRPGのセッションです。決して、争いをして勝った者が決裁するのではなく、誰もが好き勝手放言して欲求を満たすだけでもありません。
 合作こそTRPGが30年以上かけて培った遊び方の伝統であり、TRPGは個人の夢や空想を叶える場ではなく、個人の夢や空想を持ち寄って「みんなの物語」を合作する場なのです。

 今までロールプレイの技術と言えば、いかに自分が物語の作家として事故の夢・空想を演じていくかとか、いかに言いくるめをして口プロレスを制するかとか、自己実現の道具としてしか語られていないという懸念を僕は抱いています。
 現実のセッションはどうでしょうか。
 そんなに毎度、技巧を駆使してまで我を通してますか?
 口プロレスなんて大層な話芸がそれほど必需ですか?

 繰り返しますが、TRPGはみんなの物語を作るのが楽しいのです。
 そしてロールプレイはみんなの物語を作るために合作をするための手段であって、自己表現の手段ばかりではないのです。

 合作の手段としてのロールプレイは決して「語る」ためだけにある技術ではありません。それと同じくらい、遊び仲間のロールプレイを「聞く」技術も必要なのです。自分のキャラクターを活かすのと等価値に、遊び仲間のキャラクターを活かす技術があり、そしてGMのシナリオを活かす技術があり、ゲーム世界を活かす技術がある…。

 ロールプレイは話芸でもディベートでもなく、コミュニケーションのための技術です。一方的に相手を論破しやり込め、自分の意のままにして場を掌握するなど、そんなもん遊びに持ってきて何を得たいというのでしょうか。
 そりゃ昔はTRPG界隈はヲタクのサロンで、サブカルで教養人ぶりたい書生くずれが清談で妍を競いあっていたものですけど、今はヲタクのサロンなんかじゃない「多くある趣味の1つ」。
 何か真剣になる所を間違えてるような気がします。

 昔、ロールプレイを「なりきり演技」と評しての批判がまかり通った時期がありました。その時期は、ロールプレイに好意的な意見も批判的な意見も、ロールプレイそのものは個人の欲求を通すための、個人のための技術であるという認識では一致していたのかもしれません。

 結局、時代が進み物語文化が発展して、強烈な個性的キャラクターを表現できるシステムやテンプレートにあふれた現代のTRPGではなりきり演技をしてまでキャラクターを表現する必要性も薄れ、なりきり演技の論題はすっかり影を潜めてしまいました。

 今までの「語る」ことのみに重点を置いてきたロールプレイの技術は、TRPGの実際を顧みない独善的な技術であるばかりか、現代のTRPGではなくてもよい古びた技術になったのではないのかもしれません。技巧を尽くしてまで「語る」ことが必要なゲーム環境ではなくなったし、ゲームの方も語って勝つのがよいというものではなくなりました。

 ロールプレイをする楽しさに関しては、合作のためのコミュニケーション技術であることを踏まえて、その意義や目的を再検討する必要があると僕は考えています。

 

 
 
 
ラベル:TRPG
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