東北地方の方々、お気をつけてください。
今日も前回の続き。
MWGからTRPGに移行するプロセスの中で生まれたボス敵の存在についてです。
◆◆◆
TRPGは1人1キャラで、陣取りなどの大局的目標がなくPCを保全することが目的の戦闘ゲームですので、プレイヤー側は戦力を集中し各個撃破を仕掛けるのが常道になっています。
これに対してモンスター(GM)側は、無制限の防御判定と数値修正、ACなどの1キャラを保全するシステムの壁に阻まれ、弱い敵はいくら出しても歯が立ちません。
互角以上の敵を出しても、PCの保全という微視的な目標しかないTRPGでは、プレイヤー側の敗北はがっかり感しか与えません。ゲームとしてより多くの遊び手を幸福にしなけはれば支持されない実情を顧みれば、GMは最終的には1人負けするように計らわなければなりません。
ここまでが前回のおさらい。
この時点でTRPGはウォーゲームとしての目標がレイムダックし、物語作りを演出するトライアル的な存在になっていきます。すなわちTRPGでの戦闘は、勝敗よりもいかに試練として試し甲斐があるかの方が重要になってきたのです。
そうなると、戦闘に対するコンセプトそのものが変化していきます。もはや用なしとなった「陣」と「駒」は抽象的なイメージに簡略化され、プレイヤーが連携して集団行動を取ることを前提に対処されたモンスターが用意されるようになったのです。
つまり、連携するプレイヤーたちに対し、連携はしないが互角に戦える相手であり、なおかつプレイヤーたちをジリ貧にして士気を下げさせない短期決戦に向いたモンスターです。
そこで登場するのが、圧倒的な巨体とネームバリューを誇る単体のボス敵です。
PCの堅牢な数値修正やACをブチ抜き、一撃でHPの1/3から半分ぐらいを奪う圧倒的な打撃力と、集中砲火を受けても数ターンは耐えうるHP。それに後衛の油断を突く全体攻撃…。
このような圧倒的なモンスターを1体だけ出すことにより、プレイヤー側に一か八かの大勝負を感じさせる緊張感を与え、負けた時のがっかり感を軽減させることができます。仮に負けても、あんな圧倒的な敵では仕方がないと甘受できますし、1体だけなら倒せる望みを保持し続けることができます。すなわち、悔しさの矛先がGMに向きません。さらに、全員が同じターゲットを攻撃しているので、プレイヤー側の目が戦功争いよりも団結に向き、プレイヤー間にまとまりがつきます。
すなわち、団結し役割分担を駆使するプレイヤーチームvs圧倒的な攻撃力を持つ強大モンスター単体という構図がTRPGの戦闘としてもっとも白熱し、なおかつ娯楽として安泰であるということです。
幸運なことに、ファンタジーTRPGの世界ではドラゴンというボス敵の条件を満たしたモンスターがいました。
実の所、聖ゲオルギウスやジークフリードなど神話伝承には竜退治のエピソードがありますが、当時のファンタジー愛好家たちの聖書であった『指輪物語』にはドラゴンは登場していないわけで、ガイギャックスらがどうしてドラゴンをタイトルに冠するほど主要なモンスターに抜擢したのか定かではありません。
もし、ガイギャックスらが指輪物語に固執していたら、バルログのような妖魔がボス敵に設定されていたかもしれません。あるいは、版権上バルログの名を出すことが出来なかったが、ボス敵のロール・モデルとして意識していたかもしれません。いずれにせよ、彼らの手によって神話伝承の存在であったドラゴンはゲーム世界の登場人物として設定がつけられ、今日のファンタジーでも使われている姿へと定着していったのです。
日米ともにTRPGで最も好まれているのはファンタジーですけど、それは1人1キャラ戦闘に最も合致したドラゴンというモンスターを創造できたことが一因としてあると思います。
SF、サイバーパンク、スチームパンクなどファンタジー以外のTRPGではドラゴンに相当するボス敵を創造することができず、結果としてトライアルの対象としてファンタジーほど明確なモチーフを提唱できず、ゲーム目標がぼやけてしまっています。そのモチーフの不明瞭さが、シナリオ創作やプレイヤー募集においてネックとなっているのでしょう。
続きは次回。