2008年11月25日

芸術の理解者を育てるために 〜批評と批評空間〜

 激動の2008年もあと僅か40日程度となりました。今年のプレイ回数は20に届くか届かないかといった所で、奇妙なことに『D&D』などを除いて、ほぼ毎回違うゲームをプレイしてた感があります。
 まだ結論は出ませんが、今年発売のゲームの中で高感度TOP3を挙げるとしたら、『大江戸RPGアヤカシ』、『シルバーレインRPG』、『ソード・ワールドRPG2.0』になるでしょうか…。
 残念なのは、『神曲奏界ポリフォニカRPG』をまだプレイする機会がないってことです。評判だけなら何度も聞いてるのに。
 
 今日はTRPGの批評について盛り上がっているので、シリーズを一時中断し、この僕も思う所を書いてみました。自分が批評家としてこうありたいなというより、こんな批評家に育ててもらったらいいなという希望を篭めて。

◆◆◆

 TRPGにおける批評とは何か。
 批評が市民権を得ている音楽・芸術の分野における批評とは、オスカー・ワイルドが『芸術家としての批評家』で語るように印象の結晶です。
 演奏を聴いた、絵画を鑑賞した、美味しい料理を食した、TRPGをプレイした……心に感じ入る出来事を体感したとして、それを言葉にして伝えようとしても、中々言葉にならないことってあるじゃないですか。
 凡人はやむなく、「面白い」「楽しい」「つまらない」「よい」「悪い」などと道標のような曖昧表現でお茶を濁してしまいます。

 だが、批評の切れ味は名探偵の推理に等しい…。

 芸術という煙か靄でも眺めているような漠然とした感覚を思索し、選び抜いた言葉で自分が感じた印象を言い当ててしまう。切れ味良い批評は、多くの人がつっかえていた言葉まで引き出してしまう。

 創造は「無」から「有」を生み出せるが、その「有」が何物なのかまでは作れません。それは受け手の感受性次第なのですから…。批評は感覚の世界の産物だった「有」に思索の力で確実な「意味」を与える芸術であり、批評精神こそが死ねば消失する人間の活動に不死性を与える源なのです。
 
 TRPGとて現場で完結される遊びではありません。
 実際、ほとんどのTRPGプレイヤーは自分が楽しんでいるTRPGの魅力を語れずにいます。誰もが批評精神が発揮されるほど強い主観など持ち合わせていないのですから、印象を言葉にすることができなければ、凡百の「面白い」「楽しい」などいった文句にも心躍りません。

 批評家の洞察は、多くの遊び手が印象のままで喉につっかえたままの「面白さ」「楽しさ」を言い当て、芸術の理解者という識見を開眼させる力があります。

 優れたTRPG批評家は、
 どのシステムがどのような高揚感やスリル、満足感を与え…、
 どんなロールプレイがキャラクターへの愛着感、場を和ませる達成感、ゲーム世界を彷彿とさせる夢想感を与えるか…、
 どのようなシナリオが作品の表現したい世界観を再現でき、それを遊び手に体感させることができるか…、
 どのようにレクリエーションの手法を用いれば様々な性格・経験の持ち主を継続的な遊び手に育てることができるか…、
 …などを自らの着眼点を頼りに思索し、それを明察ある言葉で表現します。

 理想的な批評はそれまで曖昧な嗜好のままでいた遊び手に、自分が感じた楽しさは泡沫の夢ではなく、不朽の価値を持った文化であることを理解させることでしょう。
 彼らは遊び手のレベルアップを助ける芸術界の導師なのです。

◆◆◆

 優れた批評家は、肥沃な批評空間に支えられています。

 批評空間とは何か。
 芸術を好む人の多くが、自らの印象を印象のままでいいや、死んで何も残らず消えても構わないと思うのなら、批評空間は発生しません。TRPGなら、生涯ただ遊ぶだけでいい、何を楽しんだか残さぬまま消滅してもいいという人たちだらけなら批評空間の余地はありません。
 
 批評空間は、物事を感じた自分の印象にどんな意味があるのか知りたい人たちが集まって作られます。ある人は人生の意義を求めるために、ある人はより多くの人と印象を分かち合いたいがために、またある人は開眼した芸術の理解者に敬意と憧憬を感じたがために、同じ印象を持った者同士が集い、情報を交換し出します。
 
 批評空間とは同じ物事で印象を持った者同士が集い、物事の当事者や責任者……芸術なら芸術家や画廊主、TRPGならデザイナーと販売者……の影響化にない私人同士が、物事の理解者にならんと互いの印象を批評し合い、議論をする交響の場です。
 批評家はこうした公共の批評空間で頭角を現した、創造主にも資本家にも属さない文化の第3権力者なのです。

 批評家が目指す所、導く者たちに求める所…、それは芸術家の忠実なファンでも、資本家のセールスマンでもなく、ユーザーのみがいる公共世界で確かな識見を持った好事家になることです。
 
 「批評精神を持ち、趣味を文化として日々その在り方を思索している趣味人」である好事家は、芸術家が必ずしもよき文化人であるとは限らず、資本家が必ずしも芸術の理解者であるとは限らないことをよく心得ています。そもそも、彼らは自分が死んだ後の芸術の行方に責任感を持っていません。芸術家は自らの魂を篭めた作品さえ残せば、資本家は財を成せば、その後芸術が廃れても構わないのです。
 だが、批評家と好事家は、彼らと違い批評空間が支える文化伝統の中でしか生きていかれません。そのために芸術家や資本家が堕落しないよう厳しく監督することが求められます。

 批評家は業界を育てる存在でありますが、芸術家・資本家が批評空間を単なる不満屋、自らの思い通りに動かぬ不平分子として敵視することは双方に有害なれどしばしば発生します。
 芸術家は優れた識者よりも、無垢な憧れの眼差しを向けるファンの声に耳を傾けがちです。それほどまでに、衝動、妄想の中から芸術を生み出す活動はナイーブなことなのです。
 
 批評家・好事家が芸術家・資本家に嫌悪されないために必要なのは、例え彼らが文化の行く末に絶望し愛を失っても、自分たちが業界を底から堅持する、あなたたちがいつでも活動できるよう応援は惜しまないという愛情の他に何もありません。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(1) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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