2009年01月05日

TRPG者の負担となっている2つの責任

 2009年明けましておめでとうございます。
 今年も回転翼は実家に帰省し、暖房と照明を奪われた大晦日と正月の夜を過ごしました。つーかコミケ参加で疲労困憊なうえに帰省ですから年越し番組も見ずに早寝でした。
 
 今日は新春ということですし、今年の展望などを。

 ここ1〜2年は決まった仲間を持たず、1人ふらりとコンベンションに出かけては見知らぬ相手と一期一会のセッションをするのが通例となっています。慣れない場所で見知らぬ相手とプレイすることを躊躇う人が多い業界の中では珍しい存在かもしれません。
 ゲームも特定のものにこだわることなく、新しいゲームや珍しいゲームに進んで参加しているものですから、10年以上のキャリアがありながら毎度毎度が初心者です。
 
 昨年は有意義なセッションが多く、気に入ったシステムも何作か出来て満足のいく1年でした。何よりもこの界隈で喧伝されているようなトラブルの類とは無縁だったのが何よりも快適でした。

 実の所、今の僕は従来TRPG者に課せられてきた「責任」から逃れる形を取っています。その「責任」とは「特定ゲームシステムを練達・伝道し業界に貢献する」責任と、「サークル活動で交友に従事し、普及に努める」責任の2つです。
 この2つの責任はTRPG者の義務とされてきましたから、その責任を放棄して、はたしてTRPGを続けられるのか正直不安でした。

 大概のTRPG者は特定のゲームシステムやデザイナーの支持者となるか、サークル仲間との交友を軸にTRPG活動を続けます。そして特定作品の練達者としてオピニオンリーダーとなっていくか、サークル活動の主催者となってグループの領袖となるかがTRPG者としての上達モデルとされてきました。

 だが、そのどちらも遊び手の献身を前提とした上達モデルです。
 TRPGは段位も大会、賞金もない……プロ競技としての性質がない遊技です。なのに業界発展のためと称して、遊び手にゲーマー以上の献身を要求してきました。より熱意がある遊び手に業界の未来、グループの未来を背負わし、あたかもTRPG業界の今後はあなたの献身的活動に掛かっているという錯覚を与えてきました。

 いわば、TRPGは「熱心に活動しなければいつでも廃れる」「熱心に活動しなければ仲間が集まらなくて遊べない」とゲーマーに脅迫をし続けて成り立っていたわけです。
 
 そして、僕がコラム活動を通してその上達・普及モデルを研究して得た結論は、満足感以上のものを与えないTRPGは別に上達しても便利屋として使い潰されるだけで、そんなモデルに付き合うぐらいなら脱落する者の方が多いであろうということです。
 TRPGがファンタジー・サブカル文化の領袖ではなく、多くある趣味の1つに成り下がった現代なら尚更のことです。

 この流れはどこかで革める必要があります。
 この流れが嫌で、業界の動向に振り回されることも、身勝手な……楽の感情にぶれている者たちが協調することない……仲間の取り持ちに失敗して仲違いをすることももう沢山だと云う男が、それでもTRPG自体は10単位で続けていきたいというのですから、第三の拠り所を探すしかないのです。

 その第三の道として、僕は業界の責任もサークルの責任も負わない…、さらには高度なゲームプレイという責任、皆を楽しまなければならないというGMの責任、過剰なまでにお行儀よくしなければならないというプレイヤーの責任なども軽減した「低責任TRPG」を模索しているのです。

 業界やサークルに関わる精神的負担はTRPG者としての幸福や上達には関係ないどころか、よりよいセッションのために要求してきた努力や心配り、求道精神すら必要なものではないのではないかと僕は思うのですよ。
 それら精神主義を廃しても、TRPGは上達ができるし、トラブルに悩まされることないゲームプレイは可能だと考えています。

 今年はこの「低責任TRPG」が主題の1つとなるでしょう。
 そんなわけで、今年もRPGコラム『うがつもの』をよろしくおねがいします。
 
ラベル:TRPG
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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