2009年02月08日

どこで面白いと実感できるか 〜TRPGとボードゲームが与える期待感の差異〜

 前回、TRPGのルールブックは読み物であり、TRPG者はまず読者として1人の世界からTRPGを想定するものだと述べました。それが集団遊戯であるTRPGにとっては齟齬を生む一因になっていると、批判的な見解も示しました。

 だが、欠点があれば利点もあります。
 TRPGはプレイをせずとも、読み物として興味を引かせればTRPGを「面白そうなもの」として認知させることができます。他の非電源ゲームにはそのような期待感を誘発する仕組みに乏しく、TRPGの特性として記すべきものといえましょう。

 そんなわけで、今日はTRPGが読み物である利点について。
 あるいは、TRPGとボードゲームが与える期待感の性質の違いについて。今回はTRPGのみならずボードゲーム(以下ボドゲ)をも批評の対象にし両者を比較するのですが、ここはTRPG系Blogなので公平さに欠く懸念があります。TRPGを擁護するがために、無用にボドゲを卑下する意図はないことを了承いただきたい。

◆◆◆

 TRPGとよく比較されるゲーム媒体として、同じ非電源ゲームであるボードゲームが挙げられます。
 TRPGもボドゲもゲームである以上、プレイすることを前提として作られているのは当然の事。ですが、共に1人で遊べるゲームではありません。機会がなければ、TRPGのルルブもボドゲの駒・盤・チップ類もゲームとしての役割を果たせない「道具」になる点で両者は共通しています。

 だが、TRPGはゲームであると同時に読み物であるのに対して、ボドゲの小道具類はゲーム以外に使う役割を持っていません。せいぜい眺めたりいじったりする程度で、プレイ時以外にもゲーム活動に関われる機会をボドゲは与えてくれません。むしろ、散逸を避けるために収蔵されるのが定め。
 要するに、ボドゲの小道具類は競技ゲームとしての専門化・抽象化が進みすぎて、それ以外の用途がまるでないってことです。プレイ時以外にはただの置物同然なのです。

 対して、読み物であるTRPGはゲームである以前に読書をして楽しむことができます。TRPGのルールブックはシナリオを着想して物語を引き出せるように、自らが物語のTip集になっているからです。事実、ルールブックを読み解き、システムを理解したりイメージを発想する読書活動もまた、ゲーム活動にとって大事なこととされています。

 これがいかなる差を生むでしょうか。

 ボドゲへの期待感は対戦者が想定できることが大きく影響してきます。何だかんだ云って、ボドゲは競技ゲームですから対戦者がどう行動し、対して自分はどう行動するのか、常に対戦者を通してゲームの面白さを計ります。
 これは特にサークルやイベントに出入りしているわけではなく、対戦者のことなど思い浮かべずに、ただ面白そうだからと買ってみた人にはボドゲが与える期待感は驚くほど短命だってことを意味します。

 すなわち、ボドゲは対戦者が常時確保できる人でなければ、事前に面白いだろうなと意識することすら困難なのです。

 TRPGはいつでも取り出して、物語を楽しむことができます。
 TRPGはプレイをしていなくとも、物語というプレイに直結した楽しみを遊び手に伝えることができます。
 TRPGの面白さはプレイをせずとも伝えることが出来、例え生涯プレイする機会に恵まれずとも、購入者には何らかしらの収穫を与えることが可能なのです。

 プレイしなければ面白さを伝えられないボドゲと、プレイをしてない1人の時でも本質ではないが面白さは伝えることができるTRPGとでは、遊び手に与えるモチベーションは完全に異なるのです。

 ボドゲは買ったらすぐプレイして、競技を楽しむ環境を整えなければすぐに熱が冷めてしまいますが、TRPGはプレイをせずともじわりじわりと遊び手の中に物語が作られ、プレイするまで期待感が増え続ける性質を持っているのです。

 その代わり、ギミックもゲーム目標も単純なボドゲはゲームを成立させるコンセンサス(合意)が少なく、ルールに忠実でさえあればゲームが成立します。
 対するTRPGは前回述べた通り、読み物として1人でイメージした内容と、ゲームとして複数で行われるプレイとの間にギャップが発生してトラブルが絶えないという欠点があります。

◆◆◆

 TRPGは物語を取り入れることによって、情報媒体に宣伝をするメディアとしての力を得ました。TRPGを原作とした漫画、アニメ、小説など多方面に宣伝を行い、単なるゲームコミュニティの幅を超えた物語文化の旗手として様々な趣味趣向の持ち主を受け入れてきました。
 その結果、TRPGがどのようなゲームなのか自体、その時代ごとの環境によって劇的に変化するようになりました。かつてMWGの派生でしかなかったTRPGは物語の再現が重視され、フロアタイルやミニチュアも必須の道具ではなくなり、ストーリーテリングを基調とした対話ゲーム中心の作品も登場しました。

 対して、単体では情報を提供することができないボドゲの世界は『D&D』が登場した当時のまま、劇的な変化を遂げることなく孤立した環境を維持しています。

 ボドゲの世界からTRPGを見ると、その宣伝力は羨ましい限りです。
 ボドゲはどんなに素晴らしいゲームがあろうとも、ボドゲ自体が面白いと理解している人しか興味を示さない……愛好者だけの本当に趣味の世界でしかありません。
 TRPGはボドゲから来た人、MMORPGから来た人、ライトノベルから来た人など色々なバックボーンを持った人が集う総合文化になっています。その遊び手の多様性はボドゲでは引き出せません。

 プレイリポートなどで楽しさを伝えることは可能ですが、ボドゲを知った所でコミュニティの外にいる人にとっては遊ぶ相手がいなけりゃただの置物。遊び手を捜さなければ面白さを実感することもできません。
 物語を与えることで1人でも楽しめるTRPGに比べれば宣伝力が弱いわけで、市場の拡大には大きなネックとなっています。

 あるいは、劇的な変化などボドゲ界隈は忌まわしいと思っているのかもしれません。『クルード』など50年以上前のゲームが未だに現役でいる界隈ですから、文化など大きな看板など背負うことなく、愛好者だけでガラパゴスを築くのが丁度よいのかもしれません。

 逆にTRPG界隈は、物語文化に触れ合える交流の場を作るプラットホームとしての役割が大きくなりすぎて、もうガラパゴスには戻れないかもしれません。仮にすべての副次的な宣伝を止め、すべての物語要素を廃した無地のシステム群のみでTRPGを売り出したとしたら、市場規模は非電源の同人サークル1つ分ぐらいにまで縮小するでしょう。

 物語のないTRPGなど、盤の駒の装飾やイラストを廃した無地のボドゲをプレイするのと一緒です。そんなもん、面白いと分かっている人しか興味を示さないのです。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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