2009年04月21日

東洋的スタンスって何だろ?

 ここ半月、Blog執筆をお休みして『ブルーフォレスト物語』を私的に再構築すべく、当作品が表現しようとしていた東洋的世界観がどのようなものなのか、インドや東南アジア関連の書物を精読しています。
 
 でも逆に考えれば東洋的の対句になる西洋的って何じゃいって考えにもなり、昔のようにファンタジーとは中世ヨーロッパが云々と説明していたけど実際は『指輪物語』を軸にアメリカ人(デーブ、まだ早いよ…)が考えた原型を、日本でグループSNEと出渕裕が『ロードス島戦記』として結実させた「純ゲーム世界」なわけで、それと対比させて西洋的、東洋的というのも何だか馬鹿馬鹿しく思えてきます。

 ひょっとすれば、当時のプレイ現場においては伏見氏のデザインとは関係なく、東洋的=非D&D・ロードス的ファンタジーとして受け入れられていたのかもしれません。
 D&D・ロードス的ファンタジーのスタンスは現在も『D&D4e』、『ソード・ワールドRPG2.0』、そして『アリアンロッドRPG』に継承されているようですし、今プレイするにしても要はこれらの作品がならないようなことをやらせるべきなのでしょう。

 話折るけど、『ウォーハンマーRPG』はダークファンタジーではないと思います。最後は混沌が勝つ世界で局地的勝利のために頑張るってのがスタンスですけど、混沌に勝つってよりはガザ地区みたいなグダグダな世界で苦難に負けず生き抜こうってゲームであって、ダークファンタジーが演出しようとしている終末への不安ってのはあまり感じないんですよ。不安どころかすでにヲワタな世界? パンク?

 話戻すけど、D&D・ロードス的ファンタジーと言ってみたけど、それがどんなスタンスかと云えば、リプレイの『ロードス島戦記』であったり、『スレイヤーズ!』などの当時はやったラノベであったり、あるいは『D&Dがよくわかる本』のリプレイであったりした、旅の風来坊たちが酒場で困った人から依頼を受けてよし迷宮に潜るか、ゴブリンどもを成敗しようかという「冒険者」のスタンスなんだと思います。

 この「冒険者」なるスタンスも根は七人の侍から水戸黄門、三匹の侍へと継承されている時代劇お馴染みのマレ人が到来するスタンスが染み付いているだろうし、そう考えればとっても純和風なスタンスなのかもしれません。
 そう考えると、東洋的とは西洋的ではないけど和風でもないってこと? もっとも伏見氏はツクダ版青森の末尾にて忠臣蔵の時代ではないと時代劇を批判しつつも、ゲームの原風景として日本の山野をイメージしていると記してあります。

 結局、物語のスタンスは各遊び手が好みの味付けにするものだから、プレイヤーに分かる範囲内なら各人が型にとらわれないよう語り口を考えていることでしょう。型の問題だから、一般論にはしづらい所もあります。

 でも僕としては和風ファンタジーとして形成された冒険者というスタンスは青森にはどうも似つかわしくないし、『深淵』のような運命主義的なのも違う、『ウォーハンマー』のようなパンク世界でもなく、『ナイトウィザード』のような選ばれし勇者ってのもしっくりこない…。
 
 インド、東南アジアの文献を読んでいるのも、時代劇めいた純和風な曖昧さが基調のファンタジーでもなく、騎士道物語のような使命と宗教的潔癖さを基調としたファンタジーでもない、僕自身が納得できる形で東洋的なるスタンスを模索しているのです。

 
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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