2006年01月19日

TRPGは止揚される 〜TRPG作品の人気サイクル〜

 最近、F.E.A.R社ゲームの総括が話題になっていますね。
 個々のシステムから全体的なメカニズムまでが考察されてる様子を見ると、今が爛熟期なのでしょうか。今後、F.E.A.R社のゲームはプレイスタイルを一新するほどの改革が起きるのか、それとも飽きられるまで現状維持なのか…。
 だけど、F.E.A.Rゲームの人気減退=TRPGの衰退といくのは違うと思います。

 ここでTRPG作品の人気サイクルについて試論を。
 まだ完全ではないのですが、TRPG作品の人気ぶりにはサイクルがあるのではないかという考えから考察した図式です。

◆TRPG作品の人気サイクル

1:黎明期
  ↓
2:隆盛期
  ↓
3:爛熟期
  ↓
4:否定期
  ↓
5:反省期
  ↓
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◆◆◆

 まず1の「黎明期」です。
 この時期はTRPG作品が発売される前、まだ多くの人が雑誌リプレイなどでしか情報を知りえていない時期です。だが、海外ゲームなら自家翻訳者が、国産ゲームならテストプレイなどによる試作品の流失が、最初期のコアゲーマーを形成します。最初期のコアゲーマーは隆盛期にオピニオンリーダーになるか、完成品との乖離に歯止めがかからず孤立するかのどちらかの道を進みます。
 黎明期のTRPGは多くのプレイヤーにとって氷山の一角程度の遊びしかできません。従って、プレイしたからといってそのゲームの愛好者になるとは限りません。多くの場合、デザイナー乃至翻訳者(オフィシャル、自家問わず)の仕事ぶりに注目するに留まります。

 続いて「隆盛期」。
 ルールブックが発売され、その遊び方について討論がされる時期です。
 この時期に活発に討論し経験を積んだゲーマーが、そのゲームにおける熟練者となることが多くあります。地域によって差異が生じますが、一部の卓ではそのゲームを自己のゲーム感覚に組み込んだ熟練者が現れるようになります。
 この時期のプレイは、そのシステムでGMはどこまでシナリオを展開できるのか、またはPLはどこまでロールプレイの幅を広げられるのか未知数です。それで、従来培ったプレイスタイルを踏襲して食い違いをしたり、無難に取り扱いすぎて一本道シナリオなど多様性に欠けるプレイをしたりします。

 3番目は「爛熟期」。
 この時期はクラスター世論によって個々人のゲーム感覚がまとまっていき、ほぼ全国的に安定したゲームが期待されます。プレイスタイルが統一していくにつれ、徐々にマンネリから疲れが生じるPLが出てきます。
 どのくらいで疲れが出てくるかは、そのPLが該当するTRPG作品で使用するキャラクターにどれだけ元ネタ知識と構成力を注ぎ込められるかにかかっています。簡単に言えば、Myキャラの元ネタが枯渇したときが、TRPGの疲れです。
 また、システムのメカニズムも大体が解明され、システムが提供する楽しさの多くが既知の存在となります。
 ここで自らが伝道する気のないゲーマーはプレイが段々単純作業化していき、やがて飽きるようになります。逆に外向的な気質の持ち主はその作品を名代として活発な普及活動に出ます。彼らの中には「原理主義者」と呼ばれる自己一体化を果たした者もいて、飽きや疲れを見せた者に激しい攻撃をしかけるようにもなります。
 この時期のプレイは、人によってモチベーションがバラバラになるので人間関係のトラブルが起きます。また、原理主義者による極端な仕切りなども発生します。

 4番目は「否定期」。
 世代交代や新しい作品の隆盛によって、多くのゲーマーがそのゲームを休業状態にしている時期です。ベンダも出版を停止したりして、サポートも滞ります。
 この時期は不惑の時期であり、爛熟期に高いモチベーションを出していた人は、その反動として鬱になります。クラスター世論もそのゲームのシステム的・シナリオ展開的に限界が来ているとして、欠点が露になったり批判が相次いだりして、熟練者には向かい風となります。
 前期にて熟練者となっていた者は、自己の限界をTRPGの限界と見てリタイアするか、ひとまずゲームを棚に収めて新しいゲームに取り掛かるかします。
 多くのゲーマーはこの時期をもってその作品の命脈は尽きたとしますが、一部のコアゲーマーは厳しい環境の中でも地道に活動します。参加者のほとんどがブランド性を喪失していますので、ひとえにGMの人柄に頼りきるセッションになるかもしれません。
 冬の時代ではありますが、実は愛好者にとっては結構幸せな時期なのです。だが、爛熟期に喧嘩してまでエゴを通した人にとっては厳しい冬です。

 そして5番目は「反省期」です。
 この時期はこの作品の良い点、悪い点が止揚される時期であり、ゲーマーも反省的視野から欠点や限界を丸く包み込む余裕が出てきます。その潮流が高まると、再販乃至改訂版という話が出てきます。
 この時期は熟練者にとって一番辛い時期です。再び黎明期に戻れるかの瀬戸際の中で、一縷の希望を込めてベンダの動向をハラハラドキドキ見守りつつ布教活動をすることになるのがその理由です。ここでベンダが「やっぱりダメでした」となるとより一層激しい鬱が襲います。
 ここでルールや世界観が独特で他に真似できない作品の場合は、再販や改訂版などによって黎明期に転生することができます。だが、別に再販するほど個性的ではないゲームの場合、反省したことから来るゲーム感覚の変化に伴い、新しい作品を体得する際の骨肉としてゲーマーのみ転生する形となります。
 TRPGのプレイにおいて、最も円熟したプレイが期待できるのはこの時期です。
 
◆◆◆

 う〜む。
 まだしっくりこないですけど、とりあえずこんなもんかな。
 基本的には弁証法的サイクルを目指しているんですけどね。TRPGは栄枯盛衰する者ではなく、そのTRPG作品の面白い所(テーゼ)と問題点やトラブル(アンチテーゼ)が止揚されて総括的な評価が出た時点で次の時期サイクルに入っていき、その総括的評価にまたアンチテーゼがつく……その繰り返しの果てに循環が起きるってな考えです。

 結局、目指す所はTRPGに携わっている人が、「TRPGってもうダメかも」と鬱になることを防ぐ哲学的な頭の鍛え方なんですよね。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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