2009年09月01日

消失した「なりきり演技」論 〜「語る」技術としてのロールプレイの黄昏〜

 TRPGもそうですが、MMORPGなんかだと「人生すべてを賭けている。俺は偉大だ」と自負する廃人ゲーマーがよくいるものです。遊びなのに「遊びのつもりで参加するな」といきり立つ人ならTRPGにもいて、僕みたいなルーニーはよく白眼視されます。
 こういう人たちを僕は「最前線に立っている」と表現しています。
 彼らは戦っているのです。最前線に立つ者の自負のみを支えに。
 
 今日はロールプレイについてまた再考しました。

◆◆◆

 TRPGでロールプレイをする楽しさって何でしょう。
 今までは物語に参加する楽しさ……幻想的な物語世界を舞台に、自らが物語の登場人物となるキャラクターを操り、GMや仲間との語らいの中で楽しい物語を作り出していくことが楽しみと言われてきましたし、それは間違いではありません。

 でも、それだけでは何か足りない気がするのです。
 事実、ロールプレイをしたからといって、必ずしも楽しめる結果が返ってくるとは限りません。TRPGはゲーム以前に人付き合いですし、円滑なコミュニケーションなしには成り立たない遊びです。コミュニケーションがうまく取れずに消化不良になったセッションなど何度もありますし、相手のロールプレイを不快に感じたこともあれば、その逆もあります。もちろん、喧嘩別れになってしまったことすらあります。

 同時に、コミュニケーションがうまくいってロールプレイが活かされた時の快さは「物語への参加」という言葉では表現不足なのかもしれません。ぶっちゃけ、TRPGは遊び手個人の夢や空想を発露する場ではないのです。成功したセッションでは尚更。

 ルールブックではまず販促として個人がロールプレイをする楽しみから語りますが、ロールプレイをする楽しさはゲームを成立する楽しさより下位ですし、最上位としてパーティとしてのゲーム活動を成功させる楽しみがあります。GMや遊び仲間との交友に成功しなければ、実際何も楽しめません。
 セッションに臨めば、そこには自分と同様にロールプレイを欲する遊び仲間がいて、その上に自作の物語を提供するGMがいます。誰もが自分なりの物語を持っていて、限られた時間の中で対話を重ね、時には諦め、時には妥協し、想定外の役をふられる時もあれば思わぬ屈辱を受けることもあります。
 その中で各自が得意分野を確認し合い分担をして、共同作業でシナリオを解決するのがTRPGのセッションです。決して、争いをして勝った者が決裁するのではなく、誰もが好き勝手放言して欲求を満たすだけでもありません。
 合作こそTRPGが30年以上かけて培った遊び方の伝統であり、TRPGは個人の夢や空想を叶える場ではなく、個人の夢や空想を持ち寄って「みんなの物語」を合作する場なのです。

 今までロールプレイの技術と言えば、いかに自分が物語の作家として事故の夢・空想を演じていくかとか、いかに言いくるめをして口プロレスを制するかとか、自己実現の道具としてしか語られていないという懸念を僕は抱いています。
 現実のセッションはどうでしょうか。
 そんなに毎度、技巧を駆使してまで我を通してますか?
 口プロレスなんて大層な話芸がそれほど必需ですか?

 繰り返しますが、TRPGはみんなの物語を作るのが楽しいのです。
 そしてロールプレイはみんなの物語を作るために合作をするための手段であって、自己表現の手段ばかりではないのです。

 合作の手段としてのロールプレイは決して「語る」ためだけにある技術ではありません。それと同じくらい、遊び仲間のロールプレイを「聞く」技術も必要なのです。自分のキャラクターを活かすのと等価値に、遊び仲間のキャラクターを活かす技術があり、そしてGMのシナリオを活かす技術があり、ゲーム世界を活かす技術がある…。

 ロールプレイは話芸でもディベートでもなく、コミュニケーションのための技術です。一方的に相手を論破しやり込め、自分の意のままにして場を掌握するなど、そんなもん遊びに持ってきて何を得たいというのでしょうか。
 そりゃ昔はTRPG界隈はヲタクのサロンで、サブカルで教養人ぶりたい書生くずれが清談で妍を競いあっていたものですけど、今はヲタクのサロンなんかじゃない「多くある趣味の1つ」。
 何か真剣になる所を間違えてるような気がします。

 昔、ロールプレイを「なりきり演技」と評しての批判がまかり通った時期がありました。その時期は、ロールプレイに好意的な意見も批判的な意見も、ロールプレイそのものは個人の欲求を通すための、個人のための技術であるという認識では一致していたのかもしれません。

 結局、時代が進み物語文化が発展して、強烈な個性的キャラクターを表現できるシステムやテンプレートにあふれた現代のTRPGではなりきり演技をしてまでキャラクターを表現する必要性も薄れ、なりきり演技の論題はすっかり影を潜めてしまいました。

 今までの「語る」ことのみに重点を置いてきたロールプレイの技術は、TRPGの実際を顧みない独善的な技術であるばかりか、現代のTRPGではなくてもよい古びた技術になったのではないのかもしれません。技巧を尽くしてまで「語る」ことが必要なゲーム環境ではなくなったし、ゲームの方も語って勝つのがよいというものではなくなりました。

 ロールプレイをする楽しさに関しては、合作のためのコミュニケーション技術であることを踏まえて、その意義や目的を再検討する必要があると僕は考えています。

 

 
 
 
タグ:TRPG
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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