2006年03月02日

戦国無双2で指を痛めました

 夜毎『戦国無双2』をやってるのでコラム書きサボッてるのはおろか、とうとう右手親指の付け根が悲鳴を上げる始末。久方ぶりのアクションゲームなので指が慣れていません。

 前作と猛将伝のデータがあったのでハナから本多忠勝使用可能。したがって最初も忠勝でプレイ。順調に進めていったんですけど、関ヶ原の合戦で井伊直政と福島正則が秒殺されて中央の戦線が早くも崩壊。毛利も小早川も裏切らず、全員斬り捨てて終わりという惨憺たる結果に呆然。
 まず安国寺恵ケイを斬って毛利・吉川を裏切らせ、その後ギン千代の出鼻を挫いて、寺沢広高のラインまで迫った中央の敵を倒しまくる。一通り倒したら松尾山で長束正家、長宗我部盛親を倒して小早川を裏切らせる。そして島津と宮本武蔵を倒して本陣突入。左近と光成を倒してハッピーエンド……というのがとりあえずの攻略順なのかな。
 ……疲れた。
 この前のPendragonセッションも8時間ぶっ通しで喉枯れたけど、これもまた疲れる。

 とりあえず忠勝のみクリアしての感想は、味方武将がすぐ死ぬってこと。
 忠勝が三方ヶ原、杭瀬川と史実では捨て駒として死んだ武将が多く出た合戦ばかりだからそう思えるのでしょうか。多数の雑魚敵を斬る爽快感も、今回はうじゃうじゃ湧き過ぎててウザったいですし、忍者が結構イライラします。とみに土ん中潜る奴。

 こういう斬りまくりゲームが色々ある昨今、『戦国無双2』は爽快感と労力とを天秤にかければ労力の方が上回るゲームでしょうか。雑魚敵を潰しまくる爽快感を楽しむゲームではなく、戦場を効率よく巡ってボス敵を倒していくミッション攻略主体のゲームだと云えましょう。
 
 そういう意味では、爽快感を求めてプレイする人にはストレスが溜まるかもしれません。
 放っておけばどんどん味方武将が死んでいく状況に、思わずクソゲーだと罵りたくもなるでしょう。
 まぁ、そう叫んだ所で返す刃の「クソゲーと叫ぶ奴は未熟者」が飛んでくるのですけど。
 その辺の事情はTRPGとて同じことで、『イサー・ウェン・アー』でも『マイトレーヤ』でもやりこみもせずに1、2回プレイした程度でクソゲー呼ばわりするな未熟者めと訳知りな人は云うものです。たとえシステムにどうしようもない欠陥があろうとも自分で改変できてしまうほどTRPGはカスタマイズが簡単なゲーム。カスタマイズを重ねて……システムの改変はもちろん、プレイ仲間の意識も改革する……なんとか遊べるように調節するのがゲーマーの腕の見せ所じゃないのかいという気風を多くの人が持っています。

 だけど最近では、「クソゲーと叫ぶ奴は未熟者と叫ぶ奴は時間が有り余っているニート」というカウンターもありますからね。昨今では「やりこみ」する人が自己顕示のために掲載した攻略情報をサクっと仕入れて、やりこみ派よりも少ない労力で美味しい果実を得ようとする人がスマートだってことですかね。

 最近はTRPGの論考をする人が増えてきて、TRPGの情報に飽和している人も出てくるでしょう。日々TRPGに関する情報が手に入りにくいからこそ論考記事にも興味がいくものでして、情報が溢れている状態では、パニックを防ぐために情報を遮断する方向にいくかもしれません。
 「もうたくさんだ。論考なんかちっとも役に立たない。見るだけムダ」とね。

 確かに論考記事がストレートに、その人のプレイを上達させはしないでしょう。
 それはアクションゲームの攻略法を見ても、それだけでゲームがクリアできるとは限らないのと一緒です。むしろアクションゲームの攻略法とは「このルートで進めばゲームは高いスコアでクリアできます。ただし、このルートでクリアできる程度の技量が必要です」という性質のものです。前述の関ヶ原でも中央の敵にまごまごしてると小早川が裏切らず、かなり疲れる戦いを強いられます。

 TRPG関連の論考も然り。
 論考が役に立つか立たないかは、読み手の環境や技量によって変化するものです。
 あるゲームを通しての論考をして所で、そのゲームをプレイしていない人には役に立たない。コンベンションでのプレイ技術を論じた所で、いつも友達としかプレイしていないガラパゴス環境の人には用はない。TRPGの普及と発展のために啓蒙活動をしても、現状に満ち足りている人には騒音でしかない。
 
 必要と思わない人には馬の耳に念仏だってこと。

 「僕はA君とB君とC君とでプレイする○○さえ楽しめればそれでいい」って人も多い……つーか、それが普通だと思います。念仏を聞かないから馬は愚物だって思うんでしょうけど、世の中みんな馬の耳です。諦めというより、書き手の過信を戒める意味で。当然、自分にも。
 
 過信を戒めるとあるけど、僕も30になってどうも「やりこみ」ではいられなくなったという事情があります。実際の忙しさもさることながら、意識的にも「やりこみ」はゲーマーとして最上の価値があるのか疑問に思うようになったんですよ。
 プレイ経験を重ねることも、知識を研鑽することも、論考を続けていくことも。
 もっとスマートな方法はないのだろうか。

 そこら辺の不安は、RPG日本の馬場論スレでJanus氏が見事な指摘をしているので引用します。

3.RPGは努力次第で長期間楽しめるゲームである。
 是・・・だとは思う。だが社会人や家庭人になることで、RPGに割ける時間や気力の量は自然と限られてゆく。プレイ量が少なくなる人もいれば、出世や結婚のための労力を切り捨てる人もいるだろう。ベテランゲーマーと自負する人であれば、誰もがそうした苦労を抱えているはずだ。
 一人がRPGを長期間楽しむためには、少ない努力で効率よく楽しむ方法や努力せずとも楽しむ方法の研究が必要だろう。あるいは逆に、「一部のマニアを除いては、一定期間で卒業するもの」と割り切るべきかもしれない。


 30になって、時間と気力・労力が有限であることを知った現在、僕はこれからもTRPGを長くプレイするにはどうすればいいのか……選択肢は3つ用意されています。

1.少ない努力で効率よく楽しむ方法や努力せずとも楽しむ方法の研究
  問題点:時間や労力に余裕がある若いゲーマー層、及びライフワークと決めているマニア層からの反発。ロートル扱い。

2.「一定期間で卒業するもの」として身を引く
  問題点:リタイアを意味する。

3.マニアになって今後も「やりこみ」を続ける
  問題点:ストレスとの戦いになる。

 結局僕は1の道を選択したわけで、そのために「プロゲーマー志向」とも云うべき、「時間があれば一本でも多くの映画を観て、一冊でも多くの本を読もう」という馬場秀和氏のライフワーク的手法とは別の道を模索しているのです。

 『戦国無双2』も最後の隠しキャラである宮本武蔵まで出すのはそうとうやりこまないとダメでして、そこまでやりこめるのもおそらく全購入者の1割程度でしょう。そこまでやりこむ達成感と労力とを天秤にかけて、はたしてそう達成感に流れるのかなという疑問があります。
 
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(1) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ゲームの為に努力する余力なんか無い
Excerpt: 戦国無双2で指を痛めました ↑センムソ2から“やりこみ”の話になって、「少ない努力で効率よく楽しむ方法や努力せずとも楽しむ方法」を探そうぜ!って記事。 うん、社会人(フル
Weblog: 酔虎の博客
Tracked: 2006-03-12 00:06
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