相も変わらず、あんまり自分のゲーム感覚に自信ないので明解な回答なんかできゃしませんけど、TRPGとパズルの関係をおさらいしながら書きますね。
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TPRGには魔法、サイバーウェア、必殺技といった特殊能力の組み合わせによって、数値的に有利さ…「成否判定に有利な修正がつく」「戦闘で大きなダメージを与える」の2点に集約される…を得るパズルが存在しています。
『TORG』など、ストーリー展開もシステム化したゲームの場合、パズルを解く最善手がゲームそのものに影響することもあり、パズルの腕前はプレイヤーの欲求よりも高い影響を及ぼします。プレイヤーは自分の欲求やロールプレイ、シナリオの成り行きよりも、手札が示す推奨行動に従って動くということです。これは『TORG』に限った話ではなく、『GURPS』のように目標値がデータとして常に提示されているゲームの場合、プレイヤーは欲求やロールプレイ、必然性よりも、ダイスロールでの成功確率を考慮して判断します。
あるいは、TRPGのシナリオそのものも、起承転結、筋書きが整ったヴァーチャルなパズルと理解してもいいかもしれません。多くのシナリオが物語の筋書きとして、展開には多くのお約束が盛り込まれます。シナリオを「プレイヤーが読み解くもの」として、プレイヤーの想像力・知識・勘の鋭さに合わせるよう設計すれば、「主婦でも分かるサスペンスドラマ」と同じように、ストーリー展開がパズルのように整合性を持ったエンタメになります。
ここでは特殊能力など、明らかにシステム化されているのを「狭義のパズル」、成功確率の目算やシナリオの先読みなどを「広義のパズル」とします。
広義のパズルまで含めると、TRPGは「パズルの集合体+パズルを補完する演劇的おしゃべり」であると解釈もできます。
なぜTRPGにパズルがあるのかは簡単で、単なるおしゃべりでは飽きるからです。
適度にパズルを解かせ、指を動かさないとプレイヤーは飽きるでしょう。
ただし、TRPGは元々ミニチュアウォーゲームから派生したゲームです。
そして「勝敗」という尺度においてウォーゲームはチェスや野球と同じく、ゲームであってパズルではないと言いきれる要素があります。ゲームは2人以上の人間が最善手を試み、その衝突から優劣を決める仕組みを持っているからです。パズルは最善手=最良の結果ですが、ゲームは最善手が最悪の結果を生むこともあります。
そして、囲碁の定石のように互いに最善手を踏み合うことによって、偶然よりも「読みの鋭さ」を問うゲームも存在します。
TRPGは一応ゲームの形態を取っていますし、集団で楽しむレクリエーションとしても機能しています。
その意義を疑う人は多くいますが、少なくとも上述の定義を踏まえればパズルではありません。なぜなら、TRPGには「シナリオの成否」という狭義のパズルでは解決できない仕組みがあり、さらに「セッションの成否」という広義のパズルでも解決できない仕組みがあるからです。
いくら特殊能力のコンボを積んで最強キャラを作っても、シナリオを崩壊させればゲームは失敗と見做されます。さらに、いくらシナリオを読み解いて成功に導いたとしても、セッション…ゲーム活動をする集団の和・共有感・楽しみの興…が乱れてしまってはレクリエーションとしてはダメだということになります。
パズルはゲームを構成する一要素に過ぎず、ゲームもまたセッションを構成する一要素に過ぎない…そう考えればパズル、ゲーム、セッションそれぞれに存在意義ってもんがあり、どれか1つだけ真理なりと突出させれば、別の所がダメになります。
パズルを考案する際には、2人の人間…プレイヤーとGM…とが激突するゲームに及ぼす影響を考えなければならないし、同時に複数の人間が楽しむセッションに与える影響をも考えなければなりません。
同じように、ゲームを考案する際には、対戦形式となるパズルの公平さを考慮し、ガチンコでぶつかってもセッションを作る人間関係が壊れないように整える必要があります。
セッションを考える時でも、ゲームをしたい人間のためにもきっちりゲームを提供し、道具となるパズルの手入れも欠かしてはなりません。
どうにもしっくりこないでしょうけど、TRPGはそういう多面的な性質があります。
まぁ、テニスにも「テニスの技術・テニスそのもの・テニスサークル」という関係があってどれを欠いても面倒なことになるのと同じことです。
以上、事情説明でした。
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TRPGにバズル的要素があるのと、TRPGがパズルであるというのは違うもんです。
『セブンフォートレスAdvanced』のようにGMとプレイヤーがガチで対戦することを前提にしたゲームもあり、パズル的要素が強いゲームも存在します。ただし、それですら最善手が衝突して優劣が生まれる時点でパズルではなくゲームとなります。
本気でパズルにしたいなら、どちらかが(大抵は接客役とされるGMが)逐次介入をせず、パズルの出題者に徹するしかないです。
逆に言えば、片方が逐次介入せず「正解です。おめでとう」などと言ってたらゲームは形骸化します。その場合、悪いのは「正解です」などと宣言してゲームに参加しない側…大抵はGMです。
言ってしまえば、「○○と○○を組み合わせて、最大○○点のダメージだ」と来るプレイヤーに対して「敵は反撃すらならず粉々に砕け散った…」なんて答えるようじゃGMとして未熟であるということになります。
なぜなら、そういう組み合わせのパズルはプレイ中に編み出すものではなく、プレイ前にキャラメイクの時点で使用を宣言しているものであり、さらに「成否判定に有利な修正がつく」「戦闘で大きなダメージを与える」の2つしか解答がない現行のTRPGでは最善手を思いつくこと自体に大した労力は必要がありません。ネットで検索すればいくらでも見つかるし、ログをコピペして持ち込んだ所で誰も咎めません。
だから「最善手が最良の結果を出すとは限らない」状態に持ち込むのがGMの手腕というものなのです。かつてはGMの方もプレイヤーが取ることが予測される最善手を読み取り、それに対処してせめぎ合いをするのがスジのよいGM技術だとされてきましたけど、苦手な人が多いのが現実です。吟遊詩人志向のGMは、プレイヤーとのバズルに付き合うよりは拍手団でもいいからストーリーテリングさせてくれと考える傾向があり、それが転じて…七転八倒して「データマンチキンは悪だ!」なんて言い出すくらいになります。
こういうGMってのは広義のパズルすら軽視し、プレイヤーから思考する機会を奪ってしまいます。当然、戦闘はすべて出来レースです。
『番長学園!』に雑魚戦闘ってのがあって、出目の数だけ雑魚がなぎ倒されるってシステムありましたけど、要するにアレを戦闘全部でやっちゃいますってのが出来レースでしょう。いや、プレイヤーが最善手で来るもんだから、結果的に雑魚戦闘レベルにまで低下しちゃうほどGMがテンパってしまう。しかも大抵がGM1対プレイヤー3〜6。
悲鳴を上げたくなるのも分かるけど、頑張って対処してほしいところです。
結局は、「パズルに立ち向かえないでストーリーテリングなんて10年早い」ってことなんですかね。回答になっていないの分かるけど、そもそもパズル要素を薄める意義ってのがいまいちつかめないんで、申し訳ないです。






