文庫本だということで、書店で気軽に買えると思った僕は少し時勢を見る目が曇っていたようです。
矢野俊策氏のリプレイ本は目立ったところにありました。
だが、同時敢行のはずのルールブックがリプレイの近辺にない。
いや、一冊もない。
今回、池袋の書店(とらのあな、まんがの森、ジュンク堂、池袋リブロ、
僕個人の運も悪かったんでしょうけど、スタンダードTRPGと銘打たれた物を入手することにこんな苦労するとは意外でした。『アリアンロッドRPG』でさえ、最初に行った店で買えたというのに。
些か鬱になった気分でうがってみますけど、これは「リプレイ本に触発されてルールブックを買う」という販促効果としてのリプレイ本の役割が、すでに時代遅れの発想であることを流通側によって突きつけられた1つの事例ではないでしょうか。
すなわち、リプレイ本を読んだからといってTRPGに興味を示すとは限らない……いや、それ以上。
もはやリプレイ本の読者はTRPGに興味を示すことなどまずない。リプレイ本はライトノベルの一形式として、TRPGから完全に分離したのだ。
などと考えてしまうのです。
こりゃ「リプレイがTRPGを滅ぼす」などと云う以前の問題です。
「リプレイはTRPGとは縁がなくなった」のかもしれません。
どないしましょ。
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前回の記事が静かな反響を呼んでいます。
反響と云うより、話がシティアドベンチャー全般に広がっているようで、あまり深いこと考えずに話を始めた身の上としてはすこし困惑もあったりします。
思えば首ナイフもドクロちゃんのついでに書いたもんだったんだけど。
一通り呼んで感じたのは、システムの制約が緩いアドベンチャーパートはGMが自分のテンポで展開できる場面であり、TRPGに一家言あるゲームデザイン志向者(そんな志向はないと主張する人の方が多いだろうけど、本当に一家言もないゲーマーなら先例を真似るだけで事足りるもの。わざわざ主張しようなどとも思うまい)にとって自分の流儀・志向を搭載する格好の舞台なのかもしれないってことです。
アドベンチャーパートを論ずるに、この本質は「いかなる力量のプレイヤーを想定し、いかなるテンポでゲームを展開するか」というマスタリングの基本姿勢にあるのではないでしょうか。
訂正:芳林堂コミックプラザでした。
昨日行ったら1冊ありました。ちょっとうれしい。






