この記事には一部アニメファンの大事な思いに深刻な悪影響を与える表現があります。一度連想すると頭から離れないような性質の方はこの記事を読まないことをお勧めします。
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一昔前までTRPGステージの主流と云えばファンタジーでした。
最近では現代活劇物が主流となって、女の子がカタナを振り回して異世界の来訪者と次元界の存亡をかけて戦うってのがオツであるとかそんなことないとかもう時代遅れだとか。それが美少女主義だとか煩わしい話題は得意でないので放っておきます。
それでも今日は女性キャラの話。
男のプレイヤーが女のキャラをプレイするのは難しいものです。
女口調や声色が気色悪いという演技の巧拙の問題もありますけど、それがイヤだからと云って男性が女性キャラを扱うこと自体イヤと云ってしまったら、GMだって女性は出せたものではありません。
いや、昔そういう人がいたんでPCもNPCも全員男性にしたことあります。
代わりにゴブリンだのラストモンスターなど、モンスターを全部雌にしてゴブリンの下着入れ漁らせたり、ラストモンスターの出産に立ち合わせたりしましたけど。
まぁ、普通の人はそこまで演技しないと女性PCを扱うことなどできないとは思っていません。イメージを遊ぶゲームであるのがTRPGなのだから、他の人が自分のキャラのイメージを漠然とでいいから掴んで反映しれくれれば十分であり、それはプレイヤー発言としての描写で事足ります。
だけど、その「反映してくれる」ってのが難しい。
なぜなら、そもそも異性PCを表現すること自体が難しいからです。
どんなTRPGでも、自分のやりたい人物像をモチーフにキャラを作ります。
これが同性キャラなら、憧れや変身願望によって容易に自分が演じられるキャラが作れるでしょう。なぜなら、まず自分はこのゲームでどのようなことがしたいのかをイメージし、それに見合ったキャラクター像を形成するのが同性キャラを作るうえでの発想ですけど、どんなに変貌しようが世界の構築を意志決定する以上、キャラの自我は自己の延長となります。それは演技が可能な範囲です。
だが、異性キャラはそうもいきません。
同性キャラをイメージする場合、そのキャラクターが自分と対峙し語りかけるような光景はイメージしづらいと思います。おそらく、同性キャラは自己が変身した姿として、遊び手の自我を映す存在として動きます。
これに対して、異性キャラはまず自己の分身としてイメージする方が難しいでしょう。大抵は美少女ゲームの視点のように、キャラが自分と対峙し、自分とは違う自我を持ち、自分が喋らないようなセリフを自分とは違う声で喋る光景をイメージするものです。
すなわち、異性キャラは基本的に「他者」なのです。
それも自我を認知し存在を証明するセックスパートナーとしてイメージを形成してしまうのです。
アンドロギュノス的な融合の観念を持ち込めば、セカイを形成するモノとそれを認知するモノ、その2つの融合があってイメージは完全になります。性同一性障害でない限り、異性を自己の延長として憧れる意識は自然ではないでしょうから、セカイを構築する自我が同性であるならば、セカイを認知する存在に異性を持ってくることは自然な発想です。
燃えキャラはどこまで行っても自己の延長。
同性キャラはセカイを構成する自我の形成です。
対して萌えキャラはどこまで行ってもパートナー。
異性キャラはセカイを形成する自我を受け入れる認知なのです。
TRPGで異性キャラをプレイする難しさ……、その根底にあるのは異性キャラがプレイヤー本人の自我とは別人格であることなのです。
その異性キャラは、おそらくどんなゲームでも自分が作る同性キャラの恋人としてふさわしい存在なのかもしれません。
だとしたら難しいのは当然のこと。自分を認知してくれる自分でないものを自分だとしてロールプレイするのですから無理がでる。認知してくれる存在とは自我を肯定・擁護してくれる存在であるから、他のプレイヤーとの関係によって変化してほしいとは考えづらいものです。
例えば君の自我の分身である同性キャラが、ファンタジーの戦士から現代の高校生になったところで、君の幻想にいる異性キャラは衣装を変えつつも君のよき理解者としてい続けてくれるだろう。だが、君の自我はそのままで彼女だけが突然悪魔になったり体型が変わったりしたりどう思うでしょうか。
具体的には……。
涼宮ハルヒの声が平野綾から田中真紀子になったとイメージしてください。長門有希の外見がジャイアント・バーナードになったとイメージしてください。朝比奈みくるの正体がイスの偉大なる種族(Great Race of Yith)だとイメージしてください……。
↑のリンク先をクリックすれば該当者の画像に飛びます。
イヤでしょ。
どんどんイメージして正気度を下げてください。
俺は変化するのは構わない。俺は完全ではないし柔軟だからだ。
だが、俺の彼女を変化させないでくれ。彼女は俺を完全にしてくれるから。彼女が変化してしまったら、俺の自我を誰が受け入れてくれるんだ……。
長門さんが長門さんであり貴方を受け入れてくれる限り、あなたの外見は今のままでもジャイアント・バーナードになってでも我慢できると思います。だが、長門さんがジャイアント・バーナードになってしまったら多分あなたの萌えは地獄に叩き落されてしまうでしょう。
TRPGは自分がジャイアント・バーナードになってしまうことが多々あるゲームです(筋力に能力値を多く配分すれば体型は似てくる)。キャラクターもゲーム世界も、シナリオとゲーミングによって絶えずカオスが発生し、そこから新しい物語が生まれるのです。
そんなゲームの中、プレイヤー本人からすれば変化してほしくない異性キャラを投入すれば、自分のキャラのイメージを防御するようロールプレイするに決まっています。そのために、他者の行動によって自分のキャラが変化しないよう、また自分のキャラも他人に変化をさせようという気を起こさせないようなプレイをします。
すなわち、自己完結。
プレイヤー本人の願望を異性キャラが実現して、終わる。
自分の意思とイメージとして対峙する異性キャラとの2人パーティによる妄想美少女ゲームです。そこには他のプレイヤーとの接点はありません。
そんな状態ですから、他の人のキャラが彼彼女の異性キャラを口説いて恋人設定にしようとしてもまず無理です。だってその異性キャラの恋人は作ったプレイヤー本人なのですから。
異性キャラをプレイすることの難しさ、それは自分の夢が他者の介入によって変化してしまう危険に侵されるTRPGの現実が根底にあります。
長門さんが好きで長門さんをPCに仕立てたとして、もしプレイ中にジャイアント・バーナードになってしまったら、あなたはプレイを続行できるほど意識あります?
自分の萌えキャラをいじられた程度で真っ白になったりGMを殴り倒したりしないためにも、あるいはそれ以前に萌えキャラが自我とは異なる現実の前に消化不良のセッションをしてしまったり……こっちの方がほとんどだけど……せんためにも、少しは妄想とは距離を置いたキャラ作成ができればいいんですけど。
でも、無理に昔の、萌えなんて大した意味なんかなかった時代のTRPGに戻すべきだと主張しても誰も靡かないんじゃないかな。妄想を具象化できるゲームメディアとして、TRPGはもっとも近いラインに迫れるものであるわけだし、それは弊害があれど大きな武器にもしてきたわけですから。
むしろ、現在のTRPGはまだウォーゲームの独立性が頑なに守られている……いかなるキャラもウォーゲームでの戦力的役割分担を基調としたデザインがされ、ウォーゲームをしないことにはゲームとしての骨格がレイムダックしてしまう仕組みです。
そこを刷新してウォーゲームなくともただのお喋り会と見られない、TCGやボードゲームやってる人から見ても、これはゲームをやってるんだと認めさせるような新しいゲームデザインをすればよいんだし、その中で自分のイメージが「ロールプレイ支援」などという迂遠な手段ではなく、もっと主流として発揮できるよう、そして自我とイメージとのギャップに苦しまぬようプレイ中にイメージを再構築し、プレイにあうよううまくイメージを作り直せるようにすればいいんじゃないかなと僕は思います。
そんなことは『蓬莱学園の冒険!』で荒削りながら自然とやってたんですけどね。あの頃培ったものをもっと洗練化できはしないかと模索しているわけです。






