それが90年代半ば頃のTRPGは、まるで再開発がされたかのようにちっともインタラクティブじゃありませんでした。ゲームも迷宮から野外、そしてシティーアドベンチャーが主体になってファンタジー小説っぽいシナリオ仕立てが求められるようになったので、もっぱら行われたのはAVGのようにイベントフラグを更新していくやり方でした。
「迷宮に落ちてる松明を所定の場所に挿して火を灯せば扉が開く」とか「情報屋の誰それにこうこう切り出したら事件の手がかりを聞ける」とかいうやつ。
ところが、イベントフラグが読めなくてシナリオが詰まったり崩壊したりすることが度々発生して、頭を抱えたGMが続出しました。迷宮の罠ならトンチンカンな行動したら、そのPCがバカを見たり死んだりして、最悪でも全滅でプレイを中断できました。PCは死んでも、プレイヤーはまだゲームを続けるだけの余力がありました。
しかし、シナリオの手詰まりとなるとPCは生きている…プレイヤーは参加権をまだ持っているわけで、どうにもこうにも中断する手段がありません。GMとプレイヤー衆のどちらかが精魂尽き果ててゲームを落とす(強引なシナリオ展開でシナリオを終わらせる)か、時間切れになるかまで、手詰まりに苛立つもどかしい時間が続きます。
こういう終わり方をすると、もうプレイヤーもGMも疲労困憊で、モチベーションの低下からしばらくはTRPGゲーマーとして使い物にならなくなります。
迷宮と違って、野外や市街ではプレイヤーの取れる行動範囲や、考慮すべき舞台設定があまりにも広大すぎてプレイヤーの手に余ることが手詰まりの原因かもしれません。しかもTRPGは自由さが売りとなったことが仇となって、まるで「○○をするなら○○ページ」というのがないゲームブックをやらせるような、雲を掴むシナリオを組むGMが沢山いました。
そんなことにも気付かないGMが「なんで奴らはイベントに乗らない」と頭を抱えだし、しまいには「奴らは人の話も理解できない猿だ。奴らはシナリオ展開で行動を規制せねばならん」と考え出し、インタラクティブ抜きの完全GM主導型シナリオ…俗に言う一本道シナリオと吟遊詩人GMが登場するようになりました。
この時代に手ほどきを受けた初心者の中には悲惨なゲーム感覚持った人もいて、とにかくGMの話に頷いて、GMの問いかけに答えて、GMのお膳立てした戦闘をこなせばTRPGだと完全に観客状態。それが進んで、大道芸人感覚のGMと観客まがいのプレイヤーがTRPGをマジックショーかなんかと一緒にしてしまった時代がありました。
だいぶ前からTVでマジックが流行ってますけど、観客を呼んで「好きなカード引いてください」とやるやつ…これがインタラクティブだと勘違いされてたのが一昔前です。
そんでもって現在。
悲しむべきことか嬉しいことなのか、『D&D3e』の登場で吟遊詩人に観客状態の非インタラクティブでは済まされないゲームが出てきて、古いゲーマーとしては一先ず居場所を確保することができました。
ただし、一時期の因習は根強く残っているもので、本来なら迷宮歩きや戦術で頭が一杯なはずの『D&D』に、何をやっていいのか分からずポカンと立ち尽くすゲーマーが結構います。GMが吟遊詩人するのが当たり前で、物語に聞き入ることを期待して参加している人なので、迷宮構えてさあいらっしゃいとするDMと、戦術の相談しているプレイヤー衆とは到底ゲーム感覚がかみ合いません。
僕はこういう鳩が豆鉄砲食らったような状態のプレイヤーが見ててホントに不憫です。
僕のゲーム感覚は古いものですから、インタラクティブ…プレイヤーの能動的行動によるゲームへの介入があって当たり前だと思うし、そこにTRPGの楽しさがあると見ています。だけど、そのゲーム感覚は一時期は危険視されていましたし、今となってはどうして大事なのかちっとも分からない状態とも言えます。
だからプレイ中ポカンとしておきながら、ゲームの雰囲気を味わえただけでもお腹一杯だと満足してるプレイヤーが心底不気味です。だが、実際にはそういう人をも擁護するゲーマーすらいる。一昔前は「そういう従順なプレイヤーがあしらいやすい」という腹黒い意図で擁護する人が多かったけど、今は心底「ストーリーテラーと聴衆」という立場にTRPGのあるべき姿があると思っている人もいます。
よく「GMはプレイヤーを楽しませるためにある」などいう文がルールブックや関連書籍に出てきて、そんなの受け入れられないという反駁を耳にします。だけど、プレイヤーの方が「ねぇ何か面白いことある?」とねだる観客状態なら、少なくともGMにとってプレイヤーは楽しませるためにはいない連中となる。
インタラクティブに関する認識が、少なくともゲームによる住み分けができない限り、「GMはプレイヤーを楽しませるためにある」という文章は永遠にTRPGにつきまとうのではないでしょうか。少なくとも、それを期待するプレイヤーがいる限り。
「GMはプレイヤーを楽しませるためにある」のなら、「プレイヤーはGMを楽しませるためにある」と考えてもいいはずなのだが。
そろそろ、「能動的行動を取らず、雰囲気だけ味わいたい観客気分のプレイヤー」は卓にとって大きな負担であることを言ってもいい頃合でしょう。






