本来、リプレイ本を渡すのは相手に「私はただのファンであって、君に技術や醍醐味を伝授できるエキスパートではない」という意思表示をするための社交辞令でした。
これは音楽やスポーツなど、プロの活動家と素人のファンが分離している業界では共通した行動と云えます。音楽が好きだという人が知人から音楽の魅力を教えてくれと聞かれたとき、CDを渡すか楽器を持ち出すかの違いと似ているかもしれません。TRPGの場合、ほぼ99%のゲーマーがアマチュアながら、その専門知識の多さから技術指導・普及に熱心なエキスパートと、一消費者として気ままに遊ぶことを望むファンとゲーマーが分離しています。
だが、社交辞令というのはしばしば換骨奪胎がおこるものでして、中身に込められた意味が忘却されながら、形式のみが無意味に行われることがあります。
かつてはリプレイが契機となってTRPGに参入してくる人もいました。
それはリプレイが80年代の発明品であり、当時RPGそのものの情報が、『コンプティーク』などのゲーム総合情報誌や、『ドラゴンマガジン』などのラノベ誌による雑誌メディアに限定されていたことが背景にあります。総合誌にリプレイが掲載されれば、情報量の少ない時代、読んで興味をもってくれる人も結構いました。
リプレイがTRPGの勧誘に役立つというのはこの時代に培われた常識感覚です。
総合情報誌への売り込みは功を奏して、多くの新規参入者を得ることになりましたが、それは同時にシミュレーションゲーム上がりの旧来愛好者たちがコンシューマーやライトノベルと云った異種の文化に晒されることを意味しました。彼らはこの異世界から参入者を招いたアストラルゲートと呼ぶべきリプレイの威力に惑わされていきます。
リプレイ本自体が読み物として面白かったこともあり、TRPGゲーマーたちはリプレイ本がTRPGの入門書なのかライトノベルの一種なのか冷静に見極めることができなくなり、その時点で本来の意味が忘れ去られました。本来なら自分の指導でTRPGの魅力を教えられるエキスパートですら、リプレイ本を渡すことがTRPGの魅力を伝えることができると思うようになったのです。
そして、いつしか「リプレイの読み物としての面白さ」が、「TRPGというゲームへの伝道と指導に役立つ」というよく考えれば結びつかない2つの要素がゲーマーの間では結びつくという、ある意味お花・的な思考が定着するに至りました。
かくして、リプレイ本を渡すという行動はTRPGの普及のために役立つ神聖な行為として讃えられるようになりました。書店のライトノベルコーナーにリプレイ本があると、あたかもTRPG業界の健在ぶりが誇示されているかのように嬉しさを感じます。そして、リプレイ本を買う人はいずれもTRPG愛好家ならびに予備軍として集会に足を運ぶ人たちであろうと思い込んでいます。
このBlogはラノベ好きの方々も見ていらっしゃると思いますのでお知らせしますが、もしあなたが書店でリプレイ本を手にした時、近くに心の中でガッツポーズをしているような人を見かけたら、その人はTRPGゲーマーです。あなたがTRPGゲーマーではないことを知ったら鬱で卒倒するでしょうから、訳知り顔をしてやり過ごすことをお勧めします。
◆◆◆
さて、ここで冒頭の一節を読み返してください。
この一節は明らかに矛盾しています。
「TRPGに興味を持ってくれますように」という願いを篭めてリプレイ本を渡していますが、渡している相手は「すでにTRPGに興味を持っている」人なのです。実はTRPGゲーマーがリプレイ本を渡すときは、ほとんどがTRPGに興味を抱いた人への返答としての行動なのです。
もうすでに興味を持ってくれてるんだから、ルールブックやダイスを見せ、できるならプレイに誘って教えてもいい段階です。
確かにリプレイはTRPGの存在を世に知らしめ、人々に興味を持ってもらうようにする役割は十分あります。だが、それはリプレイを書いて出版するプロの役割です。
アマチュアであり、TRPGの現場に立つ市井のゲーマーがやるべきことは、興味を持ってその道の人を尋ねてきた人たちを現場に誘い、TRPGの楽しさを実地で教えることにあります。
そういうことを理解せず、ただリプレイを渡すことがTRPGの普及に役立つとお思いの方、そう主張する方々……僕はあなたがたのTRPGへの情熱は大いに賞賛するべきだと思います。
だが、少し間違っています。
あなたがたがリプレイ本を渡すべきなのは、TRPGに興味を持ってあなたを尋ねてきた、同心円の縁(ヘリ)にいる人たちではなくて、その外にいるTRPGの存在を知らない人たちなのです。
TRPGの同心円の外を見渡して、リプレイ本がどのような扱いを受けているかもう一度注視する必要があるんじゃないですか? 書店でリプレイ本を手に取る人がTRPGゲーマー予備軍なのか、ただのラノベ愛好者なのかよくよく見極めなくてはなりません。
今までリプレイ本のおまじないは効いて当然でした。
端から興味のある人に興味が湧くようにおまじないしているのだから。
もし効かなかったとしたら、それはTRPGの実体を教えなかった渡し人本人の怠惰に幻滅されただけのこと。
本当にTRPGの普及に情熱を持っているならば、ここは興味を持ってくれるかどうか分からない、思わず祈りたくなるほどTRPGに縁のなかった人にこそ、願いを篭めてリプレイ本を渡すべきです。
まず手始めに、自分の趣味において最も理解がほしい相手であり、なおかつTRPGについて絶望的に興味がないであろう、あなたの親にリプレイ本を渡してみてはいかがでしょうか。
ゲーマー諸君、リプレイ本を親に渡すべし。
◆◆◆
ちなみに、リプレイ本が初心者の教本として役立つなんて意見はまったくのデタラメです。つーか、誰が主張しようとも、いざプレイとなればリプレイ本が持ち出される機会なんてほとんどありません。せいぜい、リプレイと同じ舞台でGMが街の光景をリプレイ本朗読して知らせる程度で、それすら該当する一節を探し出して朗読するよりは、適当に憶えて自分の口で言い直す方を選びます。
なにより、プレイが終わって無事新規参入者がTRPGゲーマーになったとしても、「リプレイがあったこそこの出会いがあった。ありがとうリプレイさん」とリプレイ本に感謝するゲーマーなんていやしません。
大抵が自分の教え方が良かったと思いますから。
だから「おまじない」なの。
受験や就職で成功して、散々願をかけた神社仏閣にお礼参りをする人ですか?







