ところが、中級者以上のプレイヤーでも「お地蔵さん」と呼ばれる状態の人はいます。
中級者ともなれば、能動的行動によってゲームの主軸となり物語を動かす楽しみを理解できる段階に入っています。プレイ経験が重なれば、シナリオが提供する以上の活躍をするプレイヤーの1人や2人には出会うもので、TRPGのプレイにはベスト以上の回答があることを知るからです。
GMのシナリオを読み解き、シナリオの想定通りに動くのは模範的回答かもしれませんが、TRPGには想定を覆す快挙・椿事がたびたび発生して二転三転する「生きたメディア」としての側面が間違いなくあります。それは複数のプレイヤーがスタンドプレイをするプレイ形式の宿命的カオスと言えます。TRPGはそれにダイスなどの乱数発生装置によって起きるランダム性が重なりあって、幾重にも多様性のあるゲームが生まれるのです。
そのカオスを理解し、自分たちの能動的行動によってシナリオを脚色していく作業…プレイヤーとGMのゲーム世界への逐次介入行為をここでは「ゲーミング」と呼ぶことにします。TRPGが濃厚なストーリー性を持ちながら、多人数参加という物語を混乱へと導きかねない形式を取っているのは一重にゲーミングの楽しさを期待しているからです。
中級者以上のだんまりプレイヤーの多くが、ゲーミングができずにいる人たちです。
くどいですけど、ゲーミングの楽しさを知っているから中級者なのであって、知らない人は年季が入ってようがまだ初級者ですからね。
「できずにいる」ってことは、ゲーミングの楽しさを知りながら、それを行使することを躊躇い遠慮している、あるいは控えるべき恥かしいことだと思っている状態でしょう。そういう彼・彼女のゲーム感覚にはまだ拭われていないトラウマがあるのかもしれません。
そうなると厄介です。彼・彼女のゲーム感覚改善のためには卓単位でのメンタルケアが必要です。
なぜ、彼・彼女はゲーミングを躊躇うのか。
その理由はやはり、「過去にゲーミングで失敗して惨めな経験をした」でしょう。
ゲーミングの楽しさを知るためには、まずTRPGが他のメディアにはないオンリーワンがあるってことを体感しなきゃならないってハードルがあります。
今まで、TRPGのゲーマーはウォーゲーム、ボードゲーム、ゲームブック、コンシューマーゲーム、そしてライトノベルなどの別メディアから「参入」してくるというケースが余りにも多く、最初からTRPGに出会った人よりもずっと多いという事情がTRPGにはあります。
彼ら別メディア参入組は、多かれ少なかれ「既存のメディアでは不十分だった楽しみを補完するためにTRPGに参入する」という意図を持っています。ウォーゲームでは不十分なキャラクターの存在、ゲームブックでは不十分な多人数プレイ、ライトノベルでは不十分な創作意欲の発散…一読者、一消費者でいる限りはそれらファンタジーメディアに参加することはできません。自分で物語を書きゲームを作るのでは、途方もない努力だけを要して、メディアの発信者として楽しむのにはハードルが高すぎます。そこで気軽に参加でき、ファンタジーメディアと親和性の強いTRPGとなるわけです。
ところが、ゲーミングはそれら他のメディアとまったく親和性のない要素です。
理由は簡単なことで、複数の参加者がスタンドプレイで介入している代物が一個人の意図を完全に実現できるわけないからです。『ベルセルク』の追体験がしたい人と、『スレイヤーズ』の追体験をしたい人がなぜか同席したとして、かみ合わないのが分かっていながら同じゲーム世界でそれぞれ勝手に補完作業をする。当然、2人の間にあるギャップは2人が想定していない展開を生み出すでしょう。これがTRPGのカオスというものです。
最初からTRPG出身という人には分かりづらいことですが、別メディア参入者にとってカオスは「そんなバカな」なことです。まさか他の参加者が自分の補完作業に介入してくるとはという心理が働きます。さらに、冷酷無慈悲なダイスは時として彼・彼女の補完作業を木っ端微塵に粉砕することすらします。
彼らは、「TRPGは自分の思い通りにならない」ことを痛感するのです。
ここでTRPGに絶望して辞めていくのは、まだ初心者です。
だんまりプレイヤーは、そこから先にまだまだ嵌まるドツボがあります。
プレイを重ねることによって、TRPGはただ自分の望んだ意図を夢想するだけでは実現してくれないことを思い知るでしょう。自力でキャラクターアピールをして、補完できるように仕向けなくてはなりません。
だが、他の参加者は彼・彼女が補完を望むまでの経緯を知りません。キャラクターという存在が発達しすぎたファンタジーメディアの悲しさ、彼・彼女が夢想し脳内で創られ、実体化するために補完作業を求めたキャラクター像は他のプレイヤーと共有するにはあまりに発達しすぎていたのです。
本人にはキャラクター像が脳内にくっきり浮かんでいて、とにもかくにもそのキャラクターを行動させたいんだけど、他のプレイヤーにとってはまだ実体の湧かない「PC1」でしかありません。
そんなイメージの乖離が何をもたらすか…。
場が凍りつくだけです。
彼・彼女にとってはそのキャラクターが取る定番の萌え行動なはずが、他の人にとっては経緯の分からぬ突飛で理解不能、宇宙人的行動でありアカウンタビリティの欠落です。キョトンとするしかありません。
パニックを起こして、あの禁断の台詞を口走ってしまうものなら、その日のプレイがトラウマになること間違いないであろう軽蔑を受けるでしょう。
「ほら、それが僕のキャラ設定だから」
誰も、あなたのキャラ設定に付き合うためにゲームをしているわけではないのです。
そして、忘れてはいけません。他の参加者とて自分の「萌え」を補完している可能性があるということを。
「こいつ…、俺のゲームを汚す気か!」
◆◆◆
これら「自分の萌えをゲーミングで踏みにじられたから、ゲーミングが怖い」という症状が全員に当てはまるというわけではありません。
それでも、そこに至るまでの経緯を知ることはゲーマーとして有益なことだと思います。
誰もが、ゲーム世界で再現したい「萌え」があります。
だが、TRPGは基本的に呉越同舟。「萌え」を完全に統一することなど不可能ですし、むしろ個人個人の「萌え」をぶつけ合い、折衝することから生まれる想定外展開にこそ醍醐味があるというスタンスを取っています。
『絡まりあう多様性 〜乖離をうがつもの〜』 でも主張しましたが、TRPGには「システムに保証されていない予定外行動での多様性」ってのがあります。あなたが抱えた「萌え」もまた保証されない領域に持っていかれることがあるのです。
その現実を克服できなければ、「萌え」をゲーミングに活かすことなど到底無理です。
まず自分の「萌え」から距離を置く。それが大事です。
あなたが一途に抱えている「萌え」など、TRPGのゲーミングがもたらす快挙・椿事の生きた物語が与える興奮・感動にくらべれば消しゴムカスのようなものです。TRPGにはそれだけのポテンシャルがあります。
◆◆◆
最後に、具体的な処方を考えてみました。
効果的なのは、「プレイヤーの行動は何であろうと流さない」ことです。
それには、自分の萌え行動・キャラクターアピールによってどういう効果を期待しているのか明言する必要があるでしょう。行動原理が理解できなくても、行動の結果どんな展開になるのかは誰もが理解できることです。突然宇宙人と交信を始めるのは不可解な行動だが、それによって「私は情報収集をしている」ことが明言されているなら、他の人もリアクションが取れます。
そして、彼・彼女の行動が流されないように、すべての行動は記録しておくのがよいでしょう。面倒ですけど、自分の行動が尊重されていないことを恐れるプレイヤーがいるのだから、すべてのプレイヤーの行動が反映されていることを目に見える形で残しておくのは有効な手法です。
「書く」というのは口下手な萌りんに筆談を持ちかけたら有効度が上がるように、だんまりプレイヤーにはとても有効です。実は以前、上述のようなだんまりプレイヤーを回された経験があり、その時はプレイ中に観察日記を書かせました。小学生みたいな手段でしたけど、日記を見せることによって他のプレイヤーに彼のものの考え方を理解させようとしたのです。
そのプレイは結局、彼は書くのに精一杯でしたが観察者として自分の主観を発散できたこと、それで他のプレイヤーとからめたことで非常に満足してくれました。
ただ困ったちゃんだ理解不能だと決め付けるのは、いかに負担であろうとも傲慢であることを覚えておいてほしいです。だんまりになるには、それに至った経緯というのがあるものです。少しずつ彼の行動を褒め、ゲーミングをする喜びに誘っていかなければなりません。







