前々回のTRPGの敷居の高さについて、紅茶檸檬さん、鏡さん、にゃあさんさんがそれぞれ言及さなれています。いずれも卓見であり、とても参考になりました。とくに、にゃあさんのまとめかたは僕のようなボンクラにはありがたい限りです。
今日は鏡さんのこのコラムについて少し意見を。
カテゴリーを生む違和感
いわゆるF.E.A.Rゲーという呼称が明確な定義がない乱暴な群体呼称であるのは仕方ありません。F.E.A.Rだってすべてを同じ方向性でデザインしているわけではなく、ゲーマー側だってすべてが同じ遊び方をしているわけではないので、違和感を感じるのは自然なことです。
だが、F.E.A.R社製TRPGと云えども卓やメンツが異なればまったく異種の遊び方をしているのかと云われればそれも違います。
無からTRPGの遊び方を模索してきた黎明期ならまだしも、それ以降のゲーマーは累積された経験を情報交換しあい、あるいは伝授され、サークル単位で遊び方が整合していきました。さらに情報誌やリプレイ本、今世紀に入ってからはインターネットメディアによって個別に情報の整合が行われてきました。
それによって、遊び手によって細かな差異はあろうが、全体的な要領については全国津々浦々、誰もが似たような感覚を持てる程度には情報が整合されているのがTRPGの現状です。
F.E.A.Rゲーという呼称にしたって、作品の違いによってプレイスタイルやシナリオの方向性に差異はあろうが、遊び方の根っ子で他の人と似通っている部分があって、その経験上の感覚が共通項として語られているのでしょう。
この経験上の感覚を平易に信じれるのは曖昧さが特徴の日本人ならではの感覚かもしれません。これが欧米人なら、自分がインターネットを通して語りかける見ず知らずの他者が、自分と類似性の高いプレイをしているなどと漠然と思ったりはしないでしょう。
日本人は曖昧さが特徴的な民族ですし、曖昧な経験上の感覚が空気という群体感覚として飛び交うこともあれば、風習・慣わしという形で制度化されることもあります。これを論理で対抗することは大変な労苦が必要です。
たまに外部からの衝撃があって、180度変化してしまうこともありますけどね。GURPSやTORGは黒船的衝撃を与えましたしね。
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さて、問題の1つに明確な定義がないとのことなので、不肖この回転翼がTRPGの区分について1つ定義を提案しようと思います。
ジャンル:TRPGで取り扱う物語世界の全体像を区分したもの。
(ファンタジー、SF、現代伝奇物など)
カテゴリー:TRPGの特定ジャンル、あるいはジャンルを問わず、物語のテーゼを区分したもの。
(ライト、ダーク、コミカルなど)
レーベル:TRPGをデザインしている組織・集団によって区分したもの。レーベルが提起した遊び方が準拠される場合でも用いられている。
(グループSNE、F.E.A.Rなど)
ブランド:特定のデザイナーによって区分したもの。
(鈴吹太郎、井上純弌など)
スタイル:TRPGのジャンル、レーベルを問わず遊び方の方向性によって区分したもの。Charles Ryan氏のような区分法はあれど、明確な区分ができていない場合もある。
(パワープレイ、キャラクタープレイ、ストーリーテリングなど)
こんなもんですかね。
この定義でいけば、「F.E.A.Rレーベル」と云えばF.E.A.R社製品を総括した呼称になるし、その中に「鈴吹太郎ブランド」「井上純弌ブランド」と細分化され、さらに鈴吹太郎ブランドの中に『トーキョーN◎VA』、『ブレイド・オブ・アルカナ』と個体作品が細分化されることになります。
なおかつ、『アルシャードff』、『ブレイド・オブ・アルカナ』、『アリアンロッドRPG』を並列することで「F.E.A.Rファンタジー」というジャンル呼称ができますし、これに他者のファンタジー作品を足して総体としてのファンタジーという呼称ができます。
ハンドアウトやシーン制、PC枠と云ったF.E.A.R社が中心としているシナリオ運営技術を採用している作品を総じて「F.E.A.Rスタイル」と呼称することだってあります。おそらく、一番用いられているのはこの定義ではないでしょうか。
細部に亘る定義は間に合わせのBlog記事では済まないでしょうし、曖昧な日本人の口には合わないかもしれません。だが、鵺のように曖昧なままで語られているF.E.A.Rゲーという存在をちょびっとは区分できたかと思います。
僕は『アリアンロッドRPG』でハンドアウトを用いず『ソードワールド』と大して違わない遊び方をしていますけど、それってダメなことなのかしら。PC枠に固執する人もまわりにいないし。






