2007年03月25日

TRPGという1つのセカイ 〜成長過程における族風俗としてのTRPGとその転換期〜

 「TRPGをいつまで続けられるか」というTRPG系の論客ならば思わず釣られてしまうであろう問題があるけど、僕は「最初の山場は21〜23歳」と考えています。

 この21〜23歳という山場は、学生運動・族風俗としてのTRPG活動の終焉を意味するものです。
 よりサブカル的表現を用いるならば「TRPGというセカイ」の終焉と呼びましょう。

 学生運動と云えば昭和40年代の安保闘争を思い浮かべるでしょうけど、ここではTRPGを含めたサークル活動や単なる男女の仲良しグループなど、学生という社会的立場に依った熱動的集団行動一般という意味で用います。
 端的に云えば、「○○族」というもの。太陽族、ヒッピー族、暴走族、竹の子族、ヲタク族といろいろありますけど、大抵は社会風俗や世相が大きく影響していると思います。

 んで、TRPGも族風俗なのかと問われれば、僕はYesと答えます。少なくとも、15年〜10年前、僕が学生だった頃のTRPGは『ドラゴンマガジン』などに影響を受けたファンタジー系サブカル愛好者が部活動的なサークルを形成した「族文化」でした。

 これはTRPGに限った話ではないけど、中学生ぐらいになれば自分を取り囲む社会の成り立ちについて興味が湧いてきて、その中から激しく刺激を受けた文化に自分が影響されることを受け入れるものです。そして、社会の存在を認知し、今度は自らの社会的立ち位置を考えるようになる高校生の頃は、自分が影響を受けた存在の社会的立ち位置を気にするようになり、盛んに同調者を探すようになります。
 TRPGゲーマーのうち、大抵の人はTRPGを高校時代乃至大学時代に見知り、そこから活動を開始しています。そのうち、高校で知った人は先輩筋から紹介された例が多く、大学で知った人は高校時代にTRPGを知りながら、それがサークル活動で行われていることに気付かなかった、あるいはそこまで身近ではなかったという例が多く見受けられます(僕の経験では)。

 若者が社会に刺激を受けるうちに、自分が好きな社会を見つけその社会に順応するために熱動的な活動をする……それこそが学生運動・族風俗の本質であり、TRPGもまず始まりは学生運動・族風俗として捉えられると考えたわけです。

 ところが、社会の中で生活していく世界システム……セカイと、今まで順応を試み続けてきたセカイとが食い違うことを知る時期ってのが訪れます。
 学生時代はスポーツが、音楽が、TRPGが自分を中心とした社会のすべてだった。だけどセカイはスポーツや音楽で食っていける人はほんの僅かであると示している。現実は就労しなければ生活できない。今まで順応していたセカイは誰かの庇護の下成り立っていた、巣箱の中のセカイだった。成鳥となり庇護の必要性が無くなったとき、彼彼女はセカイの転換を求められる……。

 これが、「21〜23歳山場」ということです。
 今、僕たちがいるセカイではTRPGで生活することはほとんど無理です。生活手段を得るために、それまで唯一セカイであったTRPGをどう再定義するか……これによって以後のゲーマー人生が左右されます。

 まずはセカイの否定。すなわち「卒業」。
 今までのセカイを過去の遺物と断じて、新しいセカイに転向するわけで、大抵の人はこれを選びます。対象の歴史が浅ければ、老いても活躍するかっこいい年寄り……伝説が少なければ、その率はさらに上昇します。
 
 続いてはセカイの衛星化。すなわち「趣味」。
 生活するためのセカイもお気に入りのセカイも共存させる。だけど生活の方がメインで、お気に入りの方は時間に空きができたら楽しむ程度に留めようという発想なわけで、僕なんかはこれ。
 この「趣味」を選んだ人はとりあえず最初の山場は越えるけど、その後も男女交際、結婚、子供、老後への不安など事あるごとに山場が出てきて、その都度「卒業」するかの判断を迫られるというあまり胃にはよくない状況に陥る脆弱性があります。
 TRPGは金銭のコストは微々たるものですけど、時間というコストは莫大ですから、やっぱり趣味にするのは辛い面があるかもしれません。

 三番目はセカイの惑星化。すなわち「道楽」。
 生活のためのセカイなど副次的なものに過ぎない。人生は好きなことで楽しむためにあるのだから、そのために生活向上のための資産をロスしてもいいじゃないか……。そう考える人も多い。僕の友人衆にはサッカー観戦を道楽として、そのために会社員を辞めて自営業を始めた人もいます。
 ある程度生活が安定してから道楽に走る人だっていますけど、対象の道楽が50〜60歳の人がカムバックできる環境であるかどうか……、これもその道楽の歴史の深さ、伝説の多さが影響してくると思います。

 それを踏まえると、あの歳でRoll & Role Stationなんぞで何不自然なくゲームをしている鈴木銀一郎はただ存在しているだけで偉人と云えましょう。別に作品の量でも質でもない。ゲーマーとして現役でいるというだけで業界としてはありがたい存在です。
 
 最後は、あくまで今までのセカイを貫こうという「職業化」です。これに関してTRPGはとっても狭き門ですけど、頑張れというしかないです。

 ちなみに番外として、今まで同調してきたセカイを防衛するために生活のためのセカイを侵略者として破壊しようとする「中二病的」や、新しい生活のためのセカイに再影響されすぎて、今までのセカイに憎悪を抱く「高二病」というのもあるけど、これらは順調な成長を踏んでいない人の例だから、あまり参考にはならないでしょう。

 だけど、セカイ系アニメやライトノベルはこんな「オトナなんてみんなインチキだ。侵略者だ」な中二病と、「夜の校舎窓ガラス壊して回りたい」高二病な人が主役であることが前提としてあるので、そこは押さえとかないと。

◆◆◆

 セカイ系ラノベや少年少女が主役のCRPGもそうだけど、この手のメディアの登場人物が中二病・高二病的性質がある……モンスターを殺戮しておきながら、敵役に「なんで殺し合わなきゃいけないんだ!」などと叫んだりするアレ……のは、やはりセカイ系は中学生・高校生対象の物語であるからなんでしょうね。
 
 ちなみに、僕が思うにセカイ系ラノベの最高傑作はヘルマン・ヘッセの『デミアン』と『車輪の下』。

 ただ、現実にコンシューマーゲームとアニメを嗜むにはそれなりの経済的基盤と時間配分の自由が必要であり、やはり大学生以降でないと自由にゲームやアニメ観賞はできるものではありません。そんなんで本来中学生・高校生向けであるセカイ系を知るとならば、後発的に中二病・高二病になっちゃう危険ってのはありますよね。あるいは中学・高校時代に潜伏していた中二病・高二病が覚醒するとか。
 それだと最初の山場での鬱はすさまじいものになりそう。

 TRPGには『アルシャード・ガイア』、『ナイトウィザード』、『エンゼルギア』などの菊池たけし、井上純弌両氏の作品が中二病向け、『ダブルクロス』などが高二病向けのゲームメディアとして、大人の方でも安全性の高い中二病・高二病体験ゲームがあります。
 1人では鬱になってしまう、「なんで殺し合わなきゃいけないんだ!」的中二病ヒーローや、「殺りたくて殺ってんじゃないんだ!」的高二病ヒーローが体験できる……しかも今年で31周年、節度を以て迎えてくれるおじさんゲーマーが数多くいて、貴方の恥を優しくフォローしてくれます。

 そこらへんは、健全という面では疑問だがF.E.A.R社のゲームはいい仕事していると思います。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(0) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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