まともな感覚でないことはわかってます。狂気に等しいです。
裏返せば、僕が養ったゲーム感覚はエゴに対する恐怖が伴っていたわけでして、それを克服せんことにはTRPGは危険すぎる。いつか犯罪者を出すという恐れを、卓上に置かれたナイフや、格闘技の技を真似している人を見つめながら感じていました。
それ故、僕は「TRPGはみんなが楽しむためにある」という言葉の逆として「TRPGはみんながエゴを悪意に昇華させ、誰かがプレイ不能に陥るもの」という認識すら持っています。
RPG日本の会合での打ち上げで、鏡さんはTRPGはそもそも楽しいものなのに、なぜ楽しむためと明記せねばいかんのかと問いかけてきたんですけど、明快な答えを僕は持っています。
TRPGは精神に異常をきたす危険なものであり、遊び手は必ずトラウマを負うものだからです。
あらゆるゲーマーがプレイをし続けるには、まずそのトラウマを克服して、エゴに対抗できる程度に面の皮を厚くする必要があるのです。そうでなければ、TRPGは楽しむことができない。他のプレイヤーの「楽しもうとする行為」の前に叩きのめされてしまうだけです。
そして、現役のゲーマーならほぼすべてがそういうトラウマ……TRPGには「楽」だけではなく「苦」も存在していることを受け止め、楽しめなかった苦い経験を克服しているのです。
僕は「苦」がほんのちょっと大きかっただけです。
何も怖がることはないです。今の僕は自分の暗黒面を芸にして笑い飛ばすだけの余裕があります。それにいたるまでの道のりも、多くのゲーム仲間に支えられて身につけたものです。
もっとも、完全には払拭できませんから、時折こうやって「悪人の告白」をさせていただいてます。こればかりは僕のエゴが成せる業でして、不快に思われる読者の皆様には実プレイに害を及ぼさないよう禊をしていると思ってご了承ください。
最後に、以前『インタラクティブの居場所』 で吐いた言葉ですけど、「GMはプレイヤーを楽しませるためにある」のなら、「プレイヤーはGMを楽しませるためにある」という言葉はぜひTRPGでの常識にしてもらいたい言葉だと思っています。今までGMがプレイヤーを楽しませる手法はあれこれ提案されてきましたが、プレイヤーがGMを楽しませる手法について論じてる人はあまり多くいません。せいぜいGMのシナリオやストーリーテリングに協力しようといった程度で、結局プレイヤーの「みんなで楽しむ」守備範囲はプレイヤー同士までしかないのかと悲観すらしています。
何度か提言してきたゲーミングの概要も、すべてはプレイヤーがGMを楽しませるために必要なテクニックに通じるかもしれません。この技術を練りこめば、GMもプレイヤーとともに「みんなで楽しむ」環境がより一層整ってくるでしょう。






