ライブの件は次の機会にでも書くとしましょう。
今日はTRPGをし続けるが上の苦悩と苦痛の話。
TRPGとて所詮は娯楽、遊びであり辛くなったら止めたらいいとはよく云われる言葉です。だが、いざ止めるとなると今まで培った人脈・交友関係をも切らなければなりません。趣味で培った人脈など薄いものでして、2〜3年経ってまた始めようかという時には、かっての仲間はみんなバラバラ。音信不通はおろか本名すら知らないまま付き合っていたものだから、そのまま永久の別れとなることすらザラです。
TRPGという趣味自体を続けるか止めるかよりも、そういった別れをしていくことが辛い。
TRPGはソリティアではないのだし、飽きたり疲れたりしたら物置にしまっておけばいいものではない。CRPGは筐体やメモリーが壊れない限り何年も待ってくれています。だが、TRPGは人と人とのやり取りがすべてです。TRPGを止めても時間は止まってくれません。その合間に仲間たちはどんどん離れていってしまいます。
いつでも過去と同じように再開できるのなら、TRPGは所詮ゲームと言い切れましょう。だけど、いつだって昔と同じようには再開できないのがTRPG。世代が違う、好みが違う、経験が違う……再開するたびに新天地で一からプレイ環境を再構築しなければなりません。
その事自体は苦痛ではないんですけど、お互い知り合っていく努力の中で、またこうして知り合った人とも別れていくものだなという寂しさが、100人単位の別れを経験した僕にはいつも付きまといます。
過酷なんでしょうかね。僕が歩んだ道は。
そうした別離の悲しさ、自分だけ取り残されたという寂寥感を乗り越えなければ、10年20年とプレイし続けるなんてことは到底できる相談ではないのかもしれません。
積み重ねた時間を顧みれば、TRPGは遊びでもゲームでもなく、まさしく「選んだ青春」であったわけです。
僕は国産TRPGの8割以上、海外TRPGも何作も持っていると自負している者ですが、その半数以上は僕と同じようにTRPGに苦悩し、挫折して去っていった「かつての仲間たち」が形見として譲ってくれたものです。
そういうものに囲まれて生活してると、残存思念とか亡霊とかを感じざるを得ません。
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