昔はこんなことを提唱するのは本当に野暮なことだと思っていました。サークルに集えば数人の仲間と卓をともにするのが通例でしたし、TRPGは複数の人間が集って楽しむものだとごく自然に受け入れていました。
翻って現在はどうでしょう。
はたして、TRPGは集団ゲームである意義はどこまで練成されているのでしょうか。
それとも、いつかTRPGは人を集める必要などなくなる環境になるのでしょうか。
TRPGが集団ゲームである意義を薄れさせる要因は、今の段階では3つ思いつきます。
1:TRPGをプレイすること自体への興味のなさ
2:TRPGが複数の人間が時間を削って一同に集う必要性への興味のなさ
3:TRPGのカオスへの興味のなさ
今日はまず「1:TRPGをプレイすること自体への興味のなさ」を検討します。
1は会場には現れないのだから非常に潜在的な問題です。
TRPGのルールブックを読む、興味を持って買う……ここまではします。ただ、その人がコンベンションなりサークルなりを探してプレイしに来るのか……となると、来ない人が1に該当します。今の時代、TRPGのルールブックを買う程度に興味津々な人がサークルやコンベンションを探す手段に迷うことなどまずないだろうから、やはりこういう人たちはTRPGが持つ世界観には興味があっても、ゲームそのものには興味がない「永久読者」と称すべき人たちなのでしょう。
ゲームメディアが他のメディアより勝っている点として、物語の舞台に自ら進んで入り込めるトリップ感を強く感じられるインタラクティブ性にあります。TRPGはヴィジュアルでは電子媒体のゲームに負けますけど、書籍媒体では自分のキャラクターを持てるという点で、割合トリップ感の強いメディアと言えます。
TRPGはゲームなのか、それとも物語媒体なのかとはよく取り沙汰されている問題ですけど、実際はその中間点にいるハイブリッドな媒体であるのが問題の根源でしょう。小説や漫画にはないインタラクティブ性があるけど、電子ゲームにはあるヴァーチャルトリップ感はない。その中途半端な地点にいるから、あたかも「自己投影が強く体験できる本」と認識してしまうのかもしれません。
悪いことに、そう解釈するとゲームブックという非常に親和性の高い書籍があるから、TRPGは「ゲームブックの記述をGMが口述でする多人数参加ゲームブックである」だと認識する人がいたっておかしくありません。
おかしくないどころか、現状では「当たらずとも遠からじ」と言った所でしょう。
……だからと言って、TRPGをファンタジーの設定資料集程度にしか捉えてもらえてないと論ずるのは、ゲーマーとして本来歯がゆい状況です。まぁ、世の中にはいくらでも無責任論者ってのいまして、自分の周りさえ人数が揃っていればどこの別世界でゲーマー未満の永久読者がいたって知ったことではない、メーカーにとっては同じ購買者だから問題ないとか言う人もいます。後者に至ってはメーカーの回し者かと突っ込むものだし、相当ニヒリズムが入っていて相手するのも嫌になります。
論外にしたっていいはずなんだけど、ニヒリストってのはでしゃばりで饒舌ですから。
結局、それはTRPGがプレイの場に引き摺り出すに必要な決定打をまだ持っていないのが原因なのかもしれません。例えばルールブックに掲載されているリプレイなどは、商業誌のリプレイとは目的が大きく異なるはずです。商業誌のリプレイが、TRPGの名を売るための販促であるのに対して、ルールブックのリプレイは読者をプレイヤーにするためのプレイ促進効果が求められると思います。
販売促進とプレイ促進……その違いを煮詰めてみないことには、読者をプレイヤーに昇華するにあたって現行のTRPG作品はいささか燃費が悪いと評するしかありません。
あくまでも、プレイの現場・複数のプレイヤーと1人のGMが卓を囲んでこそナンボという前提を堅持すれば改善に向けての意気込みもでるでしょうけど、TRPGとゲームブックとの差すら意識できない状態では、TRPGをプレイしたプレイヤーとしての快感と、TRPGを読んで物語世界にトリップした読者としての快感とを秤にかけるというアホな事態が発生するでしょう。
「ん〜っ。コンベンション行こっかな〜。……面倒だから家でルールブックでも読んで過ごすか」
どうやら、これからはゲームブックも看視する必要がありますね。






